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第一話 孤独の青年

 謀反軍の軍師、ディラン・クレセントとは一体何者だったのか?


 その問いに答えるためには、少し時をさかのぼって説明する必要がある。


 ――ディランは学生の時分から優秀であった。


 彼が挙手すれば教室が静まり返り、口を開けば議論は一方的になる。周囲が理解できない理論を、彼は当たり前のように語った。何か曖昧なことを見つければ、そこですぐに問答が始まる。

 その存在は、周囲の生徒からすればあまりに息苦いものだった。段々と人々は、彼との距離を広げるようになった。


 秀才とは往々にして孤独である。


 そんなディランの知的欲求の矛先は例外なく教師たちにも向けられたが、彼らであっても彼に太刀打ちできなかった。何より厄介なのは、彼が学びに対してあまりに純粋であるということだろう。これでは授業もままならないと、そんな苦情を数多受けた学長はディランに提案をした。


「王立図書館であれば、ディラン君の求めるものがあるかもしれない」


 王立図書館——それは月の都にそびえる最高学府。あらゆる学問の書籍が収蔵されているという。案の定、彼はそこへ入り浸るようになった。

 学校側は彼の決断を大歓迎した。


 当初はあらゆる分野の書籍を満遍なく漁っていたが、やがて彼の興味は一つの分野に傾倒していった。


 それは結界——月の空を覆う、藍色の天幕。


 大気を安定させ、光も、兵器すらも通さない防御機構。さらには時の流れにすら干渉しているという。

 彼が結界に惹かれた理由は他でもない。その存在自体が、これまで学んできた科学や物理の知識を根底から否定するような代物であったからだ。


 その究明は難航した。どんな資料を調べても、高名な学者を訪ねても、真理に近づいた感触がまるで得られない。それでも彼は断念しない。

「結界は王家のレガリアであり軍事機密。禁忌に触れるな」と諭してくる者もいた。しかし、その忠言はかえってディランの探求心を燃え上がらせた。


 そのような日々を一年ほど過ごした頃、ついに彼は思い立つ。


 実際に結界に触れれば、何かがわかるかもしれないと。


 ◇ ◇ ◇


 砂埃を上げながら、一台のバイクが薄暗闇に包まれる荒涼な月面を進んでいく。

 ディランは結界をその目で間近に観察しようと、月の都を後にしていた。


 結界は月面を半球状に覆い、その端は都から遠く外れた地表にある。到達は可能であるが、端付近は厳重に警備されているという。

 ディランが眼を付けたのは王家軍第四師団が管轄する区域。この師団は現在、その主力が他星間戦役の鎮圧に駆り出されており、今なら警備も手薄だろうと考えた。


 侵入などすればただでは済まない。命の危険もあるかもしれない。だが彼の好奇心はもう止まらなかった。


 丘陵を抜けた先の地平に、立ち入り禁止を告げるフェンスの頂部が見えてくる。それは見上げるほどに高く、隙間なく厳重に張り巡らされていた。段々と近づいてくる深藍色の天井が、まるで頭を押さえつけてくるような圧を放っている。

 遂にフェンスまでたどり着く。都の光も届かない薄暗闇の中、鉄条網が津波のようにそびえ立っている。


「切断はやはり難しそうか……」

 ディランがフェンス越しに結界の端を観察していると、どこからかサイレンが微かに鳴った。

 遠方に、警備隊の車両と思われる影が迫る。


「そこで何をしている!」


 その声に呼応し、ディランはすぐさまバイクを走らせた。だが、前方からも車両が近づき、行手を阻む。ならばと内側に進路を取ろうとするが、そこへも車両が寄ってくる。

 完全に挟み込まれた。バイクが停止する。


「おい、止まったぞ」

 サイレンが止められる。警戒するように、警備隊がゆっくり近づいていく。

「……制服? 学生か?」


 学生の悪ふざけか。と、警備隊が弛緩したその一瞬を突き、ディランはバイクを急発進させた。フェンス際でハンドルが切られ、バイクがそのまま放り出される。

 ディランは迷いなくフェンスへとよじ登った。


「おい! 待て! 危険だぞ!」

 警備隊が後を追う。


「対象不明です! このままでは結界に」

「隊長、非致死性の手段は使用しますか!?」

「いや、本隊へ報告しろ! 境界に侵入者、航空隊の即応を要請!」


 ディランはフェンスをグングンと登っていく。彼はこの日のためにと、フェンスを上る訓練を積んでいた。手袋や靴までも、この鋭い金属の壁を登りきるために準備済みである。


 フェンスの頂上まで到達すると、背中のバックパックから取り出したドローンにぶら下がり、その勢いのまま反対側へと躊躇なく飛び降りる。月の重力は地球の重力のおよそ六分の一。彼の身体は放物線を描くように、さらに遠くへと滑空していく。


 ディランの視界を結界が覆う――彼の興奮は最高潮に達した。


 着地すると、砂埃を巻き上げながらごろごろと転がった。後ろを振り向いても警備隊は声すら微かになるほどはるか後方。彼はまた、猛然と結界に向けて走り出す。


「端だ! はぁ、はぁ……」

 ディランはもう喜びが抑えられないとばかりに笑顔になっていた。


 地面から深い藍色の壁面がそそり立っている。

 あと百歩、あと五十歩。皮膚がうずきを帯びる。毛穴から何か滲み出すような感覚。

(これだ。これが結界の本質か。引力。いや、もっと根源的な何か。何かの法則が——)


 さらに近づく。

 縁では地面が途切れ、結界は地中へと到達しているように見えた。


 ついに、目の前に来る。


(向こう側が全く見えない。物理的な実態があるのか、それとも別の現象か?)

 ディランは右手を伸ばし、触れようとした。途中、指先に触れる空気が冷たく変化したような感覚があった。


 次の瞬間、指先に引き裂かれるような激痛が走る。

 悲鳴が肺から噴き出た。


 手を引こうとしても、まるで氷に引っ付いたかのように指の腹が捕らえられている。

 結界は意志を持つかのようにその闇を触手のように伸ばし、全身を絡めとろうとしてきた。抵抗しようにも、既に腕までがそこに固定されてしまったかのように動かない。

 皮膚が灼熱を帯び、骨が砕ける音が直接脳に響く。


 確実な死がそこに迫っていた。


 その時、ディランの後方から、一機の飛行体が現われた。

 警備隊の要請を受け飛来した、第四師団のエアモビリティ。

「あれを見てください! 結界が!?」

 上空から、今にも青年が結界に飲み込まれそうになっているのが見えた。


 壮年の隊員が一人受け身を取りながら地上に降り立つ。

 すぐさまディランに向かってロープをぶん投げた。

「それに掴まれ! その輪に!」


 必死に左手を伸ばすディラン。しかしもう屈むことすらできず、届かない。

 それを見てさらに隊員が駆け寄っていく。


「ニコスさん! それ以上は危険です!」

 上空から隊員が叫ぶ。しかしその壮年、ニコスは制止にも耳を貸さず、ロープを拾い上げるとディランの傍へにじり寄った。


 必死にロープを体に巻き付ける。黒い闇が、ニコスまでをも包み込もうとしてくる。ロープを巻き付けようとするニコスの指が、背中が、全身がきしむ。


「引け!」

 ニコスが手を上げると、エアモビリティが逆方向へ推進する。人一人を引くだけ、しかし引ききれない。


 ディランの胴にロープが食い込む。

 余りの衝撃にディランは悶絶し、そのまま気を失った。


「もっとだ! もっと引け!」

 ニコスが声を張り上げる。航空機がさらに出力を上げたその瞬間、結界から伸びていた黒い靄はディランを吐き出すように消え、彼の体は宙を舞った。

後書き


読んでいただきありがとうございます!

次回も是非、よろしくお願いします!

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