2話
ルティアナ王国とガルディア帝国――両国の境界に広がる平原は、硝煙と熱気に包まれていた。
ガルディアの兵は、黒いアリの群れのように、いや、終わりなき黒い波のように押し寄せる。
その数はルティアナ軍の十倍、いや二十倍にも及ぶだろう。剣と盾、そして主力である魔銃を構えた兵士たちが、大地を揺らしながら激突していた。
「撃て!」
後方から司令官の怒声が飛ぶ。兵たちの手にあるのは、短銃を大きくしたような奇妙な銃――魔銃。その銃口からは鉛弾ではなく、圧縮された魔力の弾が光を引きながら放たれる。
だが多勢に無勢。ルティアナの兵が一人倒れる間に、ガルディアの兵が次々と補充されていく。劣勢の空気が広がる中、司祭の声が響いた。
「諦めるな、ルティアナの民よ! 聖女は我らと共にある!」
その言葉に兵たちが気力を取り戻し、再度攻撃を仕掛けようとした――その時。
ボヨン、ボヨン、と異様な音を立てながら跳ねる影が現れた。
「な、なんだ……あれは!」
「スライムだ! しかも馬鹿でかい!」
「黒い……変異種だ!」
「よりによってこんな時に……!」
兵たちの悲鳴が戦場を走る。現れたのは、常識外れの黒くて巨大スライム。指揮官たちが控える後方へ、ただ真っ直ぐに跳んでいく。
「姫様! 危険です、下がってください!」
人垣をかき分けるように、金色の髪を持つ少女が姿を現した。
「駄目よ! いま何が起きているのか、私は知らなくては!」
戦場の煙と曇天の中で、彼女の髪は燦めく光を帯びていた。ルティアナ王国の姫、アリア。その凛とした姿に兵たちは息を呑む。
そして彼らの視線の先――数十メートル離れた場所に、常識外れのスライムが立ちはだかっていた。
本来スライムは、手のひらサイズで、子どもでも世話できるほど飼いやすい人気のペット。しかし、驚異的な移動速度で跳ぶそれは、大人の男より大きく、しかも漆黒に染まっている。
「マオォォォォーーーーー!!」
地鳴りのような声が響き渡る。
「来るぞ! アリア様を守れーーー!」
「変異種の可能性がある!スライムだからと言って侮るなーー!」
「陣形を整えろーー!」
「合図があるまでは絶対に撃つな!魔銃の射程に入ってから合図とともに一斉射撃だ!」
「命を捨てても姫様を――!」
「ママァーーーーー!!」
兵士たちが武器を構える間もなく、スライムが突進してくる、と思われたが、スライムはただその場で鳴いただけだった。
「油断するなよ!あのとんでもない跳躍力で一瞬で来るぞ!」
「魔銃の射程に入るまでは待機だ!」
「守れーー!」
「陣形はほぼ整った!いつでも来い!」
「わが命は祖国と姫様のために!」
「ママァンーーーーー!!」
「今度こそ来るぞーー!」
しかしスライムは動かなかった。
「守れーー!」
「陣形は完璧に整った!」
「いつでも撃てるぞ!」
「ママーーーーーーー!!」
「次こそ来るぞーーー!」
スライムは鳴いた。
「マオォォォォーーーーー!!」
「そろそろ来るぞーーー!」
「陣形はもうこれ以上整えれないぞ!」
「ママァンーーーーー!!」
「いつまで鳴いてんだよ!とっとと来いや!」
「おい!何馬鹿なこと言ってんだ、来ない方が良いに決まってんだろ!」
「いや、確かにそうなんだけどさ!」
「あいつ何なんだよマジで!」
「ママァンーーーーー!!」
「うるせえよ!」
「馬鹿!挑発するな!」
「スライムに言葉なんか分かんないだろ!」
「いいから黙ってろ!」
それでもスライムは動かない。ただ、ひたすらに鳴いているだけだった。
――戦場に、奇妙な沈黙と困惑が広がっていった。
「もしかしてお母さんを探しているのかも………」
聖女アリアのつぶやきが、やけに大きく響いた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「ブックマーク」と「いいね」を頂ければ大層喜びます。
評価を頂ければさらに喜びます。
☆5なら踊ります。