1話
東京都新宿区・歌舞伎町、午前三時。
「きゃーーー!」
薄暗い路地裏に女の悲鳴が木霊した。雨上がりで濡れたアスファルトを、素足のまま必死に駆ける。背後からは二人の男が足音荒く迫ってくる。
角を曲がった先で女は転倒した。足首をひねったのか、苦痛に顔を歪める。男たちは速度を落とし、余裕を見せてゆっくりと近づいてくる。
「へっ、逃げても無駄だ」
嘲る声とともに、一人が女へとのしかかった。
その瞬間――。
「がぁ、あ……」
膝をついた男の動きが止まり、虚空を仰いだ。
「え?」
顔を真っ赤にしながら喉を掻き毟り、恐怖に目を見開く。その異様な光景に女は息を呑んだ。
「な、なに?どうしたの!?」
叫ぶ女の目の前で、もう一人の男も同じように喉を押さえ、苦しげに呻き声をあげる。そして最初の男は女の上に崩れ落ち、最後の叫び声を残して二人とも動かなくなった。
青紫色に変わった顔は、生気を完全に失っていた。
――この街には、噂がある。
犯罪者に刺されて殉職した正義感の強い警官の霊が徘徊しているという。弱き者を助け、悪を容赦なく裁く、都市伝説のような存在。
だが、歌舞伎町に巣食う闇はそんな噂で止まることはない。だからこそ、今日もまた、悪党たちが闇に葬られる。
「……あ、ありがとうございました。お巡りさん……私、助かりました。本当に、ありがとうございました」
涙に濡れた頬で、女は何度も頭を下げた。
*
「参りましたねぇ」
暗がりに、長髪の男が現れた。仕立ての良い黒のスーツに身を包み、口元には苦笑が浮かぶ。
「早く成仏してはもらえませんか? あなたはとっくに死んでしまったのですよ、芦屋 無我君」
「天国にも地獄にも行くつもりはない」
「そんな子供みたいなことを言って……」
「なら無理やり連れて行けよ、死神」
「それができれば苦労しませんよ。まったく、芦谷家というのは厄介です。代々、誰ひとり素直に従おうとしない」
「用がないなら消えろ」
「……坂本風花」
男の足元に蠢いていた黒い影が、一瞬ぴたりと止まった。
「ご存じでしょう?」
「知らないな」
「そうですか?」
二枚目俳優のような顔が、楽しげに歪む。
「高校時代のクラスメイトですよ」
「そんなもの卒業すれば忘れる」
「彼女は今、異世界にいます」
「……なんだと!?」
「しかも、その命はもうすぐ尽きるでしょう」
「どういう意味だ!」
「環境が過酷すぎる。恐らくは、自ら命を絶つはずです」
「おい死神……お前の目的はなんだ」
「ヒーローのように命を懸けて救ってくれる存在がいればよいのですがね。残念ながら、これも運命でしょう」
「ふざけるな!」
怒声とともに、周囲のカラスが一斉に飛び立った。
「……俺をその世界に送れ」
「死にますよ?」
「俺はもう死んでいる」
「ふふ、どこかで聞いたような台詞ですね」
死神は愉快そうに口角を吊り上げる。
「いいから、早く送れ」
「わかりました。ですが、その前に聞きたいのですが、やはりあなたは坂本風花に惚れていたのですね?」
「そんなやつは知らん!」
「わかりました。それでは――アディオス」
闇の中に闇の渦が出現し、そこに吸い込まれて行った不定形の黒い物体。
「ふぅ……ようやく厄介払いができた。向こうでも暴れるのだろうな……まあ、あちらは私の管轄ではないから知ったことではない。せいぜい楽しませてもらおうか、芦屋無我」
甲高い笑い声を残し、死神も夜の闇に溶けた。
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