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準備を済ませ裏口から外に出ると、こちらから基地まで伺いますとつたえてあったにも関らず人の姿があった。もちろん、その姿はトシュマン・ビューマー副団長だ。
行きたくないけど、行かなくちゃいけない。まったく乗り気のしない仕事だ。ルシアはまるで見えないかのようにビューマーを無視して、さっさと歩き出す。今日はマフラーもコート(もちろん、すべてニコリネが仕立ててくれたものだ)もしっかりと着込んできた。彼から貸してもらうような不可抗力が発生してしまったら面倒なことになるし、凍死しかかったことを例にどうせ怒られるからだ。
「…姉様!待ってください!」
ストームスの正面入り口からオーリが飛び出してきた。慎重に裏口から出たのに、まさかの正面で待ち構えているとは。ルシアはどうしようかと考える。魔力を使って愛しいオーリを拒むことは絶対にしたくない。ただでさえ、今日は魔力をたくさん使う予定だ。いつもは甘やかしてばかりだが、ここは厳しく突き放さないといけないのかもしれない。
「ダメよ。…連れていけないわ」
「騎士団はよくてどうして僕はダメなんですか!?」
ルシアの行く手を阻むようにして手を広げたオーリは言って、大きくなったら連れてってくれるって言いましたよね?と、彼にしては珍しく、聞き分けが悪いことを付け足した。首を横に振ったルシアは朝から何度も言っている言葉をくり返す。
「オーリ、あなた、まだ11でしょう?討伐に行くには早すぎるわ。剣だってまだ稽古をはじめたばかりじゃないの」
「…能力は、きちんと使えます」
そういう問題じゃないわ。ルシアは再度、首を横に振る。オーリの能力、筋肉増強の能力はまだまだ未熟だ。酔っ払ったルシアや倒れたシエナを軽々と抱えることができても、まだまだ、実戦には不向きだ。そもそも経験が足りていない。それに、彼は魔獣に親を目の前で殺されているのだ。いざ、大型の魔獣を前にしたときにその記憶に支配されて、足がすくんで動けなくなってしまう可能性だって充分ある。それなのに連れて行けるわけがない。
「…オーリといったか」
はい。話に割り込まれた形ではあるが、オーリはビューマーの目を見てきちんと返事をした。こんな形で話に割り込まれて素直に応じられるストームスの人間は…恐らく、他にいない。
「筋肉増強…うちの団長と同じ能力だったな」
ルシアはいつの間にか隣に並んでいたビューマーと目の前のオーリを交互に見比べる。
「…どうして知ってるの?」
「この前、副団長さんがいらっしゃったときに、少し話をしました」
ビューマーは頷いて、オーリの目線に合うように腰をかがめた。
「姉がとても心配だというお前の気持ちはよくわかる。…今までだって、本当に心配だったよな」
コクン。と頷くオーリの頭にビューマーは手をのせる。
「それと同じように、お前の姉も、お前のことを案じているんだ。危険な目には合わせられないと」
「…でも、僕は…」
「…俺が剣の稽古をつけてやろう。…すぐには無理でも、俺から1本でも取れたら、姉様に認めてもらえるはずだ」
「…いいの、ですか…?」
「できる限りの時間になってしまうが」
はいっ!!うれしそうに頷くオーリの頭をぐしゃぐしゃっと撫でて、ビューマーは笑った。
「責任を持って、ケガなくルシアを送り届ける。…フロストベアの肉、楽しみにしてろよ」
「…エイダさんに、調理をお願いしておきますね」
微笑ましいやりとりだけれども。大切な弟をビューマーに取られたような気持ちになったルシアはオーリに抱きつく。出会った頃はあんなに小さかったというのに、今はもう、彼の身長はルシアに追いついて、いつ抜かれるかもわからない。小柄なホルンはもうとっくにオーリに背を越されているほどだ。
オーリは心優しい子だ。妹想いで、家族となったストームスの全員のことを想っている。だから、自分のことも心配をして心を痛めていたのだ。それに気付けないでいたなんて。何よりオーリの気持ちに寄り添うことが欠けていたのだと、ルシアは唇を噛む。
「…姉、様…?」
「オーリ…。私、行きたくない…」
オーリの肩に額を乗せたルシアは、本音を漏らす。え…?オーリが困惑しきった声を出した。
「だって、寒いし。…たくさん、歩くし」
フロストベアの顔、こわいし。付け加えると、察したオーリがおかしそうに笑い出した。
「姉様、だめですよ。…アイシャの真似をしても」
ぎゅっとオーリの手が優しく、だけど力強くルシアを抱きしめ返してくれて。でも、その直後、ビューマーに預けるような形で突き飛ばされてしまった。
「与えられた仕事はきちんとする。ストームスの掟ですよ、ルシア姉様」
将来有望だな。頭上でビューマーの声がして、ルシアは抱きとめてくれた腕に噛みついてやりたい気持ちを抑える。この胸元が柔らかく温かなのは、懐にアイリーンがいるからだろう。
「…騎士団にはあげないんだから」
「オーリ、入団試験は12から受け付けてるからな」
体を支えてくれていたビューマーの腕がそっと離れ、ルシアは姿勢を正す。
「オーリ、行ってくるわ。…留守は任せたわよ」
「いってらっしゃいませ。ルシア姉様、どうかご無事のお戻りを」
やはり騎士団に欲しい人材だな。ビューマーは独りごちるが、ルシアは黙ったまま、歩みを進める。
昨日あれこれ考えたせいで気持ちがぐちゃぐちゃになっている。いい加減に頭を冷やさないと、大きな事故につながるおそれだってある。今日の討伐は1人で行くのではないのだ。それに、今回の仕事は断ってもいいとされているビューマーからの依頼ではない。
ストームス商会として騎士団に依頼した討伐の仕事で、ルシアはストームスの正式な使者として赴くのだ。
「…迎えはいらないと、言ったはずよ?」
少し前を歩いていたルシアは背中の後ろにいる人物に静かに言った。ビューマーはそんな彼女の隣まで歩みを早めて、真横からまっすぐな視線を向けた。
「俺が行かないのであればソルが…オイラー隊長が迎えに行くと言って聞かなかった」
「で、副団長自らお出迎え?…」
何がどうであれ、騎士団のことは優先して欲しいとルシアは言ってあったのだし、アキュレスだって一部であれ、商会からの依頼で隊を動かすことに難色を示していた。騎士団に討伐を依頼するだなんて、本当はあり得ないのだから。
「すまない。…ルシアが来ないかもしれない、とも思った」
「さっきみたいに、オーリに怒られても?」
「ルシアだけだったら、オーリも言うことを聞かなかったんじゃないか?」
…完敗だ。やっぱり、行きたくない。ルシアは足を止め、息を大きく吐いた。このまましゃがみこんで膝を抱えたい気分だ。それでも行かなくては、ストームスの面汚しだし、姉の面目丸つぶれだ。
「…昨日な、東国の珍しい酒をもらったんだ」
いきなり違う話を持ち出して、何かと思えばお酒の話だなんて。ルシアは顔を上げてビューマーをにらみつける。
「…お酒で釣ろうって言うの?」
「俺は飲めないからな。…でも、この先もいろんなところからもらうと思うぞ?」
「…飲めそうな顔をしているものね」
うん。と、ビューマーはいたずらに笑う。こうやって時々、18という若さを見せるかわいい反応は少しズルい。ルシアは思って、ブラウスの下に隠している胸元の魔石をマフラーごと押さえる。
「一口飲んで、朝までぶっ倒れるからな」
きっと、シエナより弱い。ただ彼女の場合は口を開かなければ、まるで絵に描いたような、か弱く、それはそれは美しい女性なのでお酒を飲めないといっても誰も疑問に思わない。
「団長サマに差し上げたら?基地内では飲んではいけないのだった?」
「非番であれば許してはいるが…団長の酒ぐせの悪さは知ってるだろ?」
昨夜は結局、ゴディネスはストームスに泊まっていった。『あっちゃん』のベッドを占領してしまったので、部屋の主は仕方なくソファで寝たとのことだった。
「まぁ…私も、人のことは言えないけど」
下手をすると、団長サマよりたちが悪いかもしれない。ルシアは心の中でつけ足す。
「そうなのか?」
「…団長様言うところの『あっちゃん』をよく半殺しにしてるわ。…そのうち、彼は精神を病むかもしれないわね」
言うと、ビューマーはこちらから顔をそむけてしまった。が、肩が揺れているところを見ると、笑いをこらえているらしい。
「…仕事はちゃんと、やるわよ。オーリのこともあるし」
そもそも、主の命令には逆らえないし。そこまで思って、ルシアはとぼとぼと歩き出す。が、ビューマーに手を取られまた歩きを止めることになった。
「…エイダさんが、ルシアはこれが好きだと教えてくれた」
きれいな紙に包まれたキャラメルが手に乗せられて、ルシアは少し元気が出る。これは、王都でしか売っていない代物だ。ストームスにもなかなか入荷の機会がない。いつか主が土産にと買ってきてくれた事があって、その時はアキュレスが神に見えたのだった。
「もしかして…子ども扱いしてる?」
「…ご寵愛とやらを授けてるだけだ」
酒とキャラメルがご寵愛。思っていると手の上のキャラメルを取り上げられて、ルシアは抗議をすべく顔を上げる。と、唇に柔らかなものが触れた。
「ほら、さっさと行くぞ」
ルシアが唇を少し開くと、甘いキャラメルがビューマーの指にそっと押し込まれて。最後にその指が唇に触れた。それから、彼も自分の口の中に一つ、その指でキャラメルを放り込んだ。
歩きながら甘いものを食べるなんて、行儀が悪い。なんて思うが、共犯者もいるし、何より泣いてしまいたいくらいの口内の幸福にルシアは抗えずにいる。
「…ね、包み紙、ちょうだい?…キレイな紙だから、取っておきたいの」
言うとビューマーはそっと笑って、包み紙を二枚渡してくれた。ご機嫌取りをされた、とルシアは思うものの、こんなご寵愛ならいくらでも歓迎だ、とも思うのだった。
この二人のやりとりが、騎士団副団長とストームスのルシアの仲睦まじい姿として街の噂のひとつとなり、このキャラメルを食べさせ合うのが(実際は食べさせあったのではないけれども)、若いカップルの間でブームとなり、やがて王都まで広がっていく。が、それはまた別の物語だ。