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『朝食が済んだら、ルシアを起こしてくれ。…機嫌を損ねない程度で酔いを覚ますように。完全に覚ますと、暴れるかもしれないから』
ルシアの機嫌を損ねない程度、とは。シエナはアキュレスを問い詰めたい気持ちでいっぱいだ。そもそも、まだ昼にもなっていない時間に起こされた時点で機嫌は悪いし、その後に命じられた内容で更に輪をかけて機嫌は悪くなるし。
いつ爆発するかわからない時限爆弾を預けられたシエナは、珍しくコートをきちんと着込んだルシア(いつもはコートは重たいからイヤ。結界張るから大丈夫。などと言ってショールだけで出かけることが多い。)と共にファルケンベリ商会直営のカフェのテラス席に座っていた。噴水広場が見えるテラス席だが、寒いので客はまばらだ。それでも人気のある店らしく、皆白い息を吐きつつも、この店自慢の焼き菓子と一瞬で冷めてしまう紅茶を楽しんでいるようだ。二人のテーブルにも焼き菓子と冷めきった紅茶とエールが並んでいたが、順調に減っていっているのはルシアのエールだけだ。
「おや、ストームスのお嬢さんたちがいらっしゃるとは。…めずらしいですな」
さて、本日の主役のご登場だ。愛しのルシアのご来店となれば会頭がおでましになるようだ。他の席の女性たちから黄色い声があがっている。
さっさと終わらせてさっさと帰ろう。シエナは首を傾げながら花のような微笑みをうかべた。
「お久しぶりでございます。ファルケンベリ会頭」
「うん、シエナ嬢とは久方ぶりだね。また一段と美しくなったようだ」
ごちそうするから、一緒に座っていいかな?シエナににこやかな笑みを向けてファルケンベリがさりげなくルシアの席の隣に座った。その彼女は冷えた目のままでエールを飲み続けている。
「ルシア嬢は昨夜はデートだったのかな?…お相手は早々にフラれてしまったみたいだが」
話を振られたルシアはエールを飲み干し、瞳の色を暗くした。
「…いいえ。待ちきれなくって…早々に、店を出ただけです」
ひどく温度の低い声だったが、わずかに悪い女の香りを漂わせている。気乗りのしない仕事でも、放棄はしないようだ。
「さすがはルシア嬢だね。…うちの店はエールだけではなくて上等のワインも自慢だよ?シエナ嬢もいかがかな?」
是非。シエナが微笑むとルシアもゆっくりと頷いて、楽しみです。と、温度が低いままで応えた。
実を言うと、シエナは酒が飲めない。では、美人のお二人に乾杯。などとファルケンベリがキザったらしく言った瞬間、ルシアの瞳の色が変わるのに気づいたシエナは安心して中身をひとくち飲んだ。左は赤色、右は青色に変わったところをみると火と水の魔法を使って、酒精を取り除いてくれたらしい。
「…昨夜は随分と彼とお楽しみのようだったね?ルシア嬢。…フロストウルフの魔石がずいぶんと出たと聞いたが?」
「…ええ。ですが、そちらはすべてストームスで買い取る手筈になっております」
「それはそうだろう。ほぼルシア嬢が狩ったんだろう?買い取りではなく譲り受けてもいいくらいじゃないか?」
「解体を担ったのは騎士団側です。残念ながら、ストームスには解体の技術者がおりませんので」
ほう。ルシアとともにグラスを傾けていたファルケンベリは温度なく話しつづけるルシアの手に手を重ねて笑みを浮かべる。
「…我が商会で解体場と技術者を用意すれば、ルシア嬢が手に入るかな?」
ルシアの手が妖艶な動きをするファルケンベリの両手に包まれた瞬間、虹色の瞳をした彼女から強力な魔力が放たれた。ありとあらゆる結界、硬直、混乱、風、雷、閃光、そして、鑑定。シエナが判別できないものも複数放たれていたと思う。
「…ごめんなさい?いきなり、殿方に手を触れられて…驚いてしまいました」
結界が解かれると、いつの間にか駆けつけて来ていたファルケンベリの護衛がルシアに剣を向けた。が、青い炎が剣を溶かし、闇がその金属を飲みこんだ。とんでもない量の炎と闇の魔力を背後に溢れさせながらルシアはそっと冷たい笑みを見せた。
「危害を加えるつもりは…ないんだけど…?」
説得力のかけらもない言葉だ。瞳はいまだに虹色に光っている。
「…ルシア、隣にいらっしゃい」
シエナは優しく、でも命じるようにルシアに言った。
控えの護衛に体を支えられていたファルケンベリは、まだ事態を飲み込めていないようだ。剣を失った護衛もまた、何が起こったのか正しくは理解出来ていないだろう。
すぐにシエナの隣に座ったルシアは、うなだれるようにして首を横にふった。
「シエナ…またやってしまったわ。…私、どうしてこんなに力を抑えきれないのかしら…」
弱々しく言って、ルシアはシエナの首に腕を回して抱きつく。このまま続けて。耳元で囁かれた彼女の言葉にこたえるようにして、その抱きつく背中をゆっくりと撫でる。乱れてしまった白金の髪の毛を指でとかしてやりながら大丈夫よ。シエナはルシアの闇の魔力だけを吸い取っていく。
「いや…私も悪かった。レディの手に軽々しく触れた無礼を許して欲しい」
「…ええ、そうですわね。ルシアには軽々しく触れない方が…。世間さまの目もございますし…。ファルケンベリ様にご迷惑をおかけするわけには参りませんので」
「…と、言うと?」
シエナは目を伏せて首を横に振る。ルシアから吸い取った魔力を脳内に巡らせる。純度の高い闇の魔力に飲み込まれる感覚は、その場を支配し、魔王か何かにでもなるかのような気分になる。手を触れられたルシアの怒りも相当だったのだろう。今日の魔力はいつにも増して純度が高い。確かにあの触り方はまるで閨で肌を触るような動きをしていた。ビューマーがみていたら、問答無用で斬り捨てていたかもしれない。
「ストームス商会はゲオルグ第六王子殿下をお守りする騎士団を全面的に支持することにいたしましたの。…このルシアが副団長様からのご寵愛を授かっている以上、そうすべきとみなで判断いたしまして」
ファルケンベリが息を飲み込む気配があった。以前からルシアを我がものとしようと画策していた革命派の彼は、きっと煮え湯を飲まされているような気分だろう。
「…ですので、ルシアへの不敬はご遠慮くださいませ。今後、ルシアへの不敬は騎士団への不敬とみなされます。騎士団への不敬は、王族への不敬…」
反逆罪となってしまいますわ。シエナは闇の魔力の伴った笑みでファルケンベリと護衛の動きを封じる。魅了の力は、大きな魔力を伴うと拘束の力へと進化する。高笑いでもしてやりたいくらいの気分だが、ここは冷静に言葉を続ける。
「もちろん、会頭を筆頭に能力者揃いのストームス商会のわたくし共も全身全霊でルシアを守りますので、そのおつもりで」
これはすなわち、王国支持派による革命派への宣戦布告だ。ゲオルグの弟として、側近として動けないアグスティンが取れる唯一の行動は、平民のアキュレスとして、ストームス商会会頭として革命派のファルケンベリ商会を潰すことだ。
ルシアの雷を浴びせられて、ようやく重い腰をあげた、と言ったところだ。治療後、エイダに思いっきり足を踏んづけられていたので、それで腹が決まったのだろう。
「…シエナ、もう帰りたい」
まるで甘えるようにしがみついたままのルシアは子どものように言って、こちらを見ている観衆から眼をそらすようにシエナの胸元に頬をよせた。