私はどのくらい○○が好きなのか?
※ 漫画「ピアノの森」のネタばれ有ります。
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「私はどのくらい○○が好きなのか?」
変なタイトルです。
この〇〇という所に自分の好きなモノ=趣味を当てはめる。
たとえばショパン──。
私はショパンを良く聞きます。
他のクラシック音楽の中では、だんとつショパンを聞く回数が多いです。
とはいっても全曲聞いてるわけではなくて『夜想曲第二番』『バラード第一番』『子犬のワルツ』等ポピュラーな曲ばかり聞いてるだけです。
クラシック音楽に精通してるわけでもないし音楽評論家でもない。
愛好家ですらない、たんなる鑑賞してるだけです。
でも一番聞きたくなるクラシック音楽はなぜかショパン。
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ショパンをBGMにして連載作品を書いていた時は作品も捗りました。
なんていうんですかね、しっくりくるというか、いい感じなんですよ。(抽象的だなぁ)
ですが私はショパンを聞いて『広大な自由』を感じるほどの感銘は受けない。
曲を聞けば「ああショパンは“ピアノの詩人”と云われるだけあって聞いてると心が安らぐなぁ。センシティブな旋律だなぁ」とまあこんな感じです。
また、ショパンを弾いている著名なピアニストの演奏を聞いてもほぼ同じ。せいぜい「よくまあ次から次へと指が回ること!」とテクニック面に目が行くていどです。
しかし、ショパンをこよなく愛する人々が世界中には山ほどいて、彼等は私が思う以上にショパンを愛している、崇拝しているのです。
実際、ポーランドには「ショパンコンクール」もあります。5年に1度だけ開催されるという貴重さも相まって、世界三大クラシック音楽コンクールとして有名です。
凄いですよね──。
それだけショパンはポーランドの人々に愛されているのでしょう。
もちろん課題曲は全てショパンの曲のみを競って行う。
秋のポーランド、世界中から見事予選に勝ち抜いた若きピアニストたち。
彼等が奏でるショパンの音色に会場の聴衆たちは大歓喜するのです。
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先ほど私はショパンの曲を聞いて「広大な自由を感じるほどの感銘は受けない」といったのは、ショパンのピアノを題材にした漫画にあるセリフです。
『ピアノの森』(一色まこと作)
この作品は、森に捨てられたピアノで遊んでいた小学生一ノ瀬海君が、元天才ピアニスト阿字野先生と出会い本格的にピアノを習って才能を開花させていく。高校生になった一之瀬海君はショパン・コンクールで世界に挑むという物語です。
漫画を読んだ人ならわかるが、主人公のカイ少年は他の天才とはレベルが格段に違う!
彼の演奏を聞いた人は、たちまち彼のピアノに魅了されて恋焦がれてしまう。
或る時は嫉妬し、或る時は恐れおののき、或る時は物凄いカタルシスを感じる。
「何という音をだすんだ、この血がたぎる感覚、声明を吹きこまれるような感覚!」
「最初の一音で風が吹いたのかと思った……」
「すっげー鳥肌たった!」
「眩暈がした……」
「今、目の前のカイ君のすべてを見逃すまいと、聞き逃すまいと全神経を集中し吸収しようとしている」
とまあ漫画の主要人物の感想はチートなカイ君(主人公)をめちゃめちゃ讃えてるのです。
流石にこれらの大絶賛ばかり読み手の私めは──
「この一之瀬海という少年のピアノはとてつもない、神がかってて、信じられないくらい凄い演奏をしてるんだろうなあ」と思う訳です。
正直私はショパンを弾いてるピアニストにそこまで共鳴及び感動したことは一度もないです(泣)
エチュード曲を聞いてて眩暈などしませんし、初音聞いただけで風も吹かない!
漫画の終盤へ行くともっと凄い表現が!?
カイ君のショパンの演奏から『森の世界』の情景が見えてきたり、その森から脱出して広大な大空までオーケストラの演奏家たちがうっとりして、飛んで行ってしまう。
「ひええええっ──そんなの感じた事はないよ!」と突っ込みたくなるわけです(笑)
漫画の表現力は誇張が大前提かもしれませんが、『ピアノの森』を読んでるだけでショパンの曲と演奏家の凄さが尋常ではないと、読み手はワクワクと思い込まされるのです。
それだけ作者がショパンの音楽敬愛と、主人公に対する表現力が豊かだからでしょう。
実際そんな演奏家はいない(小声で⋯⋯)
とはいえ人の感覚というのは『千差万別』です。
同じ水を見ても人間は“水”だと思い、餓鬼は“炎”と思う『一水四見』です。
ある意味、私の感受性が冷めてるというか、鈍いんだろうなとは思う。
だからこそ、上記した漫画に魅了されると共に、ショパンの凄さを実際自分がリアルに視聴以上に、漫画の感銘を受けるのです。
その辺が物語を読む(見る)カタルシスになっているし、同時に今は書くようになって「表現力の差なのかなぁ?」とたまに落ち込むわけです。
世界には本当に素晴らしい言葉の表現をする作家が沢山います。
(小説や漫画に限らずありとあらゆる書物です)
自分は後先短いので、生きてる内にどれくらいの素晴らしい作品に出会えるのか、時間との闘いですね。
そういう意味では言葉(小説)の表現力は、芸術の中でも至極偉大だと思うように最近ですが、なってきました。
小説を書かない人生より、小説を書いた人生の方が素敵!とある作家さんがいってましたね。
私も同感です──。
最後までお読み下さりありがとうございました。




