タルトゥニドゥの探検(2)
「兵士の皆さんに、疲れが見えますね・・・」
「はい・・・わずか五日目にして消耗しております」
サレンの言葉にデティットも同意する。
正直、まだ何も収穫が無いので気を引き締めろと叱咤したいところだが、明らかに人の生息圏ではないこのタルトゥニドゥの山脈の険しさを前に、叱咤の言葉は抑えるしかなかった。
「高山病のリスクを背負いながら、魔獣を警戒しての険しい山道・・・兵の気力が萎えるのも無理はないのかもしれません・・・ですが____」
「____それだけでしょうか?」
「え?」
“ですが、それでもゴレストとオンデールのため、耐えてもらわねばなりません”と、デティットは続けるつもりだったが、サレンに口を挟まれ驚く。
普段大人しいサレンが、こんな風に人の話を遮るのは珍しいことだ。
「・・・・兵士の皆さんから視線を感じるのです・・・」
「視線?」
「・・・“期待”の視線です」
「あ・・・・・」
サレンは兵士たちの顔色に疲れとは別の色があることに気付いていた。
自分に何かを望んでいるような視線____。
そして、サレンは“それ”に心当たりがある。
“それ”は、“戦い”だ。
サレンに、ドネレイム帝国との戦場に立つことを期待する視線だった・・・。
兵士達の士気が今一つなのは、単純な疲れだけではない。
つまり、“帝国に対抗するモノを探すも何も、もう居るじゃないか”、“サレン様がいれば帝国にだって___”と思って、この探検に必死になれないでいるのだ。
先の若きゴレスト兵と同じ思いを、全員が持っているというわけだ。
この探検が始まってから、サレンはずっとこの視線に曝されている。
サレンが兵士たちの様子に気付いたのは簡単だ。サレンがずっと、兵士たちの顔色を窺っていたからだ。
何故サレンがそうしていたかというと、兵士達の方がずっとサレンの顔色を窺っていたからだ。
いや・・・実はこの場の兵士達だけではない。
ここしばらく・・そう、帝国との戦争の話が囁かれるようになってからというもの、サレンは人間からもエルフからもこの視線を向けられていた_____。
ドネレイム帝国と戦争になった場合、ゴレストとしては、サレンを筆頭にラルスエルフに参戦してほしいのが本音だ。
帝国はゴレストの戦力だけでは、とても敵わない相手だが、サレンとラルスエルフの戦士たちが加われば___と、そんな思いがある。
とはいえ、人間から迫害を受けた歴史を持つラルスエルフ達に、人間同士の争いに参加してくれとは言えない。
無論ゴレストはその迫害から守った国だ。普通に考えれば、話し合いくらいはしても良さそうではある。
だが、それをマガツ教の教えが邪魔をする。
ゴレストにとってラルスエルフは、“土の神マガツマの使徒”で、対等な存在ではない。
政治や宗教といった公の場と、個人の場とでは両国の民の関係性は同じではないのだ。
個人レベルならともかく、国単位で彼らに取引や要求、催促といった行為をするのは不敬とされ、禁止されているのだ。
神に頼むのは良いが、命令や要求をしてはならないのだ。どうするかは神次第なのだから。
ラルスエルフからの贈り物や、知識といったものなども、公の場では宗教上の“神の恵み”とされる。
ゆえに、オンデールの戦争への参加はあくまで、ラルスエルフ側から自発的に申し出てもらわなければならない。
たとえゴレストが滅ぶことになろうとも___だ。それが宗教というものだ。
だが、ラルスエルフ側も、別にゴレストに手を貸したくないわけではない。
殆どのラルスエルフが気持ちの上では、協力したいと思っている。
先にも述べた通り、ゴレストは自分達を守ってくれた存在。
向こうは自分達を、“神の使徒”と見ているが、ラルスエルフからすれば、ゴレストの人間は恩人だ。
国交での立場は敬われる立場だが、個人では特別そんな意識はない。
時々、信心深い者が変にへりくだって気まずくなる場合もあるが、普通にゴレストの人間と友人になったり、商売をしたりする者もいる。
ただ、やはり外の国は恐ろしい。戦争は怖いのだ。
エルフは長寿で、魔法の扱いも人間より長ける者が多い。
だが人間の技術は侮れないし、数の暴力は脅威だ。ラルスエルフは、それによって迫害されたのだから・・・。
それに戦場に出れば、人間の中にも魔法の扱いに長ける者も居るだろう。
人間の能力と迫害の歴史が、ラルスエルフの判断を不断にする。
森を出て、ゴレスト兵の横に並ぶ勇気が出ないのだ。
そんなラルスエルフ達が奮起するとすれば、誰か力を持つ者が先陣に立つ場合だ。
つまり、サレン・キャビル・レジョンが先陣に立つことだ。
サレンが先頭に立って、ゴレストと共に戦うと言えば、他のラルスエルフ達も奮起するだろう。
今日の探索だってそうだ。
オンデンラルの森と、エルフの結界で守られた土地から出るのは勇気がいる。
だが、サレンが参加するという理由で、やる気になったラルスエルフ達は多い。
オンデールの政を行う長老たちも、これと似た考えである。
基本、人間の国家間の話には干渉しないのだが、それでもゴレストが亡くなってしまえば、他の人間から身を守るのが難しくなる。
再び迫害を受けることになりかねない。
恩人であるゴレストを助けたい気持ちはもちろん長老達にも有るが、為政者として自分達の身を守るためにという理由で協力するべきとの意見が多い。
そして、話がそこまで進むと必ずぶち当たるのが、“勝算が有るのか?”ということだ。
戦いの勝算の話になれば当然、カギとなる人物はサレンだった。
ラルスエルフの参戦はサレンの意志によって大きく変わる。
そのため、ラルスエルフの者達も皆、サレンがどうするつもりなのか気にしていて、サレンの顔色をいつも窺っていた。
帝国とゴレストの戦争の可能性が浮上してから、サレンはずっとこの視線に曝されていた。
人間からもエルフからも、“どうするつもりだ?”、“戦ってくれよ!”、“サレン様が戦うなら俺達だって!”といった、問い詰めるような、期待するような眼差しに曝され続けていた。
力を持つ者の責任なのかもしれない_____。
だが、サレンは人間の年齢では成人しているが、エルフとしてならまだ少女である。
力と才能を持つからといって、外の世界を知らない少女が背負うには余りにも大きいプレッシャーだった。
「ふぅ・・・」
サレンは俯いて溜息をこぼす。
実のところ、この探検隊に参加するよう言われて首を縦に振ったのは、街や森でのその視線に耐えかねていたからだった。
日々すれ違う者達に顔色を窺われるストレスが想像できるだろうか?
そのストレスに限界を感じて、参加をOKしたわけだが、結局のところあまり変わらない。
サレンはここでも、人間とエルフ双方から顔を覗かれている。
受ける視線が減ったことと、姉のように慕っているデティットがそばに居るぶんマシといった程度だった。
「デティットも、私が戦いに出ることを望みますか?・・・」
「サレン様・・・それは・・・・」
デティットは言葉を詰まらせる。
指揮官として状況を見れば、戦ってほしい・・・いや、絶対に必要な戦力だろう。
だが、それ以外の立場では、答えはNOだ。
サレンはデティットを姉のように慕っている。そして、デティットもサレンを妹のように可愛がっている。
姉としてなら、戦ってほしくなどない。
オンデンラルの森で、安全に健やかに暮らしてほしいのが本音である。
そして、指揮官ではなく、一人の騎士としてなら、やはりNOだ。
自国の存亡を一人の少女に背負わせるなど、騎士として恥でしかない。
もし、自分達だけで対処できるなら、サレンの問いにすぐにNOと言って、サレンを安心させていただろう。
それに____
「・・・何故、戦わなければならないのでしょう・・・・私は帝国の人達も殺したくはありません。ゴレストと同じように、他の人間の国とも友好的な関係を築く方法は無いのでしょうか・・・・・」
____これである。
デティットがサレンを戦わせたくない一番の理由は、サレンが優しい性格の持ち主だからだ。
“なぜこんな優しい子に、神は戦いの才を与えたのだろう?”
そんな風に思うほど、サレンの性格は戦いに向いていない。
敵となって自分を殺しに来る者さえ、殺すのをためらうのがサレンだ。
甘い性格だと感じることだろう。
実際、ゴレストにもオンデールにも、サレンの甘さを裏で指摘している者は多い。
デティットも、他の者ならばそう思っていただろう。
だがサレンに対しては、そうは思わなかった。
理由は、サレンが自国の迫害の歴史を知ってなお、憎しみを抱かなかったからだ。
ラルスエルフは八歳から十四歳までの六年間、オンデールの公民館で一般知識を学習する。
その際、十三歳の時に、ラルスエルフの迫害の歴史を学ぶ。
授業を受けた子は皆、ゴレスト以外の人間に、怒り、憎しみ、恐怖を覚える。
そうして、ゴレスト以外の人間国家に対して、警戒心を学ばせている。
だが、サレンはその授業でこう発言した____
「その人間達と仲良くするには、どうすれば良いですか?」
____と。
デティットは公民館に勤める友人を訪ねた際、偶然耳にしただけだったが、今でも鮮明に覚えている。
“自分達が迫害されてなお、怒りにも憎しみにも囚われず、この場でそんな発言が出来るだろうか?”と、デティットは思ったのである。
サレンの優しさは確かに甘い。
だが、迫害されてなお、敵として現れてなお、この発言ができるサレンの人格をデティットは尊いと感じた。
騎士とは、こういう尊い精神を守り、平和を築くものではないだろうか?と、思ったのだ。
それができない現状に、デティットは自己嫌悪し、言葉を出せずにいる。
「・・・・ごめんなさい。デティット・・・」
「サレン様が謝るようなことはありません・・・・」
「でも・・・デティットの立場を考えれば、意地悪な質問でした・・・・」
「その様な事は・・・・」
サレンは先に述べたデティットの心境を察して、口を閉じてしまう。
デティットとしては、そこまで根を詰めずに、溜まっているモノは吐き出してほしいと思っていた。
相手に気を使い過ぎて、ストレスのはけ口すら無く、人々の期待という重圧に耐えるサレンが不憫でならない。
(誰か、サレン様の気を楽にしてあげられる人物はいないだろうか・・・あるいは、サレン様の代わりに帝国の脅威に立ち向かう者はいないだろうか・・・)
自身の無力さを恥じながらも、サレンを一番に思うデティットはそんな望みを持つのであった_____。




