ソノア・エリクシール
「はぁ・・・今日はヒマね」
オアシス都市バージア商業区域にあるソノア・エリクシール____。
いつもの様にソノアの姿で店番をしているベルジィは、今日は殆ど客が来ず、暇を持て余していた。
「まあ、仕方ないわね」
バージアで一番と謳われる薬剤店のソノア・エリクシールは、基本的には新規客もよく訪れ、古客も多いので繁盛している。
だが、今日のように、稀に暇になる事もある。
暇になるケースは、エリス海やシルクロードから商人たちが多くの物品を持ち込んで来たときだ。
エリス海もシルクロードも長年使われている実績のある交易ルートなので、昨日のラルスホームズ商会の様に、一度に大量の物品が運ばれてくるとこがある。
そうすると、商店街や露天に多くの新商品が並ぶため、ソノア・エリクシールのように自前で品物を用意している店は、客足が遠のく傾向が出てしまう。
昨日の少女の話では、エリス海からの商人たちが到着したのが昨日の午後だろうから、今日の午前中、場合によっては今日一日暇になるかもしれない。
「はぁ・・・いっそ二階で本(BL)でも読んでようかしら・・・・!?」
そんな風にベルジィが一人、呑気に頬杖をついて独り言を言っていると、店の外から人の気配がする・・・結構な人数だ。
(何?何でこんな大人数?)
スラルバン王国の宮廷魔導士として実戦経験も積んでいるベルジィは、魔法を使わずとも店に近づいてくる人の気配を察する。
更に、その一行が家族とか友人知人で____という単位ではない人数である事も分かり、間違いなく常連客ではないと判断できた。
このバージアは人の流れが激しいが、観光地ではないし、今は一応戦争状態なので、一部のシルクロードを利用する商人以外が訪れることは滅多に無い。そのため、新規の客は注意が必要だ。
この二か国の戦況を打破しようとする勢力の傭兵やスパイの可能性が有るからだ。
こういった連中を退けるため、ベルジィはバージアに潜入するにあたり、もう一つの“ジュネッサ”というキャラクターを作って酒場を運営している。
薬剤店にも酒場にも、他所者と土地の者が集まるため、街を監視しやすい。
拠点であり、見張り場で収入源でもある薬剤店、ソノア・エリクシールの店主ソノア・ゼルユース。
もう一つの見張り場の酒場、ミリアン・コールの店主ジュネッサ・ミリアン。
そして、潜入以前から利用しているBL本購入用のキャラクター、ライオン・ケイブ常連客のノワール・ホンミ。
以上、ベルジィはこの三つのキャラクターを使い分けて、バージアに潜入している。
____カラン
「いらっしゃいませー」
ベルジィは店に入って来た者達を警戒しながら、形式的な接客態度で迎えつつ、さり気なく観察する。
(やっぱり、一度も街で見かけたことが無い人達・・・何?この人達・・・女性が九人、男性が三人・・・フードの二人は子供?大人の女性達の内三人は魔力がある・・・男二人からも魔力を感じる。体格もデキ上がっているから戦士よね・・・結構強い。どういう団体なのかしら・・・)
店に入って来た者達の人数と姿に、ベルジィは表情と態度こそ変えないが、かなり警戒心を強めた。
それに対して相手の方は、リラックスした様子で店の中を物色している・・・。
そして、その一団の中のバーミリオンのストレートのロングヘアの女性がベルジィに声を掛けて来た。
「こんにちはー。少しいいかしら?」
「はい。いらっしゃいませ。何でしょうか?」
「魔力の回復薬は?あと、スキンケア用品も欲しいの」
「ああ、魔力の回復薬は、そちらの奥に魔導士向けの製品が並べてあって、そこにあります。スキンケアの類は店に入ってすぐのところです」
「あ、そう、ありがとう。この店の薬は自家製?」
「ええ、そうです。そうでないものも一部ありますが、殆ど私が調合した物です」
「へー・・・凄いわねぇ」
「旅の方ですか?ココチアに向かわれるのですか?」
ここに立ち寄る者の殆どが、ドネレイム帝国かココチア連邦に向かうために立ち寄る。
「ええ、まあ、そうよ。ココチアにも行くけど、でも一番の目的はシルクロードの下見なの」
「シルクロード・・・では、商人の方ですか?」
「ええ、私達はゴットン商会よ」
「ゴットン商会?初耳ですね」
「それはそうでしょう。このシルクロードに事業展開するために今日来たばかりだし、本部はセンテージのベルヘラで、海運業が本業だから」
「へえ・・・すごいですね」
そう何でも無い素振りを見せつつ、ベルジィはこの一団に興味を抱いた。
というのも、ベルジィの大好きなBL書籍は、ワンウォール諸島が発祥だからだ。
エリス海で海運業をしている商人なら、BL書籍の入荷が期待できる____。
余談だが、BL書籍はこのファーディー大陸では殆どの国家で扱われていない。帝国でもだ。
BL書籍を扱っている店が在るのは、スラルバン王国とオーレイ皇国の二か所だったが、オーレイ皇国の店は、帝国にオーレイ皇国が落とされたため、今はもう無い。残っているのは、ここバージアだけだ。
そういう訳で、ベルジィはエリス海の交易がもっと盛んになって、ワンウォールのBL書籍がもっとバージアに・・・いや、バージアだけでなく、大陸中に渡ってほしいと思っているのだ。
「事業が上手く行くと良いですね。このバージアには多くの商人の方が集まりますが、エリス海とシルクロードの両方を使って事業を行っている団体は少ないですから。個人的には、西側からもっと多くの品が入って来てほしいです」
「そうなの?」
「はい、そうですが・・・何か?」
「だって、この店は自前でしょ?他所からの品が入って来たら、売り上げ落ちるじゃない?」
「ああ・・・でも、新しい薬品だけじゃなく、色々な薬の素材が入って来ますよね?なら、新薬の開発だってできるじゃないですか」
「ふーん、自信家ねぇ・・・唾つけとこうかしら」
「唾?」
「そう言うからには、薬剤師としての腕に自信があるんでしょう?街の人に聞いても、この街一番だって言うじゃない?なら、貴方の薬をワンウォールやベルヘラに運べば、一儲けできそうだなーって」
「そういう事ですか。でも、申しわけありません。この店は私一人で切盛りしていて、常連の方も多いので、そういうのはやっていません」
「あら、それは残念」
「ああ、でも、この街のことで困った事があったら言ってください。喜んでお手伝いしますよ」
「本当?こんな、初対面なのに?」
「はい。私、エリス海から入る品は、家具であれ素材であれ・・“書籍”であれ、好きですから」
何より関わりを持てば、不審な人物でないかの確認もできるというものだ。
もし、不審な一団だったり、どこかの勢力のスパイだったりするなら、スラルバン軍やバージアの警備団に任せるより、自分が対処した方が手っ取り早い・・・。
「正直ありがたいわ。実は砂漠は初めてで、予定がズレるわ魔力が尽きるわで・・・」
「魔力も?砂漠で襲われたりしたのですか?」
それなら注意が必要だ。
もし、盗賊や魔獣せいで商人が寄り付かなくなったら、BL本の入荷にも影響が出る・・・。
「ああ、別に荒事じゃないのよ。ただ、オーナーや他のチームと連絡とるためにラシラに通信を頼んでね」
「へぇ・・通信魔法ですか。凄いですね」
商人でも通信魔法を使える魔導士を抱えている場合は有るが、非常にレアだ。
通信魔法まで扱える魔導士の傭兵は非常に高額な為、かなり大きな商会でないと、雇えないはずだ。
(もし話が本当なら、ゴットン商会はかなり大きな組織ね。なら____)
_____裏は取りやすいだろう。
裏が取れて事実と分かれば、BL書籍の入荷を増やせるかもしれない・・・。
「ネリス様」
「ああ、決まった?」
「はい。一応これだけ」
「そう、じゃー、これで会計をお願い」
「はい。ありがとうございます」
そう言って、ベルジィは会計を済ませる_____。
「ありがとう。親切ね、貴方。この事は覚えておくわ。私、ゴットン商会のオーナーのゴットン様より、このシルクロードへの事業展開を任されているネリスっていうの、よろしく。貴方は?」
「私の名前はソノア、ソノア・ゼルユースといいます」
「ソノア、今日はありがとう。また会いましょう」
「こちらこそ、またのお越しをお待ちしております」
そう言って、ゴットン商会の一同は店を出て行った_____。
「ゴットン商会か・・・」
またお客の居なくなった店で、ベルジィは一人、先のゴットン商会の一行について考えていた。
(どうなんだろう?本物の商人だったらいいけど、まだ信用は出来ない。人柄は良さそうだったけど・・・商人の一団にしては若い人ばかりだったし・・・“術”を掛けてみようかしら?でも、魔導士が数人いたし・・・)
余程の相手でない限り、自分の術は破られない自信があるベルジィだが、その使用には慎重だった。
万が一にも術が破られ、自分の正体がバレでもしたら、もうバージアに居ることは出来なくなるからだ。
ベルジィは元スラルバンの宮廷魔導士だ、一般人にはその顔はあまり知られていないが、軍属の者には彼女の顔を知る者は多い。これは、ボンジア公国の軍人もだ。開戦当初に、何回かスラルバン軍に加わって戦場を渡り歩いている。
彼女の強さを知る兵士はスラルバンにもボンジアにも多く居るのだ。
先日の少女くらいなら問題無いが、軍人や商人、傭兵と言った連中には、正体を知られるのはもちろん、自分の本当の姿も見られたくはない。
(当面は様子見ね・・・)
ベルジィは、新たにこの街にやって来たゴットン商会に期待と不安を抱えながらも、探りを入れていく事を決めた_____。




