ハツヒナとオーマの女難の相(1)
帝国の東方地方からさらに東は、南東にアマズルの森が在り、北東にエリスト海が存在する。
そして、アマズルの森は北側がアーチ状になっていて、エリスト海は南側がアーチ状になっている。
この南北のアーチの間にある平原地帯を東に抜けるとスカーマリスの荒廃した大地に出る。
毎年の魔獣狩りでは、この平原地帯手前で野営地を築いているが、今回サンダーラッツと東方軍は、その平原地帯からスカーマリスの大地に抜ける少し手前で、アマズルの森に隣接させた地点で野営地を作った。
エリスト海は魔族の勢力圏のため、アマズルの森のエリストエルフ支配圏ギリギリの場所を前線基地にした訳である。
総指揮を執るジョウショウが今回の作戦に動員した戦力は、東方遠征軍第二師団と東方防衛軍第二師団の計二師団で、一師団あたり約四千(一兵団が約千人、三兵団+師団長の兵団で四兵団)なので、ジョウショウ配下の兵団を加えると、東方軍だけで約九千人が動員されている。
ちなみに、普段の魔獣狩りでは一回につき一師団である。
これにサンダーラッツ千人とアマノニダイ軍五百人を合わせると、総人数は約一万と五百といったところ。
遠征軍も防衛軍も三師団で構成されているので、ジョウショウは東方軍全体の三分の一もの人数を動員したわけだが、広大なスカーマリスの地で魔族と戦うには少ない人数だろう。
“普通に”攻略するならば、最低でもこの倍の戦力が必要になる。
それでもこの人数になったのは、それだけジョウショウが勇者候補の有効性と危険性(特にヤトリ)を評価しているという事なのだろうが、理由はそれだけでは無い。
出発前にオーマが行った勇者ろうらく作戦会議で、ヤトリ・ミクネを工兵隊に配置するというのが決まり、更にそこからヤトリ攻略とスカーマリス攻略の基本方針も決めた。
そうして決まったスカーマリス攻略の基本方針は、敵を罠に嵌めたり、拠点に破壊工作を行ったりという、工兵隊を駆使した戦術を主軸にして戦うという意見でまとまった。
オーマ自身、クラースからヤトリ・ミクネの戦闘資料をもらって目を通した時から、ヤトリを安全に運用するならば工作こそ最も有意義だと思っていた。
ヤトリの暴走を抑えるという点でも、突撃や強襲といった作戦よりも危険は少ないだろうという考えも有る。
オーマ以上にヤトリの危険性を知るジョウショウは、オーマ達が決めたこの基本方針に異を唱える事は無く、それに合わせた編成にしたという訳である___。
前線基地が設営されたその日の夜、早速オーマは東方軍の師団長二人と共にジョウショウに招集され、初戦となるヤーマル砦攻略の会議に参加した。
会議とは言っても、基本方針は決まっているので作戦も既に決まっている。
そのため、中身は会議というよりは軍事行動に移る前の最終確認と言った内容だ。
オーマ個人としては、東方遠征軍第二師団師団長のニジョウ・ウザネと共に会議に出席した、初の顔合わせとなる東方防衛軍第二師団師団長の第一貴族の顔と名前を覚えただけだった。
その人物の名は、ホウジョウ・ハグロ・ハツヒナ___。
東方文化に詳しくなくても、帝国の人間ならば一度は耳にしている名門ホウジョウ家の当主を務める女性。
艶のある綺麗な黒髪を垂らし、涼し気な細目の眼差しはウザネと同じく“東方美人”と言える容姿だが、ウザネのプルンとした唇とは対照的にハツヒナの唇は小さく薄い。それが、端整な顔立ちのハツヒナをより上品に見せている。
柔らかい物腰と落ち着きのある佇まいで、母性を感じる大人の女性と言った風だが、オーマとそう年の違わない彼女が見せる笑顔は、細い目が線になって無邪気な子供の様になり、それがオーマには妖艶に映った。
オーマが妖艶と感じる女性にリデルがいるが、リデルの場合は子供っぽい明るさの中に大人の色気があって妖艶に感じている。それに対してハツヒナはその逆で、大人の色気の中に子供の様な無邪気さあって妖艶な女性に感じる____というのが、オーマのハツヒナに対する“見た目”の感想だった。
そして、中身の感想は____
(やばい奴なのかもな・・・)
____というのが、率直な感想だった。
ハツヒナとは今回の会議で初対面になったわけだが、会議中にオーマ自身がハツヒナに何かを言われたり、されたりした訳ではない。
むしろ、ハツヒナはオーマが緊張していないか気に掛けてくれ、よく笑って可愛い笑顔も見せてくれていた。
ヤトリに対しても、「あの娘ったら、どうしましょう?」と言って、“わがままな子供に対して困っちゃうお姉さん”といった態度で、ヤトリに対するネガティブな感情は一ミリも感じ取れなかった。
会議中のハツヒナの態度に、“ヤバイ”と思う様な要素など、全くといって良いほど無い。
それだというのにオーマの中で警戒警報が鳴り止むことは無かった。
その理由は、先ずオーマ自身が第一貴族という者達がどういう者達かを知っているという事がある。
さらに、“ヤトリに対して不満な表情一つ見せない”という事も上げられる。
ヤトリ・ミクネは、ジョウショウだけでなく、あのクラースでさえ持て余す人物だ。
感情的で自分勝手、おまけにそれを押し通す武力と権力も持っている。
そんな人物に対して不満な表情一つ見せないのは、逆におかしいとオーマは感じてしまうのだ。
ハツヒナの見せたヤトリに対する態度を、そのまま“器の大きい人”、“優しいお姉さん”と受け取るほどオーマは純粋では無いし、第一貴族を信用もしていない。
そして、極めつけが____
「ホウジョウ様、どうぞ___」
「ありがとう。ウザネさん♪」
会議も終わり天幕を出るというところで、ウザネが天幕の入り口を開けて、ハツヒナをエスコートする。
第一貴族に対して第二貴族がとる、何とも“らしい”態度だ。
感謝の言葉をもらって顔を赤らめるウザネの表情からも、彼女がハツヒナに対して従順であることが分かる。
通常の第一貴族と第二貴族の関係ならば、これから行われるのは、お互いに美辞麗句を並べてのご機嫌取りのはず・・・・当然、オーマの様な平民などは無視だ。
正直、放っておいて「お先に失礼します」と言って立ち去りたいが、そうもいかないだろう。
オーマは貴族の美辞麗句を聴くという、くだらない時間を過ごす覚悟を決める。
だがハツヒナは、従順な態度でエスコートしたウザネを置いて、オーマに声を掛けてきた。
「ではオーマ殿、お先に失礼いたします。ご武運を」
「は!?あ、ありがとうございます!帝国のため、必ずや戦果を挙げて見せます!」
声を掛けられるとは思っていなかったため、オーマはよくある常套句しか言葉に出来なかった。
そんな慌てたオーマの咄嗟の対応にもハツヒナは気にする事なく、柔らかい笑みを見せてオーマに褒め言葉を用意してくれた。
「頼もしいですわね。さすがクラース宰相に見込まれて特務を請け負っているだけありますわ。私も期待しております」
「___ッ!」
ハツヒナがそう言うと、一瞬ウザネの眉間にシワが出来て、射抜くような視線をオーマに送って来た。
「(___ッ!)ありがたきお言葉にございます。ハツヒナ様のご期待に添えるよう奮迅努力致します」
「フフッ♪・・では___」
オーマはウザネの態度を務めて無視して、ハツヒナに言葉を返す。
ハツヒナは、そのオーマの態度に優しい笑みを見せてから、ウザネを連れて自身の天幕へと戻って行った___。
「・・・やっぱり、ワザとかな?」
ハツヒナの言動に対して、オーマはそんな感想を抱く。
____そう、これが極めつけだ。
ハツヒナはワザとウザネの前でオーマを持ち上げて、ウザネの嫉妬心を煽っている___。
オーマはそんな風に感じていた。
先程の様に、そんな風に“感じ取れなくもない”事が、会議中に何回かあったのだ。
その度に、オーマはウザネにキツイ視線で射貫かれていた。
これからの戦いではウザネと連携する機会が多いのに、これでは気まずくなる一方だ・・・。
普通の会話で偶然そうなっただけの様にも思える。
というより、普通ならばオーマの気にし過ぎで、被害妄想だと言われる可能性すらあるのだが___
(ワザとな気がするんだよなぁ・・・)
ウザネを煽りたいのか、オーマに嫌がらせしたいのか、あるいは二人の仲を険悪にしたいのかは分からないが、オーマの中では故意によるものだと思えてならなかった。
(でも、ハツヒナがそんなことする必要も理由も無いはずなんだ・・・ただの偶然ならいいんだが・・いや、偶然だとしても、やりづらいな)
ウザネ一人だけなら問題なく立ち回れるなどと思っていたが、あんな風にハツヒナの言葉に過敏に反応して敵意を向けられては、やりづらい事この上ない。
オーマは、あの師団長二人にそんな不安を抱えストレスを溜め始める。
早く皆の所に戻って気を休めようと、オーマはサンダーラッツの天幕へと足早に戻って行った。
だが____
「___おお。戻ったか、“魔王”」
出迎えたのは、二人よりストレスの溜まるヤトリ・ミクネだった___。