アマノニダイの戦巫女(後半)
スカーマリスの広い荒野に、帝国東方軍の罠で誘き出された魔獣の群れの塊がいくつか見える。
この地でしか確認されていない、ゼオノトプスの群れ。
一般的に知られるヘルハウンドの群れ。
人間の集落の近くに巣を作る、魔族の中で一番人間に近い生態をしているゴブリンの群れなど、全部の数を合わせれば、約三千といったところだ。
その魔獣の群れを小高い丘の上から、見下ろす一人の少女が居る。
サレンと同じ位の背丈で、コーラルピンクの長い髪を両サイドで結んでツインテールにしている。
白を基調にした袖無し着物を羽織っていて、袴を膝下で括ってある。
一見戦場には似つかわしくない布地の民族衣装だが、込められている魔法は非常に強力で、帝国の第一貴族の装備に匹敵する。
装備している武器は、小柄で華奢な少女ではとても扱えない様な、少女の身の丈(約148センチ)よりも大きくゴツイ木製の木槌だ。
木製だが、それはアマズルの森の霊樹で造られており、硬度、重量とも鋼を上回る。
それに金具や金の装飾もついて、総重量は100キロを超えるモノだが、少女は楽々と肩に担いでいた。
その姿だけで異彩を放つ少女の名は、ヤトリ・ミクネ。
アマノニダイ最強の魔導士で、“戦巫女”と呼ばれる勇者候補の一人だ____。
アマノニダイには“巫女”と呼ばれる特殊な役職がある。
アマノニダイが祭る“風の神ジンクウ”に仕える信徒で、他の宗教でいう司祭のような立場だ。
風の神ジンクウを祭るアマノニダイにおいて、巫女は高い地位を持つ。
全員女性で、人数はいつの時代も平均で二十人くらいだ。
基本的には長い時間を掛けて信仰心を鍛えるため、年配の者が多い。
八十歳~二百歳位で巫女になるので、平均年齢は百歳を超える。
そして、全員が信仰魔法に長けている。
そのため、戦が本分ではないが、戦力としても重宝されている。
アマノニダイの巫女は、全員がアマノニダイ軍の将達より強く、帝国の団長・師団長クラスの強さがある。
分かり易く伝えるなら、全員がオーマやヴァリネスに匹敵するという事だ。
捕捉だが、カスミ・ゲツレイも、元はアマノニダイの巫女だった。
四十歳という若さで巫女になったことで、世間から次代のアマノニダイを担う人物になると期待されていたが、彼女は神に仕えたいのではなく、巫女になってその地位を利用して、魔法の研究がしたかっただけだったので、帝国と手を組んだ後は、あっさりとその地位を手放して帝国の役職に就いた。
このエルフのエリート集団とも言うべき巫女に、ヤトリ・ミクネはカスミ以上の若さと圧倒的な強さで、歴代最年少の巫女に成った人物だった。
ミクネは見下ろしていた魔獣の群れから、ツィと目を横に流す。
視線の先には、人がコメ粒ほどの大きさに見える距離で、撤退を始める帝国軍がいた。
その様子を見て、ミクネは大きく鼻を鳴らし、不機嫌な様をありありと見せた。
「フンッ!帝国の奴らめ!ようやく撤退を始めたか!どんくさい!!」
実際は他国のお手本になるような見事な撤退だし、ミクネ本人もそれを理解しているのだが、ミクネはそうと分かっていても悪態を止められない。
「あ~~・・・ムカつくなぁ・・・やっぱ帝国軍も一緒にブっ飛ばしてやろうか?」
ミクネはそんな物騒な事を平気で口にする____質が悪い。
だが本当に質が悪いのは、ミクネのこの言葉が冗談ではなく、本気という事だ。
帝国とアマノニダイの関係性と、自身の巫女という立場を考えれば、口にするのも憚られる事を平気で口に出してしまう。誰も居ない事を良い事に_____と、いう訳ではない。
ミクネは帝国の高官達の前でも、この態度のままだ。
クラースの前でもだ。“帝国でお前が一番嫌いだ!”とハッキリと言った事がある。
クラースにとって、ミクネは苦手で腹立たしい存在だ。
自分を嫌いと言ったからではない。
クラースは自分の事を嫌っている人間など星の数ほどいると自覚している。
自分を嫌っているという事実など、クラースにとっては利用すべき要因の一つでしかなく、大した問題じゃない。
クラースがミクネを苦手としているのは、時と場所を考えず思ったことを平気で口にする、その制御不能な性格だ。
感情的で向こう見ず____。考え足らずで行動に移し、行動すれば放たれた矢の如く止まらない。
かなり贔屓目に言って真っ直ぐな性格・・・・はっきり言えば“バカ”である。
クラースにとって一番苦手なタイプが、この“何も考えず行動するバカ”だ。
しかもミクネの場合、これに加えて最重要同盟国の要人という地位と、勇者候補に名が上がるほどの力を持っているというのが有る。
“行動の予測がつかない上、その力は無視できないほど強大。そして、咎めるのが難しい立場”____。
クラースにとって、ミクネはそういう人物だ。
だからクラースはミクネ心底を嫌っている。
個人でここまでクラースを苦しめる事が出来る人物には、他にリデルが居るが、ミクネは彼女とはまた違った形でクラースの頭を悩ませている存在だった。
今回もそうして、両国の共同作業を手伝うと言って狩りに加わり、その邪魔をする。
ミクネがその力を振るえば、今おびき寄せられている並の魔獣達など、跡形も無く葬られてしまうだろう。
魔法の素材として使えなくなるほど原型を残すことなく全滅してしまう。
そうなれば、狩りの目的である戦闘訓練も魔法素材の採取もできなくなる。
帝国としては、只々軍事費の無駄遣いで終わる結果だ。
まるで、張り切って大人の手伝いをするが失敗し、余計な仕事を増やす子供の様だった。
だがこれは、帝国やアマノニダイ側の見方でしかない。
ミクネが考え足らずなのは事実だが、これに関してはミクネだけが抱えるちゃんとした訳があった。
ミクネはバカだが、直感で動くからこそ勘が鋭い。
ミクネは、帝国のクラース達第一貴族の“本当の顔”に気付いているのだ。
ピュアで深く考えないからこそ、幼い頃から第一貴族達の笑顔の隙間からこぼれる黒い野心を感じ取っていた。
自分達の利益のため他者を利用し踏みにじり、この大陸の全てを手中に収めんとする魔王のごとき悪意。
そう、ミクネにはクラースこそ魔王に見えていた。
見方によっては、これは正しいクラースの見方だろう。
実際、クラースが魔王対策をしているのは、人類の為ではなく、自分が人類を支配するのに魔王という存在が邪魔だからだ。
クラースの作戦が全て成功すれば、クラースは魔王にとって代わる存在になると言ってよいだろう。
ミクネは、このまま行けば、いずれアマノニダイでさえ帝国の手によって奪われてしまうことを分かっていた。
口では上手く言い表せない本能の様なもので帝国の本質を理解し、その上で“敵”として見ているのである。
だから、本当はミクネとしては、この魔獣狩りに乗じて本当に帝国軍を潰して、敵戦力を削いでおきたいし、同胞のアマノニダイのエルフ達に帝国の危険性を理解してほしいのだ。
だが、魔王大戦の頃から共に戦って来た帝国にアマノニダイが敵対する事は無い。
何より、本当に敵対すれば、アマノニダイでも帝国相手は分が悪い。
オンデンラルの森に住むオンデールのダークエルフと共闘して、ようやく勝負が成立するという位の戦力差がドネレイム帝国とアマノニダイにはある。
さすがにミクネもこれは理解しているので、本気で手を出す事は抑えて思い留まっている。
それゆえ結果として、“援軍と称して魔獣狩りに加わり邪魔をする”という、こんな中途半端な嫌がらせになっているという訳だ。
ミクネのこの嫌がらせに、アマノニダイの高官達はもちろん良い顔をしていない。
ミクネを咎めた回数も一度や二度じゃない。
歴代屈指の力を持つが故に今はまだ許されているが、日に日に立場は悪くなっているし、もし帝国軍が巻き込まれて死者でも出ようものなら、帝国も黙っている訳にはいかなくなり、たとえミクネでも責任問題になるだろう。
だが、それでもミクネは止めない。
「人間は我らエルフほどの寿命は無い・・・。だが、その文化や技術を成長させる速度は、その寿命の差を超えるほど速い・・・。クソ!何故分からないんだ!我が同胞たちは!?このままだと遠くない未来で、我らが帝国の道具となってしまう日が来るのだぞ!?」
一貫して協力姿勢を崩さないアマノニダイの高官達にも、状況を変えられない自分にも憤りを感じてしまう。
ヤトリ・ミクネは、帝国に対抗する勢力が現れ、この状況が変わることを望んでいた____。
眼下の周囲から帝国軍がいなくなると、ミクネはその怒りのまま駆け出し魔獣達の下へ突進する。
「はぁあああああ!!」
そして、その武器と膨大な魔力を振るって、魔獣達を跡形も無く粉砕するのだった___。