冬の蛾
冬の風が、身を切るように冷たかった。
日はとうに落ち、辺りには夜の冷気が満ちていた。
今日も、無為に終わった。
少年は砂を噛むような気持でその日の訓練を思い起こした。
自分が落ちこぼれであることは、痛いほど分かっている。
だが、魔術の教師から補習を命じられ、果たして今日で何日になる。
新しい魔法を教えてもらうどころの話ではない。
あの日から今日まで、少年がずっとしているのは、基本も基本、魔法を使う以前の瞑想の訓練だ。
一緒に補習をしている一つ年上の生徒のもとには、毎日入れ代わり立ち代わり彼のクラスメイトがやってきて、賑やかにそれぞれの得意な魔法を教えていた。
北の果てから二年も遅れてやって来たという少し変わった出自のためか、相手が貴族だろうが平民だろうがまるで無頓着に自分のペースで付き合うその上級生は、仲間とのその日の補習が終わるたび、見違えるような成長を遂げていた。
それに比べ、自分はどうだ。
少年は思う。
あの上級生が成長するのに費やしたのと同じ時間だけ、自分はただただ集中できない苛立ちだけを抱え、無為に過ごしていたのではないか。
これが、才能の差というものなのか。
君には才能がある、とその痩せぎすの教師は以前、少年に言った。それを磨くために、補習をしろ、と。
自分の才能のなさに絶望していたあの時には、その言葉は確かに彼の胸に天啓のように響いた。だが、今となっては、結局は体よく騙されたのではないか、という疑いを捨てきれなくなっていた。
寮への帰り道を急ぐ少年の手元のランプに、不意に季節外れの蛾がぶつかってきた。
冬の寒さでだいぶ弱っているのだろう、その蛾は少年のランプに時折ぶつかって乾いた音を立てながら、それでも光の周りをぐるぐると回った。
少年は顔をしかめて手を振って追い払おうとしたが、狂ったように羽ばたき続ける蛾は、何度か彼の手が当たったにもかかわらず、それでもランプの周りを回り続けた。
少年は、ふと足を止めた。
ランプの周りを蛾が飛び回るに任せ、その様子をしばらく眺めた。
ああ。
少年は思った。
僕は、この蛾だ。
そう思うと、心が冷えていくのが分かった。
僕はこの、弱った冬の蛾だ。
ぐるぐると同じところを回るばかりで、結局何も掴めない。
光に憧れ、ああなりたいと思いながらも、光に飛び込むこともできず、せいぜい独りでその周りを飛び回るだけだ。
そしてやがて、寒さに弱り、死ぬのだ。
最後まで何も掴めないままで。
徐々に羽ばたきの弱まる蛾を見つめながら、少年は自分の心が身体同様に芯まで冷えきっていくのを感じていた。
「僕には、才能が有りません」
ある日の補習で、とうとう少年は教師に言った。
瞑想に集中できていないのを教師に見透かされ、やり直しを命じられたときだった。溜まっていた自らへの不信と苛立ちがついに爆発したのだ。
「瞑想すら満足にできない。こんな人間が魔術師になんて、なれるわけがない」
「結論を出すのが、ずいぶん早いのではないかね」
教師は驚きもせず、落ち着いた口調で言った。
いつもこの教師はそんな調子だった。何もかも分かったような顔で、分かったようなことを言う。
「自分のことは自分が一番分かります」
少年は吐き捨てた。
「僕には才能がないんです」
少年はそう言って、人差し指をぐるぐると回した。
教師がそれを見て眉をひそめる。
「それは、何かね」
「今の僕ですよ」
少年は答えた。
「僕は、蛾だ」
魔術師という光に引き寄せられた、哀れな蛾。
「ずっと同じところをぐるぐる、ぐるぐる回るだけです」
少年は自分の不甲斐なさを教師にぶつけた。
「どこにも行けないまま、死ぬまで同じところを」
教師は、少年が回し続ける指をじっと見つめていたが、やがてぽつりと言った。
「少し、違うな」
教師が手を伸ばし、少年の手を握る。
「離してください」
止められると思った少年は、むきになって、教師に手を掴まれたまま、指を回し続けた。
「構わない。続けなさい」
教師はそう言って、少年の手を握る自分の手に少し力を加えた。
「君は同じところをぐるぐると回っているわけではない」
教師が少年の手の動きに方向を与える。
教師の力が加わると、少年の回す指の描く円が少し小さくなった。
少年は教師の力に反発するように指を回す。
すると、また少年の指が描く円がその直径を縮めた。
少年の手はその分だけ少しずつ前に進む。
「ほら、もう同じところにはいないだろう」
教師は変わらぬ口調で言った。
「君のは螺旋だ、ラドマール」
教師は少年の名を呼んだ。
「同じところをぐるぐると回っているようでいて、その実、君は少しずつ進んでいる」
教師がまた少し少年の手に力を加える。
「前に。上に」
徐々に円が小さくなり、やがて少年の指はぴたりと前方を指したまま動かなくなった。
「いいたとえだったな」
教師は静かに言った。
「なかなか出ない成果に、苛立つことも絶望することもあるだろう。だが君の才能は、はっきりと前を示している」
教師がそっと手を離す。
少年の手は、まだ前を指したままだった。
それはまるで、自らの進む道を示すかのように。
「君がそうして自分の力で前を指せるように、少し力と方向を加える」
教師は言った。
「それが、私の役目だ」