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記念すべき日

作者: MUMU


妙にすっきりと目が覚めた朝、テレビをつけるといきなり高らかな声が流れてきた。


「おめでとうございます! いやあ今日は記念すべき喜ばしい日ですねえ! 本日も全国のニュースをお届けします!」


やたら元気のいいキャスターだ。しかしおめでとう、とは何のことだろう。サッカーの国際試合で勝ったとかだろうか。まさか正月でもあるまい。今は真夏だ。


「おめでたいですねえ。本日は一日を通して暑くなる見込みです。熱中症などに気を付けて下さい」

「おめでとうございます、こちら事故現場です。七台の玉突き事故で現場はまだ騒然としてまして」


チャンネルを変えつつ、いくつかニュースを見て分かった。挨拶だ。

あらゆる挨拶が「おめでとう」とか、それに類する言葉に変わっている。


それは出勤の際もそうだった。


「おめでとうございます、これからご出勤ですか」

「お慶び申し上げます、三番ホームに列車が参ります」

「課長、おめでとうございます。昨日言われてた資料ですけどもう少し待ってくれますかコングラッチュレーション」


ちょっとした相槌なども祝賀の言葉に変換されるらしい。


混乱はあったが、まあ仕事上、特に都合が悪いというほどでもない。挨拶以外は普通に会話が成立するし、定食屋やコンビニの店員がおめでとうと言ってきても別に困らない。

夕方あたりになると、何となく同僚の顔まで明るく見えてきた。みな快活に笑いながら仕事をこなし、互いの仕事ぶりを称えあっているように感じる。


とはいえ、これはやはり脳の異常だろう。私は昼休みに精神科のクリニックに予約を入れておき、退社した後に直行した。

クリニックはすいていた。予約を取った際に新年のようなおめでたさの連呼だったから、10年待ちの予約が奇跡的に取れたのかと思った。


「おめでとうございます、本日はどうされましたか」


かなり年配の医者が出てきて、椅子の上で体を小さく丸めながら問いかける。私は自分の状況をなるべく詳しく説明した。


「なるほど、それはおめでとうございます」

「困っているんです。相手が言ってることと違う言葉が聞こえるんですから」

「すると、実際にはおめでとうとは言っていない、とお考えなのですね」

「もちろんです」

「おめでとうございます」


医者の言葉までおめでとうと聞こえてしまう。だがまあ、こちらの病状は伝わったようだ。


「病名とかはあるんでしょうか」

「佳日症ですな」

「かじつしょう、ですか」

「そうです、き日、という意味ですな」


病名があるとは思わなかったが、そうするりと出てくると安心できる気がした。有名な病気なのだろうか。


「向けられる言葉が祝いの言葉、誉め言葉、激励の言葉に聞こえる症状です。進行すると文章などもそのように見えます」

「治りますか」

「おめでとうございます、病気ではありません」

「病気ではない」


問い返す私に、医者は豊富な経験を感じさせるおおらかさで微笑みかけ、机に短く何かを書き留めてから口を開く。


「病気とはですな、それによって社会生活に不具合が生じるものを指すのです。一日に手を10回洗う人は病気ではありませんが、100回洗う人は脅迫性障害とか病名がつきます」

「なるほど」

「何か生活や、お仕事に不具合がありますか?」


そう言われてみると何も無い。今日も仕事をこなしてきたのだ。


「しかし、今日はたまたま何もなかっただけで、状況によっては困ることもあるのでは」

「かも知れませんが、めでたいことに今のところそのような報告はありません」


医師は歯の少なそうな口をもごもごと動かし、眼をゆっくり右から左に動かしてから言う。


「よろしいですか、世の中には良くない言葉というのが溢れていたのです。おめでとうございます、おめでとうございます、他にもおめでとうございます、なんかもそうですな」

「はあ」

「しかしそれは実態に即しているでしょうか。太古の昔に比べれば人間はずっと豊かになった。暖かい住居も豊かな食料もある。ちょっとしたミスぐらいでは誰も困らない、そして寿命は驚くほど長い」

「ミスは困りますよ」

「おめでとうございます、しかしそれで会社が潰れるような事態はごく稀だ」

「まあ、そうですけど」

「ならば、こまごまとした謝罪の言葉など無意味ではないですかな」


それは一理あるかも知れない。

仕事で東南アジアや中東の人々と会うが、彼らは驚くほど謝らない。プライドが高いのか、あるいは謝るということが日本人の感覚よりもずっと重大なことなのか。だがそれでも社会はちゃんと回っている。

ある国では葬式がお祭り騒ぎのようなおめでたいイベントだし、ある国では殴りあいのケンカをしても、次の日には酒を呑み交わすという。


「では、おめでたい言葉しか聞こえない方が正しい世の中であり、日常だと」

「そうでしょうな、おめでとうございます」


医師は診察料も取らなかった。

私は何となくの納得を得ることができて、家路への足取りは重くはなかった。

この先自分がどうなるのだろう、という不安が漠然とあったが、それも次の日の朝には消えていた。


一週間も経つと、新聞もおめでとうの一色になった。それは確かに汚職だとか強盗だとかの記事なのだが、全面的にめでたいような気がしてしまう。

そして自分自身の発言さえもだ。電車の中で足を踏んでしまった相手に謝ったつもりが、口から出る声がおめでとうにしか聞こえない。

しかし相手も「ああ、おめでとうございます」としか返さないので、コミュニケーションは成立しているようだ。


一ヶ月も経つと、おめでとう以外の挨拶があまり思い出せなくなった。


朝、出会った相手に何と言ったか。食事を終えて店を出るときに何と言ったか。すべて「おめでとう」で成立しているし、それで日々は驚くほどに平穏だ。


心の中から不安も消えていき、毎日が明るく華やぐような気分で過ごせている。今の状態が天然自然の、あるべき形のように思えてくる。実にめでたいことだ。


そして佳日症という病名すらも忘れかけた頃。ある雑誌記事でこの病気のことを知った。


どうやら世間的にはめでたくも有名だったようで、当てはまる人間は政財界にも多かったらしい。世の中は祝うべきことに佳日症を全面的に受け入れ、まだかかっていない人間は暖かく見守る、という方針だったようだ。めでたいことだ。


そして思い出す。一ヶ月前のあのおめでたい朝。

あれは大変にめでたく、記念すべき日だったのだ。そして私はおめでたく喜ばしい存在だったようだ。




私こそ。この佳日症にかかった最後の一人だったのだから。



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