口下手なパン屋は花を愛する
見合いの相手は、コワモテの大柄な男性だった。
貴族は政略結婚が多いが、庶民は恋愛結婚も一般的なこの時代に、わたしがどうして見合いをしたのか。
理由は簡単で、女所帯で育ったわたしは男性への免疫がなく、適齢期を過ぎても出会いが全くなかったからだ。
そんなわたしを日頃から心配していたおばが、どこからか見合い話を持ってきたことから、わたし、アンナ・ヘイヤー(25)はこの日、コワモテの男性が怖いと言い出せず、周りの勧めにも抗えず、コワモテのニーロ・オルネラス(30)と結婚することになった。
見合いの最中、ニーロとわたしは信じられないくらい話が続かなかった。なんなら、話題の提供はお互いの付き添い人からしかなされなかったし、それにひとこと二言返して会話は終了。もしかしたら会話にすらなっていなかったかもしれない。
わたしがそこで知ったのは、ニーロがパン職人であることと、最近花のきれいさに気付いたとかで、花を毎日家に飾っていることだけ。
花はわたしも好きだし、コワモテのニーロにもそんな一面があるんだ、と、ちょっとその話は気になったけれど、コワモテのニーロには話しかけちゃいけないオーラが漂っていて、すぐにこの話も流そうと判断した。
見合いも終盤、お互いに良い感じだと思えばそのまま二人でデートにでも行く定番の流れになって、「後はおふたりはどうされますか」と付き添い人が聞いてきた。付き添い人もわたしたちのコミュニケーションの取れなさから、これは破談だろうと思っている雰囲気がビシバシ伝わってきて、わたしも思わず苦笑いした。
と、その時。
ガタンと大きな音で椅子が動く音がして、びっくりして音の出る方向を見るとニーロが机に両手をついて、私に頭を下げていた。
そしてニーロは、誰も何も言えないほど素早く何かを怒鳴った。怖くて一瞬身がすくんだけれど、すぐに、「僕と結婚してください 」と言われたことに気付いた。
すぐにニーロはハッとしたような顔で一瞬目を見開いて、今日はお開きで良いので返事をお待ちしていますとだけ言い残し、乱れた椅子を机にきちんとしまってから、慌てて帰っていった。
その後。付き添い人が興奮して私のおばと両親にプロポーズされたことを話してしまったために、「行き遅れてるんだし」とおばに押し切られる形で直ぐにプロポーズを受ける返事が出された。
そこからは怒涛の日々で、気づけば結婚式まで終わらせ、ニーロと同じ家に引っ越していた。
ニーロとの生活に、とにかく最初は怯えていた。きちんと会話をかわしたことなく始まってしまった結婚生活に、わたしは少し後悔していた。
自分の意思がないわけじゃない。でも、怖くてそれを伝えられない。これじゃあニーロにも悪いことをしている。そんな気持ちで始まった日々だった。
ニーロは、週に一度花を買ってリビングに飾った。結婚生活の舞台は城下町から少し離れた小さな町にある、1階がパン屋で2階が居住スペースになっている一軒家だ。
ニーロはパンに真剣で、1階にはパンの邪魔になるものは全く置かない主義だった。一度花を下に飾ろうとしたら、パンのにおいが分からなくなるから戻したいと言われて、謝ったことがある。
ニーロが買ってくる花の種類は様々で、慣れないパン屋の手伝いを始めて疲れていたわたしはそれに癒されることも多かった。
実はわたしは見合いの少し前まで、実家の近くの花屋で働いていた。花が好きで、囲まれることでエネルギーが貰えるように思っていた。
最初はパン屋の手伝いで精一杯だったわたしだったが、時間をかけると体力もつけられたし、精神的にも余裕が出てきた。そんなある時、ふと、花が枯れずに保たれていることに気付いた。
放っておいても平気な花が飾られている時もあったが、こまめに手入れしないともたない花のときも、花は最後まで、綺麗に咲き誇っていた。
花をまじまじと見ると、手入れがきちんとされている。ニーロだ。わたしは気付いた。
ニーロはたぶん、コワモテだけど怖い人じゃないのかもしれない。だって、こんなに花を綺麗に咲かせられるんだから。
その事に気づいてから、わたしはなんだか落ち着かない気持ちになることが増えて、一向にこちらを向かないニーロをチラチラと目で追いかけることが増えた。
もしかしたら、これが恋なのかもしれない。そう思うと、胸がきゅっと縮むような感じがした。
わたしは少し遠くまで買い物に行く度に、花瓶を買うようになった。
ニーロが買ってきて愛情を注ぐ花。わたしも一緒に何かをしたかったのだと思う。そして、ニーロにわたしのことも気づいてほしかった。
わたしもこんな風に、ニーロに愛されたら、幸せだろうな。
毎日わたしの気持ちは膨れても、ニーロはこちらを見ないのだ。わたしたちはもう、夫婦なのに。
そんな風にモヤモヤしながらしばらくの間過ごしていた時、突然ニーロが厨房で倒れた。
私はとても慌てて、すぐにお医者様を呼んだ。お医者様はニーロを一通り診察してから、笑って、「睡眠不足ですね」と言った。
ニーロが一度目を覚ました時に、そばにいたわたしは心配して駆け寄ったけれど、ニーロはプイと壁の方を向いてしまって、目を合わせてはくれなかった。
わたしは不安になった。ニーロはどうしてわたしと結婚したんだろう。これじゃあわたしはニーロを癒すどころか、嫌な気持ちにさせるばかりなのではないか。お互い興味がない同士、結婚できるとニーロは思ったのだろうか。わたしがニーロを好きでいるのはもしかしたら迷惑なのだろうか。
わたしはそっと寝室を出て、外出する準備をした。パン屋は今日はもう閉めたし、ニーロはまたきっと眠るだろう。わたしは家にいなくても大丈夫だ。
ふとリビングにある花が目に入る。もうこの花はニーロが買ってきてから、1週間以上が経っていた。そろそろ花びらも沢山落ち始め、枯れる直前になっていた。
その花の姿は、わたしと重なった。
わたしと一緒に、この家を出ようか。
心の中で花にそう話しかけて、わたしは透明な袋にそっとその花を移した。残ったのは花瓶だけ。
最後にこの花をもらったお礼に、ニーロに新しい花を買ってこよう。
そう思って、わたしは引っ越してきてから今まで1度も行く必要のなかった、花屋へ向かった。
花屋の場所は知っていた。この町に花屋はここしかない。ニーロが毎週花を買ってこられるということは、近場の花屋に行っていたはずだ。きっと、ニーロの好きな花があるはず。
花屋の入口をくぐると、ニーロと同じ歳くらいの愛嬌のある男性がわたしを見て、「いらっしゃい」と声をかけてきた。
わたしが少し首を下げて会釈をするとその人は「贈り物?ご自宅に?」と尋ねてくる。
「えっと、人に…」
答えようとすと、その人は私が持っていた透明な袋に入れられた花を見つける。
「あれ、お姉さん、それ、どうしたの」
枯れかけている花を花屋に持ち込んでしまったことに気づき、咄嗟にわたしはそれを背後に隠した。
「それ、ニーロの花じゃない?」
続けてその人がそう言うものだから、わたしは勢いよく顔をあげてしまった。どうして分かるのだろう。
あまり知られたくなかった。ニーロが愛でていた枯れかけの花を、大切に持っていることを。
顔を上げたわたしの行動は、その花がニーロが買ったものであることを肯定しているように映ったらしい。その人は、言葉を続けた。
「やっぱり!ニーロ、いつもならもう来てる時間なのに、今日は遅いなあと思ってたんだ。もしかして、お姉さんがあいつの奥さんかい?」
まだ、わたしは彼の奥さんでいられている。
わたしはかろうじて頷くと、その人は「それならこれだね」とすでに用意してあった花の包みをわたしに渡そうとする。
わたしがそれを受け取るでもなく、固まっているとその人は首を傾げる。
「あれ?ニーロの代わりに受け取りに来たんだろう?定期的にお金は貰ってるから、お代は大丈夫だよ。それにしても、ニーロ、こんな可愛い奥さんもらうなんてな。そりゃ毎週花もプレゼントしたくなるよな」
その人の言っていることがよく理解できず、「どういう…」と聞き返すのが精一杯だったわたしに、その人は二カッと笑う。
「奥さん聞いてない?あいつ秘密にしてるわけか。俺はニーロの悪友だからバラしちまうが、あいつ、月に1度、いつどの花を仕入れるかを指定してくるんだ、たぶん、花言葉にこだわった花を。今週結婚1年になるからって、今回は特に悩んだみたいだけど」
はいよ、と今度は包まれた花を渡される。
頭が、真っ白になった。
花を、彼は、わたしに買っていた?
彼が花を好きだから飾っていたのではなく?
わたしは混乱する。
渡された花に視線を落とすと、今週の花は赤いアネモネ。
赤いアネモネの花言葉は…たしか…
ぐちゃぐちゃになって回らない頭で花言葉を思い出そうとすると、突然花屋の扉が音を立てて勢いよく開く。
花屋の店主がいらっしゃいと声をかける間もなく、怒鳴り声にも聞こえる大声がわたしに飛んでくる。
「君を、愛している」
ニーロの声は大きい。元々大きい。でも、本当はいつも穏やかな人だ。1年間一緒に生活してきたのに、怒鳴られたことなんてないし、怒ったところも見たことがない。
緊張するとぶっきらぼうになったり、どうしたら良いかわからないと困って不機嫌に見える顔をする。笑ったところは見たことがないけれど。
でも、大切なものを大切にできる、愛情深い人だ。
それをわたしはこの1年で、ちゃんと分かっていたのに。
涙がポロポロ止まらなかった。家で寝ていたはずのニーロがどうしてここにいるんだろうとか、色んなことが頭に浮かんで身動きが取れなかった。
ニーロは怒ったように見える慌てた顔をして、ずんずんとわたしに近づいて、出会って以来初めてわたしを抱きしめた。
わたしの心臓が、ギュッと音を立てたみたいだった。
「君を…、君が好きなんだ。花屋にいた君をみて、なんて美しい人だろうと思ったんだ。好きになってしまってどうしたら良いかと思ったら本当にたまたま見合いの話があって…君を、パン屋にしてしまったこと、申し訳ないと思っていて…だから、家に花があればと思って…君の好きな花が何かわからなくて、だから、」
ドキドキした。それと同じくらい、大きな声でしどろもどろなニーロがなんだかおかしく見えて、少し笑ってしまった。
不器用なニーロが、わたしに、そんなことを言ってくれるなんて想像も出来なかった。
可愛い人。そう思った。
ニーロは、わたしを愛するように、花を愛でていたのかもしれない。
わたしも今、伝えよう、そう思った。ニーロが伝えてくれたように。
「今度は、枯れない花も育てたいな。わたし、アザレアが好きだから。色は、白が良い。」
ニーロはわたしの初めてのおねだりに目を見開き、怒ったように見える驚いた顔をした。
それから、初めて、笑顔で頷いた。
『わたしは、あなたに愛されて、幸せ』