カモミール再び
(や、やっちゃった。やっちゃったよ、私。これはやっちまっただわ!)
店を出てしばらく歩いたヘレンは街の中心部である噴水の縁に座り頭を抱えて震えていた。
(ついイライラして私としたことが……)
別にスルーすればよかっただけの話だったのに。
何で!何であんなにイライラしたの私!?
(私の10年間はこれで水の泡よ!)
あんな言い方とか言い種。まるでゲームの悪役令嬢じゃない!
はあぁぁぁと盛大にヘレンはため息を吐き頭をがしりと抱え込む。
(こんなつもりじゃなかったのに……)
本来ならひっそり、地味に何を言われてもハイかイイエだけでやり過ごしたかったのに。若しくはあわよくばヒロインと仲良くなっちゃってうっかりラスボス回避と洒落込めたらなんて軽く下心を持っていたのに。
(あんな言い方して、置き去りにしたら……)
――間違いなく心象は最悪だろう。
「終わったわ。終わったわ私の今世」
ヘレンは涙ながらに噴水の水を覗き込む。
「頑張ったのになあ」
ヘレンの呟きは噴水の水飛沫に掻き消される。
(やっぱり運命には逆らえないんだ……)
どうあがいたって、何をしたってラスボスで悪役令嬢で、嫌われて……
ヘレンは人目も気にせず噴水の縁にゴロンと横になる。
(どうせこうなるんだったら、恋パズの世界を楽しんで来れば良かった……かな?)
そして白鳥のキグルミを着ていたカトリシアを思い出す。
ルイスを思ってなのか、白鳥が着れてなのか良くわからないが愉しそうに無邪気にモジモジしているのは正直羨ましかった。
(私もそんな風にルイス様と楽しめてたら良かったのかな?)
すごく今更だけれども……
そっと眩しすぎる青空から目をそらしたくて顔を腕で覆う。
どんなものが好きかとか、こんなものもらったとか。ラスボス悪役令嬢回避をかけた婚約破棄に躍起になり勝負、勝負ではなくて普通に友達として遊んだり話したり……
なんならただの婚約者としてルイスを見ていたり……。
ヘレンの頬に暖かい何かが溢れる。
それでも、そんなものをかなぐり捨ててまでヘレンは自分の未来を守りたかった。
ヘレンの前世、時雨うららは16才の時に病気で死んだ。自分はもう治らない、あとは死ぬだけの病気だとわかってからは毎日がとてもつらかった。
最初は運命に逆らいたくて笑顔で頑張った。けれど、どんどん病状は悪化し、それまで毎日の様に来てくれていた友人の足は遠のき、痩せ細るうららを見るのは辛いと両親はうららを見てはくれなくなった。自分は死ぬと言う運命に逆らえなかった。
そう思えばあと何日で自分は死ぬのだと、死までを指折り数えるだけで夢も希望もやりたかった事もどうせできないと全てなくなった。
喪失感だけがうららに残り、そんな毎日から目をそらしたくてひたすらゲームだけにのめり込み現実を見ないようにして運命に従い死んだのだ。だから余計にヘレンとなった今、未来が全て奪われるようなラスボス悪役令嬢になどなりたくなかったのだ。
(何にも変わりなかった毎日が失われた事がないひとになんてわかんないわよ、どれだけ自分から大事なものが失くなっていく事が怖いかなんて)
頬の暖かみは止まることなく溢れては流れる。
「こんなんなら前世なんて無くて良かったのに……」
せめて、ゲームのこと以外にも16才のうららが死んだ事など思い出さなければ、きっとこんなに未来や希望、友人を失う恐怖をしること無くラスボス悪役令嬢でもいいやと開き直れたのかもしれない。
(違う、それじゃあヘレンになっても幸せな未来なんて来ない)
まだだ。
ヘレンは顔を擦り流れていたものを無理やり止める。
ここでこんなことをしていたって何も変わらない。
まだ、まだラスボス悪役令嬢として断罪の運命になるまで少なくともあと3年はある。
(今度は死ぬわけじゃない!諦めちゃダメよ私!)
今度こそ運命の強制力に勝ちたい。
「オーイ!そこの泣いてるお姉さん!」
良し!っとムクッとおきあがったところで、陽気な声とともにヘレンの視界には一面のカモミールの花が広がる。
驚いて目をパチクリしているとカモミールの花は横にずれ、今度はあどけなく笑う男の子が顔をだす。
「泣き虫お姉さんは誰かと喧嘩したの?それとも失恋?どっちにしてもカモミールなんていかが?」
(カモミール!)
過るのは小さなカモミールの花束と『苦難』の二文字。
「……カモミールなんて嫌いよ」
思わずプイッと横を向けば、陽気な声はえー!と叫びをあげる。
「そんなこと言わないで買ってよお姉さん!僕今日は売上ないんだよう。お金ないと今日のご飯買えないんだって」
陽気な声がしょんぼりした声に変わり思わず同情心がわき、チラリと男の子を見てしまった。
すかさず彼はそれに気づきダメ?と首をかしげられると、もうダメだ。
「っ、わかったわよ。買うわ」
こんな小さな男の子がお腹を空かせたとウルウルと此方を見ていたら買わないと言う選択肢は奪われてしまうだろうに。
「ほんと!やったー!お姉さんサービスしておくよ」
嬉しそうにコロコロと顔を綻ばせる男の子にヘレンは思わずつられて笑えば、男の子はお姉さん笑うと可愛いねと言ってくれた。
「ありがとう。でも、カモミールはあんまり好きじゃないからサービスは要らないわ」
そう言えば男の子は不思議そうに首を傾げる。
「そう?お姉さん、変わってるね。カモミール今人気なんだよ?」
そう言われて今度はヘレンが首を傾げる。確かにカモミールは飲んで良し、見た目良しではあるが……。
(苦難が人気?)
ヘレンが言葉に詰まっていると、それに気づかず男の子は器用にカモミールを包みながら話続ける。全く幼いながらに商売上手だ。
「カモミールは喧嘩したときに送れば『仲直りしたい』。何かやろうとしている人に送れば『頑張れ』、両思いな人に送れば『ずっと仲良くしていたい』って意味があるんだ」
え?っとヘレンは思わずカモミールを凝視してしまう。
「え……あの、苦難って意味じゃ……」
思わず声に出せば男の子はケラケラと笑う。
「お姉さん古いね。そんな後ろ向きな言葉で普通花なんか送らないでしょ」
ハイッと紙に包まれた大量のカモミールを男の子はヘレンにくれる。
「花は笑って欲しいから送るんだよ。ってか、そう言う事で送ってよ。少なくとも俺の花で苦難なんて悲しい思いして欲しくないし。だからお姉さんも今は笑って受け取って。俺はお姉さんに『頑張れ』で送るからね!」
これでも端正込めて作ってるんだからとコロコロと男の子は笑う。
「あ、うん。そっか、うん」
そうだよねとやはり男の子につられてヘレンは笑う。
さっきまでのイライラや悲しみが嘘のように晴れていく。
「ありがとう。あ、そうだお金」
はいっとヘレンは男の子に少し多めに渡せば今度は男の子がいいの!と満面の笑顔になった。
「ふふふ。私今スッゴク元気にしてもらったからそのお礼」
そう言えば男の子は毎度ありーと嬉しそうに駆けていった。
カモミール。
今度はお茶にするのではなく部屋に飾ろう。
『頑張れ』の花束はヘレンの背中を押してくれた気がする。
(……私は負けない)
ヘレンは手で隠すことなく晴天の空を眩しそうに見上げた。