修羅場
(……ワタシキゼツシソウデス)
ヘレンは白目をむいていた。
……アクシルの腕の中で。
何が、なにがどうしてこうなっているのだろう?
なぜ私はいまだにこの人に抱き着かれているのだろう?
こんなシチュエーションなんてゲームにあっただろうか?
というか、こんなにも無駄に修羅場にいるのはどうしてだろうか?
ヘレンは危うく自分からいなくなりそうな意識を必死に引き留めて3人を順番に眺めた。
まずは一人目、ルイス殿下。
先ほどまでまるで捨てられかけた子犬のような瞳でこちらを見つめていたのは幻だったのだろうか。今は再び地獄の使者のようなお顔でこちらを射殺すかのように見つめておられますね。はい、めちゃくちゃ怖いです。
ハイ次、二人目。なぜ、私はこの人にこんな密着しているのでしょう?いや、これはもしかしたら何かの嫌がらせでしょうかね?というか、この人どこから湧いて出てきたのでしょう?もはや謎、行動が全く読めない謎の迷惑人ですね。
ハイ、さらに次、この方。
ギギギと音がしそうなほどヘレンがぎこちなく3人目の人物に視線を向ければ、視線の先の人物はびくりと肩を震わせた。
「ヘレンちゃん、心の声駄々洩れだよ。それからその顔こわいし、どこから湧いてきたとか言われると俺なんか虫みたいな扱いだね」
3人目についてヘレンが心で考えようとした矢先に、頭上からあきれたような小声が降ってきてヘレンは、はっとする。
(あ、駄々漏れだったの?私?)
「おや、君は虫でちょうどいいんじゃない?それよりヘレン、僕の事地獄の使者とか思ってたの?僕、ヘレンは射殺さないよ。ヘレンはね。それにしてもほんと、ヘレンに密着しすぎじゃない?いい加減離れたらどうですか虫さん?」
そういうや否やルイスがヘレンをアクシルから引き離そうとすれば、ルイスの手をよけるようにヘレンとともにアクシルは後ろに下がる。
「おや、殿下。その言い方ではまるで俺は射殺してもいいような言い方ではないですか?しかも目上に虫さんとはいささか品位が疑われますよ」
ヘレンよりも背が高いアクシルの声は抱きしめられていると頭上から聞こえてくる。
(ルイスはまだ同じくらいの身長だからこんなに頭上から声はきこえないのよねー。そういうところがまだお子様なのよね)
ルイスとアクシルが何やら言い合いをしているのでヘレンはますます白目をむき完全に現実逃避に浸る。
「ヘレン!今身長のこと関係ないですよね?それに僕の方がヘレンより少し高いですからね!というか、同い年なんだから僕をお子様扱いするのやめてください」
「いや、殿下は子犬のようにかわいらしくてよろしいのではないですか?いまもキャンキャン可愛く鳴かれてますし」
ヘレンの心の声にルイスが反応し、アクシルがその上げ足を取っていたその時、やっと三人目の人物が声を上げる。
「お兄様!どうしてそのような口の利き方をなさるのですか。それはさすがに殿下に失礼です!それに、いつまでライラット様を抱きしめていらっしゃるのですか。さすがにふしだらです!」
その声にヘレンをはじめ、ルイス、アクシルははっとしていったん動きを止めればそのすきに三人目の人物であるカトリシアがヘレンをアクシルの腕の中から優しく開放してくれた。
ふわりと香バラのような甘い匂い。
鳥のさえずりのような可憐で甘美な声。
動けばふわふわと揺れる黄金色の長髪。
優しく透き通った瞳。
思わずヘレンの瞳はその動きに目を奪われる。
「兄がご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありません、ライラット様」
アクシルの腕から解放され、潤んだ瞳で見つめられればヘレンはおもわず目を見開いてしまった。
これは……この子は……
「あ、えっ……」
目の前に現れたカトリシアをみて、ヘレンは急に目の前が真っ暗になってバランスを崩してしまった。そしてカトリシアに向かって倒れかかってしまったのがいけなかった。
ヘレンが倒れこんだせいでカトリシアにぶつかり、カトリシアはよろける。
そして、よろけるカトリシアを咄嗟に手出し支えるルイス。
(あ、この光景……)
何とか自分で踏みとどまりヘレンが顔を上げれば顔をしかめて此方をみる暁色の瞳と目が合ってしまった。その瞬間ハッキリとゲームのスチルがヘレンの頭に浮かぶ。
(これは……このシーンは……)
ドクリといつぞや感じた不快な感覚がヘレンを包む。
(うそ、まさか……。まさかもうすぐチュートリアルが終わる……)
まさかと思うも目の前の光景が恐ろしい考えを肯定してくる。
ヘレンに押されてよろけるカトリシアを支えるルイス。
そしてヘレンを顔をしかめて見つめるルイス。
まさにチュートリアルの終わりをつげ、本編のストーリーが始まろうとしている瞬間。
ルイスに何だかんだで近寄り一緒にチュートリアルをクリアしていくカトリシアにヘレンが嫉妬し、はじめて直接嫌がらせをするシーン。
今がまさにそのスチルの光景そのものだった。
早くなる自分の心音にヘレンは耐えることが出来ずに、自分を呼ぶ声を無視してその場から逃げ去ることしかできなかった。
「に、逃げきれた?逃げきれたよね私」
ヘレンはゼエゼエと息を切らして声をだし芝生に倒れこんだ。
寝ころんで見上げる空は曇り模様。
「……チュートリアル、もうすぐ終わるんだ」
よぎるのは先程みた光景と思い出したゲームのスチル。
此方をしかめっ面で見る暁の瞳を思い出せば、よくわからないモヤモヤとした感情が体を覆って来るようで頭をふって思い出すのをやめた。
「早く、早く何とかしないと……」
誰も居ない静かな原っぱでヘレンはひとりごちる。
どう走ったのか、気づけばヘレンは学院を飛び出し学院裏の林まで走ってきたようだ。
当たりは生い茂る木々に囲まれながらも、一部ヘレンがいる場所のみ見晴らしがよく原っぱになっている。
(もしもカトリシアがルイスを選んだら……)
現状なら間違いなく婚約破棄から始まる断罪が起こるだろう。
(そうすれば、私には何も残らないわね)
地位がなくなるそれだけではない、学院も強制退学になり魔力まで全て根こそぎ奪われてしまう。そして、何も持たないまま非力なヘレンは身ぐるみ剥がされ王子を襲った罪人として何処かに追いやられるのだ。
前世日本人で16才としての記憶があるヘレンでも何も持たないままで、しかも罪人として知らない環境に追いやられれば、流石にまともに生きていけるかどうかは怪しい。追放先が日本のような環境であれば何とか働き口を探して、安くてボロくてもいい住みかを借りていけるのかも知れない。けれど罪人が追いやられる場所が、治安がよくて何とか住んでいける場所だとは到底思えない。
(それ以前に……私は一人でたいした闇魔法も使えないままルイスと戦うのよね)
忘れてはならない。
恋パズではヒロインとヒーローが、愛の試練の最後の課題としてラスボスと戦うシーンがあることを。
ヘレンのラスボスとして使える闇魔法は正直ショボかったとうららは記憶している。
そもそもヘレンの闇魔法事態が戦闘に適しているかと言うと甚だ疑問だ。アクシルのように攻撃に特化している闇魔法とは違いヘレンの闇魔法は防御力やスピード、攻撃力を下げたり、魅惑を使い思考の錯乱をもたらすものばかりだった気がする。
しかし、ヒロインはヘレン同じく攻撃に特化していない。回復などの魔法しか使えないが、代わりに好感度が高い攻略対象が攻撃に特化し補いながら2人でヘレンに立ち向かえる。
そう1対2なのだ。
(しかもヘレンが勝った所でヘレンの運命は変わらないし)
ヘレンが勝ってもストーリーがノーマルエンドに移行するだけだ。ヒロインのノーマルエンドは友情エンド。しかしヘレンのノーマルエンドは断罪、追放、なんなら奴隷の運命は変わらない。
(なんで私だけ……)
なんて理不尽で不公平なんだろう。
別にヘレンは誰に対してもゲームのヘレンのように、高飛車に意地悪なんてしていないのに悪評ばかりが先行するし、ヒロインだって苛めていない。ましてやルイスと別れたくないなど言ったことがない。
寧ろこんなにもその未来を止めたくて、平和的に解決したくて婚約破棄を願い出ているのに。ことごとく婚約破棄を断られているのに、あと数年もしたら掌を返すように婚約破棄されてしまうのだろう。
やってられない。
優しくって朗らかで、誰からも好かれるカトリシア。
別に悪役令嬢が居なくてもどの攻略対象ともきっと恋に落ちてハッピーエンドだろうに。
「……このまま学院からも逃げ出そうかしら」
今なら何も剥奪されずに、罪人として扱われずに逃げられるかも知れない。
仮に剥奪されても婚約者としての地位と侯爵令嬢の地位だけで魔力までとられないだろう。上手くいけばそれほど婚約が嫌だったのかと理解して貰えて、ただの婚約破棄だけですむかもしれない。なにより、誰とも戦わなくてもいいし自分がひどい目に逢わされ罪人となる心配だっていらなくなるかもしれない。
(理不尽に怯えなくても良くなるかしら……)
そう思うとヘレンは立ち上がり学院とは真逆の方向にかけだしていた。