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短編小説

無加糖人生にガムシロップを

作者: 虹色 七音

 私は実は猛烈なまでの甘党だ。

 給食に出てくるカレーでも私はまあまあ辛いと思うし梅干しとか一生食べられないと思う。コーヒーに関してはあれはただの泥。

 そんな私が一番好きな飲み物が、実は今目の前にあった。

 それは凄く魅力的で、美味しくて、正直に言えば毎朝飲みたい。

 もはや万能調味料としてボトルで売ってもいいと私は思うのだけれど、世間一般の意見としてはそうではない。


「あんた、なにしてんの?」

「あ。いや、別に」


 さっさとドリンクバーからコーラでも選んだらしい姉は逡巡している私に不可思議そうに話しかけてきた。


「ん、ガムシロ? なにあんたコーヒーでも飲むの?」

「え。いやまさかぁ。ありえないでしょ、あんなの」

「まあだよね。あんたはまだガキだもんねぇ」


 ほんの数年ばかし早く生まれただけのくせ、年上面をする。苦いものを飲めるかで大人かを考えるのは本当にやめてほしいと思うけど、それもまた、世間一般的な常識らしい。

 そしてその世間一般的な常識というものは、手術後の失敗しない女でもない健全な中学生がガムシロップをそれだけで飲むというのは、到底認めてくれないらしい。

 なにも考えていなさそうなくせに、と姉の背中をじとっと睨んでいたけれど、なにも考えていないならこちらが考えるだけ無駄な話だ。

 あるいはそうやって相手を空回りさせる力が大人なのだろうか。

 大人の定義は色々あるものだとは思うけれど、さすがにそれは違うと思う。違ってくれ。

 姉に去られてしまい私もいつまでもこんなところで立ち尽くしているわけにもいかなかったのでしょうがなく私は一番の好物を諦め、しょうがなく、しょぉおおおおがなく、コーラで妥協した。

 いかにもな人工物らしき甘さは正直私はそこまで好きではないのだけれど、ファミリーレストランの安いドリンクバーに期待をしてもしょうがないと諦める。


「あんたたちまたそんな甘ったるそうなものばっかり……」

「ドリンクバーくらい好きにいいでしょ」

「は? 別に私は好きなものを選ぶなって言ってないでしょ」


 席に着くなり、姉と母が嫌な空気を出し始める。お互いに喧嘩腰で、まるでまったくもって大人げない。

 ここで溜息の一つでも吐けば火に油を注ぐようなものなので、私はさっさと席に着く。


「母さん。今日くらい別にいいじゃないか、せっかくの外食なんだし」


 お互い振上げたこぶしの下げどころが分からなかっただけなのか、父のシンプルな言葉にあっさりということを聞く。

 私はこの父は、この父だけは私の家族の中で間違いなく大人なのだろうなと思える。

 姉や母を大人だと感じることだってあるけれど、大人だと感じないことがないのは父親だけだった。

 しばらくジュースがストローを通る音や氷がこつこつとぶつかる音だけが混雑した音の中に紛れていたけれど、なにをきっかけにというわけでもなく、母が話しはじめる。

 私はつい、またかと溜息を吐き出しそうになり、父や公共の手前飲み込む。

 こんな甘くもなさそうなものばかり飲んでいるから私は甘いものが好きなんじゃないかと母の顔を見ながら思った。意外とそれが真相で、私の体が溜息の味に慣れたときに私は大人になるんじゃないかなとか。

 そんなくだらないことを考えた。


「茜は進路とかもう決めたの。あんたももう三年生なんだから、いい加減自分で決めなさいよ」

「ああ、うん」

「なによその返事。真面目に考えなさいよ、この中学での選択が人生を分けるんだからね。あんたはお姉ちゃんとは違って頭だけはいいんだから」

「うん。大体考えてるよ」


 はきはき元気に返せば母も笑顔になるのだろうかとか、そんなことを腹の底にたまったものに思ったけれど、そんなつもりにはあまりなれなかった。

 コーラを口に含んで、少し癒された。

 その日はご飯が来てからも雑談やら挟みつつ、何事もなく帰宅した。

 結局ガムシロップはひとつ口に含むことすらできなかった。甘くないものが口の中でざらざらしているような、そんな気がした。




「なあ、あんた、進路どうすんの?」


 私の部屋のドアをあけ放った姉は開口一番にそう言った。

 ついにこの姉までもがそんなことを言い出すのかと私は受験というものをはなはだ恐ろしく思ったりとか、まあ色々といいたいことはあったけれど、どれもこの姉には通じないような気もした。


「ノックしてよ」

「ああ、悪い」


 言って姉は部屋の中に入る。

 丁重にお出迎えをした方が面倒にならない人種というのは存外いるもので、姉もまたその一人だ。

 それとなくベッドにでも座るようにけしかけて先程まで見ていたウェブページを姉に見られる前にさっさと削除する。

 見られて困るものじゃないけれど、見られたいものでもない。

 そう思った私に姉は目ざとくにらみ付ける。


「ん? 何見てたん?」

「……なんでもないよ」

「エロいやつ?」

「違うっ!」


 なんて勘違いをするのだと姉を睨むと彼女はなにを勘違いしたのかぺらぺら的外れのことを喋り出す。


「別に隠さなくていいでしょ。R18って実質あんなのR12みたいなもんでしょ」

「えっ。……え? そんなころから見てたん?」


 さすがに呆れの方が大きくなって聞き返してしまう。

 別に姉を清純なユニコーンをなつかせられるような女の子だとは思ってはいないけれど、さすがにそこまでだとは思わなかった。

 うわぁ、と若干体が引き気味になる。


「いやいや、そういうのを見るヤツも出てくるって話でしょ」

「えー。っていうか、そういう意味なら九歳とかじゃないの? いや、十くらいはあるか」


 私の引いた体の分だけ姉が興味深げにこちらを覗き込んでくる。


「……そんな頃から見てたん?」

「違わいっ!」

「うわー、引いた。さすがに引くわ。ごめんわたしあんたのこと完全にがり勉だと思ってた……」

「だから違うって……」


 そう言うものの、今の姉に口頭で言っても通じる気がしなかった。

 仕方がないので私は履歴から復活したページをスマホを姉に投げ渡す。

 面白がって的外れの爆笑をしていた姉はその画面を見るとたちまちに顔を曇らせる。曇らせるというか、つまらなそうな顔をする。


「ね。違うでしょ」

「えー、いやこんなん今適当に開いただけでしょ」

「……私そんなにフリック入力速くないよ? あんたじゃないんだから」

「ふりっく……?」


 あ、バカだったこいつ。

 なんてちょっと失礼なことを思いつつ、それは流す。


「それもわたしからしたら見られたくなかったんだけど」

「え? これが。ただの通販サイトじゃん。ジョークグッズ見てるわけでもないくせに」

「ジョークグッズ?」

「あ……ごめ」


 突然姉があー、みたいな顔をして目を逸らす。え、なに?


「え、じゃあこれなんなの?」

「見ればわかるでしょ」

「ただのガムシロップじゃん。あ、ボトルとかあるんだ。誰がこんなに使うんだよ」

「……直飲みすればすぐ減るんじゃない」

「いや、直飲みとかするやついるわけないでしょ」

「…………」


 まあ、だよね。としか言えないけれど、それを言ったら今度こそ本当にガムシロップを直飲みできると思っているとカミングアウトすることになってしまう。

 そうか、普通人間ってガムシロップを通販サイトで見ていてもそれを飲むとは考えないか。とか、妙なことを知る。一体なんの役に立つのか。

 ふーんと姉が興味を失ったようにスマホをベッドの上に投げ捨てて、私の方へ向き直る。妙にまじめな表情をしていて、こっちの方がかっこいいなあとか、面倒くさいなあとか思う。

 また進路の話でもするのか。


「で、あんた。進路どうするの?」

「……うす」


 ほらやっぱり、と溜息を吐く。


「いやうすじゃなくてさ……別に私は母さんみたいに押しつけがましいこと言おうと思ってるわけじゃないのよ」

「そりゃ押しつけがましいこと言おうと思って押しつけがましいこと言うやつは……あ、なんでもないっす」


 うーん、そういうことを言いたいんじゃなくて、と姉がどういえばいいのかと考えるように頭に手を当てる。

 あれって本当に考える時に効果があるのだろうか。

 触れているところを意識することでその部分の脳みそを活性化させるとか……上を向くと気分が晴れるみたいな原理で。確かあれって前頭葉と関係があったよな。みたいな姉とは関係のないことを考えていると姉が顔を上げる。


「あんたさ、勉強ってなんだと思ってる」


 まっすぐ、こちらの目を見て聞かれる。だけれどその視線はどこかずれているような気がして、この眼球の内側に私はいないのだろうかとか考える。

 そりゃそうだ。私は眼球なくて脳みその中にいるのだろうからとか考えて、嫌そういう話しじゃないかとか考えて姉の目線に意識を戻す。


「……糖分取って教科書開いたら中学校ではトップクラスには入れるやつ」

「は、天才かよ」


 姉がひがみというよりは素直な賞賛のように脊髄反射で言葉を吐きだした。天才というか、勉強は割とちゃんとしているんだけどな。

 自主学習の時間わりと多いし、糖分も姉が思っているずっと多いはずだ。

 姉は知らない、私の学習机の上のおしゃれなポットが実は角砂糖入れだということを。というか私の小遣いがほとんど糖分に換わっていることを。

 いやまあ、ほとんどとは言っても本とかテキストも割と買うけれど。


「……いや、そういうことを言いたいじゃなくて……」


 姉が若干妹のすごさに圧倒されつつ、本来言いたかったことを思い出そうとする。なんだか自分で言ってしまうとナルシストみたいだな、と思った。

 姉はやっと適切な言葉が思いついたのか、口を開く。


「……勉強ってさ、将来の役に立つと思う?」

「……」


 ものによる。と、正直に言えばそう答えたい気分だったがそう答えてしまうと姉が混乱したり話が混線したりすると分かっているのにわざとそれをするほど私も性格が悪くはない。


「まあ、直接は立たないものばっかりなんじゃない」

「そう。まあ、そう思うじゃん? でもさ、勉強しとくと将来の役に立つのよ。いや、高二にもなって今更何を言ってんだって感じかもしれないけどさ、なんというか……大学とかに通うためになるわけでしょ、勉強って。んで、なんていうかな、勉強しとくとそこが広がるのよ」

「……あー」


 なんとなく姉がなにを話そうとしているのかを察する。

 勉強は進路の幅を広げることになる。という話だ。しかしなぜ突然そんなことを話し出したのかがわからなくて、つまりどういうことと? と相手に話し直す機会を与えてみる。

 すると姉は口を止めてから少し悩んで、なにか覚悟を決めたらしく顔を上げた。

 それは今までになく私のような世代に近いような気がして、昔を思い出しているのかなとかなんとなく思った。私は思い出すような過去なんて作れるのだろうか。


「……言わなくていいなら言いたくないなと思ってたんだけどさ。まあ、なんというか……あたしは実はさ、警察官になりたいって思ったたんだよね」


 言いつつ、姉は恥ずかしそうに頬を撫でた。


「に、似合わねー」

「……言うと思ったけど」

「えー、逆の方が似合いそう。空き巣御用達のピッキング教室とかで金を巻き上げる小悪党とか」

「微妙なポストだなおい!?」

「んで生徒に空き巣に入られて警察に駆け込んで捕まるの」

「だっさ!」

「そして監獄の中で凶悪犯集めて脱獄した後日本の犯罪王になる」

「あたしがっ!?」

「最終的に妹に捕らわれて妹が英雄になる」

「てめーよくもあたしをー!!」


 姉が私をベッドに引き倒す。いつ振りかの距離で、少し楽しくなる。

 即興でここまでノれるところはコミュニケーション能力の高さとして評価するべきなのか。そんなことより純粋に姉として楽しいやつでいてくれてありがとうと言いたい。言ったら調子に乗りそうだな、と何となく思った。


「閑話休題」

「え、なに?」


 ……知っている言葉が通じないというのはよくあることだが、地味なストレスかもしれない。だから専門的な界隈は閉鎖的になるのだろうかとか余計な思考をいったんシャットアウトする。


「茶番はさて置き、的な」

「ああ、そーゆー」


 そこまで言ったら空気がたるむじゃないか、閑話休題の一言ですぱっと会話が移るから気持ちがいいんだよ、なんてことを考え始めている時点で思考がたるみ切っているも同然だった。


 閑話休題。


「警察になりたかったのよ、私」

「うん。……っていうか、起きないの?」


 私はなかば姉に抱かれるような姿勢のままベッドに倒れ込んでいた。

 姉は少しそうしようかというような顔をしたけれど。


「いや、せっかくだし」

「そっすか」

「うむ。……でさ、でも私が入ったとこって結構なバカ高なのよね。だからさ、ああいうとこって選択肢とかあってないようなものだから警察っていうのはもうわりと諦め気味なんだよね」

「ふーん」


 姉も意外と色々考えていたのだろうかとか、あたしが中学校に入ったばかりの頃の姉を思い出そうとしたけれど、なにかを考えているように見えてはいなかった。

 ちゃんと見ていなかったのかなとか、昔の自分を少し厭う。


「でもさ、母さんが言うみたいに無暗に頭いいとこ行けばいいってわけでもないと思うのよ。だからなるべく……まあ、なんつーか、後悔してほしくなかったのよ。あんたには」

「……ありがとう」


 ほんの鼻先で姉のにおいを感じながら迷って結局その言葉を吐いた。


「でも私夢とかないよ」

「探しゃなんかあるだろ」


 えー、と言葉を飲み込む。

 折角いい話をしていたのになんか最後でけつまずいてしまった感じだ。しかし伝聞した夢を見つけられない人間の苦悩なんかをこの姉に説いたところで意味はないのだろうなと、これでこそ我が姉だと適当に占める。


「ありがとう、お姉ちゃん」

「気にすんな、妹だろうが」

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