男と女のよくある恋愛事情
【男】
やけにぼんやりと考えていた。
何も手に付かないのだけれど、煙草にだけは度々手を伸ばす。
無意識に吸う煙草……旨い訳がない。
気付くと灰皿には何本もの吸い殻が溢れている。灰皿を眺めていてふと思う。
「吸い殻の長さが全部違うんだな……」
同じ煙草を、同じ無意識の俺が吸っている。なのに、消された吸い殻はどれもまちまちな長さ……
そう……気分の問題だ。
理由なんかない……単なる気分。
煙草を吸う長さだって変わる。
単に気分がいつもより、ほんの少し悪かっただけだ。
でも彼女は出て行ってしまった。
いつもの喧嘩とばかり思っていたが、今回は違うようだ。
何年も時を過ごし、いずれは一緒になるものだとばかり思っていた。
いや、今もまだ少し期待を残している自分……だからぼんやり落ち込んだ振りが出来るのかも知れない。
愛情を過信していた?
いいじゃないか……
穏やかな日常に、振り返れば優しい幸せを感じる事が出来れば。
気分が悪い日もある。
今はその理由すら忘れてしまった。
携帯が小刻みに揺れた……
マナーモードの振動にすら、一瞬驚いてディスプレイを見る。
彼女だ――。
いつもの口調で、
「そろそろ帰ろうかな……」と言う言葉を期待して……
親指は着信ボタンを押し、俺は目を閉じた。
【女】
彼の言葉には耳を疑った……
沈黙が過ぎれば過ぎる程、いたたまれない気持ちが増して行き、顔すら見れなくなった。
人生には幾つの分岐があるんだろう?
ここがもしかしたら私の分岐点なのかも知れない。
決断をしなければいけない時なのかも……わからない。
幾つ目の決断なのかはわからないけど、必ずそんな場面があるのだから。
彼の部屋から右と左……どちらの足から出たのかなんて覚えていない。
でももしかしたら、違う方の足から出た細やかな分岐もあるんだろうな。
でもそれは永久にわからない。正解なんてあったとしても、確かめる事なんて出来ないんだから。
この決断は間違い?
でもしかたないじゃない。
理由があって、きっかけがあって、今の私の心が結果を求めようとしてる。
携帯のディスプレイ……
一番たくさんの発信と着信をした番号を表示させた。
押せない発信ボタンが私の迷い。
消せないディスプレイも私の迷い。
もはや迷っている段階まで来てしまっているのが事実。
「違う道を歩こう」
親指は発信ボタンを押し、私は目を閉じた……
『男と女と』
「明日……
会って話しがしたいの……」
その日──。
女は男に別れを告げた。
男は女にやり直そうと伝えた。
しばらく……と言っても10分程度の短い時間。
人生が違う方向へ向かうのにはあまりに短く……、しかしまた、充分な時間なのかも知れない。
女はNoと答え、少し涙ぐんだ。
男はYesと答え、小さな溜め息を漏らした。
雨の降る日曜の午後──。
突然降る雨に大きな驚きの声を上げる者は少ない。
雨が降るのと同じようなものかもしれない。
突然訪れる男と女の別れ。
よくある出来事だ。
少し予想がつきそうなら、傘を準備する位の事は出来たのかも知れない。
だとしてもやはり、濡れない訳ではない……
【男】
独りになった部屋で、今は淡々と生活をこなしている。
今の所、振り返る幸せはない。
土曜日の夜は少しセンチになるのはしかたがない。
彼女の好きだった『苺大福』を、せつなくほうばっては見たが、やはり甘いものは得意じゃないな……
見慣れない土曜日のTVはやはり面白くもないが、一緒に毎週見た映画を見る気にもならない。
半分が白紙になったこれからの人生……
また新しい色で塗る事が出来るのだろうか?
同じ価値観で仕上げる、一枚の絵を書く人に出会う事が出来るんだろうか……?
切り取られた幸せな過去と一緒に、この日携帯から彼女のメモリーを、
消した。
【女】
実家にしばらく滞在しながら、新しいマンションを借りた。
初めての夜の帰宅は、やっぱり胸が寂しさで溢れていた。
灰皿のない部屋……
煙草の嫌な匂いも生活の一部だったんだと振り返る。
私は煙草は吸わない。
何が美味しいんだろうと、少し彼を真似てみる。
大きく吸い込んだ空気にもちろん味はない。
吐き出す空気は……ただの溜め息でしかない。
何も持たずに唇に当てた二本の指は、頬を伝う涙を拭くのに調度良かった。
二人で歩いていたつもりの道。
今は一人になっただけだ。
空いた片側を共に歩いてくれる、同じ価値観で手を取り合う人を、見つける事が出来るだろうか……
叶わない、切り取った未来と一緒に、この日携帯から彼のメモリーを、
消した。
【男と女】
そしてある晴れた土曜日の夜──。
透き通った月は僅かな光を拾い、街をこっそり照らす。
男と女は互いにレンタルショップに立ち寄った。
思い思いの映画を選び、これからまた独りの時間を過ごす。
男はコンビニで弁当と雑誌、煙草を買って帰る。
女は特に他に用事はないので、真っ直ぐに帰宅する。
二人は互いにそんなつもりで店を出ようとした。
外は雨──。
さっきまでの晴れた空が嘘のように雨が月を隠していた。
大粒の雨が地面を打ち付け、女の足元に跳ねた。
飛び跳ねる雨粒を避けようと片足を上げた女が、手元から落とした映画のDVD。
突然の雨に足止めされていた男は、女の落としたそれを拾い彼女に手渡した。
男は彼女を……
女は彼を……
雨の中、互いの顔を“初めて”目にした。
「急にひどい雨ですね」そう言いながら見上げる彼に、
「ありがとう……」と、彼女は微笑んだ。
雨と地面の匂いにまぎれ、彼の上着から僅かな煙草の匂いがした。
彼もまた、彼女が落とした映画のタイトルを見ていた。
「何だかやみそうにないですね」
「傘がいるなんて思わないもの」
二人の共通の話題……
彼が彼女の好きな食べ物を。
彼女が彼の吸う煙草の銘柄を。
それぞれが知るのはまだ先の話だ。
雨の降る土曜の夜──。
突然降る雨に大きな驚きの声を上げる者は少ない。
雨が降るのと同じようなものかもしれない。
突然訪れる男と女の出会い。
よくある出来事だ。
少し予想がつきそうなら、傘を準備する位の事は出来たのかも知れない。
“別”な道を歩き、“別”の場所でとある別れをした二人。
二人はいずれ、この日の雨を振り返り、小さな幸せを感じる。
【彼と彼女】
そしていつしかの夜──。
煙草の匂いのする腕に深くもたれ、彼女は彼を真似て煙草を吸う振りをしながら……彼に口づけた。
彼はそんな彼女の髪を撫でながら、あの日彼女が落とした映画を無理に見せられている。
「やっぱり甘いのは苦手だ……食うのも、映画も」
「貴方と雨宿りしながら話込んで見れなかったのっ」
「傘を持って行かなくてよかった」
「私も……この映画は幸せな思い出でしょ?」
そして二人は……もう一度深く唇を重ねた。
【完】
Try agein
『苺 大福』