疫病
疫病が流行り出したのに気がついたのは、つい一週間ほど前からだった。
例年とは打って変わり、扇風機やエアコンを必要としない冷夏に見舞われた日本全土。
更にその山間部ともなれば朝晩は冷え込みもあり、毛布を羽織らなければ風邪をひきそうなほどであった。
私が住む小さな小さな村は全人口がたったの百数人と少なく、山林に囲まれた自然豊かなと言えば聞こえはいいが、隣町まで車で二十分かかれば不便さに越してくる人もいない過疎の村。
さらに今年は冷夏で農作物に多大な被害があり、村独自で生産しているブランドのみかんも致命的な不作だった。
どこか、村全体からピリピリとした焦りにも似た不安感が大人達から感じられた。
それでもそれは私の思い過ごしなのだろう。
それからみかんの最盛期をすぎた頃くらいからか、
当初風邪をこじらせたようにちらほら村の人はあちらこちらで咳き込んでいた。
それから四日過ぎた当たりか、村長を筆頭に高熱に魘される者も出たそうで、まことしなやかにおかしな噂が立ち始める。
『この村の誰かが疫病を持ち込んだ』
それからまた一週間もすれば村の小さな診療所は人が沢山並ぶようになっていた。
だからといって学校が休校になるはずも無く、だが肝心の先生はしばらくお休みらしく。私は学校で同じクラスのあっ君とサッカーをしていた。
「うちの両親もなんかたまに咳してる」
「へえ、あっ君は大丈夫なの?マスクなんかして。あっ君ももしかして風邪?」
「ううん、違うよ。予防だから付けとけってお母さんが、たけちゃんこそしてないけどいいの?」
「別に?それしてると鬱陶しいし」
たけちゃんと呼ばれたのは私だ。
小さな小さな村は同級生はあっ君だけで上級生や下級生もいない。
卒業したら僕らが最後でおそらくこの学校も無くなってしまうのだろう。
だが、二人だけの学校というのはそれはそれで楽しいものだ。
だが肝心の先生も来なければ学校も実の所休みと何ら変わらない。だが、一番の違いは家に帰ってゲームができない事だ。
過疎の村だってテレビゲームは私の家にもあっ君の家にもあり、対戦式のアクションゲームを互いに持っている。
家に帰れば互いに両親がいるからどうにもこればかりはどうすることもできない。
ゲームも取られ勉強も進まず、あまりにも暇すぎる2人は面白いことをしようとなった。
「カブトムシとりいこーぜ!」
「二日前に行ったじゃん」
「魚釣りいこーぜ!」
「昨日行ったじゃん」
「秘密基地作りにいこーぜ!」
「今日の朝行ったじゃん」
「あっそうか。ってか、あっ君も何か考えてよ!」
「…………そうだな」
二人は自転車を止めると、私達は診療所の前に来ていた。
ここは五年ほど前に越してきた若いお医者さんの診療所。こじんまりしてはいるが腕は確かだそうだ。
今日は丁度午後から休診で既に三時を回っていた。扉は締まりカーテンは下ろされ中は暗くなっていた。
「休みだね」
「休みだから来たんだけどな」
「なんで?」
「ばかっ、俺ら学校にいなきゃだめなんだぞ。それにこの『自由課題』は先生の協力無しじゃだめなんだ。おっ、とも先生出てきたぞ!」
とも先生とはここの若い先生のことだ。
身体は栄養をちゃんと取っているのかヒョロヒョロしているが、村の祭りなどのイベントにも積極的に参加するお医者さん。
村の人からは名前のトモキから頭二つとって、いつの間にかとも先生と呼ばれていた。
どうやらとも先生はここ最近猛烈な患者の数にヘトヘトなのだろう、腰が前かがみに、ヨレヨレの白衣のままに車に乗り込む姿が見えた。
「ともせんせー!」
「ん、おう坊主共、元気いいな」
「ともせんせーにお願いがあって!」
「お願い?」
二人はとも先生の車に学校に言わないと約束してもらって乗り込むと、どこへ行くのかを尋ね、なんでも薬の調達らしかった。
この村には薬局もなければ、先生がお薬を選び出している。
だが、ここ最近の患者の異常な多さに薬もすぐ様空となり、買い出しに走っているというわけだ。
「ねぇとも先生、患者さんのカルテって見れる?」
「あっ君は患者さんのカルテが見たいのかい?」
「うん!『自由課題』してるんだ!」
「見せても分からないと思うけど、ダメかな」
「ええ〜、ケチ〜、いいじゃん減るもんじゃないし〜」
「そうだよ、減るもんじゃないし〜」
「いいや、減るんだよ」
移動中、車の後ろに乗る2人は、顔を向き合わせた。
「何が減るの?」
とも先生は表情を変えないままに、これ以上この話題が広がらないようにハッキリとした口調で言った。
「それはね、僕の信用が減るんだよ」
結局『自由課題』は何一つ進むことなく、沢山のダンボールを抱えるお手伝いと、帰りにアイスを買って貰って、私らはそれぞれの家の前で降ろされた。
次の日、飽きもせず学校の校門を潜り、教室に入ると、あっ君が黙々と定規で線を引いていた。
「何してるの?」
「カルテが手に入らないなら、僕らで作ればいい」
昨日の事で『自由課題』を諦めたものと思っていた私は驚いた。そしてそのノートには名前を入れる欄、症状、服用薬品、経過開始、と、事細かに書かれ、まるでお手製のカルテである。
「僕らで疫病を捕まえる!」
「そうだね!」
それから夏休みは毎日様々な村の人と出会った。
自宅にあった村の地図を広げると、西に東に自転車を飛ばし、ゲームをすることも忘れて走り回った。
「おーい、おばちゃーん、ちょっといいー?」
「なんだーい?」
草刈りをするおばちゃんもやはりマスクをしていた。
今のところ大人達は全員マスクをして、会話の途中違和感のある咳を一つ二つする。
そして、症状を聞くとしどろもどろとした答え方を少しして、何とかデータになると言った具合だった。
そして、ここの村人に全て聞いて周り、最後のひとりとなった。
「ともせんせー」
「お、坊主共、最近面白いことしてるそうじゃないか」
ここは小さな村だ、話題の乏しい村人の会話では、たわいの無い事まで話するものだから、個人情報なんて筒抜けだあってないようなものである。
だが、どうやら内容までは知られていないようだった。
「ともせんせーに見てもらいたいものがあるんだ!」
まだ白衣のままのとも先生は今日もヘトヘトのようで、どうやら今から帰宅なのだろう。
「どれ、何を見てもらいたいんだい?」
私らは自信満々に、『自由課題』を渡すと、開かれたページにはぎっしりと文字が埋め尽くされていた。
それは一ページどころではなく大学ノートが五冊になっていた。
内容は、事細かに村人の具合の悪いところや、服用している薬を書けているところもある。
とも先生は一瞬へえといつもの表情から一変、何か気になることでもあったのか、その開かれた大学ノートを目を凝らし穴が開きそうな気迫で見入っていた。
その後凄いスピードで、サラサラと5冊全てを読み終えたとも先生は、壊れたように突然笑い出した。
「先生笑ってる場合じゃないよ!早く疫病見つけてよ!」
「そうだよ!俺らも考えたけど全然わかんねーんだもん!」
先生はあまりの可笑しさに笑いながら踊り出していた。
それを見た私らは不安に駆り立てられたが、とも先生は徐々に落ち着きを取り戻すと、小さく口を開いた。
「ははは、ありがとう坊主共、疫病は見つかったよ」
それからマスクをする大人達は徐々におかしな噂とともに減っていった。
結局何が原因だったのかわからず、一ヶ月すぎた頃、とも先生と約束したこの日に私らは診療所に来ていた。
どうやらあの時の忙しさは最早なく、いつもの先生だった。
「ともせんせー!」
「きたよー!」
「お!坊主共来たか、さあ入りな、アイスでも食ってけ」
中に促されると、病院独特の匂いに戸惑いながらも更に中へと入ればその匂いも薄れていた。
「これをみろ」
とも先生の掌には小さな錠剤が入っていた。
「これが疫病の特効薬だったんですね!」
「そうだ、これが特効薬さ」
「中には何が入ってるんですか!?」
どうせ専門用語のお薬なんて聞いたところで分からないだろうが、これが自由課題の研究だったのだから最後に聞いておきたかった。だが、とも先生は目を輝かせてこう言った。
「ただのビタミン剤だよ」
私達は目を丸くした。
とも先生は笑いをこらえ切れなかったようで吹き出していたが、私達はよく分からず疑問符を頭に付けていただろう。
とも先生はアイスを冷蔵庫から取り出すと、僕らにわかりやすく噛み砕くように説明してくれた。
事の発端であり手がかりは『自由課題』の開いたページの患者さん。
もちろん診察に来てはいたが、症状が診察したものと違っていた。
それは一人だけではなく、沢山の方に見受けられた。
カルテではあることも『自由課題』ではない。逆もまた然り。
大学センターに問い合せても患者の唾液や便からは疫病など一切検出されなかった。おまけにあの噂。
『この村の誰かが疫病を持ち込んだ』
自分ではないと言いたいがために健康な村人が病になっているフリをしている事にとも先生は気がついた。
しかし、ストレートに貴方は健全だと言ってもそのまま受け入れて貰えない可能性も踏まえ、わざと疫病をあるものとし、その特効薬と称しただのビタミン剤を渡したのだった。
「人の噂も七十五日、大事にならずに済んでよかったよ」
「なんだ大人のくせに仮病かよ!」
「けど、とも先生やっぱ頭いいですね!」
「いやいや、君たちの『自由課題』のおかげだよ、ありがとう」
そして私達は疫病を捕まえることに成功したのだった。
読んでいただきましてありがとうございます。
拙い文章に見苦しい点も多々あったと思います。
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