68 動き出す者 / 目覚める者
「ギッ! グッ!! ア、ア、ァァ……」
温かい日の光が差し込む室内で、全裸の男がベッドの上で女性の首を絞める。
首を絞められている女性は先程までこの男に抱かれていた。しかし、こうなる事は彼女も予想出来ていたが反抗する事は出来ない。
だからといって、死を簡単に受け入れられるわけもなく。必死に首を絞める男の手を掴んで抵抗するが、抵抗する手には彼女の意思に反して力が入らない。
女性の首には首輪が嵌り、耳は長く尖っている。苦しむ表情を浮かべていなければ美女と言えるだろう。
しかし、彼女の美しい顔はどんどんと苦しみに耐え切れなくなり歪んでいく。
「ははは。良い顔だ」
エルフの美女は首を絞められることで、口からは泡を出し、目はどんどんと外へ飛び出す。
その様を見る男はとても楽しそうに笑っていた。
首を絞め始めて数分。美女の口から発する苦しそうな声も止み、目や鼻、口からはダラダラと体液が流れ出す。
そして、体を痙攣させていた美女はピクリとも動かなくなって絶命した。
エルフの美女を絞殺した男も満足気に頷き、部屋の中を改めて見渡す。
男の部屋の中には、昨晩から体を楽しんでは殺した女性の死体がいくつも転がっている。そして、転がっている女性は全てエルフであった。
コンコン、というノックと共に入り口のドアが開かれる。部屋の中に入って来たのはキッチリと軍服を纏った成人女性。
彼女は男の部屋に入るなり、異臭に顔を歪めながら鼻を摘む。
「すごい匂いですよ。換気して下さい」
コツコツと履いたハイヒールを鳴らし窓に近寄り、全ての窓を開放する。
暖かな陽気と新鮮な空気を運ぶ風が彼女のショートヘアを揺らす。
窓からやって来る風を体で感じ、部屋の中に充満していた匂いが外へ逃げるのを確認した彼女は、匂いを嗅ぐまいと止めていた呼吸を再開させる。
「また殺したんですか」
彼女は部屋の中に転がる女達の死体を見ても顔色を変えずに男へ話し掛ける。
「良いじゃないか。どうせ奴隷だし。楽しんだら捨てるのは常識でしょ?」
全裸のままベッドに座る男も窓際に立つ彼女に顔を向けながら答えた。
その顔には人を殺したというのに罪の意識は全く浮かんでいない。それもそのはず。男が言う通り、抱いて殺した女性達は国から『家畜』と呼ばれ『奴隷』として売られている者達だから。
「奴隷も安くないんですよ? 全く……」
彼女は面倒臭そうに呟き、脳内では掃除する者を呼ばなければと考えていた。
「それで? ターニャ君は僕に何か用事があったんじゃないのかい? それとも君も抱かれに来たのかい?」
男はニヤニヤと笑いながら、窓際に立つターニャという名の女性の体を舐めまわすように見つめる。
視線を受けたターニャは腕に鳥肌が立つのを感じながらも、表情を変えずに部屋までやって来た理由を告げる。
「クリス様が予約していたエルフの奴隷ですが、入荷が遅くなるようです」
「へぇ。なんで?」
「奴隷商の話しだと東に侵入した狩人が戻って来ないそうです。失敗したのでは、と言っていましたが……現在、国内の奴隷市から在庫を呼び寄せているようなので後1週間程待って欲しい、と」
ターニャの答えを聞いた男――クリスは「ふ~ん」と興味無さそうに呟きながらベッド脇に設置してある小さなテーブルに置かれた酒瓶に口をつける。
「まぁエルフも飽きたからなー。次は獣人にしようと思っていたし、丁度いいかな」
「獣人も入荷待ちだと先週言ったじゃないですか」
「あれ、そうだっけ?」
「陛下が例の遺跡へ全ての在庫を送ったばかりですから」
「ああ、そうだったねぇ……」
クリスは酒を飲みながら少し考えた後に、楽しそうに笑みを浮かべる。
「じゃあ、僕が直接東へ行こう。現地で見繕うのも楽しそうだ」
然も名案だ! と満面の笑みを浮かべて自身の考えを披露する。だが、ターニャは彼の提案を聞いて眉間に皺を寄せながら反論する。
「いけません。クリス様に何かあったらどうするのですか」
ターニャは心の中で特大の溜息を零していた。
この男に何かあれば、責任を取らされるのは世話役の自分だ。
ただでさえ、自由気ままな振る舞いに毎日手を焼いているというのに。これ以上、自分の心労を増やさないで欲しいと愚痴を零す。
しかし、そんな事は口には間違っても口に出せない。
何故なら――
「大丈夫だよ。僕が家畜風情に害される事なんてあると思うかい? 僕は帝国最強、炎の魔導師だよ?」
彼が自分で言うように。国では最大級の戦力、ヴェルダ帝国皇帝に次ぐ権力者。過去から目覚め、炎を自在に操り一騎当千の魔導師。
ヴェルダ帝国が近年吸収した小国との戦争で、千の敵兵を炎で焼き殺した様は帝国内の吟遊詩人が挙って歌にするほど。
東側にも伝わった噂の張本人であり、東側で呟かれる『炎を自在に操る賢者』とはこの男の事であった。
「……わかりました。ただし、陛下の許可が出てからです」
世話役を拝命していると言えど、身分的には一端の軍人であるターニャは彼に言われては断れない。次善の策である、最高権力者の許可という盾を掲げてこの場を逃れる事にした。
「しょうがないなぁ。まぁ、許可は下りると思うよ」
何か勝算があるのか、彼はターニャにニヤリと笑った後にベッドへ腰掛けた。
「では、早速陛下のもとへ行って参ります」
「はいはーい」
クリスがヒラヒラと手を振るのを横目に見ながら、ターニャは部屋を後にした。
-----
日の光が届かない暗い空間。
その空間には薄く光を放つカプセルが『ピッ……ピッ……ピッ……』という機械的な音が鳴っていた。
部屋の中央置かれたカプセルの光は周囲に置かれた家具を照らす。
ステンレス製の簡易テーブルと椅子。革のソファー。長年放置されたそれらは埃が積もりに積もっている。
ここは誰にも気付かれず何千年も放置されていた空間であったが、それも今日で終わりとなる。
カプセル内部に納められていた男性の腕がピクリと動く。
その数分後には規則正しく鳴っていた機械音は鳴り止み、バシュッという音と共にカプセルの扉が開かれる。
カプセルのベッドで横になる男性の体が外気に触れ、徐々に男性の意識が覚醒していく。
男性が薄く目を開くと、まず飛び込んできたのはカプセルが放つ光。
何度も瞬きを繰り返して脳の覚醒を促すと、男性は起き上がろうと試みるが口元に取り付けられた呼吸器が邪魔で起き上がれない事に気付く。
呼吸器を手で外し、自分の意志で空気を吸おうとすれば埃まみれの空気が喉を直撃して咳き込む。
「ハー……ハー……フー……フー……」
手でマスクのように口と鼻を覆い、荒い呼吸を繰り返しながら頭の中で落ち着け、と念仏のように唱え続けた。
口元を手で覆ったままの状態で上半身を起こす。上半身には管が刺さっていたが、それらを無理矢理引っこ抜いてカプセルの外へと出る。
(ここは地下シェルターで……。カプセルで眠って……)
カプセルの外で立ちながら、眠る前の記憶を1つずつ掘り起こしていく。
そして、男性はカプセルに荷物を収納していた事を思い出してそれらを取り出した。
カプセルに収納していたリュックサック2つを取り出して中を確認する。
1つ目には衣類とブーツ。そして、時計の形状をした第2世代型マナデバイス。そして、友人から貰った1丁の魔法銃。
2つ目はキャンプ用品と圧縮パックに入ったフリーズドライ食品が1週間分。
男性はまず、自身が所属していた軍支給のシャツとズボン、ブーツを着用してから左腕に時計型のマナデバイスを嵌める。魔法銃はズボンの後ろ側のウエストに挟み込んで、いつでも取り出せるように。
身支度が整った後はキャンプ用品と食料の入ったリュックを背負い、ジャケットを脇に抱える。
(まずは外だな)
自身の記憶を頼りに外に繋がる扉へ向かう。
さぁ行くぞ、と意気込んで扉を開けようと試みるが、扉は開かずドアノブだけがすっぽ抜けてしまった。
「………」
手の中にあるドアノブと開かない扉を交互に見ながら他の脱出方法を考える。
しかし、考えれば考えるほど外に繋がる扉が目の前の物しか記憶にない。
考えた末、男性は腰から魔法銃を取り出す。
ドン、ドン、と2発扉に向かって撃ち込むがシェルターを守る分厚い扉は着弾部分が少しヘコむだけだった。
男性は魔法銃の横側に取り付けられたメモリを『高威力』に合わせ、もう一度引き金を引く。
ドガン、と先程よりも大きな音を立てて扉の上半分が吹き飛んだ。吹き飛んで穴の空いた所から顔を覗き込んで扉の先に金属製の階段が目に入る。
そのまま上に視線を向ければ、金属製の扉が天井に取り付けられていた。
身を捩って穴からなんとか扉を抜けてから階段を登り、天井の扉のドアノブに触れる。
このドアノブもすっぽ抜けてしまわないか、と思いながら慎重に回す。ドアノブが抜ける事はなかったが、扉は両手で力一杯持ち上げてもビクせず開かない。
仕方ない、と階段を降りて再び魔法銃を取り出す。そして、先程と同じように高威力の魔法弾を天井の扉目掛けて数発撃ち込んだ。
すると、扉を吹き飛ばす事に成功はしたが天井から大量の土砂が流れ込んできてしまう。
「うおおお!」
落ちて来る土砂から逃げるように背後にある扉まで後退。濛々と上がる土煙に目を瞑り、顔を腕で隠してやり過ごす。
再び目を開けると天井からは陽の光が降り注いでいた。
男性は階段を上がり、天井の穴から外へと脱出する。
「な、なんだ。これは……? 氷河期はどうなった……?」
地下から脱出し、辺りを見渡せば嘗て自分の家だった建物は朽ち果てた壁だけが所々残り、遺跡のような風貌になっていた。
そして、住宅街だった自宅周辺は青い草の生える草原地帯。さらに、背後は山。
男性が外に出て最初に抱いた感想はあり得ない、だった。
確かに自分の自宅は住宅街に存在していた。目の前に広がる草原地帯には所々地面から生えた石や砂利の部分もあるが、住宅街など存在しない。
辛うじて足元から数十m先まで住宅街に通っていたコンクリートの道が残っているだけだった。
「どうなっているんだ……」
男性はしばらく外の景色に呆然とし、どこぞの賢者と同じ事を口から零した。




