03 外に出れば森でした
地下からの脱出を試みた秋斗は、無事に地上へと躍り出た。
そして、目にした光景に絶句する。
「………」
目の前に広がるのは、爽やかな春の日差しと風。
そして、森。
「雪なんて、どこにもねえ」
シェルターの入り口を閉めて、キョロキョロと周りを見ればいつか見た窓の向こう側のような銀世界は存在しない。
背後には自分の家だった建物が崩れて風化し、苔の様な物が付着して壁は木と同化している。世界遺産と言われても通用しそうな遺跡風の外見になっていた。
そして森。
360度、森。
森の中に存在する隠された遺跡のような場所に秋斗は立っていた。
「どうなってんだ……。氷河期は終わったようだが……。こんなに自然豊かになるには何年かかるもんなんだ?」
魔工師たる秋斗は専門分野以外の自然科学などの知識は乏しかった。
それ故に、己が何年眠っていたのかも検討が付かない。
引き続きキョロキョロと周りを見渡し、試しに右目に蓄積された知識を使って周辺の木々を参照してみた。
「あれは……イスノキ? 生えている木は図鑑にある物と同じのようだが」
AR上に表示されたのはイスノキと呼ばれる品種の木で、前に生きていた時代でもよく生えている木だった。
他に生えている木を参照しても図鑑に載っているばかりで、元自宅の遺跡周辺には未知の植物が生えているという事はなかった。
(氷河期が終わって生命大爆発で新種が生まれるとかないのか? わからんが……とりあえず周りを散策してみるか)
これだけ様変わりした風景に少し胸をドキドキさせつつ、顎に手を当てながら色々と考えたり、過去に植物関連の研究をしていた同僚から聞いた知識を思い出すが、右目のマナデバイス内にはその資料が無い。専門外な事なので一先ずそれらは放棄した。
シャクシャクと草を踏む音を鳴らしつつ、自分のいた場所から適当に歩き出す。
何時間か、何分か。時計が無いので定かではないが、しばらく歩き続けると鼻に届くのは潮風の香り。
(海…? だが、近所に海なんて無かったはずだが)
眠っていた地下は自宅。
秋斗の自宅は勤めていた魔法科学技術院のある首都から車で40分弱の場所にある。
所謂、郊外と呼ばれるような土地。
周りは住宅のみがチラホラと建っていて食事処や買い物に便利な大型店なども存在しない。
主要道路に出るまでクネクネとした道路が続き、道幅も最新の技術で整備された道路よりも走りにくい。
毎日の通勤に時間は掛かるし、咄嗟の買い物などが出来ない不便な場所だったが首都内よりも静かで気に入っていた。
そんな自宅の周辺事情を思い出しつつも匂いがする方向へ歩き続けると、ついに森の出口へと差し掛かる。
(………)
森の出口を抜けると、海だった。
白い砂浜。ザザーンと波の音が鳴る母なる青い海。
そして、海の先。否、海の中に突き刺さっている塔。
その塔は天へと続く途中で折れ、折れた先もまた海に突き刺さっていた。
折れた塔の横にはアーチ状のような人工物が横たわり、折れた塔と一緒に古代に栄えた時代の産物のようになっていた。
まるで物語の中に出てくるような幻想的な光景だが、秋斗には折れた塔とアーチ状の物には見覚えがある。
(おいおい……。あれって軌道エレベータか!? 隣にあるのは宇宙ステーションの残骸じゃないか!?)
何も知らなければ、さぞ幻想的な光景だっただろう。
だが、それらを知っている人間からしてみれば悪夢でしかない。
秋斗の自宅から南側を覗くと、聳え立つ軌道エレベータが見えた。
かつて秋斗の住んでいた国は宇宙産業が活発になり、軌道エレベータを建設した。
それは世界に2基しかない軌道エレベータの1つで観光地としても有名になっていた。
まだ他の惑星へ有人飛行はできなかったが、宇宙ステーションを建設して宇宙空間を体験したり宇宙を見渡すことが出来た。
それが今、無残な姿で目の前に広がっている。
(あれが折れるって……。ステーションの残骸があるって事は……)
氷河期の到来時に軌道エレベータで宇宙ステーションに逃げる政治家や億万長者達がいた。
彼等はどうなってしまったのだろうか。
軌道エレベータと連結していた宇宙ステーション。軌道エレベータが折れたのであれば宇宙ステーションも無事では済むわけがなく。海の中には宇宙ステーションの本体があるのかもしれない。
(つーか、陸地が海になってるって)
過去、軌道エレベータがあった場所はどう思い出しても陸地だ。
数々の商業地帯や住宅街があり、観光地として栄えていた場所が今は海になっている。
(溶けた雪や氷が海になったのか?)
海となった元陸地を眺めながら、砂浜に腰を下ろす。
リュックの中から携帯食料である高カロリークッキーを取り出し、ポリポリと食べる。
眠りにつく前も、一瞬で口の中がパッサパサになる事で有名だったクッキーは相変わらず口の中の水分を奪い取っていく。
魔法で水を作り出して飲もうかと考えていた時、視界に何か動く物が見えた。
視線をそちらへ向けると、のっしのっしと4つ足で歩く虎のような生き物が歩いている。
その虎のような生き物は時折、砂浜に押し寄せる波に鼻を近づけて、スンスンと匂いを嗅いでいる。
それを見た秋斗は、なんで砂浜に虎が。と疑問に思う前に、その虎は秋斗が見た事がある虎のサイズの2倍はあるであろう大きさだった。
考えられない生物の大きさにポカンと口を開けて虎を見つめていると、視線に気付いた虎がこちらに顔を向ける。
向けられた顔には「食い物見つけたぜ」と言わんばかりの獰猛な表情を浮かべている。
秋斗は、ヤバイ! と思いながらも視線を逸らさず、立ち上がる。
ジリジリと後退する秋斗と、秋斗を睨みつけながらその場でいつでも飛びかかれる体勢でグルルと吼えている虎。
両者は互いに隙を逃すまいと睨み合う。
しかし、その睨み合いは海から現れたモノによって破られる。
大きな水飛沫をあげて現れたのは白い触手。
吸盤の付いた触手は海に最も近くにいた虎に絡みつき、海へと引きずり込む。
触手に絡みつかれた虎も負けじと4つの足を踏ん張り、絡みつく触手を噛み付いて牙を立てるがズルズルと海へと引き摺られていく。
とうとう海に到達してしまった虎の体には更に数本の触手が絡みつき、虎の最後の抵抗を封じてしまう。
虎の体の半分が海に沈むと、大きな水飛沫がもう一度あがる。
海から飛び出したのは触手ではなく、触手の本体。
現れたのは虎の数倍大きく、本当に生物なのかと疑うくらい大きなイカだった。
巨大なイカは、体についている大きな目で虎を見つめて虎の体を抱きこむ。
複数の触手に抱きこまれた虎は抵抗虚しく海に沈み、水飛沫がバシャバシャと水中でもがく虎の状況を現していた。
その様子をじっと見つめる巨大イカも、ゆっくりと海へ沈んでいく。
(…………)
怪獣大戦争のような光景を見た秋斗は、背筋をぶるりと震わせて、全てを見なかった事にして来た道を引き返して森へ帰った。
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来た道を引き返し、元自宅であった遺跡へと戻ってきた秋斗。
地上に出た時に見た青空は既に茜色に変貌している。
夜になって森を動き回るのは危険だし、キャンプを行うのであればそろそろ準備しなければいけない時間だろう。
海で起きた事は忘れて、地下シェルターの入り口の隣にテントを張ってキャンプする事にした。
シェルター内に置いてきたキャリーバックを持って地上へ上がる。
キャリーバックからテントやキャンプ用品を出して設営し、テント内に寝袋と装備を押し込む。
氷河期が来る前は使いやすさに定評のあった有名メーカーのマナマシン化したキャンプ用の小型コンロなどを地面に置いて、夕食の準備を始めた。
コンロの上にお一人様用の鍋を置き、鍋の上に右手を掲げ、いつもの調子で術式名を呟く。
「熱湯」
そう呟くと、右目には熱湯を顕現させるための術式がAR表示され、それを見れば魔法の行使が始まる。
右手と鍋との間、何も無い空間から自分の思った通りの勢いでお湯が出て、鍋の中に丁度良い水位が出来上がると、開いた手を握れば魔法は止まった。
コンロを点火してお湯の温度が下がらないようにしながら、レトルトパックの保存食をポチャンと鍋の中に沈めた。
鍋を温めている間にテント内からランタンやスプーンを取り出しておく。
テント内から物を取り出したら、鍋を見つめながら一息。
(まったく……。どんだけ時間が経ってるんだか見当がつかん)
海で見た光景。
壊れたかつての建造物。沈んだ陸地。そして、初めて見た巨大な生き物。
(森を彷徨うにしても……食料の限界もあるし早めに何とかしないと)
水はいくらでも作り出せるとしても、手持ちの食料には限界がある。
それらが尽きる前に人が住む場所へ行くか、何かしらの手段で食料を調達しなければ生きてはいけない。
ウンウンと顎に手を当てながら考え、周りを見渡す。
茜色だった空は次第に闇を含み、木々が所々陽の光を遮る森はぼんやりと暗くなっている。
(そうだ。ここは俺の自宅だった。って事は倉庫はどうなってるんだ)
ふと思い出すのは自宅に併設されていた作業場と倉庫の存在。
建物が無事だった時は、車を駐車していたガレージの地下にはマナマシン開発が出来る作業場と数々の試作品を散らかした倉庫が存在していた。
(倉庫が無事なら何か残っているかも……。最悪、金属やら材料があれば何か作れる)
ガレージだった場所を見つけようと立ち上がって周辺を見渡すが、苔が生えて遺跡になった我が家は見渡してもガレージだった場所は特定できなかった。
(明日にしよう……)
眠りから覚めて1日目。
色々と衝撃的な事がありすぎたために、精神的な疲労がゲージを振り切る勢いで蓄積されていっている。
ハァとため息を1つ吐いて、温まったレトルトパックの封を切る。
今や失われたであろう食品加工技術が詰まったトマトリゾットがたまらなく美味かった。