151 神になった男
始まりの魔法使い、イチロウ。
彼の生まれはジャポヌと呼ばれ、世界より消えた技術大国。
そのジャポヌの中でも一般的な中流家庭に生まれ、至って平凡な父と母に育てられた。
彼は大学で魔法の発現を証明しようと研究していたのだが、きっかけは些細な事だ。
彼が幼少期に家族と一緒に見に行った映画の内容が正義の魔法使いが悪の組織を倒す、という大衆向けのわかりやすい映画だった。
幼き頃に見たその映画に魅了され、魔法という技術に囚われた彼は本気で魔法を発現させようと研究を始めたのだ。
そんな彼には2つの異名がある。
1つは『始まりの魔法使い』そして『大罪人』だ。
この2つの異名を得るきっかけは件の検証実験。
魔法の素である魔素、魔法が存在している、というのを証明しようと実験している際に事故を起こして自国であるジャポヌを消し去った。
――というのが世の人々が知っている内容だが、真実は違う。
検証実験の日。
確かにイチロウの手によって実験器具内に集められた魔素がエネルギー化して魔法を発現させたのは間違いない。
だが、ジャポヌが消えたのはこの実験のせいでも、イチロウのせいでもなかった。
当時、大学内にはイチロウも含めて4人の人間がいた。
彼らは実験しているイチロウ以外、各自自由に過ごしていただろう。
ある者は、今夜の食事をどうしようか、と悩んでいた。
ある者は、爆発でも起きて明日の授業が無くならないかな、と妄想していた。
ある者は、最近ジャポヌで面白いと流行りの『小説家になろうや』で国ごと異世界へ召喚される、という題材の小説を読んでいた。
そして、このタイミングでイチロウの実験器具内に集められた魔素がエネルギー化し、臨界点を突破。
運命の時がやって来た。
エネルギー化した魔素は一瞬で大学構内に充満し、全域で魔法を発現させる為のスタンバイ状態に。
魔法を発現させる一番の難関は魔素のエネルギー化であり、その後は簡単だ。
魔素が魔法に使う為のエネルギーへと昇華したのならば、次は『想像』すれば良い。
大学内に残っていた4人は願う。
――今夜の夕飯はラーメンにしよう
――かったりぃな。学校爆発しねえかな
――ジャポヌが国ごと異世界へ行ったらどうなるんだろう
そして、大罪人であるイチロウは願う。
――魔法よ。発現してくれ!
イチロウの願いをトリガーにして、大学内にいた4人の願い――魔法はこの世のモノとなる。
まずは夕飯を考えていた者の前にラーメンが現れ、次に大学が爆発。
この時、爆発しろと想像していた者は足元が爆発して爆死。ラーメンを食べようと思っていた者も数秒後には爆発に巻き込まれて死亡する運命だ。
次に異世界へ行ったら、と考えていた者だが、彼の想像がトリガーとなって『世界』に小説の中と同じような異世界が生まれた。
大学の爆発と同時にジャポヌ全体は大規模空間転移の準備へと入り、若干のタイムラグがあったもののジャポヌという国は異世界へ国ごと転移を開始した。
これが、1人を除いて誰も知らない『ジャポヌ消失』の真実。
肝心のイチロウはというと。
彼は大学が爆発した際に巻き込まれ、実験室の扉を突き破って廊下側へ吹き飛ばされた。
何が起きたのか理解できぬまま、彼は思う。
『魔法は存在したのだろうか。存在したのならば、魔法の全てを解き明かしたかった』
エネルギー化して未だ大学内に充満していた魔素はイチロウの思いに応える。
イチロウは異世界へと転移する魔法発現のタイムラグ――5分間の間に全てを知った。
魔法の存在。神の存在。宇宙の真理。
イチロウの求めていた答えが脳の中へと流れ込むが、人の身では真理の全ては理解できなかった。
しかし、今の状況がどうなのかは理解くらいの知識は得られ、この状況を引き起こした犯人も理解できた。
全ては自分が原因なのだ、と。
こうして、ジャポヌとイチロウは世界から姿を消す。
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異世界への転移中、空間の歪みへ吸い込まれるように行くジャポヌを元の世界へと戻そうとイチロウは転移魔法を試みるが失敗。
自分1人だけが元の世界へ転移してしまう。
さらには転移魔法の精度が甘く、時間もズレてしまったし、着地点は海の上――元々大学があった場所――になってしまった。
転移魔法という人の身には余る大魔法を行使したイチロウの体は限界を迎えてしまい、気絶しながら漂流しているところをアークエルに保護される。
アークエルに保護されたイチロウは、最初は密入国の類かと疑われてしまった。
仕方なく自分の身分を告げれば、ジャポヌ消失の調査と称して国の公安組織によって監禁。
爆発した際に受けた傷と転移魔法を行使した際の後遺症である頭痛を癒す間、アークエルの公安に事件の真相を根掘り葉掘り聞かれ、さらには魔法の事を教えて自分の立場を有利にしようと試みた。
自分は魔法使いという存在になったのだ、と見せてやれば早々に自分への待遇が悪くなる事はないだろうと考えたのだが、その考えは正解だった。
イチロウが傷を癒す間、彼はアークエル政府によって厳重に警備されながらも快適な生活を手に入れる。
魔法の使用方法を対価に、物を求めれば与えられる生活。
この生活の中で、イチロウはジャポヌを元の世界へと戻す計画を画策する。
まずはジャポヌへと転移し、ジャポヌへ渡ったら再び転移魔法でこの時代へと戻る。
全ては自分の研究が原因となったのだ。
ジャポヌを元の世界へ戻すのは自分の責任だと思っているし、何よりジャポヌにいる家族に会いたいという気持ちが強かった。
その想いを抱きながらイチロウは監禁場所の私室内で再び転移魔法を行使する。
これが『始まりの魔法使い』であるイチロウが世界から姿を消した真相。
――だったのだが、彼の運命は酷いモノであった。
結果から言えば、転移は失敗に終わった。
異世界を望んだ者によって作られた概念、表裏となっている世界、この世界が表とすれば世界の裏側へ自由に行き来するという行為は『真理』を垣間見たイチロウであっても不可能であった。
世界の境界線を越えるという行為は所謂、神の業。
人の身では起こせぬ奇跡だったのだ。
転移に失敗したイチロウは時空の狭間を彷徨い、イチロウが監禁されていた時から時間の経過した世界に再び放り出される。
放り出された場所はアークエル北東にある、リゾート地へ続く路上。
さらには大魔法を行使した後遺症で体が動かせず、喋る事も出来ない。視界はぼんやりとしているが、思考は正常。そんな状態であった。
動かない体を動かそうとするが無駄に終わり、ここで終わりかと思った時。
イチロウという男の人生にとって最悪の出会いが始まる。
「おい、何をしているんだ」
「社長。申し訳ございません。人が倒れておりまして……」
イチロウを拾った男の名はライゴ。
アルカディア工業の代表であり、後に世界を滅ぼす男であった。
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「彼は生きていますよ。しかし、寝たきり。所謂、植物状態というヤツですな」
ライゴはイチロウをリゾート地にある豪邸へ連れて行き、宗教組織の信者でもあるお抱えの医者を呼び寄せて診察させた。
「ふん。ならば病院に放り込むか。拾っただけでも感謝してほしいものだな」
その場で放置しなかったのは、放置したのをどこぞの週刊誌に写真でも取られたらマズイと思ったからだ。
倒れている男を助ければ善人のイメージも植えつけられるかもしれない、という打算もあった。
意識を取り戻せば謝礼の1つでも受け取ってから解放しようと思ったのだが、それも無理だとわかるとライゴは露骨に苛立ちを表す。
「まぁ、お待ちを。この男、使い道がありますよ」
そう言ってライゴの横にやって来たのは、ライゴの側近でもあり、ライゴを崇拝する信者でもある男。
ライゴと共にアークエルにある企業が行った新製品のお披露目パーティに同行していたアルカディア工業の技術部長だった。
「この男、見覚えがあると思ったらイチロウですよ。始まりの魔法使いであるイチロウです」
始まりの魔法使いといえば学校の教科書に出て来るほど有名な人物だ。
この時代では『突然現れ、突然消えた』という御伽噺のような存在になっているのだが。
「本当か? 何故、そう言い切れる?」
「私がアークエルの国営研究所で勤めている時に資料を見ましたから。極秘でしたけど、彼の写真付きだったんですよ」
「……仮にコイツが始まりの魔法使いだったとしても、植物状態じゃ使い物にならんだろう」
「ふふ。喋らなくても良いんですよ。始まりの魔法使いの脳だけあれば、脳の中にある情報を抜き取れるじゃないですか」
技術部長の口にした計画は現代において禁忌とされる技術だ。
人の脳をマナマシンに繋げて記憶を吸い出したり、命令に忠実なAIに変貌させたり……過去、技術部長が学会で提唱して国営研究所から『危険な思想を持っている』という理由で追い出される程の非人道的な技術。
しかし、その計画を聞いたライゴは邪悪な笑みを浮かべた。
「なるほど、なるほど。お前の計画を進めれば――私達が世界を征服できるな」
こうして始まったのがアルカディア工業と宗教組織による共同計画『ゼウス計画』だ。
イチロウの脳を使い、魔法という技術を完璧に行使するAIの創造。
人ならざる身であるAIとAIを支える最高品質のマナマシン。
計画の途中、オーソン大陸の街を魔法事故で吹き飛ばしてしまった事もあったが、完成したマナマシンとイチロウの頭部より取り出された脳は直接繋がり、人の身では行使できない大魔法すらも扱える人工的な神が誕生した。
ライゴ率いる宗教組織はゼウスの完成と共に世界を征服する計画を遂行し始めたのだが、ライゴ達にとっての誤算はイチロウの意識がリゾート地に運び込まれた時点から残っていた事だろう。
イチロウは抵抗できないながらも、彼らの計画を聞きながら思考は続けていた。
魔法の発見と引き換えに母国を異世界へ飛ばし、その責任も果たせず、挙句の果てには悪によって己の知識を利用される。
(これが私の罪なのか……)
最早、異世界へ飛んだ母国を救うのは無理だろう。
ならばせめて、自分を――ゼウスという人工の神を殺せる者を探さなければいけない。
イチロウは脳をマナマシン内に移植される前に魔法で自身の人格を保護。
脳を弄くられ、命令に逆らえないAIとしての裏側で保護した人格が暗躍し始めた。
魔素エネルギーによるマナネットワークに繋がり、現代のあらゆる機関にあるデータベースをハッキング。
そして見つけ出したのがアークエルという国にある魔法科学技術院に所属する一人の男。
(彼なら……彼らなら私を……)
神による、神を殺す計画はグレゴリー・グレイという研究者へ託された。