148 終わりの日
窓から差し込む陽の光と爽やかな春の風か頬を撫でる。
その感触と窓の向こう側から聞こえてくるマナリニアの走る音で秋斗は目を覚まし、重い瞼を開いて周囲を観察すると自分は自宅のベッドに寝ていたのだという事を思い出した。
賢者時代の終焉を乗り越える為に眠った魔工師、御影秋斗。
嘗てのアークマスター達が賢者・英雄として語られる、2000年経ったアークエル大陸に目覚めてから彼は多くのモノを東側の者達へ齎してきた。
奴隷被害者を苦しめてきた首輪の解錠、魔石を利用する新しい動力源、国境沿いに設置した絶対防御のシールド、失われた賢者時代の技術復活と継承……大きなモノから小さなモノまで様々。
彼が87歳になった今でも東側の住民がアークマスターへ向ける熱は衰えていない。
2000年後の世界に目覚め、この時代に生きて61年。
87歳という年齢は秋斗の体にとって大きな枷となっていて、最近のほとんどはベッドの上で寝たきりの状態で過ごす事が増えている。
体調不良の原因は心臓だとアドリアーナに診断されている。
これは病気というわけではなく、アドリアーナに言わせれば老化による臓器の劣化――所謂、人としての寿命というモノだと彼女は言う。
61年という年月にあった変化は自身の体だけではない。
仲間であったフリッツやセリオ、ヨーゼフは既に亡くなっている。
戦友であり、良き理解者であった親友のグレンも去年にこの世を去った。
秋斗の4人の嫁は健在。異種族であるエリオットやルクス、義弟であるアデルやリゲル達も元気に過ごしている。
友であるエリザベスも秋斗と変わりない歳ではあるが、東側一のデザイナーとして若手の育成を積極的に行っている。
イザークも健在であるが、彼も秋斗と同じいい歳だ。
80歳で王位を息子に譲ってから、隠居生活をしていたが認知症を煩って介護生活を送っていた。
友人達の死。それに老いて行くイザークを見る度に、自分の体なのにも拘らず満足に動かせなくなって寝たきりになっている現状を自覚する度に、自分にも『死』というモノが迫っているのだと感じる。
(ああ、今日は外に行こう)
しかし、今日はいつも以上に調子が良かった。
ベッドの上で普段は言う事を聞かない足を動かしてみれば、今日はやたらと機嫌が良いのだ。
そして、頭の中には王都を見て周りたいという願望で支配される。
見ておかないと後悔する、そんな強い想いが秋斗にはあった。
秋斗はベッドからゆっくりと這い出し、足を床につけてからありったけの力を入れて自力で立ち上がる。
老化によるバランス感覚の低下や足腰の悪くなった体は、立ち上がったとたんにふらつき始めるが手をサイドテーブルに置く事で倒れるのを阻止。
すぐ近くに立て掛けてあった杖を手に持って、自室を後にした。
「旦那様。如何なされましたか?」
杖をつきながらゆっくりと歩く秋斗へ声を掛けたのは御影家のメイド長であるアレクサ。
秋斗が目覚めてから専属メイドとなった彼女との付き合いも長いが、エルフ種である彼女の容姿はほとんど出会った頃と変わっていない。
「少し、外に行ってくる」
「左様でございますか。私も一緒に参りましょう」
「いや、少し散歩に出るだけだ」
「しかし……」
秋斗は屋敷の事で忙しいであろう、とアレクサに気を使っての発言だが、彼女にしてみれば何日も寝たきりの老人が単身で外に出るというのは恐怖以外の何物でもないだろう。
それが自身の主であるならば尚更。
せめて今外出している嫁達か、秋斗の孫が散歩に連れて行っているハナコとタロウが戻ってきてから行ってはどうか、とアレクサが提案するが……。
「大丈夫だ。今日は調子が良い」
「……かしこまりました。お気をつけて」
メイドの身分で主の意見を否定し続けるのもよくない。
結局はアレクサが折れる事となったが、秋斗の嫁である誰かに声を掛けようと思いながらも、出会った頃から変わらない綺麗なお辞儀をして秋斗を見送った。
秋斗が外に出れば庭師や門番が驚いた表情を浮かべるが、すぐにその表情は笑顔へと変わって「いってらっしゃいませ」と言ってくれる。
彼らは寝たきりだった秋斗が元気を取り戻したのかもしれない、と純粋に嬉しかったのだ。
それは彼らだけでなく、道行く先ですれ違う住民も同様であった。
「おや、賢者様! 元気そうじゃないですか!」
「ああ、今日はなんか調子が良いんだ」
杖を使いゆっくりと歩きながらであるが、アークエル王都の職人街へと足を伸ばせば顔馴染みの住人から声を掛けられる。
声を掛けた職人の男性や周囲にいる住民達も秋斗が最近は寝たきりだと知ってからずっと心配していたのだが、今日の様子を見れば一時的なモノだったのかもしれないと胸を撫で下ろす。
秋斗は話しかけてくる者達と一言二言話した後、職人街を抜けて一般街へ。
ここ数十年で一番様変わりしたのは一般街だろう。
ヨーゼフの夢であったマナリニアが東側全住民の足になってからは一般街東端に大きな駅が建設され、その周辺は便利な商業施設が所狭しと建ち並んでいる。
駅から伸びる大通り沿いも活気があって様々な商店が建ち並んでいるし、駅から荷物を配達するケンタウロス急便などの者達や別の街からやって来た者達が通りを進んで行く。
秋斗は活気溢れる大通りをゆっくり歩きながら駅を目指す。
その間、相変わらず秋斗に気付いた住民から声を掛けられていた。
「ここもデカくなった」
秋斗が辿り着いたのはアークエル王都駅。
友であるヨーゼフが設計建設したアークエル王国初の駅。
すっかり住民の足としても、物流の要としても定着したマナリニアは年々走る本数が増えていおり、既に7台のマナリニアが製造されていた。
それに伴い、ヨーゼフの残した駅はデザインをそのままに拡大工事が何度も行われて、今ではアークエル王国一大きな施設だ。
周囲を見渡せばマナリニアを利用しようと駅へ向かう者、別の街から王都へ到着したマナリニアから降りて来た者、駅の構内にある売店へ品物を卸しに行く者など。
マナリニアの実用化によって起きた一番の恩恵は、今までは気軽に足を伸ばせなかった地方都市が活性化した事だろう。
ヨーゼフが亡くなる1週間前まで常に改良を試みていた魔石炉のおかげで、東側の東端にあるラドール旧王都駅まで特急車を使えば僅か30分で到着するのだ。
各地方にある旧王都駅のみに停車する急行を使えば東側全旧王都を巡っても3時間。
秋斗が開発したリアクターや賢者時代にあった魔素貯蔵ユニット無しで、ここまでの移動性能を得られたのは偏にヨーゼフの情熱の努力があったからだ。
東側の都市活性化に関しては間違いなくヨーゼフが一番の功績を残していると言える。
秋斗は駅の前にある小さな公園のベンチに座り、既にいない友の作った駅を眺めながら一休み。
公園で遊んでいた子供達に話しかけられ、それに応えた後に再び腰を上げて歩き出した。
次に向かったのはアークエル技術学園。
建設当初の技術学園は魔法科学技術院跡地内にあり、魔道具生産を行う研究所と併設されていていたのだが技術学園に入学しようとする生徒が年々増えたのもあって場所を移している。
新校舎の作られた場所はレオンガルド王立学園改め、アークエル国立学園の隣だ。
13年前に技術学園の移設に伴って王立学園の方も改装され、現在はどちらも綺麗で新しいデザインの校舎になっている。
同時に生徒には身分差別の無いように――元々あまりそういったトラブルは無いが――制服着用というルールが導入された。
これを導入しようと熱く提案したのは勿論、エリザベスだ。
賢者時代にあった様々な制服を復活させ、秋斗の子供達をモデルとして行ったファッションショーは好評だった。特に孫が大好きな爺様に。
そのせいもあってか、新校舎の開放と共に制服の着用が始まったのだ。
そんな昔の事を思い出しながら歩いていると、例の制服に身を包んだ学園生徒が校舎から出て門を潜って外へ出ていた。
どうやら既に授業は終了して帰宅時間のようだ。
学園の門へ近づいた秋斗であったが、学園生徒に即座に顔がバレて声を掛けられた。
「学園長だ!」
「ほんとだ! 学園長先生!」
何名かの生徒が秋斗へ駆け寄りながら彼を学園長と呼ぶ。
最近は寝たきりだったので学園に顔を見せていないが、未だ秋斗は技術学園の名誉学園長という役職を持っている。
さすがに実務はこなせないので息子であるフィルが業務をこなしているのだが、こうして普段接点の無い若い世代からも声を掛けられるというのは、様々な事を成し遂げてきた秋斗の人気は未だ衰えていないという証拠だろう。
「気をつけて帰るんだぞー」
彼らと少しだけ話した後、学園の生徒達は家の手伝いや仕事があると言って帰って行く。
若者達の背中を少しだけ見つめた後、秋斗は再び歩き始めた。
行く道の先々で声を掛けられ、それに応えながら辿り着いた場所は叡智の庭と呼ばれる場所。
親友達と師が眠る場所でもある。
ここへ来る事を選んだ理由は秋斗本人もわからない。
ただ、足が自然に向かった先がここであった。
ここに埋葬されるのは賢者時代に生きていた者だけ、という決まりだ。
勿論、秋斗はそんな事は気にしていないのだが、賢者教の教えでそう決まっているようなのだからあまり口出しはできない。現代人が良いと思ってればそれで良いのだろう、くらいの認識だ。
故に、ここに埋葬されて墓標が立てられているのは16。
グレゴリーによって選ばれ、アドリアーナと共に異種族を生んだ13人。
その13人に加えてアークマスターであったグレゴリーとケリー。
そして、同じ時代に目覚めた親友。先に逝ってしまったグレンの墓が追加されている。
(ふう、流石に歩き疲れたな)
秋斗は彼らの墓の対面にある桜の木に寄りかかるようにして座り込む。
寝たきりの状態だったにも拘らず、調子が良いからと散歩までしてしまったのだ。
若い時ならともかく、流石にこの歳で王都を歩き続けたのだから座り込んでしまうのも仕方がない事だろう。
ふうふう、と深く息をしながら老いた体の胸を上下させる。
それを繰り返し続けて体を落ち着かせながら、秋斗は目の前にある墓標を眺める。
先に逝った友の墓を見れば、嫌でも理解できるのだ。
自分が今日歩けたのは、歩いて王都を見て回れたのは、先に逝った者達への土産話を作りたかったからだと。
ドクンドクン、といやに心臓の鼓動が頭の中に響く。
(俺は……未来の子孫に遺産を残せたのだろうか)
グレゴリーの見た未来。
それに向けて秋斗やグレン、アドリアーナや王家達は残りの人生を費やした。
未来の子孫が死なないように。未来の国民が少しでも悲しまないように。
愛した女性との間に出来た可愛い子供達。おじい様と慕ってくれる孫達。
(あの子らが悲しまない未来を迎えられるのだろうか……)
賢者時代の技術を使えばアドリアーナのような半不老不死の体を手に入れることは可能だ。
秋斗が目覚めた頃と違い、今では技術力も相当に高くなった。
人としての幸せを得て、人として死になさい。
そう秋斗へ言ったのはアドリアーナだ。
過去も未来も共に過ごしてきたアークマスターの仲間であるアドリアーナの言葉と約束を違えるつもりはない。
だがその結果、子供達を見守れないのは残念に思う。
(あの子達は大丈夫なのだろうか……)
桜の木に寄りかかって座り込む秋斗の頭の中で、いくつもの不安がぐるぐると巡る。
『お互いに手は尽くした』
ふいに思い出すのはグレンが死ぬ前に残した言葉だ。
(そうかな。まだまだ、手が掛かる子らなんだ。いつまで経っても可愛くて……)
ドキンドキン、と心臓の鼓動が強くなるのを感じながらも秋斗は心残りである子供達の事を考え続ける。
(あれもやって、これも作って……ああ、心配だな。リリ達もだ。何だかんだと子供の事になると慌てるから……)
ドキンドキン、と鳴っている心臓は徐々に弱まっていく中、春の陽気のせいか、歩き疲れたせいか――秋斗は睡魔に襲われる。
睡魔に抗いながらも頭の中に映る映像は、この時代に目覚めてから出会った人々の1シーンだ。
友であるイザーク達と男同士の親睦を深めたり、王達に武器を作ってあげたら国宝認定されたり。
小さい頃の子供達と共に遊ぶ風景も、2度と見たくないと思っていた愛する娘が嫁に行く風景も。
楽しかった思い出、苦い思い出が次々と掘り起こされるが、最後に浮かんでくるのは4人の嫁達だ。
リリの妻宣言、ソフィアの急な婚約、オリビアと模擬戦したら妻になる宣言、トラウマを抱えたエルザが顔を真っ赤に染めながら自分を好きだと告白するシーン。
この時代に目覚めるまでは、自分に家族ができるなど思ってもいなかった。
そして、自分と家族になってくれた4人の愛する妻。
どくん、どくん、と心臓の鼓動が弱まるにつれて、大好きな妻達の愛らしい笑顔が頭の中に浮かぶ。
「秋斗?」
ふと、リリの声が聞こえた気がして顔をゆっくりと声の方向へ向ける。
すると、そこには睡魔の見せる幻なのか、現実なのかは定かではないが4人の妻達が立っていた。
秋斗からも声を掛けようとするが、うまく口が開けられない。
どうしたものか、と思っていると体が何かに包まれる感触。
――きと、あきと――さま――さま――だんな、さ――
妻達が何かを言っているようだが、それも聞こえない。
辛うじてわかるのは頬に何か冷たい水が当たっている、という事だけだ。
確かめようにも、もう意識の8割は睡魔に負けてしまっていて口も顔も動かすことができず、瞼も閉じたままで開くことが出来ない。
(リリ、ソフィア、オリビア、エルザ、家族になってくれてありがとう……)
秋斗は仕方なく、心の中で4人の妻達の名前を1人1人呼びながら感謝の言葉を浮かべる。
(どうか、どうか、幸せになってくれ……)
とくん、とくん、と鳴っていた心臓の鼓動は鳴りやむ。
穏やかな春の日差しが差し込む桜の木の下で、嘗ての仲間達の墓標と4人の妻に見守られながら――
御影秋斗は人生の幕を閉じた。
あと5話くらいで終わります