116 新刊発売日
本日、レオンガルド王都には建国以来最大の入場者数を記録した。
東側各街からは未だ続々と人がやって来ていて、王都入場門には長蛇の列が形成されている。
王都騎士団は全隊が駆り出され、王都入場門でいつも2列で行う入場検査が4列になり、街の外に並ぶ者達を魔獣から守るために警備する騎士が常に常駐。
後日囁かれた噂では、1つの街に住んでいた1000人のうち900人が一斉に移動したため、街が一時期ゴーストタウン並みに静かになったという。
因みに残った100人は街の防衛をする騎士と傭兵、領主である。
これほどのまで人の大移動、人がレオンガルド王都へ押し寄せている理由は1つ。
「魔工師英雄譚の新刊をお求めの方はこちらに並んでくださああああああい!!」
「整理券を配っているので並んでくださあああああい!!!」
そう。魔工師英雄譚――偉大なる賢者 御影秋斗の軌跡を綴った新刊の発売日であった。
ケリーの描いた賢者英雄譚より1000年。
賢者英雄譚はリメイクを重ね、既に20冊以上の数を出版しているが遂に完全新作が発売されるのだ。
この報は東側各地にすぐさま知らされた。
街の掲示板に張られたレオンガルド王都からの電撃発表を見た東側全住人達は、まさに体に電流が流れる如く。
大ファン達は仕事を休み、ある者は開業から1度も休んだことの無かった店を閉め、賢者教の信徒は身を清めてレオンガルド王都へ駆けた。
レオンガルド王都まで続く街道は人で溢れ、魔獣すらも近寄らない程の人、人、人。
それがレオンガルド王都に押し寄せる人の正体、目的であった。
「すげえ~」
「都会ってすげえ~」
田舎と呼ばれる王都から離れた街からやって来た者達は建物の数と人の数、そして街中に掲げられている広告に目を奪われる。
魔工師 御影秋斗 英雄譚 ~覚醒の書~
本日、満を持して発売ッ!!
と、プラカードやら立て看板やらが其処彼処に出されているのだ。超大アピールされているのだ。
そして、出版商会である店の前から続く長蛇の列。
「飲み物、串焼きはいかがっすか~」
商魂逞しい者は長蛇の列を形成する人相手に商売を始め、いつもの10倍以上の売り上げを記録。
この列を見た良識ある者は出版商会の横に店を構える者達に迷惑が掛かると思うだろう。
しかし、その商会の店主も店を閉めて3日前から並んでいるので問題は無い。むしろ王都の商会の8割が店を閉めているので問題無い。
今回の新刊は印刷機という現代人にとっては夢のマナマシンで大量印刷された本なので十分に量を確保しているし、フォンテージュ商会による高速輸送で印刷用の紙がラミア農家から送られているので重版しようと思えばすぐに出来る。
今日、買えなくてもいつかは各街に入荷されるので王都に来なくても買えるのだ。
しかし、何故彼らは並んでいるのか。
それは新刊発売日初日に限り、主人公である魔工師・御影秋斗とその親友である軍将・グレンとのサイン & 握手会も開催されるからであった。
因みに、新刊の作者はソフィアで企画は王家一同である。
まさかの婚約者が作者で親戚一同が企画を考えるという。
この企画を聞かされた際、秋斗は巻き添えを食らったグレンからめちゃくちゃ睨まれた。
魔獣がエサを求めて活発化する時期と重なった発売イベントであるが、各街には貧乏くじを引いた騎士団と傭兵が残っているので心配は無い。
さらには各街の賢者教会に所属する上位階級の者も今回は参加していない。
勿論、魔獣からの防衛に街へ残ってくれた人には特典が用意されている。
印刷機で刷った新作が街に届けられれば、彼等は無償かつ優先的に手に入れられるのだ。
握手会に参加できない分の補填は秋斗とグレンの直執サイン入りの本と2人の手書きメッセージカード付き。
王都へ行っても整理券分しか無いので確実性には欠ける分、こちらの方がお得と選択した者も多い。
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「どうしてこうなった……」
「俺に言うなよ……」
本日の主役である秋斗とグレンは出版商会の店内入り口に設置された特設スペースで椅子に座りながらうな垂れる。
机の上には大量の本が積み重ねられ、彼らのすぐ近くにはサイン用の羽ペンとインク壷。
「秋斗様。グレン様。そろそろお時間です」
「そろそろ店を開けますよ」
作者兼、企画の責任者に任されたソフィアとエルザは2人に声を掛けた。
リリとオリビアは店先で警備する係りだ。主に女性客から。
「開店しますッ!!」
出版商会の店主が気合の入った声で叫び、店の入り口ドアにつけられたカギを開ける。
扉を開くと人々の喧騒が2倍ほど膨れ上がって聞こえた。
「押さないで」
「整理券の順番通りに! 順番を抜かせば問答無用で列の最後に連れて行くぞ!」
リリとオリビアが警備を始め、列の途中でも王都騎士団の騎士が列に並ぶ者達へ注意を叫ぶ。
そんな客達の熱気に気圧されていると、列の1番目の者が入店。
秋斗とグレンの横に立つ出版商会の店主から本を受け取り、金額通りの金を払う。
そして、秋斗とグレンの前に立った。
「大ファンですッ! 軍将様もお会いできて光栄ですッ! 新刊を読んで軍将様の活躍も目に焼き付けます!!」
1番目の男性は隣の店の店主だった。
「お、おお……。ありがとう」
秋斗はサラサラと本の1ページ目にある白紙ページにサインをして握手。
「あ、ありがとう……」
続けてグレンも秋斗のサインの下に自分のサインをして握手。
「くぅ~!! 生きてて良かったああああ!! もう今日から手、洗いません!!」
「はい、次の方もいらっしゃいますからね。終わったら速やかに出て下さいね~」
興奮しながら感想を叫んで秋斗とグレンの前から立ち去ろうとしない男に、出版商会の店員が店から出るよう促して出て行かせた。
「彼はいつでも会えるんじゃ……?」
「俺、1週間前くらいに買い物に出た時に話したぞ」
王都住まいなのだから、秋斗が街で買い物する姿も見ているし話した事もある間柄なのに、あの興奮する様が何とも不思議に思う2人であった。
来店第1号が済んだ後も続々と客は現れる。
下は7歳の少女から上は700を越えるエルフの老人まで。
その中には握手して泣き崩れる者や実は自分は2人の弟です、などと意味不明な事を言う者もいたが警備の騎士に連れて行かれていた。
様々な人が本を買いに来る中で、秋斗とグレンは腱鞘炎にならないか不安になりながらサインと握手を続けた。
そして、初日分として用意された1000冊を売り切り、買いに来た全員にサインと握手をした2人は夜になってようやく解放された。
2人は途中途中で休憩時間もあったが流石に1000人分のサインをすれば手首に多少の痛みを感じる。
「ああ……疲れた」
「全くだ……なんでこんな事に……」
2人は机に突っ伏してブツブツと呟くことしかできない。
「帰って早速読む」
「ああ、私達も出ているしな」
「楽しみですね。父達も朝から読んでいるみたいですよ」
疲労困憊になっている2人に比べ、婚約者達は未だ元気だ。
グレンの傍で警備にあたっていたジェシカも取り置きしておいて貰った本を店員から受け取り、キラキラした目で表紙を眺めていた。
彼女の心の中ではグレンの活躍が書かれたグレンがメインの本が出るのも楽しみにしているのだろう。
因みにそちらも準備中である。
「ソフィア様。本日はありがとうございました。次の新作が出来たときも是非に」
「ええ。もちろんです。次の企画も頼みますね」
ソフィアと店主の話し声が聞こえた時、秋斗とグレンは印刷機を本気でぶっ壊そうか悩んだ。