勇者パーティーに選ばれました*
雲一つない青空に突如ぽつんとした黒いしみができる。
その黒いしみは生きているかのように徐々に大きくなっていき、青空にゆっくりと広がっていく。夜のような美しい黒ではない。何かが混ざり合った汚れたような黒い雲だ。重苦しい色の雲が生きているようにうごめいた。中心になるほど黒がギュッと凝縮されて濃い色をしている。始まりにあった黒は徐々に地上に伸び、柱のようにそびえたった。
動物たちが黒い柱から少しでも離れるように一斉に走り出した。本能的に恐怖した動物たちは狂ったように走るが、足の遅いものはゆっくりと広がった黒に捕らわれる。
もがく動物の体が黒に覆われた。ひくりと体が痙攣した後、動物の体が膨張し、魔獣へと変化する。次々に間に合わなかった動物たちが魔獣へ変化していった。
魔獣になるまでの時間はわずか数分。
動物たちの住む森や高原は魔獣にあふれかえった。
「ああ、魔王が誕生した」
黒くなった空を見つめていた一人が呟いた。皆作業する手を止め、突然出来上がった黒い柱を茫然と見つめる。
「勇者が召喚される……!」
この世界は魔王が生まれる世界。
その仕組みはよくわかっていない。ただ、50年から100年の周期で繰り返される。魔王誕生の印は空。空を突き抜けてしまっているのではないかと思えるほどの黒い柱が立つのだ。今見えているような黒い柱が。
この闇の柱は放っておくとどんどん広がり、いずれは世界を飲み込むという。
闇に飲み込まれた世界に住めるのは魔獣だけ。人間は住むことはできない。魔獣に変わっていくとも、魔獣の食料になるとも言われている。
事実はどうであるかはわからない。すでにおとぎ話となってしまっていた。ただ、そうならないようにと魔王の柱ができた時に勇者を異世界から召喚する。
何故、異世界から召喚するのかわからない。でも神の力によって呼ばれた勇者は確実に魔王を倒す力をもっていた。勇者の剣と名付けられた剣を扱えるのも勇者だけだ。
勇者とそのパーティーは魔王を殺すことができる唯一の手段。
******
驚きすぎると、何となく違うことを考えたくなる。
例えば今日の夕飯に使う食材のこととか。
どうでもいい明日の起きる時間とか。
「ミーシャ、現実に帰っておいで」
遠くを見つめているわたしの体を優しく揺らすのはお母さんだ。仕方がなく、仕方がなくお母さんに視線を向ける。お母さんはとても心配そうにわたしを見ていた。震える手で握りしめてしまった手紙をそっと取ってくれる。
お母さんは優しくわたしの頭を撫でた。いつもなら子供じゃないんだから! と突っぱねているが今日はお母さんの温かさが欲しかった。
「お母さん」
じわりと涙が出てきた。
「諦めるしかないよ。これは神託なんだから」
「うん、わかっているよ」
神託は絶対。
この世界には魔王がいて、魔王が発生したら即座に討伐するのがこの世界の決まりだ。わたしが嫌だと言ってもやめられない。
それでも嘘だと言ってもらいたくて、お母さんに縋りついた。
あと半年で結婚だった。今は新居の準備を二人で色々としていたところだ。二人で使う寝台のカバーを作ったり、カーテンを縫ったりしていた。今日だって購入する家具を見つけるために隣町まで出かける予定だった。二人で暮らす家の準備もだんだんと形になっていっているというのに。
毎日が楽しくて、毎日が輝いていて。それなりに大変なことも多いけど、彼と二人ならきっと超えられると思っていた。二人でそう信じていたのに、あっさりと越えられない現実に打ちのめされた。
どうして。
どうしてわたしなの。
「ミーシャ!」
扉が乱暴に開いた。飛び込んできたのはわたしの婚約者のギャレットだ。話を聞いて走ってきたのか汗を流し、息を荒くしている。わたしは彼を見ると、すぐに彼の胸に飛び込んだ。
「どうしよう」
「どうしようも何も……」
ギャレットは悔しそうにつぶやいて、わたしをぎゅっと抱きしめた。
「離れたくないよ」
「俺もだ」
そう思っていても、明日には別れなくてはいけないことは二人ともわかっていた。この世界で神託を無視するなんて、大罪だ。
もし、我を通した場合にどれほどの処罰が待っているのか。自分だけではない。家族や友人たちも処罰対象になるかもしれない。世界を敵に回すなんて、魔王以上に恐ろしい。
「今日は……今夜は別れを惜しんでもいいでしょうか?」
わたしを王都まで召還する手紙を持ってきた使者に向かって尋ねた。使者はわたしとギャレットの様子を見て気の毒そうにしている。きっと彼はわたしの気持ちを思いやってくれているのだろう。
「ええ、ええ、もちろんです。ほんのわずかな時間ですが……。明日の朝にお迎えに上がります」
「ありがとうございます」
わたしとギャレットは使者の心遣いに頭を下げた。使者は軽く頷くと、村長宅にいると告げて去っていった。
「ギャレット、ごめんなさい」
「何も言わないでいい。さあ、中に入ろう」
促されて、二人の新居となるはずだった家に入る。部屋の中は所狭しと置かれた新しい二人の生活用品がある。どれもこれも二人で選んだものでとても思入れのあるものなのに、ひどく色あせて見えた。
「俺、待っているよ」
ギャレットが部屋に入るなりわたしを優しく抱きしめて、呟いた。何度も何度も髪を撫でつけ、口づける。
「嬉しい。気持ちだけで十分よ」
「ミーシャ」
悲しそうな声で名を呼ばれて、少しだけ離れた。見上げれば今にも泣きそうな彼の顔がある。いつも笑顔を浮かべているのに、今日はどこか苦しそうな歪んだ表情をしていた。
ああ、辛いのは私だけではない。
「生きて帰れるのかも、いつ終わるのかもわからない。わたし、ギャレットには誰かと幸せになってもらいたいわ」
魔王討伐には時間がかかる。そして勇者パーティーといえども無事に帰ってこられるのは半分の確率だ。いつ死ぬかわからないし、いつ討伐が終わるかもわからない。そんな不安定な状況なのに待っていてほしいと言えるわけがない。
「ミーシャ」
「それに、ギャレットも知っているでしょう? 魔王討伐が終われば、勇者パーティーのメンバーは勇者の花嫁になるって」
涙が溢れた。わたしがどんなにギャレットが好きなのか、愛しているのか、一晩中語っても語り切れない。
ギャレットとの出会いはわたしが今から8年前の8歳の時だ。母親に連れられてこの村に引っ越してきた。ここに引っ越したのは祖母が住んでいたから。ギャレットは村長の息子で、とても大らかで優しかった。
街から引っ越してきたわたしは当初遠巻きにされていたのだが、ギャレットがなんだかんだと村に連れ出してくれた。そのおかげで、徐々に村人と距離が縮まった。
そんな頼もしい彼を好きになるのなんてあっという間だ。でも、ギャレットはこの辺りの村ではかなりの人気者だ。ギャレットを狙った女どもは沢山いた。
「こんなひどい運命があるなんて……」
ギャレットは呻くように呟いた。嘆いたって仕方がない。だけど今日ぐらいは許されると思う。
ぐずぐずと自分の不運を嘆いていると、躊躇いがちに扉が叩かれた。
「ミーシャ、いるかい?」
「お母さん」
母親の呼びかけに仕方がなくギャレットから離れ扉を開けた。母親は気まずそうにしながらも、ちらちと外を見るようにと促してくる。そっと母親の背後を覗き込めば、村中の人たちが集まっていた。
「みんな……」
「ミーシャ聞いたよ。おめでとうと言っていいのか……」
複雑そうな表情であるのは、わたしが勇者パーティーに選ばれたことは喜ばしい、だけど、ギャレットとの結婚がなくなったことは気の毒、といったところか。
「仕方がないです。でも、わたし、皆さんのために頑張りたいと思います」
そう、魔王討伐は誰かがしなくてはいけないことだ。自分がその力を与えられたのならば、皆を守るために頑張るしかない。世界はよくわからないけど、この村は大好きだ。守りたいと思う。
「ミーシャ」
皆に囲まれながら、一人の女性が出てきた。ジョアンナだ。わたしと同じ年で何かと張り合ってきた良きライバルだ。彼女は殊勝そうな顔をしているが、私は気が付いていた。彼女の目には飢えた肉食獣の光があった。
この女……!
内心、舌打ちをする。弱ったところに付け込んで、ギャレットを手に入れるつもりだ。それは許せないと思った。いずれギャレットもわたし以外の誰かと結婚するだろう。だけど、その相手がジョアンナでは駄目だ。わたしが心からギャレットの幸せを願えない。
ジョアンナは自分のなすべきことを知っている。ギャレットに酒と薬を盛って、豊満な肉体を使って既成事実を作ってしまうに違いない。婚約者がいるというのに、豊かさを通り越して肉の塊のような胸を強調している下品な女なのだ。
「村長様」
わたしはギャレットの父親に声をかけた。うるりと涙を浮かべ情けない笑顔を作る。
「なんだい、ミーシャ」
「わたし、自分の結婚が駄目になってしまいました。でも、友人の幸せな姿は見たいと思います」
何を言い出すのかと村長は眉を寄せる。ギャレットに狙いを定めたジョアンナも意味が分からず目をぱちぱちとさせた。
わたしはぐるりと皆を見回した。
ここには村の人々がほとんどいる。そしてギャレット狙いだった、わたしが蹴落とした何人かの女性も。目の前にいるジョアンナもギャレット争奪戦から離脱した女たちも今では婚約者がいる。
「友人たちは婚約しているでしょう? みんなの結婚を見届けてから王都に行きたいわ」
「ああ、それはいい。少しでも気持ちを奮い立てることになれば」
わたしの思惑を知らない村長が素直に頷いた。それもそうだろう。わたしとギャレットが半年後に結婚することになっていたが、その前にほとんどが結婚する予定だったのだ。それが多少早まったところで変わりはない。
「では今夜はミーシャの門出と彼女の友人たちの結婚祝いの宴をしようではないか」
「え……」
ジョアンナが絶句する。わたしは内心笑いながら、ギャレットに寄り添った。
「今夜までわたしの婚約者でいてください」
「ああ、もちろんだ」
ギャレットは先ほどよりも落ち着いていたが、その瞳にはわたしとの別れを悲しんでいる。
「では、俺も準備を手伝ってくる」
ギャレットがちゅっと頬にキスを落として、村の人たちと準備に行ってしまった。
「このクソ女」
小さな罵る声がして、そちらを向く。にやりと笑ってやればジョアンナが悔しそうにした。目を吊り上げて、顔を真っ赤にして怒っている。
うふふ、やっぱり婚約破棄してギャレットを手に入れるつもりだったわね。そうはさせないわよ。
「何を言っているのかしら? わたしは友人たちの幸せを願っているわ」
「さっさと王都へ行っちゃいなさい!」
「言われなくとも」
ジャレットは全身で怒りを表現しながら去っていった。その後姿を見送って、ため息を付いた。
こんな日常も今日で最後だ。わたしはここに戻ってくることはないだろう。
そう思うと寂しさが一気に胸に迫ってきた。