第13集《彼女の大好物は寒天ゼリー》
ふふ、 いらっしゃいませ。ふふふ。
ん? 何ニヤニヤしてるんだって?
今日面白い夢を見てね。聞きたい? 聞きたい?
しょうがないなぁ。そんなに聞きたいなら教えてあげましょう。
何と、黄色い熊さんが笑顔で空を舞い踊る夢を見たのさ!
おいおい。何だよその顔は、聞いて損したって顔してるんじゃないよ。全く。
早く今日の話をよこせって? 分かったよじゃあ今日はこれ。
ねえ、寒天ゼリーって食べた事ないけど美味いのかね?
☆☆☆☆
それは二月十六日の夜の事だった。
多くのサラリーマン達が、仕事を終えて帰宅ラッシュという戦いに臨もうとしていたその時、同時に多数の同じ場所から110番に入った。
「突然鬼の格好をした人が現れて人を襲っています!」
「化け物だ! 化け物が人を食っている!」
「友達が、友達が目の前で食われて――こっち来た助けて!」
にわかには信じられないような内容だが、警察は即座に行動を開始。
通報のあったビルの周辺を封鎖して、誰も出られないようにしてから専門家の到着を待つ。
封鎖完了から十分後。二台のトラックが到着。一見すると普通のトラックだが、コンテナ部分が改造された輸送車であった。
コンテナから現れたのは完全武装した男達。一つのコンテナから六人ずつ降りて来たので計十二名だ。
全員が自動小銃を装備していて、とても物々しい雰囲気を醸し出している。
警察官達も、現れた男達の姿に息を呑む。
トラックから降りて来たのは超常現象対策局。通称、超象対に所属する実働部隊。
彼らの任務は、ビルの中に取り残されている人を救出する事だ。
実働部隊はビルの見取り図をもらい、人がいるであろう場所を何箇所か候補をつけて、内部に突入する。
突入から五分後に銃声が聞こえたものの、それから自体は進展しないまま十五分が過ぎようとしていた。
「くそっ!」
一人の黒ずくめの男が曲がり角から顔を出しながら小さく舌打ちをした。
彼の名前は鎧熊武。
その名の通り、鍛え上げた筋肉を鎧のように纏い、髪は短く刈り上げ、もみあげから顎まで繋がった彫りの深い顔はまるで熊のよう。
鎧熊はある大男に視線を注いでいた。いやそれは人と言っていいのかどうか。
身長百八十センチの鎧熊以上に大きく、三メートルはありそうだ。
服は着ておらず、肌は墨のように黒く、腹が醜く突き出ているのに、腕は筋肉で丸太のように太い。
赤い目は爛々と輝き、口からは二本の伸びた牙が見える。
だが一番目につくのは額だ。大男の額から、金色の二本の角が天を衝くように伸びていた。
鎧熊が視界に捉えているのは人間ではない。オーガと呼ばれる異世界の化け物だった。
いつからか分からない。何百年あるいは何千年も前から、人類は化け物どもと密かに戦いを続けている。
鎧熊の所属する超常現象対策局も異世界の化け物に対抗するための組織である。
オーガは鎧熊に見られているとは気づいていないようだ。
赤く染まった廊下にどっしりと腰を下ろし、手に持った肉を口に運んでいる。
鎧熊は目を離さずに無線のスイッチを入れた。
「本部聞こえるか?」
『聞こえている。そちらの状況は?』
「変わらず最悪だ。俺以外の仲間は全員化け物に殺されて、奴の夕飯にされてるよ!」
オーガは鎧熊の同僚を殺し、その死体を喰らっていたのだ。
「俺ひとりではどうにもならん。エージェントの到着はまだか?」
エージェントとは、異世界の魔物に対抗できる唯一の存在のことである。
世界中に百人しかおらず、この日本にも三人しかいない。
『フライドチキンとザルソバは他の任務についていて派遣できない』
「あいつとは連絡取れないのか?」
『カンテンとはついさっき連絡が取れた。大至急向かっている。それまで何とかして生き延びろ』
フライドチキンやザルソバ。それにカンテン。何ともふざけた名前だが、れっきとしたエージェントのコードネームだ。
「了解。それまで何とかして生き延びてやるよ。通信終わり」
鎧熊は無線を切って銃の残弾を確認。持ってきた弾はほぼ撃ち尽くし、残っているのは銃に装填された三十発のみ。
あとは予備の拳銃にナイフ。とても頼りない。
「だが、見つからなければ何とかなる……か」
装備の点検をして、もう一度オーガの様子を見た時、思わず固まってしまった。
化け物と目があったからだ。
オーガが手に持っていた肉片を捨てて立ち上がった。
鎧熊は脇目も振らずに一目散に逃げ出す。
彼は元自衛隊員で、何度か実戦を体験しているが、それでも化け物と正面から戦うなんて選択肢は、最初から頭になかった。
「はあっはあっはあっ。クソが!」
鎧熊は息を切らしながら走る。鍛えているとはいえ彼はもう四十歳。寄る年波には勝てないのだ。
重い装備を身につけ、槍のように長い自動小銃を含めると総重量十キロを超える。
そんな状態でも、何とか彼の鍛えた身体は、文句ひとつ言わずに動いてくれる。
(明日は絶対筋肉痛だな。生きていればだが!)
鎧熊は時々後ろを振り返って、追ってくるオーガの足止めをすることも忘れない。
足を止め、銃を構え、光学照準器の赤い点を化け物の頭に合わせて引き金を引く。
発射された弾丸はオーガの顔面を捉える。
だが、オーガは止まらない。顔に穴が空いても御構い無しに追いかけてくる。
更に二発撃ち込むが、止まらない。内一発は金の角に弾かれてしまった。
「銃弾弾く奴と、どう戦えって言うんだ!」
鎧熊は仲間の死体を飛び越えてると、弾切れになった自動小銃を捨てて、無線のスイッチを入れる。
「おい。こっちの武器がなくなった。エージェントはまだか!」
『もう少しだ。既に現場に到着してそちらに向かっているはずだ』
「早く来るように伝えろ! ぐわっ」
突然背中を強打されて、硬い床の上に倒れる鎧熊。
その手がヌルッとした感触に触れる。
「何だこりゃ……血なのか?」
手に付いたものは血液だった。だが自分のではない。何故なら出血するような怪我をしていないからだ。
何故血がついたのかすぐ分かった。自分の背中を強打したのが、同僚の死体だったからだ。
オーガが投げつけたのだ。
化け物は大きな左手で鎧熊の胸元を掴んで持ち上げる。
「ぐあああああっ」
掴まれた所に激痛が走るが、オーガは御構い無しに更に力を込めて来る。
骨が音を立てて軋む。あと数秒もすれば粉々に砕けてしまうだろう。
(……ここで終わりか)
霞む意識の中でそんなことを思っていると幻聴が聞こえてくる。
「今、助けます」
そんな言葉が聞こえた直後、鎧熊は重力に引っ張られて、自分の身体が硬い床に落ちたのを感じた。
同時にオーガの千切れた左腕も落ちて来る。
「遅いぞ。カンテン」
鎧熊を守るようにオーガの前に立ちふさがったのは、一人の女子高生だ。
腰まで伸びた艶やかな黒髪に、喪服のような漆黒のセーラー服を着ている。
見た目は普通の女子高生にしか見えないが、両手には指から肘まで覆う銀色のガントレットを装備していた。
「すいません。就寝中に起こされたもので、準備に手間取りました」
カンテンは淡々と感情がこもっていない喋り方で遅れた理由を述べる。
「あとはお任せください」
カンテンは左手を前に突き出し、右手を腰のあたりに引いて構えた。
「頼むぜ」
薄れる視界の中で、オーガが断末魔の悲鳴を上げていく。
カンテンの細腕からは想像もできないほどの力で、オーガの身体に穴を開け、骨を砕いて、引きちぎる。
見ている方が可愛そうなほどだ。
それでもカンテンは容赦せず、仰向けに倒れて四肢を失ったオーガにマウントポジションを取ると、ガントレットをつけた両拳を何度も何度も振り下ろす。
殴られて潰れた顔は、ただの肉の塊と化して、まるで肉団子のように原形をとどめていなかった。
カンテンはオーガの角を二本とも折ると、トドメとばかりに肉団子と化した顔に力を込めて突き刺した。
化け物が死んだのを確認して、カンテンが
マウントポジションを解いた。
血と肉片で赤く染まった彼女は、まるでこの世に降り立った美しい死神のようであった。
化け物が退治され、警察がビルに入るのと入れ違いで、救助された鎧熊は救急車に乗せられていた。
もちろんここまで運んだのはカンテンだ。
「助かったぜ。カンテン。だが、お姫様抱っこはもうやめてくれ。恥ずかしすぎて死にたくなって来る」
「分かった。次から気をつける」
「本当に分かってるのか? おまえ。まあいいや。助けてもらったのは事実だしな。そうだ今度何か奢ってやるよ。何がいい?」
奢ってやる。その言葉を聞いた途端、無表情だったカンテンの顔が花が咲いたかのように綻ぶ。
顔を赤らめて口を開いた。
「じゃあ、寒天ゼリー」
鎧熊は気軽に了承するのだがそれが運の尽き。彼女に奢ったせいで、一月分の給料がなくなってしまうのでした。
――完――