第三十九話『追われる者と追う者』
人の手が入っていない野山を駆け上がる。時には石を時には木を蹴り全身の力を使い跳躍する。
一人は、ファーは撒く事に成功した。迫ってくる足音が減ったからだ。
頂上付近、森林を抜け岩がむき出しの広場にでた。
背後を守るため岩の前で僕は足を止める、荒くなった息をを数度深呼吸して落ちるかせた。
「聞いてくださいっ」
僕は後ろを振り返り叫ぶ。黒い物体が飛んでくるのを首だけでかわすと、先ほどまで頭があった場所には短く細い剣が二本、岩へと刺さっていた。
「往生際が悪いっ」
木々の隙間から叫ぶマリエルは長い剣を構え走ってくる。僕を切るつもりなのは明白だ。
僕は直ぐに岩に刺さる短い剣を二本抜き、その一撃を受けとめた。
力が均衡していてお互いに一歩も引かない。マリエルと僕の顔の距離が直ぐ近くまで迫っている。
僕とマリエルの荒い吐息が交差する。
「き、聞いてくださいっ」
「命乞いは聞かない主義なの」
剣を構えたまま、僕の腹へと蹴りを仕掛けるマリエル。それに被せるように僕も蹴りを繰り出し、マリエルが衝撃を受け流すのに後方に下がる。
僕の方は衝撃を回避できず背後の岩へと体をぶつける。
「殺されてもいいんです。でも、その前に聞いてください」
離れたマリエルへ再度呼びかける。
「それじゃ。私も一ついいかしら、貴方の剣技は何処で覚えたの。まるで自分と戦っているよう――それに何故反撃しないのよ。貴方は既に村に来る所属不明な賊を殺している、なぜ今は、刃向かってこず逃げるだけなのよ?」
それはそうだろう。僕の剣技はマリエルから継承された物だ。彼女の動き方が自然にわかる、その分攻撃を避けるのは何とかなるのだが、経験の差だろうジリジリと追い詰められている。
それに、彼女を助けるために戻ったのに、切るわけにいかない。
「言えません」
言えないというよりは信じて貰えないだろうからだ。
「そう、やっぱりハグレはハグレって事よね」
剣を下段に構えたまま僕を睨みつけるマリエル。直ぐには襲ってこない。
僕は大きく息を吸うと更に話しかける。
「僕の用件は少ないです、これから一ヶ月以内に、マルグスが北の町カーヴェに行く作戦があるはずです。そこで第七聖騎士は罠に掛かり全滅します。それとその前にタチアナの北に盗賊団が居ます。そこにはかなりの人数が居ます。主な武器は縄付き石です」
黙って僕の話を聞くマリエル。信じて貰えたのか……。
「ごめん。もう一つ聞いていいかな。君は占い師か何かかな?」
「違います。でも信じて欲しいマリエル」
大きく息を吐き剣を鞘に収めるマリエル。
信じて貰えたのかわからないが僕がほっと一息を吐いたとたん、飛来した剣が右肩に刺さり岩へと体を固定する。手にしていた短い剣は二本とも地面へと落ちた。
前を向くとマリエルの側に息を切らしたファーが素早く着地した。
「ハァハァ。お待たせしました隊長。深くにも撒かれそうになりました」
「んーん。丁度良いタイミング、彼、私と同じぐらい強いから追い付けないのはしょうがないわよ」
しまったっ。話を聞いていたんじゃない時間稼ぎをされたっ。右肩を貫いた剣を左手で抜こうとしてもビクともしない。
剣を鞘に収めたまま体を低くし真っ直ぐに突進してくるマリエルの姿がゆっくりと見える。
鞘から抜き出した勢いをつけて僕の首を跳ねる積もりだ。
死ぬ。本能がそう告げていた。
マリエル達の未来を変えたかどうかわかる前に死ぬのは僕としてもやるせない。それについ半日前にフローレンスお嬢様と約束をしたばっかりでもある。
迷っている時間は無かった。ありったけの力を全身に入れる。いつの間にか僕の口が開いていた。右肩の神経がブチブチと切れる感触が解る、肩の骨が大きく外れる。
「うおおおおおおおおオオオオオオオオォォォ」
叫び声を聞いて、一瞬止まった体。しかし、なおも突進してくるマリエル。僕は剣で固定されている右肩を更に力を込めた。直ぐに押さえつけられていた圧力が無くなる、そう僕は右腕を肩から強引に引きちぎったのだ。
不思議と痛みは襲って来ない。右腕が地面に音を立てて落ちる、僕はそれを持ちもう一度逃げるつもりであった。
右腕が無くなった事により体のバランスが取れず思わず膝を付く。前を向くとマリエルの右手が剣の柄を握っているのが確認された。
間に合わない……。
ダメかっ……。
僕を睨みつけていたマリエルの顔が唐突に目を見開いた。目線は僕の足元へと向っている。
僕の首を切断するはずの剣の軌道は少し離れ、僕の首の横へと空振り岩へと刺さった。
「なっな……ヘビだけはイヤー」
僕の足元には舌先が二つに割れたヘビが『何が騒がしいですね』と顔をしながら岩の隙間から這い出て来ている。
ああ、確かマリエルはヘビが嫌いだったんだっけ。
「マリエル。もう一度僕の言葉を信じて欲しい……」
マリエルだけに聞こえるように喋ると、この機に僕は落ちた右腕を掴み山の頂上へ走った。
走りながら千切れた右腕を体の右側に押し当てる。継承されたマリエルとしての力か左腕に嵌めてある黒篭手オオヒナ。どちらかの力で傷は治るだろう。
白い湯気が立ち傷が塞がっていくのが感じられる。
その代償が直ぐに僕を襲ってくる。誰かか言っていた言葉を思い出す。傷が深ければ深いほど治すのに意識が無くなると。
考えろ、マリエル、いや彼女達が生き残る方法を。
出来るのか……。僕自身に問いかける、マリエル達が前の世界と同じく行動すれば遠くない未来にカーヴェで死ぬ。それを回避するには選択肢は沢山ある。
最悪カーヴェの戦闘が始まったとして、カーヴェの町で混乱に生じて元凶を殺す案もある。
それまで何処かに身を隠しておかなければ成らない、出来れば先回りもしたい……。
もしくは――。何度も時を遡る事が出来れば……。
左腕を見て考えを変える。過去に戻ってから一度も黒篭手オオヒナの声を聞いていないからだ、過去が簡単に帰れるからと言って何度も帰れる保障はない。
走り出して直ぐに水の音が聞こえ始めた。
「付いた……」
山頂に出ると大きな滝がみえた。昔帝国から密売にきた秘密の抜け道があると教えられた滝である。
滝から続く川は国境の役割もしていて川下にいくほど幅が広くなっていく。滝の裏側ならまだギリギリ人が通れるはずだ。
背後では、ファーとマリエルの叫び声が聞こえるも直ぐに遠くなる。
目眩が酷くなり意識が消えそうになっていた。
滝裏へ行こうととした瞬間、僕の足は空を切っていた。
体全体が水につかり上下左右がわからなくなる。僕が最後に見たのはマリエルが必死が川に飛び込もうとして、ファーがマリエルを抑えている姿だった。