第三十四話『平和な日常』
「――ル。ちょっと――」
目の前に女性がいる、心配そうな顔で僕の顔を覗き込んでいた。
鼻に果実を熟した匂いが唐突に広がる。
「此処は何処だ……」
「何処って、本当に大丈夫? ちょっと。流石のヴェルでも疲れたかー。少し休憩しよっか。そうだ、お弁当よ。ねっ」
「お嬢様――? 夢ですか」
「はいはい。夢のように綺麗な私がなんだって」
目の前には確かにフローレンスお嬢様がいる。慌てて回りを見渡すと、洞窟が見えた。
腕には黒い篭手事、オオヒナが嵌められている。
「やっぱ少しだけカッコいいわね。で、付けたままじゃ困るからヴェル外してっ」
当然のように喋るフローレンスお嬢様。言葉が出ない……。
フローレンスお嬢様の背後に回り、背中を凝視する、暗闇に倒れたフローレンスお嬢様の背中は今は傷一つ見当たらない。
「ちょっと、ヴェルあのっあのね。そんなに見られると私でも恥ずかしいんだけど」
背後には一度来た事のある洞窟が見えた。門はすでに開いており、その奥には祭壇が在ったはずだ。
「戻った……」
「そうよ。洞窟から戻った所よ。だからお弁当を……」
フローレンスお嬢様に向き直る。バックに手を伸ばしてお弁当を取り出す手が止まり、大きな目で僕を見ている。
そうなのだ、別にマリエル達だけを助けたいわけじゃない。フローレンスお嬢様だって助けられるんだ。それに村も助かる。
僕は両肩に手を乗せた。
「ちょ。ヴェル。あの、まだ明るい時間だしその。急にくると心の準備っていうのがあってね」
「夜には帰ります。先に帰ってください」
背後から僕を罵倒してるような声が聞こえるがすばやく森を抜け村を見渡す。
明日のお祭りで使うステージの為に木材を運ぶ村人や、大きな石釜のテストをしている人、どれもこれも見知った村人が作業をしている。
「よう、ヴェル。どうした、フローレンス様はどうした一緒じゃないのか」
「ああ、クルースか……」
「たっく、お化けでも見るような顔をして、妹もお前の何処か良いんだが……」
最後のほうは小さい声で僕には聞き取れなかった。しかし、そんな事を言っている場合ではない。今夜にも無数の盗賊が村を襲い僕意外の全員が死ぬ。
それだけは絶対に避けなければならない。
「クルース……」
「おい、おいこらっ怖い顔するなよ。ヴェ……」
何て言えばいい。今夜盗賊が来るから家に篭ってろ? いや、火をかけて来たんだ篭っていてもダメなのは明白だ。
では盗賊が来るから逃げろ? 違う、来ても居ないのに来るからといってもこれも無理だ。
同じ理由でロザンとタチアナの町に応援を呼んだ所で来ても居ない所に兵は着てくれない。よしんば来て貰っても一人か二人が限界だ。
では、タチアナの町にいる聖騎士団は……。マリエルなら信じて助けてくれそうだ、しかし勝てるのか?
僕は右腕を見る。黒い篭手が昼の日の光に照らされ艶がでている。
いけるか……。
僕は足元にある手ごろな石を拾った。
「おーい。ヴェル、俺の話聞いてるか?」
「クラース、ちょっと退いてくれないか」
半分ぐらいの力で石を誰も居ないほうへ投げる。
石が物凄い勢いで飛んでいった、村の通路用に立ててある木の柵に当り、柵が壊れた。
「おいおいおい……ヴェルお前そんなに力強かったか……あの、その。今までフローレンスお嬢様の事でからかってごめんな。イジメてたわけじゃなくてだな……」
いける。理屈はわからないけど、マリエルの力が僕に継承されたままである。
少なくともあの男以外は勝てる。直ぐ近くにクラースの顔があった、余りにも大きな口を開いているので僕は尋ねる。
「えっ? クラース。何か言った?」
「いや。今までの事を謝ろうとおもってな。ヴェルの使う農具の留め金外したり、雨の日の後に俺当番なのに、畑を代わってもらったり、フローレンス様の下着を盗んでくれと頼んで実行してもらったり」
どれもこれも心当たりはあるが、気にしていない。余所者であった僕に対する当然の事だろう、しかもそれだって村に入った直後であるし、数年前からそれもなくなった。って……。
「クラース。誤解を招くから辞めてくれ。フローレンスお嬢様の下着は盗んだ事はないし手渡した事もない。そもそもフローレンスお嬢様がこの会話を聞いていたら――」
背後に人間一人が尻餅を付く音が聞こえる。いや、音だけで判断は出来ないはずなのに僕はそう思った。
振り向いたくない、正面にいるクラースが今にも笑い出しそうな顔をしているからだ。
「お嬢様、話を聞いてくださいっ」
振り向くと、やはり尻餅をついたフローレンスお嬢様が人差し指を僕につき立ててわなわなと震えている。
「ヴェルの変態ーっ。まさか下着愛好家だったなんてっ。だから私が毎回誘っても、誘っても、さそ――。ヴェルの馬鹿ーーーっ」
立ち上がったフローレンスお嬢様は半泣きに成りながら屋敷への道を走っていく。村の中心を走っていくので、その声を聞いたものが大勢居そうだ。
僕は振り向きクラースを叱ろうとする。
「ああ、もうクラースもフローレンスお嬢様が近くに来てるなら来てるって」
何故かクラースも僕を人差し指を立てている。やはり涙目になり叫び、村の中心を走っていく。
「ヴェルのアホーーー。フローレンスお嬢様の夜這いを断って下着で満足するだなんてー」
「なっ、ま――」
まて、と言っても待たないんだろうな。僕は不意に笑っていた。何時もと同じような光景。二人の叫びを聞いて、遠くにいる村人が僕を見ては手を大きくふり、また作業に戻っていく。
平和だ、少し緊張が取れたきがした。覚悟を決め東の森へと僕はそっと入っていった。




