第一話『祭りの前に』
「お早うございます」僕は誰もいない食堂へと手短に挨拶する。
別に幽霊に挨拶しているわけではない、誰か居た時のための挨拶であり、気持ちを切り替えるための挨拶だ。
此処は隣国との国境付近にあるフェイシモ村。その昔勇者の従者が立ち寄ったと密かに言われている村である。
もっとも、そういうヨタ話は何処の村でもあるので別に不思議でもない。
その中でも村全体を見渡せる一際大きい建物、僕が数年以上お世話に成ってる村長宅である。
木製の窓を開け朝の光を室内にいれると、朝靄に混じって草木の匂いが混ざってきた。
テーブルを拭いていると、金色の髪を束ねおっとりとした表情の夫人がエプロン姿で入ってきた、僕に気付くと目尻を下げ優しい笑みを浮かべて挨拶をしてくる。
「ヴェル。おはよう」
「お早うございます、奥様。今日もいい天気です」
「こんなおばさん捕まえて奥様も無いわね……。何時も」、いやいいわ。ヴェル何時もありがとう」
「いえ、僕にとっては奥様は奥様ですので」
僕が奥様と呼んだ夫人は直ぐに朝食への仕度へと取り掛かる。僕は無言でその手伝いを始めた。
夫人もその空間を楽しんでいるかのように鼻歌を歌っては僕へと指示をしてきた。
直ぐに旦那、つまり村長で僕を引き取り育ててくれている人が、大きな欠伸をしながら食堂へと入って来る。
僕が知りうる限り外見は変わらず、髪が薄い村長、最近はお腹が目立ってきてなと言い「運動しないとなぁ」とよく呟いてる。
もっとも、夫人は「その姿もカッコイイわよ」と言っているので村長の運動はこれからも無いだろう。
料理をしている夫人に「貴方もたまには手伝いなさい」と言われても平気な顔をしている。すぐに椅子へと座りテーブルに並べられた食材を一足先に摘んで僕と目があった。
夫人の目を盗んでの作業なので僕にだけ人差し指で内緒のポーズをしてくる。
テーブルの上にはあっさりとした朝食が並べられている。
パン、目玉焼き、野菜スープ。ウインナーの炒め物。どれも新鮮で、村長は直ぐにでも食べたいのがそわそわしてる。
食卓には皿が四枚並んでいる。勿論椅子も四脚だ、しかし三人しか座っていない。
僕の向えに座っている村長がやはり深い溜息を付く。
「ヴェル、すまんが『アレ』を起してきてくれるか」
僕は「はい」と返事をすると静かに席を立つ、背後から「お願いねー」と夫人の声も聞こえてきた。
短めの廊下を歩き『アレ』と呼ばれるドアの前に立つ。
大きく息を吸うと静かに吐く、僕はノックを三回した。
直ぐに大きな物音が聞こえてきたかと思うと扉が内側に開いた。
僕より頭一つ分背の小さい少女、下着姿で恥じらいもなく僕を下から見上げている。
「はーい。あけますよっっと、ほにゃ相変わらず時化た顔ねヴェル、頭から暗く感じるよっと」
手は額に付近で垂直に止めて元気のいい挨拶である。挨拶だけは立派だ。
「髪が黒いのも時化た顔も元からです、フローレンスお嬢様」
「冗談だって、毎朝こんな可愛い女の子の下着姿を拝めるのに仏頂面だなんて、私より背が高く顔だって行けてるのに。体系だってそんなに太ってないし。ヴェルももう少し元気があればもてるのに」
何故か僕の性格まで叩き、一つ頷いた後、クルリと一回転するフローレンスお嬢様。
金髪のロングヘアーを自慢げに見せ付けてきた。回った為に甘い果実のような香りが辺りに広がり、髪が鼻を掠める。
思わず咳が出そうに成ったのを何とか堪えると、何も知らない振り返ったフローレンスお嬢様は『どや』という顔をしている。
「毎朝だからです。たまには自力で食卓へ来てください、それに」
「それに~?」
悪戯猫のように下から見上げていく。はぁ、これが村にいるクルースと言う同じ歳の青年だったら血の涙を流して喜ぶのだろうか、残念ながら僕は一般の人と考えが違うらしい。
フローレンスお嬢様の両肩を触ると「ひゃんっ」という声を上げる。そのまま半回転させると一言命令を伝える。
「先ずは着替えをしてください、後はフローレンスお嬢様が揃えば食事の時間です」
用件を伝えて扉を閉める。部屋の中からは、「毎朝じゃないですよーっだっ」 と再び元気な返事が聞こえてきた。僕は思わず胃の付近を押さえ深く溜息を付いていた。
髪を首筋で一まとめにしてきたフローレンスお嬢様が席に座り、食卓に全員が揃う。
賑やかな食卓が始まった。この家に来て毎朝繰り返される日々だ。
僕としてはここ数日の出来事と今日の予定を整理しながら朝食を取る。明日の祭りの為に広場に簡易ステージを村人と共に作ったり、祭りので出す料理の材料である野菜をまとめたりと忙しかった。
村長が食べながら話しかけて来る。
「明日は十年ぶりのお祭りだ。フローレンスにヴェル。祭器を取りに行ってくれないか? ワシは各家に回って明日の準備の様子を見てくるから」
「やったっ。午後の勉強サボれるっ」
フローレンスお嬢様の感想は置いておいて僕は村長に質問する。
「えーっと……。僕みたいな部外者が祭壇へ行っていいものなんでしょうか?」
隣ではしゃいでいたフローレンスお嬢様が食べ終えたばかりの木の皿で僕の頭を叩く。
「馬鹿な事言って無いでいいのよ。もうこの村に来て何年になるのよ」
「六年ぐらいです」
僕が返事をすると、村長も大きく頷く。
「ヴェル。ワシはヴェルを引き取ってから一回も部外者なんて思った事はないぞ、村の連中だってヴェルの働きぶりを見ているんだ」
「そうですよ。ヴェル。これで文句を言うのであれば村長夫人であるわたくしが許しません」
「いや、それワシの言葉――ともかく、他の者とも相談の上決まった事だ、安心しなさい、ヴェルは今では居なくてはならない住民だ」
村長の言葉を繋ぐ夫人の言葉にフローレンスも大きく頷く。そして何故か瞳を輝かせながら僕へと向き直った。
「って事。ヴェルも行くのよっ、これは命令よっ!」
「はぁ。命令ならば仕方がないですね」
命令か――。