シュールな絵面
「……私、防犯カメラに映ってたんだってさ。早朝のニュースで知った。捕まるのは時間の問題だろうって、キャスターの人、言ってた……ははっ、もう終わりだぁ。私もう、ここから飛び降りちゃおうかな」
「待った。うちは二階だからここからじゃ無理。俺が今からもっと高いところに案内してやるから、そこからちゃんと逝ってくれ」
名雪の部屋にお邪魔になったら、いくらか落ち着けたのか、今度はこの世の終わりでも眺めているように入江は乾いた笑みを浮かべていた。
慌ただしい奴だな、と。床で胡坐をかく名雪は思った。
「ほんと、失ってから気づくことって案外多いのね。この世が終わりを告げたとき、私すごく後悔した。何故あんな愚かな行為をしてしまったのだろうって。私、馬鹿みたいって。そう自分を責めたの」
「入江、大丈夫。この世はまだ終わっちゃないさ。終わったのはそう、お前の人生だけさ!」
「……でもまぁ、この際、私なんてどうでもいいのよ。何かもう、願いを叶えるために必死になりすぎて、周りが見えなくなっちゃって――私、そういうとこある子だからさ。自業自得だからさ。だから私はいいの。でも、親や友達、皆には。私を支えてくれた皆には迷惑をかけたくないの」
「そっか。で、お前何で俺の部屋にいるの? しかも何でベッド独占してんの? 何、嫌がらせ? それは俺に対する嫌がらせなの?」
「だからさ、小野くん」
「おい、無視すんな」
入江はそう言って、持参したカバンに手を突っ込み、中から何かを取り出して……、
「これ(通帳)持って私の身代わりとして自首してくれると助かるんだけど~」
ニコッとしたスマイルとともに名雪に差し出した。
「却下!」
名雪はそれを即座に叩き落とす。
八千万入った通帳が、「ボトッ」と鈍い音を立て、中学生二人の間に落下した。
「……」
「……」
それは、二人にとって何ともシュールな絵面であった。
「って、いうのはもちろん冗談でね~」
その思いっきり落胆した表情から察するに、どうやら冗談ではなかったらしい。
「……まぁ、ここから本題に入るんだけど」
などと考えていたら、入江は視線をそっと落として、その、光彩を失ってしまった瞳でベッドのカドッコ一点を見つめ――、
「……私これから、マジどうすればいいと思う?」
呟いた。
「それを、俺に訊かれてもな……」
名雪はため息を一つ。
遠い目をして天井に放つ。
あー、誰かヘルプ! オッもい。空気がね、重すぎるんだよ~。
「っていうかお前さ、さっきは『いや、私のことなんてどうでもいいですからー』とか言ってなかった? あれは何、嘘なの?」
「……う、うん、あれは嘘。ほら、わーわー喚いたり、『誰かのために!』とかかっこいいこと言ったら、そしたら君が同情してくれて、私の代わりに自首してくれるかなと思って……それで」
「んなわけねぇだろ。それになんだ。やっぱり冗談じゃなかったんだな」
「……うん、ごめん。ほんと――生きててごめんなさい」
最後の希望(名雪への責任転嫁)の可能性さえも失った入江は、体中の生気の全てを吸い取られてしまったようだった。最後の最後まで絞りつくされて、ポカーンとアホみたいに口を開いたまま、もう抜け殻みたいになっていた。
ドーンと沈んだ入江。
ドーンと沈んだ空気。
「い、いや大丈夫! そこまでは言ってないよ、うん。俺も」
まさか俺がこいつのフォローに回るとは! と、とうとう名雪にも自分の立ち位置が理解できなくなってきた。
「……」
「……」
それからは、長い沈黙が続いた。
耐えられなくなったのは、名雪の方だ。
「それで、何でお前――いや、入江さんはうちに来たの? 他に頼りになる人はいなかったの? いやーいたはずだよね。例えば親とか、仲のいい友達とか学校の先生とかさ。俺としては、できればそっちの方々のとこに行ってほしかったんだけど……」
とても衰弱しきった入江を前に何とか優しく接してやろうとする気持ちと、隠しきれない本音とで名雪の頭の中はごっちゃごっちゃになる。
入江も入江で、本来なら名乗った覚えがまるでない自らの名を名雪が口にしたことを少しばかり疑問に思ってもいいところだが……今の彼女は、そんな『些細な話』に思考が向かないレベルの事態に浸っていた。故にそれは難しかった。
ベッドの上で体育座り。
おまけにむき出しの太ももの間に顔を埋め始めた彼女からは、形容しがたい負のオーラがビンビン漂ってくる。
「……」
名雪とて、さすがに気の毒に思えてきた。
「……そんなの、君以外の誰にも相談できるわけないじゃない。すでに私の愚行を知ってる君以外には……私、誰にも話してないのよ。親にだって。親にだって……自分の、この、『裏』の姿のこと」
入江の言う姿ってのは、名雪の家に不法侵入した彼女。
そして、地方ニュースで紹介されるレベルのお騒がせ事件を起こしてしまった彼女のこと。
彼女はそんな自分の愚かな一面を誰にも知られたくなかった。
――たとえ、自身の家族にだって。
けれど不幸なことに彼女は知られてしまった。
そして、そういった彼女の姿をこれまた不幸にも知っちまって、それでいて彼女を無視した奴がいた。
……はぁ、あのとき、俺が……か。
それは、名雪だ。
入江がこうなってしまったのは、九九%彼女の自業自得である。その自信は、ある。
けれど、じゃあ残りの一パーは何だ? それはきっとあのときあの場に居ながらこいつをとめなかった、己にあるのだろう。
名雪の心に、罪悪感が生じた。
……はぁ。
だから、名雪は静かに告げた。
「お前、反省してるか?」
突然の問いかけ。
入江は小さく首を縦に振った。
「もうしないか?」
また、彼女は同じように首を振った。
「何であんなことしたんだ?」
「それは……君が私を助けてくれたら教えてあげる」
こ、この女、ほんと食わせ者だな。
まぁ、いいけど。
「分かった。なら行くか」
「えっ? ど、どこに?」
視線を上げた入江の顔に、久しぶりに人間らしい感情が滲んだ。
目を見開き、当惑した様子の彼女に向かい、名雪は床に寝転がったままの通帳を拾い放り投げた。
「決まってんだろ。そいつを返却しに行くんだよ」
「それって……えっ! も、もしかして」
「そっ。自首すんだ。それの持ち主のところに」
「えっ。で、でも私」
「何? 心の準備ができてないって? だいじょーぶ心配するな。俺も一緒に行ってやるし、いざとなったら一緒に土下座だってしてやる。だからま、俺を信じろだなんて大それたこと言わねぇけど、ちっとはあてにしなさい」
「……い、いいの?」
不安そうな上目遣いが、名雪を覗く。
名雪は、一つ頷いた。
「まぁな。でも今回だけだぞ。今回のは俺にも非があるっぽいしな……で、それでさ入江。一つ。ものは相談なんだが……そ、それが上手くいったらさ」
上手くいったら? と、コテッと可愛く首を傾げる入江の顔をめがけ、名雪は自らの携帯を突き出した。
名雪の原動力は罪悪感。と、もう一つ。
名雪には彼女に恩を売ることで、どうしても叶えたい望みがあった。
そいつは、彼にとってとても切実な願い。
「あのさ、俺のパスワード。いい加減もとに戻してくれないかなー。エロサイト観れなくて超困ってんですけど~」
「……」
入江はしばらく面食らったようにポカンと口を開き続けた後――、
「……う、上手くいったらね」
小さな声で、呟いた。