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力の限り入江さん  作者: 渡邉鍋大
2/19

大大ホームラン


「ギャ――――ッ! イッ、いったぁぁぁぁぁぁ! 痛い痛い痛い痛い痛いいたーい!」


 断末魔の叫びを上げる金髪の女の子が、ひとしきりカーペット上をゴロゴローと派手に転げ回った後、何だかものすごい勢いでピョコーンと跳びはねた。

 今日は三月最後の日。

 時刻は夜の十時。

 名雪にとっては、風呂上りだった。

『湯船には一日の最後に浸かるべき』との、彼には極めてどうでもいい信念を謳う妹と入れ替わりでお風呂場を後にし、彼がタオルを頭に乗っけたまま自室に戻ると――アレだ。先ほどの目を疑う光景が視界を覆ったのだ。

 ド派手に荒らされた自室に、

 上下に揺れ動く見知らぬケツ。

 ……まぁけれど、


「ぐわぁぁぁ! いたっ、痛い痛い痛いよ~」


 たった今、そのケツも消失したが……。

 名雪は近所迷惑この上ない絶叫に眉をひそめ、うるさそうに両耳を塞ぐ。


「あの、ごめん。うるさいんだけど」

「えっ! あっ、ご、ごめんなさい。私ったら人の家でつい取り乱してしまいとんだご無礼を。こ、この落とし前は以後必ずつけさせてもらいますからもう少しのご勘弁を……って、って! ちょっと待てぇ! そうじゃあないわよ! あ、あんた、な、ななな、何してくれてんのよ!」

「いや何って。君があんまりにも可愛らしいくケツをフリフリさせてるもんだから、あれっ、あれだよ。もしかして誘ってる? 君、俺にカンチョ―されたがってるぅ? とか俺思ったんだけど――あれっ? まさか勘違いだった? 俺の」


 名雪はすっとボケたように首を傾げ、「てへっ」と可愛くベロを出した。

 すると、女の子は当然怒り心頭といった様子になる。ブルブルと全身を震わせ、金色の髪を逆立て――彼女は名雪に詰め寄った。


「んなわけないでしょうが! こいつ、こ、こここ、このやろう……うぅ、痛ったい」


 しかし、いざ臨戦態勢に入ったかと思えば、次の瞬間には目に涙を溜めてへなへなとベッドに倒れ込んでしまった女の子。

 名雪は立ち上がり、とりあえずまぁ……と、部屋の明かりを点けた。

 パッと室内に光が走り、痛むケツを押さえながらベッド上で仰向けになる女の子の顔が露わになる。

 その面をはっきりと視認して、彼はドキッとした。

 整った鼻梁に、『ハ』の字の逆さにしたような吊り上がった眉、同じく急角度の大きなお目目等々――それは、ベッド上の女の子がそれはそれは美少女だった。

 というのも、もちろんあるのだが、

「くっそー、いったい。こ、こいつこの野郎……後でぜーたいぶっ飛ばす」


 それ以上に、その、美少女であるはずの女の子の顔が、とんでもなく歪んでいたからだ。


 ……はて、これはアレか? 俺のカンチョ―がよっほど痛かったってことでいいのでしょうか?

 名雪は目の前からビシビシ伝わってくる敵意を受け止めつつ、自身の手をグーパーしながら、先のカンチョ―の感触を思い返してみた。

 感触としては……まぁ確かにだいぶ奥まで突き刺さった感じはあったな。うん、なんたってこう、うっし捉えたぜ! って感じがして、そんで俺、思わず拳を握りしめちゃったくらいだもんなー。

 ……。

 う、うーん。

 そうだな。こりゃ一言詫びを入れといた方がいいか。


「あー、すまんすまん。つい力が入っちゃってな」

「つい力がって……あ、あんたさ。もしやとは思うけど、私を女だと知ってて突き刺したの?」

「まぁ、そういうことになるけど」

「えっ? そういうことになるの?」

「うん」

「……えっ。えぇ……」


 それが何か? とも言いたげに顔色一つ変えない名雪。

 女の子が、放心状態となった。

 しかし、それでもややあって回復した女の子は、ガバッとベッドから身を起こし、彼のをビシィィ! と、指さして、


「なるほど分かった! あんたつまりアレでしょ! 『モテない』でしょ! 彼女なしの、どどど童貞くんでしょ!」

「はっ、はぁぁぁ! な、何を言う! お、お前っ、ば、バッカやろ! そ、そんなはずは……」

「あるんでしょ! ねぇあるんでしょ? あるんだよね!」

「ぐうぅぅぅ。そんなことはな、なはっ、ななな……」


 ここで『ない』と言い切れないところが、この少年の辛いところである。

 小野名雪。

 身長百五十五センチメートル。体重四十八キロ。明日から中二。そして童貞。

 肝心の女子からの評は、『小野くん? あぁー、顔はまぁ、そこまで悪くはないけど、なんかねぇ~。パッとしないってか。なんかその~、なんだかね~』といった具合であり、名雪自身の評も、「俺、なんだかな~」である。

 そりゃね、俺はとりわけ頭がいいわけでも、運動ができるわけでもない。髪型もおとなしい方だし、性格も至って普通(見知らぬ女の子にいきなりカンチョーを食らわせる男だが、自分ではそう思っている)。確かにモテる要素は乏しい。だからモテないのかもしれない。童貞だし。認めたくないが童貞だし。どうて、どう……って、

 やかましいよ!


「はぁ」


 けれど、とはいえだ。

 見知らぬ女の子から唐突に『あんたモテないでしょ!』と断言された上に、それを自分でも認めちまっている節があるのも事実。

 そう思うと、名雪は何だか悲しい気持ちになった。

 彼はガミガミと悪態をついてくる女の子そっちのけで、物物が散乱したカーペット上に静かに腰を下ろす。

 それからカーペットの羽を手当たり次第にむしり取った。

 それは彼が不貞腐れた際によく見せる仕草だった。

 じぃ~。

 何だかとても、ストレス解消したくなった。


「ったく~、この私が一体何したってのよ」

「俺の部屋を荒らした」

「ぐっ! そ、それは……そうだけど」

「俺のパンツを床にばらまいた」

「そ、それもごめん……あのね、タンスの中に探してるブツがあると思って……って、ちょ、キャッ! あ、あんた何やってんのよ!」


『キャッ! あ、あんた何やってのよ』と訊かれれば、名雪は床に散らばった己のパンツをひらひらと掲げているわけであり、彼にとってその行為は年頃の女の子に対するいたずら以外の何物でもないのだが……。


 って、そうか! こんなんだから俺は女の子にモテないのかぁ!


「うおぉぉぉぉ! そ、そういうことだったのかぁぁぁ!」

「えっ? ちょ、えー今度は何よ? 発狂なんかして。あんた急にどうしたの?」

「うるせぇババア! ほっといてくれババア!」

「ば、ババア……ですって……」 


 我を忘れ、「うおー!」と頭を抱える名雪。

 そして、揺るぎない真実を知り凶変した彼の姿を見て、女の子の表情には微かな戸惑いと、どでかーい怒りが浮かぶ。


「えーと。何かなこの状況? 私どうすればいいのかなー。つーか私まだ中学生なんですけどー」


 こめかみにぷんぷんマークを貼り付け、女の子はムッと腕を組む。イライライライラ……彼女が放つ負のオーラに、だが名雪は気づかない。


「くっそこの野郎……って、違うよね私。ううん、こんなくだらないことに苛立ってる場合じゃないよね、私。うん大丈夫。私、分かってますから」


 やがて彼女は意味ありげな吐息を一つ漏らし、


「あ、あのさ、ちょっといいかな」


 上ずった声を名雪に向けた。

 名雪が顔を上げると、そこには控えめに手を挙げた女の子がいた。

 何事だろうか? ハッ、まさかババアと罵られたのを気にして俺に報復を! ちょ、いやいや待て。自分、喧嘩とか弱くてダメですから――、

 ギクッと。身の危険を感じた名雪は素早くに冷静になり、ガチガチの防御姿勢をとった。


「お願いがあるんですけど」

「お、お願い? 何?」


 名雪は下手に舐められぬよう強い語調で返した。

 ただ、どうにもソワソワとした様子で、自身の胸の前で指を絡めては解くを繰り返す女の子のお願いとやらは、彼の予想とは異なるようで、


「あ、あの、えっとその~、『通報』。だけは、その、勘弁して頂きたいのですけど……」

「ん? 通報? えっと、通報……だと」


 おい、通報とはどういうことだ?

 名雪は彼女の言葉を反芻し――、


「あっ」


 しばらくして女の子の意図に気づいた。

 先ほど部屋に戻ると、こいつは自分の眼前でケツを振っていた。一体何をしていた? といえば、こそこそと自分の机の引き出しを漁っていたわけであり、何より、この超不自然な全身黒タイツ姿――、

 なるほどね。


「へぇー、お前、泥棒だったんだ」


 名雪の答えに、女の子は決まりの悪そうに小さく頷いた。


「えぇまぁ。私も、この姿を見られてしまった以上隠す気はないわ。あ、でもね、実は今回が初めてでね、だから私、前科は……」

「なるほど、今知ったわ」

「ないからできるだけ寛大な処置にとどめて頂けると有り難いのだけど……ですけど? へっ、何? はいぃぃ! あ、あんたさ、まさか気づいてなかったの? あ、あんたは、泥棒退治のために私のデリケートな部分に指を突っ込んだんじゃないの?」

「ムムッ? いや、俺が突っ込んだのはただそこに形のいいケツがあったからだけど……」

「おい貴様何だその『あ、ボクそこに山があるから登ちゃいました。てへっ!』みたいな理屈は! えっ、えーと。ね、ねぇ、嘘でしょ」

「ほんと」

「ねぇ嘘だと言ってよ……」

「ほんと」

「え、えぇぇ……」


「じゃあ私がカンチョ―された意味って……」と、名雪が残念な本心を隠すことなく吐露したら女の子が真っ白な灰になり、それから変態を見るような目で名雪(変態)を見るようになった。

 ただ一方の名雪は、そんな視線には目もくれず朗々とした声で続ける。


「ってか、そうなると何か~? 『こいつ変な服着て、四つん這いになって、一体何してたんだろう~?』とか俺ずっと気になってたけど、お前もしかしてぇぇ、『わ~い、この引き出しにお金が入ってるキャッホ~!』とか思っちゃってたの? ぷぷー、バーカバーカ。エロ本しかねぇっての! ひひぃ」

「ぎゅ、ぎゅぅぅぅ。こ、こんな変態に気を使わなければならないとは一生のくつじょ、いやち、恥辱ねぇぇ。殴りたいあー殴りたい。つーか殴らせろぉぉぉぉ」


 ゴゴゴォと、ふと殺気のようなものを肌に感じて、名雪はベッド上の女の子に視線を戻す。


 女の子の拳と眉間がわなわなと震えていた。


 ……あぁ、何かやばい感じがするな、これ。

 さすがにこれ以上刺激したら、おそらく自分の部屋が近い将来殺人現場として大変身を果たすことになるのだろう。

 名雪は、ことさら殊勝な態度を心がけた。


「ま、まぁ分かったよ。いいよ和解で。そもそも俺何も取られてないし(泥棒が阿呆のおかげで)。今から警察呼ぶってもの面倒だしさ。それに俺、もう寝ちゃいたいし」

「えっ? ほんとうに、いいの?」

女の子が恐る恐ると言った感じで名雪に尋ねる。ったく、どんだけ信用されてないの俺……と気を落としつつ、彼は首を振った。

「別に、構いやしねぇよ」

「あらっ、案外利口じゃない。見直したわ」

「お前何で上から? やっぱ呼ぶよ、警察」

「へぇ! あ、あぁいや違うのよ~。今のはミスったっていうかね~。わ、私悪気はなかったから。だから安心して、ねっ、ねぇー」


 心の底から安堵したのか、女の子は自身の胸の前で嬉しそうにパタパタ手を振るう。

 おいおい、さっきまであんなに怒っていたのに、一体何だってんだよ。

 この、自分以上に情緒不安定。というよりえらく調子のいい女の子と関わることを、このとき名雪は『危険』だと感じた。

 確かに見てくれはいい。この先何かがものすごく上手く転がって、仲良しになれたのなら友達に自慢できるレベルだと思う。

 ……でも、

 でも、だ。

 この子、ちょっと頭がな。

 端的に言うと……『おかしい』んだよな。

 だから名雪は『彼女が何故こそ泥の真似事なんてしたのか?』、『何故うちに忍び込んだのか?』などといった、本来彼が真っ先に口にすべき疑問を全てすっ飛ばし、迷わず窓を指さした。

 ――端的に、『帰れ!』の意味である。

 全開に開かれた窓は女の子にとっての侵入経路であり、そして計画上の退出経路でもあるはずなのだ。


「じゃあおやすみなさい。ささっ、どうぞどうぞ。お願いだからもうお引き取りください」

「ムッ。な、何かムカつく扱われ方ね、それ。まぁ別にいいけど、こっちもそのつもりなんだけどー、な、何~かムカつくわね」


 釈然としないわ。といった面持ちで女の子が名雪を睨む。ぷくっと頬を膨らませた様には大層可愛げがあった。この子の『裏』を知らない同学年の男子諸君なら、あるいは数分前の、まだこの子と出逢う前の自分なら一発でKОされてしまっただろうと、名雪は思った。

 けれど、その枠にもう名雪はいないのだ。

 名雪は出世したのだ。もう特別枠なのだ。

 知ってしまった。その、彼女の裏という奴を。


 ……この子、こそ泥だったよ。


 だから、別段ときめきもしなかったし、

 むしろ部屋を荒らされておきながら怒られるっておかしくね。さっきから逆切れじゃね、

 こいつ。と、名雪は憤った。


「はいはい、早く帰れ。大体もう十時過ぎだぞ。お前の親だって心配してんだろ」

「ふーんだ。親は心配なんかしてないもーん。私そういった心配全然されてないもーん」

「て、てめぇ」


 もーんもーんと、バタンと人のベッドに寝転がって両手両足をバタバタ――その、どこか不貞腐れたようにも見える態度にはやはり反省の色が見えない。

 お、おのれぇ。俺の部屋をこんなにしておいて……。

 そんな彼女に対する名雪のイライラは、さらに膨らんでいった。


「嘘こけ! お前そんだけ可愛い――じゃなくて、そんだけ頭のおかしい娘が夜遅くになっても帰って来なかったら、そりゃ親なら心配するだろ! だって娘の頭がおかしいから、頭のおかしい娘が何か頭のおかしいトラブルに巻き込まれたんじゃないかって、そういう心配をすんだろ!」

「ふっ。浅はかね。それがそうはならないのよ。私の親はね、私の親は……」


 そこまで言って、「ん?」と、女の子は眉間に皺を寄せた。

 どうやら大切なことに気づいたらしい。


「ちょっと待って。あ、あんたさ、さりげなく私を愚弄してない?」

「チッ、バレたか」

「えーいやそれ普通バレるよね。え、えーと。あ、あのさ――一発殴っていい?」


 いきなり怖いことを問いてくる女の子。

 そんな彼女に、名雪は『俺はМ男ではないから嫌だ』といった旨を頭のおかしい子でも分かるよう原稿用紙一枚分、四百時程度で丁寧にまとめようとした。

 けれど、


「ってちょ、おい! ちょっと待て! お前っ、自分が確認してる最中に拳を振り下ろすなよ!」

「うるさいうるさい! こ、この私を馬鹿にすんなよ! 私こう見えても超頭いいんだからな! 成績超優秀なんだからな! オール五なんですからぁー!」

「あー分かった分かった! 分かったよ。そう慌てないで。お前がそういう設定で生きているのはさ、僕よ~く分かったから」

「むむむムキーッ!」

「おぉぉ!」


 ムキ―ッなサルっぽい奇声を上げて、サルみたいな動きで(どんな動きだ)女の子がベッドから名雪に跳びかかる。

 しかし、このとき。

 女の子はまだ把握できていなかった。


「ん?」


 自分の敵がどこに潜んでいるのかを。


「ありゃ?」

「おほほーい!」

「ひゃ、キャッ!」


 直後。

 女の子は眼下のブツにつるりと足を滑らせた。 

 女の子が後方へとバランスを崩す寸前。つまり、着地の際。なんと彼女の靴下の裏には、小野名雪のパンティーが存在していたのだ。


「ふーう」


 名雪は偉大なるパンティー神のご加護を受け、安堵の吐息を漏らす。それからやれやれと言わんばかりにめいいっぱい肩を竦めてみせた。さらに口角も見事な具合に吊り上げてみせ――それは大変ムカつく仕草でした。ムカつく仕草でしたので、


「あーあこりゃ情けない恰好。ぷぷぷ――って、えぇぇぇぇ!」

「ア・ン・タ・も、道連れになりなさい」


 女の子はバランスを崩している最中、最後の力を振り絞って名雪の胸元を掴んだ。

 ムカつく名雪を床に叩き落として、己と同程度のダメージを負わせようとした。

 ……。

 いや、したのだが、


「いっ、いたたったー。ねぇあんた大丈夫? 死んだ? やっと死んでくれたヤッターって、ちょ。ちょぅぅぅぅ……なっ、なっ、なっ、何よこれ――ッ!」


 結果は次の通り。

 ……ははっ、お世辞にも大きいとは言えないけどな。モミモミ。

 名雪の顔面が、彼女の胸の谷間に飛び込んだのだ。

 つまり名雪の、

 大ホームランだった。


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