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 なつのボーナス

作者: 藤村綾

 雨が振り出した。おもてはしとしととなにかを話しているかのように、静寂な夜の邪魔をする。

 天気予報では明日は晴れマークなので、洗濯をしたいと思った。やっと梅雨らしくなった。今年は例年よりも梅雨なのに雨があまり降らない気がする。例年とは向こう30年の統計らしい。テレビの無駄な雑学でやっていた。

 なおちゃんは、あと、正しければ5分で帰ってくる。20時半になる。

 月曜日は日曜日の深酒と暴飲暴食でパンシロン。

 火曜日は外回りが多く、相手先の人に気をつかいで、パンシロン。

 水曜日はジムにいき、あたしの頭を洗い、疲弊しつつ酒を飲んだあと、パンシロン。

 木曜日は会社の食堂の定番ランチが八宝菜で脂っこくてパンシロン。

 金曜日は明日休みなので、パンシロンは滅多に飲まない。

 胃腸はおそろしく悪い。なのに、酒豪である。


「ただいまぁ」

 20時32分に帰ってきた。鳩が入っていなくて、フクロウの出て来るフクロウの時計。

 あたしはフクロウがあまりにも話しかけてくるのでうんざりし、目を黒い油性ペンで塗りつぶしてやった。『やめろ」『やめろ』と、騒いだけれどその後は目があうこともなくなり、話さなくなった。なおちゃんはまるで気がついてはいない。

「おかえり」

 あたしはご飯を作らない。料理が嫌いだし、好きな物を好きな時に食べるようになっていて、なおちゃんの買って来たものを少しつまみ、杯を重ねる。と、いってもあたしはノンアルコールビールだけれど。

「今日ね、また肉を買ってきた」

 袋からガサガサと味付け肉をおもむろに取り出し、ついでに缶ビールも6缶入り2ケース取り出す。

「鳥肉の味がついたやつと、豚肉の味がついたやつ」

味付け肉は焦げるからやめてよ。2日前に言ったぶんだったけれど、30%OFFのシールが貼られた瞬間、あたしの言ったことなどはすっかり一蹴されてしまい安さに負けたのだと、殊勝な物言いで呟いた。

「キャベツがあるわ」

それこそ、見切り品のキャベツである。コンビニで売っていた。最近はコンビニでも野菜を売っている。しかもあまり需要がないみたいで、すぐに値引きになる。あたしもなおちゃんのことは言えない。同胞である。

「キャベツは一緒に炒めるの?それともサラダにする?」

そうねぇ。半切りしかないから、なおちゃんの方を見やり、そこまで言ったら、遮るように、なおちゃんが、

「じゃあ、炒めるか」

あたりまえのように決断する。

「あ、うん、そう、そうだね」

なおちゃんの決断をすっかり認めた。

本当は千切りにし、カサを増やしてサラダにしようと思ったのだった。せこいなぁ。あたしは1人お追従笑いを浮かべ、なおちゃんの背中にべったりと抱きつく。

「汗くさいよ。足もくさいよ」

「わかってる。このまま、少しだけ」

クンクンと鼻をならす。会社とタバコの匂いがする。おもての空気を纏ってきたなおちゃん。けれど、作業服を脱ぎ、靴下を脱ぎ、お風呂に入って、布団に入ればたちまちあたしの匂いになる。一緒にいると同じ匂いになる。同じ匂い。同じ人種。なおちゃんの体内に取り込まれてゆくみたいに。


着替えを済ませ、台所に立つなおちゃんの片手にはビールがある。

「うっまーい」

ビールの泡のヒゲをたずさえ心から美味いと口にする。

ジュージューと肉の焼ける音がする。

あたしはダイニングテーブルに座り、肉がでてくるのを待っている。

料理が出来ればなぁ、と、毎日思ってみる。帰って来て料理が出来ていたら嬉しいはずだし、なおちゃんも楽が出来る。

けれど、出来ないのだ。出来ないというか、どうしたらいいのかわからないと言った方が正解かもしれない。クックパッドがあるよ。1回だけ言われたが、見たけれど、本当に見ただけで、頭の中がたちまち混乱をした。要領が悪い。仕事も、恋も。

「食べよ」

あたしの背後に肉の乗ったお皿を持って立っているなおちゃん。

ぼんやりしていて気がつかなかった。

「うん」

サトウのご飯と肉がたちまちテーブルを支配する。

「いただきます」

手をあわせ、2人の声が重なった。

「うーん、美味しいね。焦げてないし」

したり顔。なおちゃんは、まあな、と、鼻白み、慣れかなと、付け足す。

「慣れ?」

クスクス。あたしは、すっかり微笑を浮かべる。

「そう、慣れ」

慣れ。あたしは慣れの単語が嫌いだ。馴れ合い。あたしとなおちゃんも最近『慣れ』ている。こと色恋に。

肉を頬張りながら ー味付け肉は味が濃いー 

「そろそろ、プール季節だね」唐突に脈絡もなく口にいた。なおちゃんは顔をもたげ、暑くなったからね、と、それだけ言って、再びお皿に目を落とす。

《あしたプールにいきたいんだけれど》

 喉のそこまで出かかった言葉を飲み込む。肉と一緒に。明日は土曜日だ。

「あ、そういえば、明日さ、ゴルフだからね」

 先になおちゃんが予定を誇示した。プールのこと言わないでよかった、と、安堵するも、先週もゴルフだったよね? とは決していえない。またぁ!ゴルフなの? とも。

「で、夜はさ、卓球の練習」

 さらに予定を付け足す。

 お皿にある肉はほどんどなくなっている。サトウのご飯って美味いな。あっという間に平らげた。

 休みのときくらい、どこかに行こうよ。

 一緒にいる時間が長くなれば、長くなるほどなおちゃんを遠くに感じてしまう。あたしだけがいつも孤独でいつもひとり。

「どした?」

 うつむいたまま押し黙ってしまった。あたしは、力なく首をよこにふる。

「あ、そういえばさ、」

 缶ビール2本目あたり、なにかを思い出したかのよう、目を見開き、はい、と、あたしに車の鍵を渡した。

「なあに?」

 お揃いのクマのキーホルダーのついた鍵。クマが薄汚れている。

「車の中のダッシュボードにいいものが入ってるから。とって来て」

 あ、うん。うなずき、おもてに出てカローラワゴンをあける。いつも助手席だし、あたしは免許を持っていないので、運転席は異空間だ。運転席に座ってハンドルを握ってみる。一応。

 ダッシュボードをあけると、茶封筒が2個入っていた。2枚? やや厚みがあって2個と呼んだほうが正論のような気がした。なんだろう? 茶封筒には『お疲れ様でした』と、書かれており、あ、あたしは声を上げた。

 夏のポーナスだった。

「なおちゃん、ダメじゃない。車の中にこれ置いといちゃあ」

 開口一番にまくしたてる。

「家も車も同じだし」ははは。不明瞭なものいいにむっとした。ははは。そこ笑うとこかしら。

「見てみなよ」

 重みがあった。夏のボーナス。いいの? 一応確認をし、いいよ。なおちゃんは顎でクイっと合図しあけな、と勧めた。

「わー、すごい!」

 なおちゃんの会社はボーナスだけは現金支給だ。『おつかれさま』の意らしい。敬意の証だろう。

 明細をみたら、またなおちゃんのお給料があがっていた。ぶちょうてあてプラスなんとかてあて。ボーナスも税金でかなりひかれてはいたが、それでもそうとうな金額だった。

「サラリーマンはこれがたのしみなんだよね」

「そうだね」

 もうひとつの茶封筒には金一封と書いてあり、特別な人だけがもらえる別のボーナスだった。

「これも合わせると手取りでそうとうな額だね」

「だね」

 なおちゃんは、『金一封』の方をあたしに差し出し、「これ、ふーちゃんのボーナス」といって、お金をよこした。

「ええ!」

 えええ! なんども、えええ! と驚く。

「いらない」

 あたしは、せっかくだけど、と、いい突き返す。

「なんで?」

「なんでも」

 なおちゃんのビール代にして。毅然と言いのける。

 お金など要らなかった。お金はいい。ただでさえ面倒をみてもらっているのに、だし、お金をもらうことにとても抵抗があった。あたしはお金よりもプールに行きたいのに。

 思っていることの半分は言えないでいる。

「いいから」

 なおちゃんも食い下がる。あたしは途方にくれた。お金をその場においたまま、食べたものをシンクに運ぶ。

「いいからね、意味はないから」

 目を細めながら、台所まで来て茶封筒をあたしに渡してくる。

「ありがとう」

 明日、少々高めな牛肉を買ってこようかな。とぼんやり思う。言葉が少ないあたしたちだから、喧嘩もなくうまくやっていけるのかもしれない。

「サトウのご飯もう一個チンして」

 肉はすっかりなくなっている。おかずがない。

 あたしは、チンをしたサトウのご飯と一緒に味しおを持っていった。

 缶ビール3本とサトウのご飯2パック。

 ダイニングテーブルのわきにパンシロンもそうっとおいておいた。容赦なく入ってくる食べ物たちは、パンシロンにて守られている。

「なおちゃん、」

 ややまがあって、なに? あたしはなおちゃんの横に座る。

「好き」

 目を丸くするなおちゃんは、なにいってんの? そんな形相であたしのおでこをそうっと撫ぜた。

 そういえば、さっきおもてにでたら雨がすっかり止んでいた。

 雨だったら。

 ゴルフなくなったのにな。これもまた内心に秘めあたしはなおちゃんの胸の中にすっぽりとおさまる。

 フクロウの目は真っ黒だ。

 かわいそうなことしたかも。

 忸怩たる思いにあたしは目を伏せる。

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