08 ごちそうの群れ
水龍が屋敷の鍵を開けて出て行くのを、俺は慌てて追いかけた。
たしかに水龍は強いのかもしれない。さっき見せてくれた魔法だって俺の想像を超えたすばらしいものだった。
だからってオオカミが10頭以上いる場所に飛び出していくか!?
彼女はオオカミの話を俺から聞いただけで直接はみていない。小型のオオカミだと思っていたり、自分が龍ではなくなっているという現実をいまいち理解していないのかもしれない。
「ちょっとまて! 気持ちはわかるけどその身体でオオカミの前に飛び出すのは自殺行為だって!」
『なんじゃ近くで大声を出すでない、耳がキンキンするわ』
「いまのお前は龍じゃないんだぞ! 魔法が使えるからってオオカミ相手に飛び出すなよ!」
『騒がしいのう、今更そんなこと言うてなんになる。ほれ、お出ましじゃ』
そう言う彼女が指差す先、ゆっくりと距離をつめるようにして現れるオオカミたち。その数6。多い、と同時に少ないとも感じる。
残りはどこに、俺を追い詰めたときのように隠れて様子を伺っているのか? 後ろへ回り込んでいる? だが裏は屋敷でオオカミたちに屋根へ上れるほどの跳躍力があるとは思えない。
必至に頭を悩ませる俺の前を、水龍がオオカミたちのほうへと歩き出す。
「ちょっ!?」
『大丈夫じゃから見ておれ』
彼女の腕をつかみ引き戻そうと手を伸ばすも、それより早くオオカミの内2頭がこちらへ飛び掛ってきた。
俺は恐怖から反射的に腕を引いてしまう。
やられる! とっさに強く目を瞑ると俺の耳に
"パンッ"とどこかで聞いたような音が響く。
以前に聞いたのはどこだっただろうか?
ああそうだ、魂だけのあの空間で俺のすぐ近くで魂が破棄されたときの音だ。
ゆっくりと目を開いた俺の前で、白い服を真っ赤に染めた彼女が笑っている。
その足元にはなにがどうなったのか、お腹を吹き飛ばされた狼が転がっていた。
『だから言うたじゃろう、この程度平気じゃと』
さらに1頭が彼女へと飛び掛るが、それも彼女がひと撫でしただけで身体の内側から膨張、そのまま吹き飛んでしまった。
『うーむ、このやり方は楽なんじゃが肉が無駄になるのう』
「な、なにをしたんだ」
『水魔法はな、さっきのように空気中の水分から水を生み出すこともできるが、疲れるんじゃよ。じゃから元々ある水を使ったんじゃが、この肉は食べる気がせんな』
元々ある水、ようは血や体液のことだろう。
相手の水を操作して攻撃した事実に一瞬自分もと恐怖するが、それはないだろう。
彼女は敵ではないし、それをするつもりならとっくにやっている。
それに先ほどオオカミを破裂させた際にその箇所に触れていた。
さすがに離れた場所の相手の血を操作したりはできないのだろう。
……疲れるからしなかった、なんて答えがなければだが。
『仕方ない、もう少しまっとうに倒すとしよう』
そう呟くと彼女は人差し指を空中で躍らせる。
複雑に、しかしすばやく何かの形を紡いでいく。
しかし残りの狼たちがそれをさせまいと襲い掛かってきた。
目の前で仲間2頭が惨殺されたというのに勇気があるというか無謀だというか。彼らは獣といえど決して馬鹿ではない。
現に俺は罠にはめられ追い詰められた。だが、今回に限っては相手が悪かった。
狼たちが彼女にたどり着くよりもはやく、空中に水球が現れる。
バスケットボール大のそれはとても綺麗な丸を保ちふよふよと浮かんでいる。
それも狼たちが近づくまでだった。
彼女へとあと3mという近距離に迫った瞬間、水球は狼1頭につき1つその体を伸ばした。それはさながら強力な水鉄砲のように。
やったか! と思ったのがいけなかったのだろうか。
狼たちは1頭残らずそれを避けてしまう。
「ああ!?」
しかし叫んだのは俺だけだった。
彼女が指をひょいっと曲げると、避けられたはずの水鉄砲は挙動を変えてオオカミたちを拘束した。水はヘビのように彼らの胴に巻きつき空中に浮かべている。
その光景はさながら水球から生えた触手が獲物を捕食しているかのようだ。
『これで終いじゃ』
彼女が立てていた指を握りこむと、水の触手はその先端を伸ばしオオカミたちの口へと入り込んでいく。がぼがぼと声にならない声をあげもがくオオカミたちだが、しばらくすると皆大人しくなった。四肢
も力を失いだらんとしている。
溺死、その単語が頭を過ぎる。
『うむ、コレなら血も浴びぬし肉も綺麗なままじゃな。肉食獣ゆえちとクセはあるじゃろうが、まぁ食えなくはないじゃろ』
きらきらとした笑顔で、全身にべっとりと血をあびたままの彼女がこちらへ声をかけてくる。
『調理場へ運ぶのを手伝ってくれんか? この姿ではこのまま食らいつくわけにはいかんし、その程度で魔法をつかってられぬからな』
「あ、ああ。分かった」
そう答えはしたものの、俺はこの時彼女に恐怖していた。
オオカミを破裂させたことも驚きだが、それ以上に食事のために、肉の味を落とさないために狼を水で窒息死させた彼女のことが恐ろしいと感じたのだ。
例え前世の姿に身をもどし、それが可憐な美少女であっても。
彼女はたしかに龍だった。
俺はとんでもないやつと一緒にいるんじゃないかと、今更ながらに体が震え、彼女を直視できず地面を見つめた。
その地面に、明らかに俺以外の影があった。
「え?」
咄嗟に上を向けば屋敷の屋根から飛び掛ってくるオオカミが4頭。
オオカミが屋根に上れそうも無い、だなんて前世の知識ですっかり油断していた。
いったい俺は何度反省すれば気が済むのだろう?
相手の牙が体に触れる瞬間能力を使えば、いやだめだ複数同時につかったことはないし恐らくできない。
ならここから逃げようと思うが足がすくんで動けない。
死ぬ。
ぶおんっ、と大きな風きり音が聞こえた。
俺の目の前を長い何かが通り過ぎ、オオカミたちを1頭残らずはじきとばし、壁に叩きつける。
壁に赤い跡を残したオオカミたちはビクビクと痙攣しているが、あれではもう長くないだろう。
「え?」
いま、何が起きた?
辺りをみれば、水龍が自分のすぐ近くまで来ていることに気がつく。
長い尻尾をゆらゆらさせて、まるで龍の姿のときのように強い眼光で弾き飛ばされたオオカミたちを見ている。
「あ、ありがとう」
彼女が助けてくれたという現実に頭が追いつき、どもりながらもお礼を言う。
それに水龍は厳しい視線を和らげ、顔を背けた。
『目の前で死なれては目覚めも悪いからの』
耳がピクピクしているのは照れているからだろうか?
こちらへ向き直ろうとはせず、弾き飛ばしたオオカミたちに水魔法で止めを刺している。
『なー、手伝ってくれんかのう。これいまの妾にはちと重いんじゃよ。聞いておるか? なー』
仕留めたオオカミの内1頭をずるずる引きずっている彼女を見て、肩の力が抜ける。
知らずのうちに息を止め溜め込んでいた空気を吐き出しながら、震えの納まった体に力を入れて叫び返す。
「あーもーせっかくの肉を引きずってどうするんだよ! 俺がもってくから少し休んでろ!」
『おお、全部任せてしまってよいのか? 気が利くではないか』
一瞬でも彼女を疑ってしまったなさけない俺は、ちょっとなさけない彼女に手を貸す為に近づいていくのだった。
さて、任せろとは言ったものの狼4頭はちょっと多くないですかね?