02 前世還しお試し中
森の中を悠々と駆けていた俺は強い獣臭を感じて足を止めた。
小さな鼻をヒクヒクさせて臭いがする方向を探ろうと試みる。
今の嗅覚は人間の頃よりも確実によくなっている。
残念ながら犬のように何倍も良いわけではないと思うが、それでも臭いの方向くらいわかるだろう。
そして思惑通り方向がわかった。
進行方向より少し右だ、そしてすごい勢いで臭いが強くなっていく。
ん? ということはもしかして近づいて来ている?
ぼんやりそう考えていた俺の長い耳に、草を掻き分ける音、地面を強く蹴る音がはっきりと聞こえた。
そして草むらを突き抜けて高さ1mはあろうかという巨大イノシシが姿を現す。
否、突き抜けたまま勢いを殺さず俺へと突っ込んでくる。
大迫力だな! って呑気に言ってる場合じゃない!?
その突進を軽く横にステップして避ける。
ここまで森を歩いていて分かったのだが、この身体はとても優秀だった。
整地などまったくされていない地面もなんのその、1mくらいの岩なら気軽に飛び乗れる跳躍力もある。木も枝が低ければ登れるだろう。
動物ってすごいなぁと実感しつつ、イノシシのほうへ振り返ると目と鼻の先にイノシシがいた。
「きゅいいいい!?」
うおおおおっと!?
慌ててジャンプ、イノシシの頭上を飛び越える。
もし全裸人間でうろついていたら今頃大怪我、下手をすれば死んでいたかもしれない。
転生直後イノシシに襲われ全裸で死亡なんて冗談じゃない。
緑のもふもふ姿でいたのは英断だったってことだな。
まさかあのタイミングで避けられるとは思っていなかったのだろう、イノシシはそのまま俺の後ろにあった大木に激突していた。
まぁ、俺も避けられると思わなかったのだし当たり前だ。
しかしその程度ではなんともないのか、弱るどころか明らかに興奮してこちらへと向き直る。
ぶほぶほと荒い鼻息を隠そうともしていない。
自滅したというのにその怒りをこちらへ向けられるのは理不尽ではなかろうか。
こいつから逃げるのは大変そうだが、俺は自分の視界にひとつの対処法を見出していた。
怒れるイノシシが迫るも、俺は冷静に、ギリギリまで引き付ける。
正直に言おう、めちゃくちゃ怖い。
まず緑のもふもふ姿なのでイノシシが自分より大きい。
それを差し引いてもさっきの突進は恐ろしいほどの大迫力だった。
よく猪突猛進や猪武者のようにまっすぐ突き進む言葉に使われる猪だが、実は非常に身軽で方向転換が上手いのだ。
遠くで避けて、通り過ぎる時に横から攻撃とかできるなら俺だってしたい。
ギリギリで避けたほうがかっこいいかもしれないけど、俺は安全なほうが好きだ。
でもできない、ギリギリで避けなければ簡単に方向を修正して突っ込んでくるのだ。
恐怖の数秒を耐え、チャンスが来る。
突っ込んでくるイノシシの真上へさっきよりも力を抑えて跳躍する。イノシシが通り過ぎるより早くそのままイノシシの真上に着地する。
走っている車の上に歩道橋から飛び降りるようなもので、普通なら怪我をするだろう。
だが俺は無事ソレを踏み潰していた。
ソレはさっきまでイノシシだったもの。
手の中には暴れる海老がいた。
俺の能力である|《前世還し》は自分以外にも使用することが出来る。
使用条件は俺の体が一部でも相手に触れていること。
そして|《前世視認》では視界に納めた相手の全ての前世と転生回数を任意で確認することができるのだ。
このイノシシの前世が海老だと分かった俺は心置きなく真上に飛び降りた。
おっと、まだ手の中で暴れているな。
俺は海老をべちっと叩いて止めを刺すと、生のまま頂くことにした。
今までなら硬い殻とかで口の中を怪我しそうなものだがこの身体は頑丈だった。
殻をばりばりと噛み砕いてそのまま美味しくいただきました、ご馳走様。
ちなみに|《前世視認》だが、俺の人間より前の前世も確認することができた。
正直にいうとあまりぱっとした前世はなかったので、その紹介は機会があったらでいいだろう。
おいしい海老を食べて満足した俺は改めて森の中を進むことにする。
すこし食べたせいか、もっと色々と食べたい。有体に言えばおなかが空いた。
辺りを見回し、なにかおいしそうな獲物がいないか探し始めてすぐのこと、俺は妙なものを見つけた。
タガメとサンショウウオが向かい合っている。
なんだろうあれはと首をひねり、思った以上に首がひねれてバランスを崩してそのままこけた。
イノシシとの一幕でもわかったようにこの身体は非常にやわらかいしバネもある。
とても優秀なのだがその分人間の頃との差異に戸惑うこともあった。
その人間の頃との差異で思い当たり、発動しっぱなしだった|《前世視認》を解除する。
タガメとサンショウウオの姿は体長1m以上はある立派なオオカミ2頭へと代わった。
この能力は必要な時に発動するようにしないとダメだな。
安全な生き物だと思って近づいたら実はってことがありえる。
オオカミ達は灰色の体毛に、犬のようだがより尖ったフォルム。
凶暴そうな牙をむき出しに周囲をうかがっている。
俺の知っているオオカミより何倍も凶悪そうな面構えをしている。
相手は2頭だけ、偶然とはいえ能力越しに視て前世もちなのは分かっている。
ここは不意を打って倒してしまおう。
草むらに身を隠し、がさごそと音を立てつつ近づいていく。
こんなに音を立てているのに気がつかないとか、馬鹿なオオカミもいたものだ。
俺は狙いをつけると、思い切り飛び掛ろうと――
――した瞬間上からなにかに思いっきり叩きつけられた。
げふっと肺から空気を押し出され、上を見やればそれは狼の脚だった。
馬鹿は俺のほうだ! この距離に近づいて、音までさせて野生の獣が気がつかないわけがない!
「グルルゥ」
俺が馬鹿だと思っていたオオカミ達もゆっくりと近づいてくる。
自分を囮にして、俺の背後から仲間に襲わせたんだろう。
普通のオオカミがこんなことをするのかは知らないが、ここは俺の生きていた世界じゃない。
別の世界に転生したという自覚が足りなかった。
俺が見ていたオオカミと、俺を押さえつけているオオカミに加えて、もう1匹草むらから出てくる。
計4匹、このままじゃまずい。
考える余裕はすでになく、俺を押さえつけているオオカミへ背中ごしに|《前世還し》を発動する。
運よくこいつも前世もちだったらしく、オオカミはもぐらのようなよくわからない生き物になっていた。それを後ろ足で蹴り飛ばす!
一瞬の出来事に混乱しているオオカミ達を無視し、全速力で駆け出した。
今回のことでひとつだけわかったことがある。
どんな能力を持っていようと、不意打ちを食らえば俺はあっけなく殺される。
ここは前世ほど優しい世界じゃないらしい。