10 鶏の群れ
『あったぞ。あれがその町、のハズじゃ』
「や、やっと着いたのか……」
意気揚々と出立してから6時間ほどが経過していた。
そしてその6時間歩きとおしていた。
緑のもふもふ姿ならいざ知らず、今の俺は前世の人間の姿をとっている。
寿命を迎えた時に比べたら遥かに若く健康的な肉体とはいえ、別段鍛えていたわけじゃない。
そんな身体で長い間歩き続けた俺は疲労困憊だった。
すでに森は抜け、青々とした草の茂る平原へとやってきていた。
「やっと、やっと休める……」
『むぅ、随分と軟弱な奴じゃのう』
「そう言われても、お前は疲れてないのか?」
水龍、もといアオメだって前世の肉体になっているのだから、龍の時とは勝手が違うと思うんだが。
『ふむ、たしかに少し疲れた気はするが、まだ半日くらいなら歩けそうじゃの』
「まじかよ、その身体すげーな」
『そうなのか? 妾は長いことあの屋敷から出ておらなんだからな。身体の違いといっても魔力の強弱程度しか分からぬ』
言われてみれば、あの巨体であの屋敷に押し込められていたら満足に動くことも出来なかったんだろう。
仮にあの水龍としての身体に何日も走りとおすだけの体力が秘められていたとしても、まさに宝の持ち腐れだったわけだ。
『それに引き換え今は自由に動ける。この身体にしてくれたこと、改めて感謝するぞ』
「そうか、そりゃよかった」
その身体は俺が作ったわけじゃない。
水龍の前世であり、その姿で生き抜いたからこそ水龍も転生できたのだろう。
そう思えば俺が感謝されるのもおかしな話なんだが、美少女にお礼を言われたら頬が緩むのも仕方ないよな?
「あと20分くらい歩いたら町で休めるかなぁ」
『いや、目算じゃがあと3時間はかかるぞ?』
「はぁ!?」
遮るもののない平原で、感覚がおかしくなっていたらしい。
来た道を振り返れば遠くに見えるのは俺たちが出てきた森だ。
あそこから今いる場所まで、時計がないので感覚でだが約3時間。
そして町をみやれば森と同じくらいの距離にある。
「まじかよ、流石に休憩させてくれ」
勘弁してくれとその場に倒れこむ。
手足を文字通りの大の字に伸ばし、上を見れば文字通りの青空に白い雲。
やわらかい風が頬を撫でて、絶好の昼寝日和だった。
『しょうがないのう、妾が見張りをしておいてやるから、しばし寝るが良い』
「お、さんきゅー」
お許しが出たので素直にまぶたを下ろす。
今までの疲れが噴出したのか、一気に睡魔が押し寄せてきた。
これで起きたら美少女のアオメが居てくれるんだから俺は幸せものに違いない。
「なんて考えていた時が、俺にもありました」
空を見れば青から茜へとその色を変えている。
結構長いこと寝ていたんだろう、夜が近いからか風も少し冷たくなっている。
そして俺は起き上がろうとして、起き上がれなかった。
俺の腹の上、体を横断するように長く、重い尻尾が乗っていたのだ。
間違いない、アオメの尻尾である。
横を見ればすやすやと幼子のような寝顔を浮かべるアオメがいた。
「かわいい……」
思わずもれた自分の声に顔が熱くなる。
たしかに美少女だとは思っていたけれど、こんな近くでまじまじ見ることなんて無かった。
衝動的に頭を撫でたくなり手を伸ばそうとして、体を横断する尻尾の重みで腕を上げることすらできなかった。
美少女が横で無防備に寝ていて、物理的に手が出せない状態である。
「これが生殺しかぁ、始めて経験するなぁ」
前世では異性に縁がなかった。
かわいいと思う相手はいたが、告白すらしたことがない。
そんな俺だからこういう状況は始めてで、もっと慌てると思ったんだがそんなことはなかった。
尻尾が重くてそろそろ息苦しいのだ、隣で寝ている美少女に欲情する余裕なんてない。
っていうか俺が起きたのも生命の危機に対して本能が命令したからに違いない!
考えてもみてほしい、屋敷の屋根から飛び掛る数頭のオオカミたちを一薙ぎで戦闘不能に追い込むような尻尾だ。
その重量と頑丈さは押して知るべし。
それが今、俺の体を横断している!
鍛えてもいないやわらかいお腹に乗っている!
この状況で万が一、寝返りをする程度の気軽さでこの凶器が振り回されたらどうなるだろう。
想像するまでもなく、あのオオカミたちの二の舞だ。
あの時俺はオオカミを破裂させた水魔法に恐怖したが、この尻尾のほうが余程恐ろしい。
「あ、アオメ? アオメさーん? お、起きてくれないかな?」
大声で起こせば驚いたアオメが反射的に尻尾を振り回してしまうかもしれない。
俺はそっと、しかし小さくはない程度に声量を調整して声をかける。
難易度の高いこのミッションをやり遂げなければ俺に明日はないのだ。
「ほら、もう日も暮れそうだし、完全に夜が来る前に町にたどり着きたいだろう? こんな場所じゃなくふわふわのベッドで眠りたいだろう?」
こんな場所で寝始めたのは俺なんだが、それは言いっこなしである。
そのまましばらく声を掛け続けるも一向に起きる気配がない。
なんだかんだ言って彼女も疲れが溜まっていたのだろう、仕方ない。
俺は視線を茜から濃紺に変えつつある空へと戻し、ゆっくりと待つことにした。
そんな俺の視界に、赤と白の二色が入り込む。
「は?」
思わずマヌケな声を上げる俺。
その二色がすーっと俺から離れていくと、その全容が分かった。
鶏である。
紛うことなき鶏さんだ。
それも野生で居そうな茶色とかではなく、養鶏場にいるような赤い鶏冠に白い身体の鶏さんである。
その鶏さんが嘴を天高く突き上げている。
「ちょちょちょちょっと待てお前まさか!?」
俺の制止も空しく、それは俺の額へと力強く突き立てられた。
「ぎゃあああああああああああ!?」
『にゃんじゃ!?』
俺の悲鳴に驚いたアオメが飛び起きたようだが、俺はそれどころではなかった。
痛い痛い、とにかく痛い! 例えるならそう、いや例えてる場合じゃない痛い!
アオメの尻尾がどいたことで自由になった両手で額を押さえて地面を転げまくる俺。
視界の端では鶏さんが翼を広げ天に向かって「コケーッ!」と鳴いている。
勝利の雄たけびだろうか?
その姿にイラっときた俺は少しだけ冷静さを取りもどすと、額の傷を確認してみる。
するとどうしたことか傷がない。血も出ていない。
しかし確実に異変はあった、額が硬いのだ。
無論頭蓋骨の硬さではなく、皮膚があるはずの場所が石のように硬くなっている。
「なんだこれ?」
ぽりぽりと爪で引っかいてみるが感覚がなくなっているのか痛みはない。
まぁ、怪我してないなら気にしなくてもいいかと手を退ける。
その額がアオメの目に映った瞬間、彼女は寝起きの呆けた表情を険しくし、未だ雄たけびを続ける鶏をさっきまで俺を押さえつけていた尻尾で地面へと叩き潰した。
その瞬間、俺の額の違和感が消え去り、触れてみれば柔らかい肌へと戻っている。
「な、なんだったんだ今の?」
『気をつけろ、コカトリスじゃ!』
「へ?」
俺が再度マヌケな声を上げた途端、空から大量の鶏が降ってきた。
実は10月にはここまで書き終わっていたんですが、今年が酉年なことに気がついたので投稿待機してみました。一部わかりやすいように章を追加したりずらしたりしましたが改稿はありません。




