09 旅立ちの朝
昨日の夕飯はうまかった。
肉の臭みは抜けてないし、血抜きなんて言葉は聞いたことがある程度だったから上手くはできていなかっただろう。
オオカミを捌くのだって水龍にこの屋敷にあった本を読んでもらい、念話で教えてもらいながら四苦八苦してやったのだから下手だったに違いない。
それでも久しぶりに食べた火を通した肉は、単純な塩味でも美味しかったのだ。
『お主料理が下手じゃのう』
「久しぶりに火の通った肉を食べてご満悦の俺によくそれが言えるな」
気分を台無しにしてくれる水龍である。
『いや、妾も美味しいとは思ったのだぞ? じゃがお主、もうちょっとなんとかならんのか』
「そう言われても肉を一から捌いたことなんてないし」
電化製品どころかガスコンロもない環境でよくやったと褒めてもらいたいのだが、それをこの世界の人間に望むのは無茶か。人間じゃなくて水龍だけど。
『この屋敷に住むならばせめて料理くらい出来るようになってもらわねばな』
「いや、俺はすぐ出て行くけど」
『なんじゃと?』
お互いに顔を見合わせる。
俺がこの村、正確にはこの方角へ向かっていたのはなにか力のようなものを感じていたからだ。
しかし水龍が人型へと姿を変えてからその力を感じなくなっている。
察するにあれは龍とかそういう存在が発するエネルギーみたいなものだったんだろう。
となれば俺がここにいる理由はない。
恩人を探しに旅立たなければならないのだ。
『なるほど、お主はその恩人とやらを探して遠い国からここまで来たと』
「そうなんだ、だからこの辺りの言葉や地理はまったく知らなくて」
ということにしておいた。異世界もののお約束である。
現実にはつい最近この辺りで目覚めたのだから遠い国出身どころかこの森出身なんだろうが、前世の記憶をもっている俺にはその自覚が薄い、というかない。
『ふむ、そうか。ということはお主が旅立つと妾はまたひとりか』
「なんだなんだ、寂しいのか? 一緒にくるか? ほれほれ素直にいってみなさい」
『それは良いな! せっかくの縁じゃ』
「え!?」
『なんじゃ、お主から誘っておいて不満があるのか?』
「いや、別に、ないけど」
さっきは怖がらせられたしちょっとからかってやれ、程度の軽い悪戯だったんだが。
その理由も半ば八つ当たりのようなものでさすがに口には出来ない。
できないが、良いのだろうか。
「おまえこの屋敷を守ってたんじゃないのか?」
『そうじゃな、この屋敷を守ることに不満があったわけではないし、離れて狩りにもいけるようになった。以前のように困っていることはない』
「だったら」
『じゃが、先にも言ったように妾にその願いを掛けた姉上はすでに亡くなっておるじゃろう。じゃからの、せめてどのような生涯を送ったのかぐらい知りたいのじゃ』
そう言った彼女の表情は少し寂しげで、長い尻尾も力なく地面に垂れているのを見て何も言えなくなる。
この屋敷に捕らわれていたと彼女は言っていたが、口にする言葉の端々からその姉上のことを慕っていたのだろうと分かる。同族や親のことを知らないという彼女にとって、その姉上が親代わりだったのかもしれない。
言うなれば恩人なのだろう。その恩人に先立たれる気持ちを俺はよく知っていた。
「仕方ない、一緒に行こうぜ」
『お主から誘ってきたんじゃろうが』
「おっと、そうだった」
馬鹿じゃなぁと笑う水龍に、なにおーと返す。
ちょっとだけ子供のころに戻ったようでうれしかった。
転生してまだ0歳なのだけど、前世では老衰するほど長生きしたわけで。
体が若返っているから精神も若返っているのだろうか?
それとも基本的にぼっちだった前世の俺は、自分で思っていたよりガキのままだったのだろうか?
『どうした、変な顔をして』
「ちょっと自分の人生について」
『馬鹿といったのがそんなに気になったのか。見るにまだ若いだろうに、まだこれから未来はあるぞ?』
自分の言葉で俺が考え込んでいると勘違いした水龍が、見当違いの慰めをかけてくる。
だがそうだ、今の俺は年老いた人間ではなく転生したばかりの、あー、あれ? なんだろう、緑のもふもふ? なのだから未来はこれからに広がっているのだ。前世は前世と割り切ろう。恩返しは転生した目的だからするにしても、それはそれこれはこれだ。
「そうだな! 俺には未来があるもんな!」
『お主、本当に馬鹿なのでは。いやなんでもない、そうじゃな未来じゃな』
水龍がなにか失礼なことを口走った気がするが、気にしない事にした。
『それで、旅立つにしてもお主はどこへ向かっていたんじゃ?』
「ああ、それなんだけど具体的には決めてなくてさ。とりあえず人や龍みたいなちゃんと会話のできる種族が集まってる場所がいいんだけど」
『50年前ならここから南へ向かって程近い場所に大きな町があったが、今ではどうなっているかわからぬな』
「おお、それで十分だ。そっちへ行こう!」
それで良いのかお主はとでも言いたげなジト目にさらされるが気にしない。そもそも目的地なんてないんだ、どんなに頼りないヒントでも頼らざるを得ない。
『なぜそこまでテンションが高いんじゃお主は』
「いやぁ、美少女と2人旅だぞ。俺じゃなくたって男ならテンションが上がるって! いや、女でもテンションが上がるかもしれない!」
『お、お主のいた国は女が女といてテンションがあがるのか?』
「全員じゃないが、そういうやつは多かったな」
まぁ一部の人達だが。俺のまわりは所謂変人も多かった。
『わ、妾が人間の裸に興味がないといっても、手を出してきたらゆ、許さぬぞ』
「い、いえすまむ」
水で出来た槍を眼前に突き出され、両手を挙げて答える。
言われなくてもそんな恥知らずなことはしない。
出会いはどうであれ彼女は服をくれ、狼を倒し、俺に知識を分けてくれたのだ。この世界で最初にできた恩人のようなものである。
でも、相手が恩人だろうとなんだろうと美少女と2人旅なんだがらテンションを上げるくらい許してくれ。前世の俺は恋人とか人生の伴侶的な意味ではボッチ街道まっしぐらだったのだから。
『ど、どうしたのじゃ、突然泣き出して』
「いや、俺と仲良くしてくれるやつらはどんどん結婚していったのに俺だけひとりっきりだった過去を思い出してきて……」
『ああもうそんな顔をするでない。手を出すのは許さぬが一緒にはいてやるから、な? それにほら、妾も50年以上独り身じゃぞ? 元気を出さぬか』
俺前世では80年以上独り身だったんです、とか。人間と水龍ではその辺違うんじゃないか、とか思うことはあったけれど、励まし自体はうれしかったので頷いておいた。
『ええとそれでなんじゃ、いつごろ旅立つんじゃ』
「そっちが特に予定とかなければ、すぐにでも出ようと思ってるけど」
元々宛のない一人旅だ、目的地も今決めたのだしぶっちゃけなにも考えていなかった。
『そうか、ではすぐに出るか』
「いいのか? なにか持っていくものとか」
『水は妾がいくらでも出せるし、肉は道中狩れば良い。服は幸い魔法の品で汚れぬから代わりを持つ必要もない』
言われてみれば確かに、その通りである。
『ちなみに金はない』
「ないのか」
『金に換えられそうなものはそこそこあるが、運ぶ手間を考えるとな。姉上は金貨や銀貨、果ては銅貨までご丁寧にすべて持っていったようじゃ』
まぁ彼女、水龍にお金が必要かというと、ないだろうな。50年ほぼ飲まず食わずで生きられるような存在だし、屋敷から出られないならお金を持っていても意味がない。
『代わりというわけではないが魔晶石なら多少あるぞ』
「魔晶石?」
『魔素の影響を受けて変質した水晶じゃ。中に魔素を溜め込む事ができ自分の魔力の代わりに使用したり、魔素を操作する術を行使する時も使うことができる』
実はさっきまでの水魔法もこれを使っていたのじゃと聞かされる。
安価なものは中の魔素を使いきると砕けてしまうが、高価なものになると自然に空気中の魔素を溜め直して再使用できるようになるらしい。
安価なものでもひとつ銀貨1枚、高価なものでは最低でも金貨1枚からと大分価格差があるらしい。
「といわれても俺にはこの地方の金の価値がわからないんだけど」
『仕方のないやつじゃのう、そんなだから嫁のなりてがおらんのではないか?』
「ほっとけ!」
『まぁ、妾も現代の価値はわからんのじゃが。妾は高価なものをいくつかもっておれば困らぬし、残りを町で売れば旅の資金になるじゃろ』
「お前もわかってないんじゃないか」
『それが金を出すものにいう台詞かの』
「大変申し訳ありません、非常にありがたいので感謝しております」
『うむ、苦しゅうない』
悔しいが何一つ反論できない。いまの俺は生まれたての赤子のようなものだ。
……ようなもの、ではなく前世の記憶とスキルを除けばまんまだった気もする。
一通り騒いだあと、俺たちは村の出口へと来ていた。
水龍が先ほどまでいた屋敷へと目を向ける。
「やっぱり、寂しいか?」
『どうじゃろうな。寂しさ半分、ようやく開放されるという喜び半分といったところか』
「性格悪いわりに案外素直だよな、お前」
『妾のどこが性悪じゃ、お主のほうが余程。……余程』
「お? なんだ反論しないのか?」
『お主は嫁のなりてもおらぬただの馬鹿じゃったと思い出してな』
「やめろ! 泣くぞ!」
今生ではまだ0歳なんだから普通だ! きっと今生では素敵なお嫁さんだって、だって……考えるのはよそう、俺はまだ0歳だまだ早い。
現実から目をそらしているわけではない。
「おまえそういう事言うのはさぁ」
『アオメノウじゃ』
「え?」
『姉上がくれた、妾の名じゃ』
言われてみれば、お前、彼女、水龍と呼んでいたが名前はまだ聞いてなかったな。
それにしても。
「なげえ」
『失礼じゃなお主は!?』
「略しちゃだめか」
『仕方ないのう、アオメで良いぞ。姉上もそう呼んでおった』
「お姉さんも長いと思ってたんじゃね?」
『そうか? 姉上の名前はセラリアス・アイオライト・ライノセラスじゃったぞ』
「超なげえ!」
『普段は姉上としか呼んでおらんかったが、名が必要な時はセリス姉上と呼んでおった』
懐かしそうに微笑むアオメと一緒に、俺は村の外へ向かう。
目指すはここから一番近いという町だ。
『おい』
「なんだよ」
不機嫌そうな声に振り向くと、さっきまで微笑んでいた水龍様がジト目でこっちを見ていた。
『何じゃないわい。妾が名乗ったのじゃ、お主も名乗れ』
「あ」
自分が名乗ったのに相手が名乗らないのは、それは不機嫌にもなる。
なによりこのままお互い名前を知らないでは旅をする中で不都合もあるだろう。アオメもそう思って教えてくれたに違いない。
しかしどうしたものか、前世の名前は覚えているが今生での名前なんて考えてない。親はつけてくれていたのだろうか、というかいるのだろうか。
「とりあえず、ヒエンで」
『とりあえずってなんじゃ! あからさまに偽名じゃろう!?』
「偽名ではない、偽名ではないぞほんとだぞ」
『嘘をつくでない!』
いやほんと偽名じゃないんです前世の名前ってだけで、信じてください。
それを説明しても信じてもらえるか怪しいので、結局黙ったままゴリ押した。
こうして、なんとも締まらない形で俺たちの旅は始まったのだった。




