プロローグ そうだ恩返しをしよう
草むらをかき分けながら、全速力で森の中を突き進む。
ちらりと背後に目をやれば、俺に迫る影は3つ。
恐らくオオカミだろうと思う。実際のオオカミを見たことはないが、少なくとも子犬なんて可愛らしいものじゃない。
「きゅきゅい! きゅきゅきゅい!(たくっ、しつこいんだよ!)」
俺は毒づきながら自分の四肢を見やる。
お世辞にも長いとは言えない、短い手足をもふもふとした緑の毛が覆っている。
今の俺は人間の時より早く走れるとはいえ、狼に勝てるほどじゃない。
更に言うならこの草むら、人間だった頃なら腰にも届かない程度の高さだろうに、今では俺の身長よりはるかに高い。
視界がふさがれている状態でがむしゃらに走っているのだ。
それはオオカミたちも同じだろうが、きっと鼻も利くに違いない。
このままではいずれ追いつかれる、今は向こうが遊んでいるだけだ。
さて、なんとか逃られている間に自己紹介を済ませてしまおう。
俺の名前は笠原飛燕、前世では人間だった。
フィクションだと転生する時の死に方っていうのはドラマチックなものだ。
トラックに轢かれたり、通り魔に襲われたり、災害にあったり。
残念なことに、いや幸いなことに俺はそんな目にあってない。
俺の死因は脱水症状。正確には老衰である。
そう、俺は天寿を全うしたのだ。
享年82歳、大往生だ。いやぁいい人生だった!
嫁も子供もいなかったけど、いい人生だったと1人安らかに俺は死んだ。
はずだった。
『死亡を確認しました、取得経験値を確認、転生が可能です』
無機質な声に意識を浮上させられる。
"死亡を確認"ということは俺はやはり死んだんだろう。
単なる老衰だ、いきなり死んだわけじゃないしな。
死んでしまったことそのものに疑問はないが、現状は気になる。
辺りを見回せばあたり一面の白、白、白。
壁が白いのか、強烈な光の中にいるのかと考え、そのどちらもはずれだっと気づく。
俺の周りにはびっしりと、いやむしろみっちりと。
白くもやもやとした球体が浮いて、いや詰まっていた。
『転生に伴い来世の希望を確認します』
「転生? 俺は生まれ変われるのか?」
前世では特に宗教を信じていたわけでもないのだが。
『はい、魂の経験値が規定に達しているため転生が可能と判断します』
淡々と告げる声にまじり"パンッ"となにかが破裂する音が響いた。
パンパンに膨らませた風船に針でもさせば似たような音が鳴るだろうが、この空間にそんなものはない。
あるのはみっちり詰まった白い何かだ。
いや、よく見れば自分のすぐ近くにその白い何かひとつ分の空間ができている。
「今の音はなんだ?」
『経験値が規定に満たなかった魂を破棄しました』
ということはこの空間はその魂の分だろうか?
いや、そもそもこの白いものが魂?
いわゆる人魂というやつか。もしかして今の自分も似たような姿なのか?
確認しようとして手足の感覚がない事に遅まきながら気がつく。
「お、俺もさっきのみたいに破裂するのか?」
『いいえ、経験値が規定に達しているので転生可能です。来世への希望を述べてください』
「さっきも言ってたな、お願いが叶えてもらえるのか?」
『はい、転生回数に応じてより大きな希望を受諾します』
話を聞いて見ると俺が死ぬのはこれで3回目らしい。
少なくとも前世――いま持っている俺の記憶――では前世の記憶などもっていなかったので何の実感もないが。
転生に際して可能な限りのお願いを聞いてくれるらしいし、金持ちもイケメンも思いのままというわけだ。
願いを叶えてもらえる魔法のランプなんてものが御伽噺によく出てくるが、死んでから似たような機会をもらってもなぁ。
「いきなりそんな事言われてもな。試しに聞きたいんだが直近で叶えた希望ってどんなのがあるんだ?」
『1秒前に転生させた魂は』
「は、1秒前? いま俺と話してる間に誰か転生させたのか?」
『はい、現在この空間にある魂全ては同時に対応しています』
「まじか、すごいな。続けてくれ」
『はい、大金持ちになりたいとの希望だったのでゴブリンキングに転生させました』
なるほど、キング。それはまたお金をもっていそうだ。
……ゴブリン?
「え、ゴブリンって実在するのか?」
『はいであり、いいえであるとも言えます。ゴブリンの実在する世界としない世界があります』
「ちょっとまて、世界っていくつもあるのか!?」
『はい』
「ち、ちなみにたくさん希望を叶えたやつはどうなったんだ」
なぜだろう、心の底から嫌な予感がする。
今は魂だけだけど。
『世界最強の天才ハーレム王との希望だったため』
わかる、わかるぞ。
俺も少なくとも前世は男だった、その願いが叶えられるなら得たい。
『蜂のみで構成された世界の女王蜂として転生させました』
逆ハーレムだ!
ってだめだ! この人なのか神なのかシステムなのかわからんがコレはだめだ!
希望を聞くとは言っているが逆にその希望以外はガン無視だ!
このままだと例えば『記憶を持ち越したい』とか言ったらその状態で魚とかにされかねない。人の記憶をもって魚になるとか想像したくもない。
「ちなみに、日本人の大金持ちに生まれたいとか言ったら」
『経験値が規定に達しているため可能です』
しばらく俺は悩んだ。
一生でこんなに悩んだことはないってほど悩んだ。
もう死んでいるから間違いなく一生の中でこれほど悩んだことはないと断言できる。
今言った希望が通るなら万々歳のはずだ。
ただ、それは本当に俺が叶えたい願いなのだろうか?
別にまた日本に生まれたいわけじゃない。
人への転生というのは俺の前世基準で考えるならほぼ必須だが、もっとすごい種族がいるかもしれない。
お金はたしかに大事だが消耗品だ、俺が大人になるまでに全部消えるとかだってありえる。
さらに悩み、どれくらい悩んだかもわからないくらい悩んで。
前世の記憶を一通り遡ってみて。
段々どうでも良くなってきた。
だって俺、少なくとも3回目の転生として人間になったはずなのに子供のころめっちゃ苦労したんだぞ。
2回目の転生時のお願いがなんだったのか知らないけど、まともな形で叶えられたとは思えない。
まぁ、子供のころは色々苦労させられたが、最終的にはそこそこ幸せな人生だった。
そこそこ幸せな人生、か。
その苦労させられた幼少時、俺を助けてくれて、だけど何一つ恩返しができないまま俺より先に死んでしまった恩人がいた。
悔いといえば悔いなんだろう。彼女が死んでしまったときは感謝のひとつもしておくべきだったと長いこと引きずったものだ。
「あー、その。俺の恩人が転生してるかっていうのは教えてもらえたりは」
『はい、あなたの恩人は転生しています』
「早いな!? 名前も言ってないのに」
『あなたの魂は解析済みです、名前などという不確かなものは必要ありません』
そういうものらしい。
「あー、じゃあもう面倒なんでいいや。希望決めたわ」
『お伝えください』
「恩返しがしたい、以上!」
『具体的な希望をお伝えください』
「知らん! 勝手によろしく!」
世界がたくさんあって、転生できる種族もたくさんあって、なんて状況じゃ考えるだけ時間の無駄だ。
死んでるから時間はいっぱいあるけれど、疲れるし、死んでまで考え事なんてしたくない。
それにどんな希望を伝えてもどう反映されるかわからないなら、前世での悔いを払ったほうがいいと俺は思うのだ。
『了解いたしました。それではこちらで選定させていただきます』
「おう、任せたぞ!」
『それでは転生させます』
最後まで無機質な声に導かれて、俺はあっけなく意識を手放した。
魂にスキル『前世還し』を付与しました。
魂の転生先を『恩人の転生予定地』に設定しました。
魂の転生種族を『精霊龍―カーヴァンクル―』に設定しました。