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生命の行方・第二部  作者: 杉谷ゆぬの(果樹)
第11章・悪あがきの結末は
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荻野の行動、雅也の決意

「ふむ……そろそろ、かな」

男は呟く。

荻野さんはずっと咳き込んでいて、俊貴はずっと縛られている手首のロープをほどこうとしている。

男の呟きは、初め意味がわからなかった。そろそろ……何がだろう。由季が帰ってくるにはまだ早い。そう思っていた。でも、今ならわかる。俺の体に、あいつ、なにかやったんだ。

ふわふわする意識。体の中から徐々に熱を帯びていく。熱くて、気持ち悪い。

「雅也?どうした?」

俊貴はすぐに俺の異変に気づいてくれた。

「……気持ち悪い……」

「えっ」

頭のてっぺんからつま先まで、全身が熱い。血液がお湯になってしまったんじゃないかと思うほど。

「顔赤いぞ……?大丈夫か?」

大丈夫とは言えない。でも、この状況だ。どうにもならないはずだ。

「……大丈夫じゃないけど……今は黙ってた方がいい気がする……」

「どう言うことだ……?」

「たぶんあいつ……俺になんかした……さっきから……熱くて、気持ち悪い……」

俺と俊貴でこそこそ話していると、男に気づかれた。

「……どうやら、時間通りのようだな」

「……お前、俺に……何した……」

「君は無防備に意識を失っていたんだ。大体の予想はついているだろう?」

やっぱり、俺が意識を失っている間に何かしたんだ。

「君にも、YK01と同じものを仕込んでおいた。だが、君は全身強化だ。影響は全身に出るだろう」

相手は男一人だ。でも、俺は意識を保っているのが精一杯だし、荻野さんは咳が続いていて大分体力を消耗している。唯一動ける俊貴も後ろ手に手首を縛られていて、状況は圧倒的に不利だ。

そんな中、男は俺たちになにか仕掛けるわけでもなく、窓の外を見る。

由季は、今どうしているだろうか。



「……雅也、くん……」

荻野さんの声、今は咳は出てないみたいだ。

「荻野さん……?」

「体調は……?辛くはないかい……?」

何でこの人は自分も辛いはずなのに俺の心配をするんだ。

「俺は……なんとかなります……、荻野さんは……?咳……、大丈夫なんですか……?」

「今はね……苦しいけど……なんとか、しのげてるよ……」

荻野さんは唇の端を少しだけ上げた。笑って見せたつもりなのかもしれない。でも、うまく笑顔にはなっていない。

「お前ら、お互いに強がってるんじゃねえよ。で?荻野さんはなにか話したいことがあって雅也を呼んだんだろ?」

「ああ……うん、彼なんだけど……外に向かって……HIF製薬と名乗っていたから……もしかしたら……あの、ニュースの関係者じゃないかと……」

あのニュース。たぶん、荻野さんも、俊貴も俺も同じものを想像しているはず。

「強制捜査のニュースだろ?……まさか」

「……HIF、は……10年前の事件に……関係してます……。その子会社に強制捜査が入って、その会社の人間が……俺たちを、人質にするってことは……」

「……あいつ、最後の悪あがきだって言ってた」

「そう……、なんだ。恐らくなんだけど……彼に戻るべき場所はない……だから、こんなことをしても無意味なんだ……」

無意味。その言葉はとても重い。今、男がやろうとしていること。今まで行ってきたこと。それはすべて無意味。数えきれないほどの同族が犠牲になった。生き残ったナハネ族の心に大きな傷を負わせたあの事件。

「無意味、か。言ってくれるな、荻野大祐」

会話が聞こえていたらしい。窓の外を見ていた男は俺たちに近寄ってくる。

「どうせ……マリアが来れば……お前、いや……お前たちは捕まるんだ……無意味以外に、何て言うんだよ……」

「……MSAAA、いや、杉崎雅也、私がなぜ、ここを最後の場所に選んだのか、わかるかな?」

男は俺を名前で呼ぶ。最後の場所と言う言葉。それは、恐らく男も結末を理解しているから。だからこそ、この男は悪あがきを続けるんだ。

「なぜ……?俺たちが……ここに、いたからじゃ……ないのか……?」

「確かにそれも好都合だった。だが、そうじゃない。私は研究者だ。この場所は私が必要とする施設が十分に整っている。道具と一緒にな」

この男の研究所には手術室のような部屋があった。

「まさかお前……!?ここを利用して……!?」

この病院を研究に使おうとしてたってことか……!?

「毒に冒されてるとは言え、頭の回転も早い。本当に君はいい材料だ。……さて、と」

男は乱暴に荻野さんを立ち上がらせる。

「お前!荻野さんに何しやがる!!」

「麻梨亜はもう建物の中に入った。ここに来るのも時間の問題だ。だがね、警察がここまで来る間に、できることもあるのだよ」

男はなにか手に持っている。なにか、筒のようなものを、荻野さんの腹に押し当てている。

「う……っ、ぐ、ぅ……!」

荻野さんの呻く声。筒が腹から離れる。荻野さんの腹部には微量の血痕。

男が手を離すとその場に崩れ、しゃがみこんだ。激しい咳は止まる気配がない。

「お、前……!荻野さんに……何を……!?」

「まさか、この男が喘息だったとは、少しは私にも運が向いているようだ」

男は荻野さんを蹴飛ばす。止まらない咳は、荻野さんの呼吸をどんどん制限していく。

「やめろ……!!」

俺は荻野さんを庇えるように男の前に出る。手首さえ縛られていなければ、俺が迂闊に薬を飲まされていなければ、もっと自由に動けたのに。

「喘息の発作を誘発する物質を投与した。この男はいつでも我々の邪魔をしてきた。早めに始末しておくべきだったが……今さらだ。そこでしばらく苦しんでいればいい。そのうち、麻梨亜は来る。もっとも、見られたくない姿だろうが」

男は荻野さんの前に出た俺を見る。すっと目を細め、つぶやいた。

「杉崎雅也、私は君に可能性を見ていた。だが、あのときは失敗だった。その時点で君を殺せなかったのは、私の落ち度であり、幸運だ。なぜなら、今、君はここにいる」

……この男は何を言おうとしているのか。あのときって、いったいいつのことだ……?

「君は一、二を争う高クオリティの実験体だった。だから、暴走したときは何かの間違いであれと願ったよ」

あのときっていうのは、俺が暴走したときのことか。

「私の研究は8割方成功している。君と、YK01に投与したものがそれを物語っているんだよ」

俺と由季は同じ毒薬を使われたはずだ。由季の症状はわからないけど、少なくとも俺は、全身が熱くてふわふわする。

「君とYK01の症状は違う。兵器に作用するように調合した特別薬だ。全身強化だった君は症状がより強く出ている。私の研究は間違っていなかった!!」

「……じゃあ、俺はどうなんだ。どうして俺にはなにもしない」

唯一、俊貴はこの男になにもされていない。俊貴だって兵器の能力はあったはずだ。毒を使えば俊貴の行動だって制限できるはずなのに。

「……斎藤、君はほとんど役立たずだった。適応率も低い、洗脳にもかからない。君にこの薬品を投与しても無駄だ」

「……へえ、なるほどな。でも、それは本当に無駄なのか?なにも効果がないと、言い切れるのか?」

俊貴は男に淡々と尋ねる。なんだか、自分にもその薬を投与しろと言っているようにも聞こえる。

「……君も物好きだな。わざわざ敵の懐に入り込むのか。……いや、君は昔からそうだったな」

男の意識は今、俊貴の方に向いている。今のうちに何か出来ることはないか……?荻野さんは大丈夫か?

荻野さんの咳はずっと続いている。が、荻野さんはげほげほ言いながら俺の手首のロープを外そうとしてくれている。

「荻野さん!」

「……げほ、げほげほ」

荻野さんはしゃべれていない。でも、荻野さんはひとりだけ縛られていなかった。今が……最大のチャンスなのかもしれない。

はらりとロープがほどけ、荻野さんは咳き込んでうずくまった。

「荻野さん!……ありがとうございます!」

荻野さんを楽な体勢にかえると、少しだけ咳がおさまる。

「……雅也、くん、げほ」

「……はい」

「……マリア……が、もうすぐ……来る」

確かに部屋の外から走る音が聞こえる。

「マリア、を……たのむ……」

「荻野さん……!?」

荻野さんは目を閉じて、ぐったりした状態で動かない。

ヤバイ、このままじゃ……荻野さんが……!?

「マリアちゃん!部屋はこっちだ!!」

リディナ先生の声。もうすぐだ、もうすぐ決着がつく。

「……来たか。余計なのもいるが……まあいい。荻野大祐はこのまま放っておけば死ぬ」

……俺は、荻野さんに託されたんだ。マリアのこと。

ふわふわして熱くて気持ち悪い。でも、それがなんだっていうんだ。

俺はまだ動ける。荻野さんにロープを解いてもらった。

俺は、マリアを守るんだ。

「杉崎雅也、君は本当に優秀だな」

あまり力の入らない体に鞭を打ち、立ち上がる。

男の皮肉とも取れる言葉。俊貴に向いていた男の意識は俺に移動した。

「俊貴、……荻野さんを頼む」

「ああ」

「気分はどうかな、杉崎雅也。気分は最悪だろう?その状態で立ち上がるのは正気の沙汰じゃない」

「……それが……どうした。俺は託されたんだ。だから、マリアを……みんなを守る」

「守る?何人もの命を奪った君が?守るだと?とんだ笑い話だ」

「そうだよ。俺は、自分の意図しない形で、たくさんの人の命を奪ってしまった。償わなきゃいけない。今俺ができる償いは、生きて、みんなを守ることだ。もう、誰も傷つけさせない」

俺が今言葉にしていることは所詮綺麗事だ。偽善者なのかもしれない。

もちろん、せっかく助けてもらったこの命は俺だって惜しい。でも、それ以上に俺は、俺以外の誰かが傷つくところは見たくないんだ。

この男の最後の悪あがき。狙いはマリアだ。

そのマリアはもうすぐやって来る。俺一人でどうにかできるなんて到底思ってはいない。でも、誰か応援が来るまで、警察が助けに来てくれるまで、なんとか、マリアを無事に守りきりたいんだ。

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