HIFの思惑
結局マサヤは一晩だけ入院させることにして、俺とマリアちゃんは家に帰った。
夕食の用意をして、マリアちゃんと一緒に食卓につく。
ぼんやりテレビを見ていると、緊急ニュースのテロップが流れてきた。
【HIF製薬 不正の疑い 強制捜査へ】
「えいちあいえふ?」
マリアちゃんは俺が作った野菜炒めをとる手を休めないまま、首をかしげる。
そうか、一般の人にはあまり馴染みのない製薬会社なのか。
「そっか、製薬会社なんて普通は知らないよな」
「うん、私が知ってるのなんて虫刺されの薬で有名なところとか、目薬で有名なところとか、そのくらいかな」
「HIFって会社自体はね、いろんなことを手掛けてる大きな会社なんだ。その中の子会社に製薬部門のHIF製薬があるんだ」
「ウィン先生詳しいね!」
「病院でHIF製薬の製品を使ってるからね。……でも、不正ってなんだろうな……副作用を隠してたとかだけは勘弁してほしいな……」
「フンショクケッサンじゃない!!?」
マリアちゃんはなぜか興奮気味に言う。
「いやー……粉飾決算だったら、ニュースでちゃんと言うと思うよ」
「そっか……」
マリアちゃんはしょんぼりした様子で野菜炒めに手を伸ばす。
「野菜炒め気に入ってくれた?」
「うん!ウィン先生の料理見た目に似合わず美味しいよ!」
見た目に似合わずって……確かに全体的に茶色いけどな……。
マリアちゃんの興味が野菜炒めに移動したことで、このニュースの話は終わりだと思っていた。このニュースが俺たちと密接に関係していたなんて、この時は微塵も思っていなかったから。
退院したマサヤは普段は病院内の託児所でバイトをし、バイトのない日は図書館や警察に行っていた。
おそらく……マサヤは自分の生い立ちに関わる事件の真相を知りたいと思っているはずだ。
俺が夜勤明けのある日、バイト休憩中のマサヤと遭遇した。
「マサヤ、最近いろいろ調べてるみたいだけど……平気か?」
自分自身で尋ねておきながら、もっと具体的なことを尋ねるべきだったかと、少し後悔した。
「何がですか?」
案の定、マサヤは首をかしげる。
「あー……、そうだな……お前、過去の事思い出して体調崩したりしてただろ?」
「ああ、そういうことなら心配しなくても大丈夫です。いろいろ聞いてきたり、調べてきたりしてますけど、大半は俺が覚えていないか、全く知らないことばっかりで……あ、そうだ」
マサヤはなにか思い出したのか、ぽんと手を叩いた。
「ウィン先生、HIFって会社知ってますか?」
またHIFだ。ここ最近、やけに『HIF』の名前を聞く。……なんだろう。なんだかとても嫌な感じだ。ざわざわする。
「知ってるけど……どうしたんだ?」
「10年前の事件に少なからず関わっているみたいなんです。でも決定的な証拠は見つからなくて逮捕には至らなかったと、そこまで調べました」
「HIFな……この前子会社がなんか不正したってニュースやってたぞ」
「あ、俺もそれ見ました」
マサヤもニュースは見ていたみたいだ。
「内容がはっきりしてないからなんとも言えないけど……関係があったらちょっと嫌だよな……」
「今度のバイト休みのときにソレルさんに聞いてみますね。あっ、そろそろ休憩終わっちゃう。ウィン先生は夜勤明けですよね。このあと帰るんですか?」
「ああ、家帰って寝る」
「わかりました。俺はいつも通り、バイトが終わったら帰りますから、お気をつけて」
「お前も、バイト頑張れよ」
マサヤと別れて帰る準備をしていると、マリアちゃんが俺のところに来た。今朝はマサヤと一緒に病院に来たはずだけど、どうしたんだろう。
「ウィン先生、私も一緒に帰っていい?」
「いいけど、どうしたの?」
「一回家に連絡しとこうかと思って。学校たぶんお休み扱いになってると思うから、宿題とかがどうなってるのか聞いとかないと」
「なるほどな、じゃあ一緒に帰ろうか」
帰る途中、なんとなくマリアちゃんに対しての申し訳ない気持ちが込み上げてきた。
マリアちゃんはワーナルに来なければ、巻き込まれることも、真実を知ることも無かったんじゃないか?
そんなことを考えて、俺は立ち止まってしまった。マリアちゃんが訝しげに振り向く。
「ウィン先生?どうしたの?」
「……マリアちゃん、ごめんな」
「え?なんで?」
「だって、いろいろ巻き込んじゃっただろ?」
マリアちゃんは首を横に振る。
あのとき……俺が真実を伝えたとき以来、マリアちゃんは一切涙を見せていない。今だって、少し困ったような笑顔で俺を見ている。
「ウィン先生、それは違うよ。確かに、私がこっちに来たことでマサヤくんや、ユキちゃんの事件が動いたのかもしれない。でも、突き詰めていけば、私はずっと前から……今のお母さんたちの家に預けられたときから、みんなと関わることになる運命だったんだよ。だから、ウィン先生が謝ることなんてないの」
……この子は、どうして普通なら取り乱してしまうような事実を、こうも素直に受け入れることができたんだろう。
「マリアちゃんは……すごいよ」
「すごい?なんで?」
「……いや、なんでもないよ。さあ、帰ろうか」
「ん……??うん」
マリアちゃんは無理をしているのかもしれない。俺は赤の他人だし、ここはマリアちゃんにとって慣れ親しんだ地域ではない。無意識に気を張っている可能性もあるんだ。
家に帰る途中、何台ものパトカーとすれ違った。サイレンを鳴らして俺たちとは逆方向に走っていく。
なんだか、とても嫌な予感がする。
「マリアちゃん、一回病院戻っていいか?」
「ん?うん、いいけどどうしたの?忘れ物でもした?」
「……いや、なんだか嫌な予感がするんだ」
「嫌な予感……」
うまく説明はできない。でも、俺の嫌な予感は本当に、嫌になるほどよく当たる。
「うん、わかった。早く戻ろう!」
二人で踵を返し、病院へと戻る。少し前から感じていたざわざわとした気持ち。戻ったら理由がわかる気がする。
病院に着くと、案の定警察に入り口を封鎖され入れなくなっていた。
「ウィン先生!あれ、ニコル先生じゃないかな?」
人だかりの中から、マリアちゃんがニコルを見つけ出してくれた。
「通してくれ!俺はこの病院の医者なんだ!!」
閉鎖された入り口の前でニコルは警察官と口論している。
「ニコルッ!」
「ウィン!お前無事だったのか!マリアちゃんも!」
ニコルはすでに白衣を着ている。ということは、出勤後に少し出掛けたら入れなくなったってことか。
「何があったんですか?」
ニコルと口論していた警察官に話を聞いてみる。
「立てこもり事件です!まだ犯人からの要求はありませんが……」
立てこもり事件……前にもあった。あのときの犯人はあいつらで、患者さんたちと引き換えにマサヤの身柄を要求してきた。
「ジャーナル先生!!ニコル先生!無事でしたか!!」
少し考え込んでいると、ソレルさんが駆け寄ってきた。
「ソレルさん!!今病院の中って……」
「まだ状況はわかりません、どういった経緯で侵入したのか、何が目的なのか……」
そのときだった。メインエントランスのとびらが開き、多くの患者さんが飛び出してきた。その中にはマサヤの友人のセルとキースがいる。
「ニコル先生!」
始めに声を掛けたのはキースだ。
「ニコル先生無事だったんですね!ウィン先生も、マリアちゃんも……!」
「解放早々悪いんだけど、中の状況を教えてもらえるかな?」
ソレルさんは早速二人に尋ねる。
「僕たちも、状況はそれほどわかっていないんです。ただ……」
「ただ?」
「犯人にとって、僕たちのような一般の患者を人質にする価値はないんだと思います。動ける患者はほとんど解放されました。意識の無い患者さんは先生たちが残って守ってます」
「食堂のおばちゃんや、掃除のおばちゃんたちも解放されてるぞ。医者や看護師も解放されてるけど、ほとんど動けない患者のために残ってる」
相手の狙いは患者や医療従事者、病院内で働く人ではない……となるとやっぱり……。
「大変っす!!!」
今まで一緒にいなかったカイが遅れて現れた。一緒にいるのはマサヤのバイト先の託児所の先生だ。
「カイ!どうしたんだ!」
「託児所の先生が兄貴連れてかれるところ見たって!!」
「!!!」
案の定だ。狙いはマサヤたちナハネ族だ。見回してみれば確かに、マサヤはもちろん、ユキちゃんもトシタカも、オギノさんもいない。
「託児所の外に不審者がいたんです……、スギサキくんに確認してもらおうと思ったら、スギサキくんがその不審者に襲われてしまって……私と子供たちはそのまま追い出されたんです……」
これで狙いは明らかになった。相手の目的はナハネ族だ。
「……ウィン先生、たぶん……」
マリアちゃんがポツリとつぶやく。
「たぶん、犯人たちが欲しいのは……私だよ」
「君は……?」
ソレルさんがマリアちゃんに尋ねる。あ、そうか。ソレルさんはマリアちゃんがどう行った存在なのかわかっていない。
「彼女は、マサヤがこっちに帰ってきたときに付き添ってくれた子です。……ナハネ族でもあります」
「えっ、じゃあ……!今立てこもっているのはHIF……!?」
ソレルさんもHIFの存在を知っていた。そりゃそうか。この前強制捜査してたし……
「どういうことだ……残党が残ってたってことか……?」
ソレルさんが何やらぶつぶつ呟いている。
「ソレルさん?」
「ジャーナル先生!HIFは10年前の事件を含めて、人体改造と生物兵器の製造を認めました!」
「えっ、は、はい」
「ただ、腑に落ちない点があったんです」
状況はよくわからないが、とにかくソレルさんは俺になにか伝えたいようだ。
「今回逮捕したトップは囮です。本来の責任者を……私たちは逃がしてしまっていたようです……」
ソレルさんの話を総合すると、先日の強制捜査はやはり俺達と大きくか変わっているあの事件に関してで、研究員を逮捕したけど、実は一番偉いやつがいなかった。ってことだ。
「それが……今、マサヤたちを人質にとってるってことですか……」
「そう、なります……本当に……申し訳ない……」
ソレルさんは深々と頭を下げる。その時だった。スピーカーのスイッチが入った。
『小心者の病院関係者の諸君、無能な警察の諸君、暇をもて余す野次馬諸君、御機嫌よう』
スピーカーから聞こえる声は変声期を使っているらしく機械的だ。
『我々……といってももうそう何人もいないがね、私たちはHIF製薬未来開発研究部だ』
「未来開発研究部?」
「……人体を改造して生物兵器を製造していた部署の表向きの名前です」
『我々には恐らく時間はないのだろう。だから最後の悪あがきをさせてもらったよ。こうして、ナハネ族を人質にとってね』
本人たちもわかっているみたいだ。時間はない。ただ、なんのためにこの行動を起こしたのだろうか。
『要求をひとつしようか。そこに、ナハネ族の少女がいるのはわかっている。荻野麻梨亜という少女の身柄を渡してもらおうか』
「……オギノ……マリア……」
マリアちゃんがつぶやいた。彼女の名前はマリア・イグレントだ。本当の両親についてはなにも知らない。
「ウィン先生……!もしかしてこの事も……??」
突然マリアちゃんに話を振られた。
「……ごめん、知ってた……」
「……ウィン先生は……、ホントに……」
マリアちゃんが泣きそうだ。……俺のせいか……。全部聞いて知ってしまった俺も悪いんだよな……。
「……じゃあ、本当のお父さんは今人質にされてるってことだね」
マリアちゃんは涙を堪え、真剣な目で俺をみた。
「私は、マサヤくんを、ユキちゃんを、トシタカさんを、……本当のお父さんを助けにいきたい」
「だ、ダメだ!犯人が何を考えているのかわからない……!もしかしたらマリアちゃんは……」
マリアちゃんは何の手も加えられていない純粋なナハネ族だ。彼らの都合のいい駒にされかねない。
『君たちは断れないはずだ。我々にはまだ人質がいる。……ナハネ族以外のな。大勢の患者の命と一人の少女の身柄……天秤にかけるまでもないのでは?』
スピーカーから発せられる声は、俺達から選択肢を奪っていく。……警察からすれば、すべての人間を助けたいに決まっている。だが、今回の条件はマリアちゃんと患者さんの命だ。
「……っ」
ソレルさんは俯いたまま、動かない。
『まあ、すぐに決まるものでもないだろう。15分間猶予をやろう。そのうちに覚悟を決めておきたまえ』
スピーカーの音声はそこでプツリと切れた。




