―第92話 シン・アンド・スレイヴ ⑧―
「私にそれを話したってことは、つまり……今、ここで、私に殺してほしいという意味で間違いないのよね」
「その通りなのです。逃げも隠れもしません。私という『悪』を倒して、そしてお母さんの仇を打ってください」
レイシアはベストのポケットから『ウィリタ・グラディウス』を取り出し、右手に軽く握る。空気中の水分を結集させ、半透明の刃を形成したところで……
「話、聞いてたんでしょ。それは隠れてるとは言わないからさっさと出てきなさいよ」
突然、窓の外に向かってそう呼びかけた。すると暗い闇の中から、この張り詰めた雰囲気にはあまりにも似つかわしくない声が。
「……に、にゃー」
「猫の真似しようにも下手すぎんのよ……」
がっくりと肩を落として脱力したレイシアをよそに、ごそごそと窓枠を乗り越えてきたのは、我らが空気読まない女王こと鈴風さんである。
実は真散が過去を振り返り始めた頃から窓の外にスタンバイしていたのだが、レイシアと真散の間に物凄くどんよりとした空気が流れ始めたので、入ろっかなー、いやでもこのタイミングはまずいよなー、などと思い悩んでいる間に見つかってしまった次第であった。
「鈴風ちゃん、何やってるですか……」
「いやぁなんかとんでもないタイミングで来ちゃったもんだからどうしよっかなーと思っててさHAHAHAHAHA!!」
もう笑って誤魔化すことくらいしか思いつかなかった。
普段はにこにこ温厚な真散ですら、あまりの空気読まなさ具合にちょっぴりイラッとしている様子だった。
だが、鈴風とて素でこんな道化を演じているわけではない。あのまま放置していたら、どうにも碌でもない方向に話が向かいそうだったからだ。
(仇とか、そんな危なっかしいワードが出てきて放っておけんでしょうが)
そういう意味では、飛鳥が鈴風をこちら側に派遣した効果は確かにあったと言える。
母親の仇を目の前にして冷静な判断を下せるかどうか怪しいレイシアと、良くも悪くも頑固で自分の意志を曲げようとしない真散との間には適度な緩衝剤が必要だ。そのあたり生粋の空気読まない子である鈴風はうってつけなのである。たぶん。
「今はあんたはお呼びじゃないわ。これは私とこいつの問題だから、部外者はすっこんでなさい」
「そうなのです。これですべてが終わるのですから、邪魔しないでほしいのです」
2人とも鈴風から視線を外し、互いに睨みあう格好になる。今にも爆発しそうな状態の中、
鈴風はさせいでかと2人の間に割って入った。
「はいはいはいはいちょっとタイム、ターーーイム!!」「んがっ!? ああもう何なのよもう!!!」「鈴風ちゃん……?」
さも迷惑そうな顔をするレイシアと、困惑した様子の真散。その隙に畳み掛けるように鈴風が会話の主導権を握った。
「殺したとか殺されたとかいう話をする前にちょっと確認。……レイシア。レイシアは本当に真散先輩のことが『憎い』って思ってるの?」
「……何が言いたいのかしら」
「もっとシンプルに考えるべきなんじゃないかなと思って。レイシアのお母さんを殺したのは、あの“傀儡聖女”とかいう魔女――ってもう見た目完全ロボットと化してるけど――だよね。真散先輩じゃなくて」
「痛い所を突いてくるわね……確かに、そのとおりよ」
鈴風に言わせれば、まず、前提がおかしいのだ。
ミストラルは真散によって生み出された存在、これはいい。
だが、だからといってミストラルが犯した罪=真散の罪という方程式が成立するわけではないだろう。
それに、だ。
「あと真散先輩。たぶんだけど……仮に真散先輩が大人しく殺されたとしても、ミストラルも一緒に消滅するとは限らないよね」
「そ、それは!!」
どうやらこの指摘は真散にとっての泣き所だったようだ。
真散ひとり殺したところで、それでレイシアの復讐が完遂されるわけではない。結局のところ、真散とミストラルは既に別個の存在であり、その命も、そして罪も共有できるもではないのだ。そして、真散もそれを理解していた。
「……ダメだよ、先輩。死んで逃げようとするなんて、絶対にダメだ」
半身とも言えるミストラルの暴走によってもたらされた、耐え難い罪の意識。家族と時間に置き去りにされてしまった孤独。どれも真散から生きる希望を摘み取っていくには充分過ぎたのだろう。
だから、死のうとした。
「あ、あはは……見破られちゃった、ですか……」
「あんた……」
諦めたように乾いた笑みを浮かべる真散の目尻には、うっすらと涙の雫がこぼれていた。
「その通りなのです。きっと、わたしが死んでもミストちゃんには何の影響もないと思います。それが分かったうえで、わたしは……」
「殺されようと思ったわけ?」
「相手は誰でもよかったのかもしれません。飛鳥くんにもそれらしいことを言って、自分に疑いをかけるように仕向けたんですが……夜浪先生は嘘つきなのです」
「なんで、霧乃さんの名前が?」
「魔導結社《教会》。そこに所属する魔術師はすべからく全員敵だから、名乗った時点で問答無用でぶっ飛ばしなさいって言ってたのです。だから……」
ここからは鈴風とレイシアの与り知らぬ所となるが……昨日の学園で、真散は飛鳥に対して「わたしは《教会》の所属である」という発言をしていた。これにより、飛鳥と後腐れなく敵対できることを期待していた。あるいは霧乃の言うように、問答無用で殺しに来てくれるのならば重畳だったのである。
だが、飛鳥も霧乃から《教会》に関する事を聞いてはいたが、その発言により真散を敵と認識するのではなく、何か訳ありであると見抜いていたのだ。
これは飛鳥の洞察力の賜物でもあるが……そもそも数年来の付き合いである友人に、たったひとつの発言でいきなり剣を向けようなどと思う筈もない。これは真散が、日野森飛鳥という人間性をあまりに侮り過ぎていただけである。
「あたしに2人のところに行くようにって言ったのは飛鳥だし、きっと飛鳥にはとっくの昔にバレバレだったんじゃないのかな? 後悔のないように全部話して、必要だったら取っ組み合いのケンカでもして、いざとなったらあたしに止めさせるように」
普段は色々察しの悪い鈴風さんだが、なんとまさかの正解である。
飛鳥も最初から分かっていたわけではないが、『眠り姫』の件は白鳳市の住人にとっては割と有名な話だったし、レイシアや“傀儡聖女”の話と統合して自力でその答えに辿り着いたのである。
「鈴風。私は別にこのチビ女に対して恨みつらみを抱いているわけじゃないわ。ただ、どうしても一個だけ許せないことがあんのよ。分かってんでしょ水無月真散」
「……許せないこと?」
「こいつはね……クラウに、あいつにもう一度人殺しをさせるつもりだったのよ!!」
鋭い目つきで犬歯を剥き出しにするレイシアに、真散は小さく肩を震わせた。
先程の指令室での下手な演技。あれをもしクラウが真に受けていたのなら、彼はきっとその拳を振り下ろしていただろう。大切な人を手にかける痛みと苦しみに心を砕かれながら。
「それは、大丈夫なのですよ。クーちゃんはとっても強い正義の味方なのです。わたしみたいな悪い魔法使いがひとり死んだところで、きっとクーちゃんは「ふっっっっっざけんなあああああぁぁぁ!!!!」っ!?」
言わせない。その先は絶対に言わせてなるものか。
レイシアは大気を震わせるほどの叫びをあげ、真散の首元を掴み上げた。
「いいか、一回しか言わないからよく聞けこの大馬鹿女!!」
ここからはもう鈴風が口出しする領分ではないだろう。レイシアの、真散の意思を見届けんと静かに一歩足を退いた。
いつの間にか、レイシアも涙を堪えきれなくなっていた。とめどなく溢れる滴を拭いもせずに、感情のままにただ叫ぶ。この罪深い分からず屋の心に届きやがれと、願いにも、呪詛にも近い想いとともに。
「あいつは、あんたのことが大好きなのよ!!」
絶対必滅の拳は不発に終わり、クラウは茫然としたまま宙を舞う。着地することも忘れ、アスファルトの地面に激突しそうになったが、飛鳥が滑り込みで間に割り込んだことにより事なきを得た。
「……何があった」
「部長が……ミストラルの中に、部長の記憶が混ざってたんです」
戦いの最中に忘我していたことを責めることはせず、飛鳥はクラウからゆっくりと言葉を引き出していく。幸い、ミストラルも先のダメージが堪えたのか見るからに動きが鈍っていた。
クラウの腕を掴んで無理矢理立たせ、取りあえず……
「いだぁっ!?」
ゲンコツ一発。男相手の気付けなんぞこれで充分だ(ちなみに鈴風やフェブリルならデコピンで済ます)。
軽く涙目になりながら、クラウは困惑の視線を向けてきたので……
「ふがっ!?」
もう一発。これくらいで泣いてるんじゃない男だろう。
クラウが今何を考えているかは飛鳥とて理解できる。だが、それとこれとは話が別だ。
「お前だって分かってたんだろう? 水無月さんとミストラルに何かしらの関わりがあることくらい」
「それは……薄々とは。でも、僕の魔術に反応するのは、その対象の根源にある存在。それで部長の記憶が出てくるというのは……」
クラウの魔術――対象の情報を解析したうえで破壊、ないし再生させるものだが……相手が人間の場合、その人物の精神を覗き見るような形となる。
その結果として、真散の記憶映像が一面に反映されたということは、即ち、
「ミストラルの『魂』とやらの大半が、水無月さん由来のもので占められていると」
「はい。ミストラルを倒すことで部長にも影響が出るかもしれませんし、それに……」
当初クラウは、ミストラルの内面はもっと破壊願望や私利私欲といったどす黒いもので溢れかえっていると思っていた。
だが実際は、あまりに純粋過ぎるまでの一途な想い。まるで恋でもしているかのように、水無月真散への思幕で満たされていたのだ。
「あれを見てしまうと、僕はもうミストラルを憎めそうにないんです」
『母』の仇に対してあるまじき感情だと、クラウは自嘲する。
倒さなければならない敵、自分とレイシアの人生を狂わせた憎き存在。けれど、どうしても、握った拳に力が入らない。
「本当に、このままミストラルを倒してしまっていいのか……分からなくなってしまいそうです」
レイシアのことを思えば、今後の遺恨を断つためにも当然ここで完膚無きまでに撃滅すべきだ。
だが、部長のことを思うと、本当にそれでいいのかと歯止めがかかってしまう。どちらの選択をしたとしても、必ず誰かが涙を流す結末となってしまう。
復讐の拳を握ることもできず。さりとて今更母殺しの犯人に同情して見逃すだなんて論外だ。
「……なら、お前にとっての納得のいく結末って何だ?」
だが。飛鳥にとってはとるに足らない、下らない煩悶でしかなかった。
何故そうやって殺すか殺さないかという両極端な思考ばかりに偏るのか。もっと単純に、もっと我儘に考えればいいだけだろうに。
「ミストラルは許せない。だが殺してしまうと水無月先輩に何が起こるかわからない。……だったら簡単だろうが。殺さない程度に奴をブッ飛ばして、レイシアの前で土下座でも何でもさせればいいだけだろうが」
「そ、そんな簡単な問題じゃ……」
「簡単だよ、欠伸が出るほど簡単だ。殺さなきゃならないなんて無駄な制約を己に課して、難しく考えすぎるからそうなる」
もう呆れることしか出来ない飛鳥だった。
ともあれ、戦場のど真ん中でするような問答ではない。ひとり奮戦している刃九朗に加勢すべく背を向けた。
「お前の拳はすべてを砕く“聖剣砕き”なんだろうが。だったらそんな下らないしがらみくらい、鼻歌交じりで壊してみせろ」
我ながら滅茶苦茶な発破だとは思う。正直考え方が鈴風に感化されてしまった気がして、飛鳥は少々自己嫌悪に陥った。
「ミストラルッ!」
あらん限りの覇気を乗せて、叫ぶ。
倒すべき相手、その事実が覆ることはないが、それでもはっきりと伝えておくべき言葉があったのだ。
「……僕の話を、聞いてほしい」
つい今の今まで命の削り合いをしていた相手からの、手の平返しとしか思えない発言に、ミストラルは当然訝しむ様子を見せた。
『いきなり何を言い出すかと思ったら……まさか、この後に及んで命乞いでもするつもりなのかなっ♪』
鋼の巨人から返ってきた電子音声は、嘲り半分警戒半分といったものだった。普段の口調に戻っているあたり、少なくとも冷静さは保っているようだった。
銃声は既に止んでいた。刃九朗の方を見やると、どうやら飛鳥が一旦攻撃を中止するよう指示したのだろう。こちらに視線を向け、小さく頷いてきた。
――『覚悟』を決めろ。
クラウの心の奥底が大きく震え出した。
命を奪う覚悟ではない。憎しみを向けられる覚悟でもない。今のクラウに必要な覚悟とは、もっと別のものだ。
どんな形であれ、クラウが放つ次の言葉が、この長い夜を決着付けるものとなる。それは、クラウも、飛鳥も、刃九朗も、おそらくミストラルも。予感めいたものを感じていたに違いない。
すぅ、と大きく息を吸う音がやけに耳に響いた。
「僕は、お前を……殺したくない!!」