―第91話 シン・アンド・スレイヴ ⑦―
最終バトルと思いきや、真散さん回想シーンが半分以上。あと4話くらいで3章は終わらせます。
烈火の剣が乱れ舞う、電磁と弾丸が荒れ狂う、両の拳が貫き砕く。
美しくも、スマートでもない。ただありったけの全身全霊を、ただありのままに解き放つだけの獣じみた戦いだった。
だが、『戦』とは本来生存競争なのだ。
勝つか負けるか、得るか失うか、生きるか死ぬか。理性をかなぐり捨ててでも掴みたいものがあるからこそ、男達は命を投げ出すことができる。
膝の関節部に僅かにできた装甲の隙間めがけ、烈火刃の切っ先を突き入れようとした飛鳥だったが、
『ちょろちょろハエみたいに飛び回ってんじゃあ、ねぇ!!』
うっとうしそうに手を振り払おうとするミストラル=ブリュンヒルデ。普通の人間がやれば攻撃とも呼べない何気ない動作だが、10m級の巨人だと、そんな動きひとつが一撃で全身がバラバラになる衝撃と化す。
攻撃を断念、装甲を蹴りぬいて慌てて飛び退く飛鳥を追って黒鉄の巨腕が追いすがる。通常なら緋翼二刀流のジェット噴射により急速回避をするところだが、シグルズ戦での負傷で右腕が使い物にならない。
「破陣――!!」
烈火刃・壱式“破陣”。3m近い刀身を持つ赤熱の巨剣。
柄の端ギリギリの部分を左手一本で掴み、遠心力を利用して風車の如く振り回す。
直撃。刀身の超熱量と大質量が相まってブリュンヒルデの右手を半分近くまで溶断した。
『きくかよ、そんな鈍でなぁ!!』
が、迫りくる鋼鉄の猛威を止めるには至らず。破陣の刃が食い込んでいるのも構わず、ミストラルはそのままの勢いで飛鳥の全身を握りつぶそうと手を開く。
そこに、側面から雷光と衝撃。刃九朗の持つ電磁加速銃剣・ヴァイオレイターの援護射撃だ。着弾と同時に小規模な爆発が起こり、巨腕の動きが鈍った間隙をついて飛鳥は大きく距離をとる。
「負傷しているなら下がっていろ」
「お前に心配されるほどやわじゃあないさ!!」
刃九朗からの声に叫ぶように応じ、再び前へ。
たかが片手の負傷程度で泣き言など言っていられないのだ。
「はぁっ!!」
存在するだけですべてを威圧する、機械仕掛けにして魔術仕掛けの巨影。その大敵に拳ひとつで立ち向かっている後輩がいるというのに!!
初戦の時と比べ、明らかにクラウの動きの切れが違う。最小限の動きで襲い来る弾丸を躱し、的確に、確実に装甲を穿ち、削り取っている。
今の彼こそ“聖剣砕き”の本気ということか。
負けず嫌いか、先輩としてのつまらない意地か。常に沈着に事を運ぶ飛鳥にしては珍しく、完全に闘争心に火が付いていた。
「戦線を押し上げる。逃げ遅れた人もいるかもしれない、海際にまで追い込むぞ」
「了解した。正面に火力を集中させる」
刃九朗も似た気持ちだったのだろうか、飛鳥の提案に間髪入れずに同意してきた。
雨に濡れたアスファルトがひび割れるほどの踏込みから、2人揃って跳躍。
「火群鋒矢――」
「拠点防衛用武装プランB、展開」
再び顕現させた紅蓮の弓矢と、両手両足両肩にこれでもかと積載した擲弾砲塔による一斉射撃。
『ぬあ、がぁっ!?』
表面装甲を焦がす程度の手傷しか与えられなかろうが、問題ない。今回の主役は自分達ではないのだ。
途切れることのない絨毯爆撃に、さしものブリュンヒルデも徐々に後方へ押し込まれていく。
その圧倒的火力の猛撃に、一旦距離をとったクラウと視線を合わせた。
「――行きます!!」
飛鳥の思惟を読み取ったクラウは、砲火が集中している正面から背中へと回り込む。
先輩達が作ってくれたこのチャンスを無駄にはできない。持てる限りの全速力で駆け抜け、ものの数秒で飛鳥達の反対側――ちょうどブリュンヒルデを挟み撃ちにできる位置へと陣取った。
『見えてねぇとでも、思ったか!!』
しかし、それを見逃すミストラルではない。背面装甲が縦一文字に展開。背骨が浮き上がるかのように、ずらりと縦一列に砲門が出現した。
十六連の砲撃。放たれたのは、リーシェを追い詰めた無線誘導式ミサイル。身を隠す場所もなく、空を飛ぶ力も持たないクラウでは逃げ切ることなどできるはずもない。
「そんなもので――」
だからこそ、正面から切り込む。高速で飛来するミサイル群を、紙一重のところで回避、四方から同時に来た弾頭をギリギリまで引き付け跳躍し互いをぶつけ合わせて爆破、踏み台にし、回避不可であれば必滅の拳で触れたそばから瞬時に分解する。
「――“聖剣砕き”をどうにかできると思うな!!」
攻撃に気をとられていたのか、装甲が開いたままになっていたのが功を奏した。すべての魔力を右手に集約、乾坤一擲の拳をブリュンヒルデの中枢目掛けて撃ち放った。
「…………え?」
装甲内部に触れた瞬間、瞼の裏に電流が走った。その合間に微かに見えた映像を目に焼き付けたクラウは、一瞬思考が飛んでしまっていた。
『オレに触るんじゃねぇ!!』
悲鳴に近い絶叫を至近距離で受けクラウの脳が揺さぶられた。くらり、と意識が飛びかけてしまうほどの大音響と、巨体が身をよじった反動で空中へと投げ出されてしまう。
「なんで……なんでミストラルの意識の中に――」
ありえない、という驚愕と、もしかしたら、という予感。
今より若干幼く見えたが、間違いない。
「――どうして、部長が」
壊れた人形を胸に抱き、大声で泣きじゃくる幼い少女の映像――それは、水無月真散の過去の姿に他ならなかった。
水無月真散は、平凡な家に産まれ、平凡に育った少女だった。
産まれる前には既に父親は亡く、母の女手ひとつで育てられた、とてもとても平凡な少女であったのだ。
魑魅魍魎が跋扈する、おとぎ話の世界のような環境で生まれ育ったならともかく、平和な日本で平穏に暮らす彼女にとっては、『魔術』なんてものは無縁どころか存在すら認知していないものだった。
だからこそ、気付かなかった。彼女の内には底知れないほどの魔力量――それこそ《九耀の魔術師》であるクロエにも比肩するほどの――が眠っていたのだ。
「おにんぎょうさん、おにんぎょうさん。わたしといっしょにあそんでくれませんか?」
きっかけは覚えていない。確か、母が買ってくれた可愛らしい女の子のお人形で遊んでいた時に、ふとこう思ったのだ。
――この人形さんと一緒におしゃべりしたり、一緒に遊べたらいいのに。
誰だって一度は考える。絵本の世界みたいに、おもちゃの兵隊さんやぬいぐるみ達とお友達になりたいと。
そして、それは叶ってしまった。叶えることができてしまうだけの『力』が、真散の中には存在していた。
『うんっ♪ わたしも、まちるちゃんといっしょにあそびたいなっ♪』
「な、なによ……それ……」
真散の独白を聞いたレイシアは絶句する他なかった。
いや、理屈は分かる。レイシアとて“腐食后”の娘。超絶の域にある魔術をいくつも目にしてきた彼女には、『それ』がどういうことなのかはよく理解できた。
――魔導生命体。
無自覚に溜めこんでいた膨大な魔力を用いて、その人形を媒体に新しい生命を創りだした。言葉にすればたったそれだけだが、無から命を創り出すなどまさしく神か悪魔の領域である。
スタッフ達は先に避難させた。あちらは夜行が陣頭指揮をとっているので心配いらないだろう。ここにはレイシアと真散の2人だけだった。
「ミストちゃんは、それからずっとわたしのお友達でいてくれたのです。わたしと一緒に、笑って、怒って、泣いて、確かにミストちゃんは生きていたのです」
廊下の窓に背中を預け、真散は楽しかった昔を思い出し微笑んだ。
だが、ひとりで喋る人形など、傍から見れば怪奇現象にしか見えないのが現実だ。ここから先の展開がおぼろげながらに読めてきたレイシアは、無言で真散に先を促す。
「でも、ミストちゃんは決して世間に認められる存在じゃなかったのです。……酷かったのですよ。テレビに取材されて、やれ妖怪だ悪魔が宿っただとか、ミストちゃんだけじゃなくわたし自身も似たようなことを言われてきたのですよ」
「……ま、そうでしょうね」
「一番辛かったのが、近所の子供達でした。あの子達は正義の味方のつもりだったのでしょうね……石を投げつけられたり、ミストちゃんを奪って焼却炉に放り込んだり。……その時は、すんでのところで助けましたけど」
ああ、とレイシアもその光景は容易に想像できた。『悪意のない悪意』を平気で行使するのが幼い子供の恐ろしいところだ。
しかし、それでよく人形を手放さなかったものだ。いじめの原因であるミストラルさえいなければ、そんなことにはならなかったかもしれないのに。
「はじめてのお友達でしたからね。……それで、体中がボロボロになって、手足も取れかかっちゃって。ミストちゃん、泣きながら言ってくるのですよ? 「ミスト、死んじゃうの?」って」
人形の視点で考えると、それは確かに恐怖だっただろう。
いつ捨てられるのか分からない。踏まれたり、燃やされたりして、いつ身体が壊れてしまうのか分からない。
そうして、来る日も来る日も人々からの悪意に晒され続けた結果が――
「ある日、ミストちゃんの人形は動かなくなってしまいました。なんだか空っぽになってしまった感覚が分かったから、ああ、死んでしまったんだ、ひとりぼっちになっちゃったと思って、わたしは一晩中泣きじゃくったのです。でも……」
だが、その次の日。
学校に登校してきた真散に、いつも彼女をいじめていた少女から声をかけてきた。珍しいと思うより、どこか心臓が凍りつくような不安が先についた。
無邪気で、可愛らしい少女の満面の笑み。だが、それは真散にとっては『絶望』の始まりに他ならなかった。
「ねぇ見て、まちるちゃん♪ これがミストの新しい体だよっ♪」
教室から、音が消えた。これが少女のいたずらで、実はミストラルになりきっているだけの演技だというなら、誰も気にとめたりはしなかった。
「…………あ、え? みすと、ちゃん……?」
だが、目の前の少女は昨日までとはあまりに違いすぎた。姿形はまったく同じなのに、目を合わせるだけで息ができなくなるくらいの圧迫感が、少女が、少女ではないナニカに変貌していることを証明していた。
「うん、ミストだよっ♪ これすごいでしょーっ♪ 一度でもミストが触れたモノになら、こうやって乗り移れるようになったんだよっ♪」
静まり返った教室の中心で、ひとり歓声をあげる少女――ミストラルに対し、真散はひとつだけ、聞かなければならないことがあった。
本来の彼女――いじめっ子だった少女なんて比較するにも値しないほどの恐怖に唇を震わせながら、やっとのことで声に出した。
「それで、その……その子は、どうなっちゃった、の?」
「んー? この体の元の持ち主のこと? そんなの決まってるじゃない、まちるちゃんをいじめるやつなんかに生きてる価値なんてないし、ミストの頭の中でがんがんうるさかったから――――――――食べちゃった♪」
逃げた。逃げた。鞄を放り投げ、言葉にならない悲鳴をあげながら、必死に必死に走って走って逃げ続けた。
思えば、この瞬間に初めて真散の頭の中に『常識』というピースが嵌ったのかもしれない。
――ひとりでに喋りだす、意思のある人形……大事な大事な『お友達』。
――馬鹿言ってんじゃない! そんなもの『化け物』以外の何だって言うんだ!!
家に帰って、部屋に閉じこもり、布団を被って震えることしかできなかった。
恐ろしかった。
あんな怪物が今の今まで自分のすぐそばにいたことが恐ろしかった。
何より……そんな怪物を生み出してしまった自分自身こそが、恐ろしくてたまらなかった。
飲まず食わずで、ずっと部屋の中で丸まって震えて過ごしていた。
どれくらい時間が経ったかも分からない。母親がドアの向こうから心配そうに声をかけてきたが、すべて耳には入らなかった。
思考停止を続け、暗闇の中で怯え続け、何時間、何日経ったのか分からなくなってきたころ。
あまりの不自然さに思わず布団を跳ね除け、周囲の音に耳を澄ました。
おかしい。ミストラルは必ず自分を追ってくると思っていたのに。いつまで経っても戻ってくる気配がない。
それに、どうしてこうも静かすぎるのか?
軋む身体でよろよろと起き上がり、部屋の外の様子を窺ったが、誰もいるような気配はない。
窓から外の景色に目を向ける。久しぶりの日の光が目に痛かったが、そんな事を気にしている場合ではない。
「誰も、いないのですか……?」
応じる者は誰もおらず、ただリビングの中に空しく反響するだけだった。
母親は出かけているのだろうか。それならまだいいのだが、真散の中で言い様のない不安が鎌首をもたげる。
寝間着姿のまま、外へ出る。自宅の前は大きな道路に面しており、いつも多くの人や車が行き来するような騒がしい所だったのだが、今は人ひとりいない静寂に包まれていた。ゴーストタウン、そんな言葉が真散の脳裏によぎった。
最悪の予想が浮かび上がる。
「まさか、ミストちゃんが「半分正解で、半分不正解だな」ヒィィッ!!??」
急に後ろから声をかけられ、心臓が飛び出してしまいそうだった。
おそるおそる振り向くと、そこには灰色の髪、灰色のコートを着た男性の姿。死人かと思ってしまうほどに病的に白い肌と相まって、随分と色の無い出で立ちだった。まるで、この男性だけ白黒のブラウン管の中から飛び出してきたかのような印象だった。
「少女よ、君が『コレ』の創造主で相違ないな?」
灰色の男が肩に担いだものを軽く揺すって見える。意識を失いぐったりとしているいじめっ子の少女――いや、ミストラルだった。
理解を超えて二転三転する目まぐるしい状況の変化に、真散の頭は完全についていけなかった。
「その子は、わたしの、わたしの…………おともだち、なのです」
よくもまあそんな事が言えたものだと、真散は心の中で自嘲した。
だが、ミストラルを怪物とか悪魔だと悪し様な言葉で言い表したくなかったのだ。意味はない、これは彼女なりのちっぽけな意地だった。
「……そうか」
男は何やら納得したかのように小さく頷いた。
いったいあなたは何者なのか、ミストラルをどうするつもりか、聞くべきことはたくさんあった。
だが、無理だ。幼い真散でも、根源的な本能で理解できた。
聞いてはならない。関わってはならない。この男とあと一分一秒たりとも目線を合わせてはならない。
今すぐ背を向けて逃げるべきだ、大声で助けを呼びかけるべきだ。
「君のような年端もいかない少女であったとしても、“アルス・マグナ”へと通ずる可能性を持った存在をそう簡単に見過ごすわけにもいかん。……悪く思うな」
「あるす、まぐな……?」
ただ、オウム返しに尋ねることしかできず。灰色の男は、いずれ分かると囁くような回答とともに真散の頭に手を置いた。
不思議な感覚だった。怖い夢から覚めた直後のような、恐怖と安堵がごちゃ混ぜになった心地の中、男からの最後の言葉が耳に優しく響き渡った。
「ではな。魔導の深淵――その遥か彼方の地平にて、また会おう」
暗転。
男の人差し指が真散の額にちょんと触れた瞬間、世界のすべてが闇へと落ちた。
「それが、わたしが最後に見たミストちゃんでした。その後、ミストちゃんに何があって“傀儡聖女”なんてものになったのかまでは、わたしには分からないのです」
「……そう。まぁ私としてもあんな奴の人生に興味なんかないから、知ってても聞くつもりはなかったけどね。とりあえず、質問いいかしら」
真散がこくこくと首を縦に振る。
さて、どこから追及したものかとレイシアは少し悩んだが、取りあえず。
「あんた、いったい何歳なのよ!?」
これである。
まず、時系列からしてこの話はおかしい。レイシアの知る“傀儡聖女”ミストラル=ホルンは、母親であるテレジアが幼かった頃からずっと《九耀の魔術師》として君臨していたという。要するに少なくとも30年近く前の時点で彼女は既に存在していたのだ。
よって、レイシアと同年代である筈の真散がミストラルを生み出したのなら、そんな昔に彼女がいるのは矛盾することになる。
「失礼な! わたしは正真正銘ぴちぴちの18歳なのですよ!!」
「ぴちぴちとか言うあたりが完全に昭和のノリじゃねぇのよ!!」
「……それは仕方がないのです。だって私が生まれたのは、昭和30年ごろなのですし」
「昭和、30年………………はあぁっ!!??」
昭和30年=1955年。今年が2029年だから、つまり……
「な、70歳越え……なぁにが18歳よ騙したわねこのロリババアーー!!」
「ろ、ロリババアって言わないで欲しいのです! 言葉のナイフって結構簡単に人を傷つけちゃうのですよ! それに、わたしは長い間眠っていたから身体は18歳には違いないのですよーー!!」
「……ん? 眠ってた?」
「です。最後に会った灰色の男の人――あの人に受けた魔術のせいで、わたしはずっと時間を止めて眠ってしまっていたのです」
「灰色の男……」
先程の回想は真散が8歳くらいの頃の話だそうだ。
最後に出会った灰色の髪とコートの魔術師により意識を奪われた後、真散は何年も、何十年も目覚めることはなかったらしい。
それも、衰弱も老いもしない、本当に時が止まってしまったかのように、ずっとずっと眠り続けていた。
「目を覚ましたのは今から10年前。本当に、何の前触れもなく目が覚めたのです。……どんなお医者様でもどうにもならなかった眠り姫が目覚めた、なんて一時期話題になったくらいなのですよ」
「10年前、ね」
つまり、真散は約60年近い年月を眠ったまま過ごしたことになる。
母はしわくちゃになったの顔を涙で濡らし、娘の無事を見届けたすぐ後、入れ替わるように永遠の眠りについた。
同じ街、同じ場所の筈なのに、目覚める前とは何もかもが違っていた。知っている人なんているわけがない。そのうえ唯一の肉親であった母をも亡くした真散は、まるで世界に置き去りにされてしまった心地だった。
「お母さんが残してくれた財産があったから、生きていくのには困りませんでした。でも……これからどうしたらいいのか、途方にくれちゃったのです」
それは当然だろう。
いきなり未来にタイムスリップしたような状態で、頼れる人もおらず。相当の苦労があったことは想像に難くない。
「郷土史研究部なんて部活動をやっていたのも、私が生まれたあの頃の白鳳市の姿を、少しでも今に遺していきたかったからなのです。乙女のセンチメンタリズムってやつなのですよ」
「最後の一言はどう考えても余計だったわね。無理やり横文字使おうとしてるあたりが昭和臭満載だってことになぜ気付かないの?」
湿っぽい話になりそうだったので、軽いボケとツッコミで真散の身の上話を打ち切ることにした。
レイシアが気になっているのは、目覚めてからの真散の半生ではなく、半世紀以上も人間の時を止めたという、灰色の男について。
心当たりがひとりだけいる――というより、時間停止などという神の領域ともいえる魔術を軽々と扱える魔術師など、レイシアの知る限りひとりしか存在しない。
(“征竜伯”アークライト=セルディス――あの方しか考えられない、わよね)
全身灰色の出で立ち、《九耀の魔術師》の長とも言える立ち位置にある天上人。まさしく『魔王』と呼ぶに相応しい彼であれば、60年前にいたことも、時間操作の魔術にも納得が――というより何ができたとしてもおかしくない――いく話になる。
(でも、その後ミストラルは“傀儡聖女”になってアークライトと同じ立場になっている。つまり60年前、アークライトはミストラルを連れ帰って《九耀の魔術師》に引き込んだってことかしら……?)
そう考えると、今回の一件、アークライトが一枚噛んでいる可能性も考えられる。
彼は《九耀の魔術師》の9人の中でも更に別格。“傀儡聖女”や“白の魔女”が赤子に思えるほどの次元の差がある――とは、母テレジアの弁であった。
例えば、今回のミストラルの暴挙もアークライトの命令によるものだったとか……いや、だから何だと言うのだ。
考えすぎで頭を抱えてしまったレイシアに向け、居住まいを正した真散が核心の一言を投げかけた。
「どんな経緯であれ、ミストラルという悪魔を生み出したすべての元凶はわたしなのです。……つまり、わたしが、あなたのお母さんを殺した仇なのですよ、レイシアさん」
「…………ええ、そうね」
――ああ、畜生。
どいつもこいつも、そんなにハッピーエンドがお嫌いか。