―第88話 シン・アンド・スレイヴ ④―
シグルズ戦の拍子抜けな結末と、リルちゃんまさかのヒロイン力発揮。
「さぁて、休憩時間はそろそろお終いにしようや。お前さんも謎が解けてスッキリしたろ?」
「そうだな……!!」
負傷した右腕も、何とか動かせるレベルまでには再生した。刀を握るにはまだ厳しいが、戦いながら何とか対処法を考える他ない。
左手一本で『レイヴン・シール』を構え、飛鳥は再び金髪の戦鬼へと立ち向かう。
互いに一歩を踏み出した瞬間――雨が、止んだ。
(……よし、いける!!)
現時点までに構成していた戦術プランをすべて刷新、および『レイヴン・シール』を破棄。
“緋々色金”再起動。全エネルギーを左腕に集約、同時に烈火刃・陸式を構築開始。
「おお! この土壇場でまだ隠し玉を持ってやがったか!!」
唐突に巻き起こった炎の嵐を前に、シグルズは犬歯を剥き出しにして無邪気に笑う。
人工英霊の能力に依存せずに使える『切り札』が轟天砲なのであれば、こちらは能力をフル活用した場合の『切り札』である。
飛鳥の炎の能力は、正直に言うといつでも使おうと思えば使えたのだ。だが、雨に濡れて炎の力が衰弱してしまうことと、今回の技には大きな蓄積が必要だったのだため、じっと使わずに我慢をきめこんでいた。
この2日間、クラウとの模擬戦を除けばまったく使用していなかった“緋々色金”の熱量自在操作能力。そのすべてを一点に集中し、万全の状況で放つために、飛鳥は今の今まで時間稼ぎに徹していたのだ。
「烈火刃・陸式――“火群鋒矢”」
左手は既に手としての原型を留めていなかった。肘までを覆い尽くした真紅の装甲は、籠手型の武装である参式・赤鱗に似ているが、明らかに違うのはその『長さ』だ。手先から更に50㎝ほど延長されたパーツは戦車砲の砲口のようでもある。
そして何より特徴的なのが、手首の部分に装着された一対のブレード。根元と刃の中間部分に関節があり、今は蟷螂の鎌のように折り畳まれている。
パチン、と軽い金属音が鳴ると同時にブレードが展開。鳳が翼を広げたかのように、緩い弧を描いて左右に伸びていた。
「弓……いや、どっちかってぇと弩か」
シグルズの呟きが、そのまま正解だった。
烈火刃・陸式“火群鋒矢”の全容を一言で表現するならば『弓』である。だが、弓道で使われるような和弓ともアーチェリーとも違う。バリスタ、クロスボウといった武器を何層にも複雑に重なり合った分厚い鋼鉄で創りあげた『兵器』――そう言い表すのが妥当だろう。
人工英霊の精神武装ゆえ、実際の弓型兵器と構造は似て異なる。要するに撃てればいいのだから、細やかかつ複雑な機構など必要ない。
空いた右手には一振りの剣を錬成した。弐式・緋翼の双剣ではなく、もっと簡素で、だが重く、鋭く、尖った形状だ。
ガシャン、という音とともに“火群鋒矢”の中心が小さく展開される。開いた隙間に形成した剣――すなわち『矢』である――を差し込むと、左右で挟み込むように固定された。
両足を開き、上体をぴんと張り安定させ、両手を頭上へと上げる。装填された剣の柄を右手の人差し指と中指で浅く持ち、弓と一体化した左手と左右に引き分けていく。
弓道における射法八節――弓道と呼ぶにはあまりにお粗末で、扱う弓矢も奇天烈な代物ではあるが、飛鳥なりに弓を扱う心得は守ったつもりである。
巨大な鉄塊を取り付けているにも関わらず、飛鳥は一分の揺らぎもない動作で矢の先端をシグルズの心臓へと向ける――即ち弓道における『会』の体勢である。
「面白ぇ……つくづくどうして、兄弟揃って飽きさせねぇなお前らは!!」
笑いが堪え切れないといった様子のシグルズは、大きく両手を広げて大きく手招きをする。
――撃ってこいよ。
言葉にせずともそういうことだ。
限界ギリギリまで矢を引き絞る。再生しかかっていた右手の骨がひび割れる音が聞こえたが、意にも介さず。
当たってくれるのであれば是非もない。
既に目的は達しているが、今の自分自身の全力全霊、思いつく限りで最強クラスのこの敵に、どこまで通用するのか試してみよう。
熱エネルギーを限界まで収束。燃焼、溶断、貫通、爆発――烈火刃が実現し得るありとあらゆる破壊の原理をこの一矢に込める。
「ちょぉーーーーーーっと、待ったぁぁーーーーーーーーっっ!!」
一触即発――その瞬間、上空から響き渡った少女の咆哮。
何事かと、肩を竦めながら上を見やるシグルズ――作戦変更、射線軸修正!!
(あんのバカ……!!)
狙いを下方向に5度修正。“火群鋒矢”内部の固定器具を全解除。同時に熱エネルギーに還元し『自爆』させる。
その高圧縮爆発の反動により撃出された矢はアスファルトを猛々しく削り取りながらシグルズの足元へと突き刺さった。
「ハッ……ま、今回はしゃあねぇ――」
シグルズの嘲笑を掻き消し、爆砕。
天に昇る龍が如く、極大の火柱をあげて燃焼した一矢を見届け、残心――している場合ではない!!
「鈴風ぁ!!」
「あ、飛鳥すっごいねアレ! あれならあの金髪オジサンもってふぎゅうっ!?」
超絶規模のキャンプファイヤーを横目に意気揚々と隣に降り立った鈴風の上着の襟を引っ掴み、この場から全力で離脱する。
この娘っ子は満を持して助太刀に来たつもりなのだろうが、如何せんタイミングや相手が……要するに、何もかもが駄目だった。
「あんな程度で倒せる相手なら、とっくの昔に和兄が倒してる! それができないってことは、今の俺達が束になろうが足止めが精々ってことだ!!」
「……」
「駆けつけてくれたのはありがたいが、今回ばかりは相手が悪過ぎるんだよ! 他の相手を手早く片付けて、守りを盤石にしないことには……って、鈴風?」
「…………」
火災現場から大きく離れたところで、ふと後ろを振り向く。
そういえば首根っこ掴んで勢いよく引っ張ってきたから、さっきまで鯉のぼりの鯉みたいになっていたのではないか。
「ぶくぶくぶくぶく……」
要するに、上着が首に引っかかってチョークを極められていた。顔を真っ青にし、口から泡を吐き出して気絶していた。
仕方がないので急停止。道端に放り出すわけにもいかないので、施設入口の手前にある公園へ移動する。
公園といっても大したものではない。小さな噴水(瓦礫が落ちてきて半壊しているが)を中心を囲むように4脚のベンチと、花の種類別に分けられた花壇がいくつかあるだけの簡素なものだ。
手近なベンチに彼女を寝かせ、飛鳥も息を整えることにした。
「アスカぁ……」
「フェブリル? お前鈴風と一緒だったのか」
倒れこんでピクピクしている鈴風の上着のポケットから、見慣れたチビっ子がもぞもぞと這い出てきた。暗がりで真っ黒なローブなんて着ているものだから、この光景を見るとまるでG――いや、彼女の名誉のために考えるのはよそう。
「今何を考えてたのかな?」
「気にするな」
そして、こんな時だけやたら鋭い使い魔である。
こんな漫才みたいなことをやっている場合ではない。身体の調子を一通りチェックした飛鳥は、遠くから響く銃声と爆音の方へと意識を傾けた。
刃九朗が派手にやりあっているのがその音だけで理解できる。あの全身凶器に勝てる存在などそうはいないだろうが、相手は間違いなく彼の同類――あの馬鹿でかい鋼鉄の巨兵だ。
「ねぇ、なんでさっきあんなに慌てて逃げ出したの? 勝敗が決まる前に逃げ出すなんて……なんか、アスカらしくないような気がする」
心底疑問だ、といった風にフェブリルが首を傾げる。あまりこの話を掘り下げたくはないのだが、小さく無垢な瞳に見つめられて、飛鳥は渋々と口を開いた。
「一年前、あの男――シグルズにな。俺は大負けしたことがあるんだよ」
人工英霊として、断花流の修練を受けた者として、それなりに自分の力に自信が付いてきた頃の話だ。
実はちょうどこの頃がクロエと出会った時期でもあったのだが……今は割愛する。
「敵わなかった、なんてレベルじゃない。ネズミが恐竜に挑んだようなもんだ、勝負にすらならなかった」
あの時は、《八葉》陣営最強である義兄がいたから命を拾えたが、飛鳥ひとりで戦っていたのであれば間違いなく終わっていた。
あれから飛鳥も研鑽を重ねてはいたが、今回の戦いで確信した。
――まだ、足りない。
毛ほどの傷でも付けられただけ大進歩だ……そんな卑屈めいた考えに及んでしまうほど、どうにもならない戦力差だったのだ。
「そ、それって……大丈夫なの? 早く逃げないと追ってくるんじゃ……」
「ああ、それは問題ない」
良くも悪くも、奴は戦いを楽しんでいる。翻って言えば、楽しければいいと考えるのがシグルズ=ガルファードなのである。
だからこそ、飛鳥はあの時点で自分が切れる札を大盤振る舞いで繰り出していたのだ。
一年で飛鳥はこれほどまでに強くなった、次に戦うときはもっと面白い戦いができそうだ――そんな感想をシグルズに抱かせることが、今回の飛鳥の勝利条件だったのである。
そのせいで、轟天砲や火群鋒矢といった切り札の半数近くをさらけ出す羽目になってしまったが。
「…………」
「やっぱり、悔しいよね」
「勝ちと言うにはあまりにお粗末過ぎるからな。結局、奴に見逃してもらったことに変わりはないし」
表情にこそ出してはいないが、苦い思いを飲み下そうとする飛鳥に、フェブリルはふわふわと飛び上がって頭を撫でてきた。普段の彼女からは思いつかない年上じみた行動に(というかこの子は何歳なのだろうか)、飛鳥は一瞬忘我して固まってしまっていた。
顔の正面に向き直りによによとした笑みを浮かべる小悪魔に、つい不機嫌そうに返してしまう。
「……何が面白いんだよ」
「んー? いや、今まで知らなかったアスカの一面が見られて嬉しいなーって」
言われてみれば、珍しいのかもしれない。
フェブリルの前に限った話ではないが、飛鳥は自分の弱みを見せることを極端に嫌う。迷うことなく、悩むことなく、誰からも頼られる強い自分であろうと心がけている。
心を乱さず、常に己を律する――そんな当然の意識が欠けてしまっていることが、飛鳥にとっては恥ずかしいことなのである。
「肩肘張っててもいい結果なんて出ないよ。自然体の自分で挑むからこそ意味があるんじゃないのかな?」
「……お前は、姉さんみたいなことを言うんだな」
深い真紅の瞳に自分の考えを見透かされていたようで、飛鳥はどうにもバツが悪かった。
掴みどころのない子である。普段は食っちゃ寝しかしないやたら食費のかかるマスコットでしかないのに、時折こうやってすべてを見通すような――
「(なんなのなんなの気が付いたらまさかのリルちゃんがヒロインっぽいことしてて入り辛い雰囲気になってるしここは寝たフリして生温かく見守るのが正解なのかなでもでもこれ以上好敵手増えるとあたしも結構しんどいだけどあれ好敵手って何のだっけ)」
――さて、休憩はここまでにしよう。
横になったまま、先程までとは違う理由でぷるぷる身を震わせていた鈴風の頭を軽く小突く。
「にゃあっ!? …………き、今日もいい天気だねー」
「見渡す限りの曇天だがな」
ビクーッ! と跳ね上がるように起き出した鈴風をよそに、飛鳥は再び思考を戦闘用のそれに切り替えた。
小休止のおかげでまだしばらくは動ける。鈴風も見るからにボロボロだが、今は猫の手も借りたいところ。
「ここが正念場だ。……アテにしてるぞ?」
「よっしゃあ! このあたしにまっかせなさいっ!!」
飛鳥の言葉を受けて、鈴風はもう勇気リンリン元気百倍といった様子だった。ビシッと敬礼を返してきた頼れる相棒の姿に思わず苦笑してしまう。
「フェブリルはここで留守番してな。危ないところには近付かない、知らない人には付いて行かない、拾ったものを食べない、オーケー?」
「アスカ、アタシをいったいなんだと思ってるのかな!?」
普段通りの返しをしてくる使い魔に、飛鳥はなんだか安心感を覚えていた。
長い夜が、終わろうとしている。
事態は終息に向かいつつある。
この戦いの結末がいったいどのようなものになるのか……それは飛鳥だけではない、この場に留まり戦い続ける者達全員の力と意思によって決定される。
残る敵手――あと2体。
やっと終わりが見えてきた第三章! この夜はいったいいつになったら明けるのか!