―第87話 シン・アンド・スレイヴ ③―
鈴風とフェブリルの絡み=コメディです。
さて。
この切迫した状況下で全然まったく関係ない話なのだが。
「んにゅ……」
楯無鈴風は朝が苦手だ。
新しい朝とか希望の朝とか来なくていいから、1分1秒でも長く睡魔とお付き合いさせていただきたいと言い張る類の人間である。
別にそれはいい。大半の人間は割と同じような考えだろうし。
「……スズカ」
だが、何事もTPOをわきまえないといけないわけで。
よって。
「さっさと起きんかこのスットコドッコイが!!」
「ぷぎゃすっっ!?」
ほぼ廃墟と化したエントランスの片隅で、アホ面さげて寝こけていた鈴風の腹目がけてダイビングエルボーを叩きこんだリーシェを弾劾することは誰にもできないだろう。
年頃の乙女が出すようなものではない悲鳴をあげながら腹部を押さえてゴロゴロ転がる鈴風を見て、リーシェは怪我人相手にちょっとやり過ぎたかなーと少しだけ後悔した(少しだけ、というあたりがリーシェの鈴風に対する扱いの雑さを如実に示している)。
「おおぅ……おおおうぅ……さっき食べたご飯が出てきそう」
「なんだ、元気そうじゃないか」
酷い言い草である。
鈴風は涙目になりながら批難の視線でリーシェを睨み付けた。
「それにしても……随分と派手に暴れたものだな」
「いや、何事もなかったかのように真面目な話に入らないで。もっと労わろうよあたしを。これでも命がけの死闘を潜り抜けてきた後なんですよ?」
「火急の事態なのでな。悪いが今はボケもツッコミも品切れだ。……アスカ達が危ない」
「分かった、行こう」
リーシェがその言葉を言い切るのと、鈴風が全身のバネを使って飛び起きたのはほぼ同時だった。
なるほど。確かに寸劇も問答も無用らしい。
今の戦闘状況を簡単にまとめると、飛鳥と刃九朗がそれぞれ大物とぶつかっている最中とのこと。おそらくクラウもそうなのだろうが、そちらはレイシアがいるので問題なしと判断。
蛍との戦いで負ったダメージは……完治には程遠い。10分程度眠れたので多少は回復しているが、今の鈴風に残された力は甘く見積もっても全体の30%ほどだろう。
――そう、三割もあれば充分だ。
残り七割は、愛とか勇気とか友情パワーとか、要するに気合いで補えばなんとかなる。
そして、この場にいるのは鈴風とリーシェの2人。よって、
「あたしは飛鳥のところへ」
「私はジンクローの方か。……上手く連携がとれるのか不安はあるが」
完全に直感で下した判断だが、案外合理的な組み合わせである。
飛鳥と鈴風は言わずもがな。幼馴染コンビの息の合いようは《ライン・ファルシア》での一戦で如何なく発揮されている。
反面、刃九朗とリーシェは、互いにほとんど接点を持たない組み合わせであるが故、思考を合わせたり連携をとったりというのは期待できない。
だが本来、2人とも個人戦でこそ力を発揮するタイプだ。私は私で勝手にやるから、お前はお前で勝手にやれ。それだけで共同戦線が容易に成立する。
「よしっ! それじゃあもう一戦、気合い入れて行こっか!!」
両の頬を平手で叩き、何とも男らしい活の入れ方をする鈴風と。
「うむ、急ぐとしよう……」
あれを真似するのはちょっとなぁ……と若干引き気味だったリーシェだったが。
「…………あれ? なんだか、足りないような」
いざ往かん、と雄々しき一歩を踏み出そうとしたところで――鈴風とリーシェは頭の片隅に小さな引っ掛かりを感じた。
足りない。何が、と言われると困るが、とにかく足りない。
いや、別に気にしなくても大勢に影響はないようなことだろうが……こう、奥歯に魚の小骨が挟まった時のような、くしゃみが出そうで出なかった時のような、言いようのないもやもや感が頭から離れない。
何だっけ、何だっけ……2人で顔を突き合わせて、揃ってこてんと首を傾げた。
「アタシだよっっ!!」
突如、瓦礫の隙間から飛び出してきた小さな黒い影。すわっ敵襲か! とリーシェは警戒を露わにし、鈴風は何故かぴくりと身体を震わせただけで動けなかった。
先に言っておこう、鈴風は一瞬あの家庭内害虫かと思った。
「………………あ、リルちゃん。無事だったんだね心配したんだよどこ行ってたのー」
「アタシがいること、忘れてたよね?」
「………………ソンナワケナイジャナイ」
「しかもさっきの反応からして、アタシをGと勘違いしてたよね?」
「あ、うんそれは思った」
がぶり。
鈴風は甘んじて黒いアレ――もとい、フェブリルの怒りの噛み付きを受け入れることにした。
こんなことやってる場合じゃないんだがなー、と隣のリーシェが嘆息。
緊張感がないことを憤るべきなのか、常に自然体でいられる神経の図太さを称賛すべきなのか。この姦し3人組――いつでもどこでもこんな調子なのである。
それは、魔術師同士の戦いとしてはあまりに異質なものだったのだろう。
「――砕けろっっ!!」
その拳はあらゆる物質を砕く――否。
厳密には、砕けぬことを許さないという、暴力的かつ圧倒的な理不尽を骨子とする必滅の魔拳である。
「いやんっ♪ ミストこわ~いっ♪」
触れるだけで消滅必至。そんな反則じみた乱打を前に臆する様子も見せず、人を小馬鹿にするようなわざとらしい悲鳴をあげる鳴海双葉――その姿をしたミストラル=ホルン。
暴れまわる闘牛と、それを難なくいなす闘牛士のやり取りを見ているようだった。
また躱された……外れたクラウの豪拳が、壁面のコンクリートをショベルカーの如く削り取っていく。
簡単な筈なのだ。一撃、ただの一撃を加えるだけですべての決着がつく。
言うなれば、攻撃力が限界突破している状態でHP1の敵を倒そうとするようなもの。
それでも、あえて言葉にするのであれば、
「どんなに強大な力でも、当たらなきゃ意味ないよ~♪」
単純明快な真理である。
クラウの狙いが荒すぎるのか、ミストラルの動きが速すぎるのか。その両方を満たしている現状ではあるが、こうもクラウが遊ばれているのにはもっと具体的な理由がある。
「この……! 鬱陶しい『糸』を!!」
「ムダだよん、ムダムダ♪ 《九耀の魔術師》が一柱“傀儡聖女”の名は伊達じゃないってね♪ さぁ、ミストの『支配者の繰り糸』のお味はいかがかなっ♪」
蜘蛛の巣に捕えられたかのようにクラウの全身に絡みつく見えざる糸。これこそ、ミストラル=ホルンの魔力によって編み出された『支配者の繰り糸』である。
読んで字の如く、人形を操る糸のように……対象の神経、果ては精神までもを自在にコントロールする悪辣極まる性能を持つ。
かつて、クラウがテレジアを手にかけてしまった直接的な要因である忌むべき魔業。
(こんな、ものにぃ……!!)
物質ではなく、精神干渉型の魔術式で構成された傀儡の糸。力づくで引き千切れるのであれば、とっくの昔にそうしている。
「あは、やっぱり♪ “聖剣砕き”の弱点、分かっちゃった♪ クラウちゃんの能力は、確かにどんな魔術でも壊せる驚異的な術式だけど……それは常にひとつの対象しか破壊できないっていう致命的な欠陥を抱えているんだね♪」
してやったり、といった風にくすくすと笑うミストラル。今すぐそのにやついた顔に拳を叩き込んでやりたかったが、意思とは裏腹に身体が錆び付いてしまったかのように動かなかった。
クラウの魔術がミストラルの支配を『破壊』できるのは、バチカンでの一戦で証明されている。だが、両腕両足胴体首と全身いたるところに『糸』を巻きつけられた場合、クラウはそれらを一本ずつ破壊していくこととなり、必然的に、一瞬で完全無効化するとはいかなくなるのである。
そのため、完全に身体の主導権を支配されることはないものの、幾重にも巻きついた無数の糸の術式破壊に時間と意識をとられ、上手く動けずにいるのが今のクラウの状態だ。
だが。それがどうした。
「僕が何の対策も講じてないと思ったか!!」
気炎万丈の咆哮とともにクラウは己の『武器』を解き放った。
神導器、及び魔女の鉄槌はその持ち主にとって体の一部となっている。比喩的な表現なのではなく、文字通りにだ。
肉体に刻まれた特殊な魔術式による契約で、使用者と装具は常に擬似的な神経で繋がっているような状態となる。位の高い神導器であれば、どんなに距離が離れていても瞬時に手元に召喚できたり、破壊されない限り契約者も決して死なない――そんな正しく『神がかった』能力を持つに至る。
「“アンサラー”、招来」
ふわり、と小さな風が吹いた。
ミストラルも気付けなかったほどに、音もなく、無造作に、クラウ=マーベリックの神導器が現出した。
「……マフラー?」
どんな凶暴な魔術兵器が出てくるかと思ったら……ミストラルの言葉通り、クラウが召喚し、装着した武具は、どうみてもただの布切れにしか見えなかった。
重力の軛から解き放たれたかのように、クラウの首元にゆるく巻きついた半透明のヴェール。たなびくたびに、光の反射で金色の鱗粉を振り撒いているようにも見える。天女の羽衣を彷彿とさせる、傍から見れば気品のあるただのアクセサリーだ。
(……おかしいなぁ? いつの間にか、ミストの『糸』が全部切られちゃってる?)
一切、まったく、何の前触れもなく、ミストラルの拘束の糸が悉く千切られて――いや、力技で千切られたというよりは、ひとりでに溶けて消えてしまった、と言った方が適切か。
原因としては、あの鱗粉のようなものか。
マフラー型の布帯から振り撒かれている虹色の粒子は、ふと見惚れてしまうほどに幻想的な美しさを放ち、また同時に身も凍るような『死』の気配を流出させている。
「先に言っておく。触れれば死ぬぞ」
「!?……そう。そういうことっ♪」
冷厳なるクラウの一声で、ミストラルはすぐにこの粒子の正体を見破った。
要するに、あれもまた“聖剣砕き”なのだ。ひとたび吸い込みでもしようものなら、ミストラル=ホルンの精神を一瞬で腐壊させるであろう美しき猛毒。
神導器“アンサラー”は、一言で言えば『魔術の増幅器』だ。
聖別された銀(ミスリルとも称される)より精製された糸で編みこまれたこの布帯は、あらゆる魔術との親和性に優れ、契約者の魔術式の効力を底上げする装置として設計された。
だが、それはあくまで一般的な魔術師が使用した場合の想定である。
《九耀の魔術師》に比肩する魔力を有する“聖剣砕き”が運用したことによって、“アンサラー”の用途は大きく変化することとなった。
マフラーから放出されている鱗粉のようなものは、クラウの膨大な魔力量を“アンサラー”が処理しきれず、余剰分として外部へ放出されたものである。
そして、ここからが肝心なのだが……この放出された粒子は、使用者が組み上げた術式(空気中に拡散することで多少の減衰はあるが)の効力をそのまま有している。
氷の魔術式であれば、触れた部分を瞬時に凍て付かせる死の雪に。
炎の魔術式であれば、すべてを燃やし焦がし尽くすマグマの如く。
“聖剣砕き”の魔術式であれば――もう語るまでもあるまい。
(そうなると……室内にいるのはヤバすぎるってことじゃない!!)
距離をとっている間も、クラウが首に巻いたマフラーからは続々と最凶の猛毒が放出され続けている。
即ち、密閉された空間――この指令室にいることは、自殺行為以外のなにものでもない。
「さぁ、覚悟を決めろ!!」
これが好機と、クラウは再びミストラルの懐へと踏み込む。半壊したデスクや大型の電子機器が進路を遮っていたが、委細構わず。
全身に“無二の結末”の魔術式を変換して作り出した粒子を纏っているのだ。迂回する必要も、そもそも障害物と認識する必要すらない。
――すべて、何もかも、薙ぎ倒して進むのみ。
「いや、ちょっとシャレになんないかもっ♪」
攻め込まれるミストラルから見れば、これは弾丸並みの速度で重戦車が突撃敢行してきているようなもの。
余裕の表情を消したミストラルは、一も二もなく背を向け、出口の扉へと走り去っていく。
「逃がすとでも「逃げちゃうよん♪ クラウちゃんはこの子達とでも遊んでてね♪」っちぃ!!」
一足先に廊下へと飛び出したミストラルは、手招きするような仕草で2体の傀儡を呼び寄せた。
(機械も操れるのか!?)
おそらく先にリーシェによって撃破されていたのだろう、頭部が斜めに両断されていたクーガーと、片翼がひしゃげてまともに飛べなくなっていたストラーダが、関節を不自然に軋ませながらクラウに殺到する。
動力は停止していた筈だ。だが、死者をも意のままに操る“傀儡聖女”にとってはさして問題ではなかったのだろう。
ギチギチと鳴る油の切れた関節の駆動音が、自我無き鋼鉄の獣達の悲鳴のように聞こえてならなかった。
人間でも、機械でも、死してなお他人にその身を弄ばれているのを見るのは忍びない。
「大丈夫。――これで終わりだ」
両手の指先に魔力を集中。両腕を振り上げ、渾身の手刀を袈裟懸けに振り下ろす。
イメージは示現と呼ばれる日本古来の剣術。『二の太刀要らず』の通り、鋼の太刀と化したクラウの両手が2体の機獣を首から胴にかけて縦一文字に両断した。もう二度とその身を操られぬよう、一辺の容赦もなく完全破壊した。
接敵はほんの数秒。だがその数秒はミストラルがクラウの視界から消え去るには十分な時間だった。
足を向ける先に迷いは無い。外だ。
“アンサラー”の拡散粒子を恐れている以上、彼女は絶対に密室に逃げ込むような真似はしない。
飛鳥やレイシアといった他の敵に見つかるリスクを考慮したとしても、雨が降りしきる外の空間で粒子の展開を無力化するのを選択するだろう。
だが、本当にそれだけか?
あの狡猾な“傀儡聖女”が、何の方策も無しに逃げの一手を打つものだろうか。
彼女が向かう先には誰がいる……いや、『何』があった?
「…………まさか!!」
足元に崩れ落ちた機械の残骸がその答えだ。
外にもあるではないか――人形と呼ぶにはあまりに馬鹿デカい、ミストラルが操ろうとするのにうってつけの『モノ』が!!
何が何でも追い付かなければならない。足の裏に魔術式を組み上げ、起爆。疾走というよりは射出という勢いで地上へのルートを駆け抜けていく。
残る《パラダイム》の敵個体もすべて外にいる。交戦中の飛鳥、刃九朗、散り散りになった他のメンバーもすぐに合流するだろう。
畢竟、ここから先は総力戦だ。