―第86話 シン・アンド・スレイヴ ②―
恒例の答え合わせ回。地味に新キャラの名前だけが積みあがっていく。
劣勢、絶望的、勝ち目無し。
そんなこと、誰に言われるまでもなく自分自身が一番よく理解している。
「天衝刃――!!」
神速の居合は研ぎ澄まされた剣風を生み出し、黒刃『レイヴン・シール』の超重量が、その真空波を鋼鉄を断つ領域にまで昇華させる。
「……はっ」
――さりとて。
いくら鋭かろうと、いくら迅かろうと、山を断つのは到底不可能であるように。
「手緩い風だなぁ坊主。ええ、おい?」
射出された横一文字の衝撃は、シグルズの胴体に確かに直撃していた。だが、かすり傷どころか、その身を微塵も揺るがすことすら叶わない。
(こうも手応えがないと、嘆くのを通り越して笑えてくるな、まったく……)
飛鳥が単身、シグルズ=ガルファードという巨大な山に挑みかかってから、早……百は下らない剣撃を叩きこんでいる。
牽制も目くらましも一切なし。一手目から百手目まですべてが必中必殺を意図した連環套路であった。
雨や湿気の多い空間では十全に能力を発揮できない――飛鳥が自身に宿る炎の能力の不完全さに危機感を覚えたのは、至極当然と言えば当然だった。
だが、炎が使えないから戦えない、勝つことができない――そんな戯けた言い訳を自分自身にしたくはない。そのために飛鳥が会得したのが、対人外用戦闘兵法“断花流弧影術”である。
「今度はこっちから行く……って」
「どこを見ている」
シグルズが反撃に出ようと右腕を振り上げた瞬間――飛鳥は既にその巨躯の懐にまで飛び込んでいた。クラウはこの移動法を『縮地法』の一種と捉えていたが、その実、似て非なるものである。
予備動作を最小限にし、練り上げた気を足元で起爆。断花流孤影術“瞬幻足”は、中国拳法の奥義たる『発勁』を、人工英霊の超人的な身体能力で擬似的に再現した荒技だ。
そのままシグルズの鳩尾目がけて刀の切っ先を突き入れる……それは二十八手前に行い簡単に弾かれてしまっている。よって、刀は不要。
「ふぅっ……!!」
「お?」
鋭く呼気を出す。力強く踏み込んだ左足を支点とし、足から腰、背中、肩、腕と全身を螺旋の如く捻じる。
右手は拳ではなく掌で構える。全身の筋肉を弓弦に見立て、放たれたのは鉄槌と見紛うばかりの衝撃。
「八卦掌ってやつか……!!」
金色の巨獣は驚愕……というよりも感心した面持ちで、飛鳥の渾身の掌打を躱す素振りすら見せずに直撃を受けた。
アスファルトを踏み砕くほどの踏鳴、その運動エネルギーを体内に巡らせつつ増幅、圧縮し、撃ち付ける――断花流をして“轟天砲”と呼ばれる絶招。炎を持たない今の日野森飛鳥が行使しうる、最大最強の一撃。本来であれば、撃ち付けた対象のありとあらゆる体組織を内部から破壊しつくし全身を木端微塵と化す凶悪無比な必殺技であるが……
(これでもダメか……!!)
苦痛に顔を顰めながら、飛鳥は逃げるように後方に飛び退いた。
無理もない判断だ。今回破壊されつくしたのは、シグルズの肉体ではなく飛鳥の右腕だった。
五本の指は関節を無視してひしゃげ、轟天砲の衝撃をそのまま弾き返された余波で、右腕の骨と筋肉がミキサーで撹拌されたかのように内側からズタズタに砕き潰れていた。
歯を食い縛り、激痛を押し殺す。問題ない、この程度の痛みなど日常茶飯事だ。人工英霊の再生力なら、数日もすれば動かせる程度には回復する。
「悪あがきにしちゃあ上出来だ。手ぇ抜いてたとはいえ、俺に僅かばかりでも傷をつけるたぁな」
肉を斬らせて骨を断つ。まさに文字通りの覚悟で臨んだ乾坤一擲の一撃は、決して無駄ではなかったのだろう――轟天砲の回転エネルギーにより腹部の服の布地が引き千切られ、剥き出しになった巌のような腹筋の表面を、ほんの少しだけ焦がしたくらいには。
窮鼠の一噛みにも値しない。飛鳥は自身のあまりの無力さを痛感し、思わず立ち眩みしてしまう。
「相も変わらず反則じみた能力だな……!!」
「それに関しちゃ俺も同感だ。人工英霊になって以来、はっきり言って命の危機なんざこれっぽっちも感じたことがなかったからな……アイツの拳以外にはよ」
“覇龍顕現”。それがシグルズ=ガルファードの人工英霊としての能力名である。
とはいえ、その実態は『能力』と呼べるほど特殊な性能を秘めているわけではない。『身体能力の極限強化』、ただそれだけの、本来なら名前を付けるまでもないありふれたものだ。
だが、すべては先の戦闘で証明している。
肉体の強化、それを突き詰めるところまで突き詰めた果て――それ即ち『無敵』である。
剣だろうとミサイルだろうとレーザー砲撃だろうと悉く弾き返す防御力。ひとたび拳を握れば戦車の装甲だろうと核シェルターの隔壁だろうと造作もなく砕いて進撃する。その身ひとつで戦場のど真ん中を悠々と闊歩し、敵味方関係なく目につくすべてを破壊し尽くしていく人型の災害。無軌道に、無計画に、ただそこに争いがあるからという理由だけで世界中の紛争地域に現れてはすべてを蹂躙し、更なる戦火を拡大させていく。
故に、人は彼を『戦争屋』と称した。
「おいおい坊主、なんだそのザマは。それでもアイツの弟かよ? 腕一本持ってかれたくらいで諦めてんじゃねぇぞ?」
理不尽を具現化したような存在からの一睨み。並みの精神では、気絶を通り越して心停止しかねないほどの威圧が飛鳥の心臓を締め上げる。
「誰が、諦めるって言った……」
1年前にシグルズと戦った経験があり、少なからず心構えをしていた飛鳥だったからこうも虚勢を張れたのだ。
しばらく右腕は使いものにならない。腕一本で果たしてどこまでやれるか。
(……いや。仮に万全だったとしても、今は打てる手が無い、か)
意地と根性で力の差を覆せるのであればともかく、現実はそう甘くないことは重々理解している。
諦めないと啖呵を切ったものの、実際問題シグルズを打倒する手段は絶無である。
この男に勝つ、ということは、義兄である高嶺和真に勝つこととほぼ同義であり、未だ和真の背中すら見えていないような今の飛鳥の力量でどうこうしようなど、身の程知らず以外の何者でもないのだろう。
(意地を張っている場合じゃないか)
ちらり、と空に目線を向ける。雨の勢いはだいぶ弱まってきており、もう少し水量が減れば“緋々色金”の使用も解禁できる。
「ほらよ」
シグルズが、足元に転がっていた『レイヴン=シール』を飛鳥の方へと蹴飛ばしてきた。空いた左手で拾い上げ、百を超える剣撃を耐え抜いた束の間の相棒の状態を確かめる。
流石はリュミエール鋼というべきか、ところどころに刃毀れがあるだけで、運用に支障はなさそうだ。自己再生能力もあるので、じきに細かい損傷も修復だろう。
さて、ここからが勝負どころだ。
「それじゃあもう一戦、の前にアンタに聞いておきたいことがある」
「戦の真っただ中でぺちゃくちゃお喋りする趣味はねぇんだが……まぁいい。手傷を付けた報酬だ、聞いてやるよ」
予想通りの回答に、飛鳥は心中でほっと胸を撫で下ろした。
時間稼ぎであることはとっくに見破られているだろう。だが、決死の覚悟で戦いを挑んできたものに対しては、いくらばかりか寛容になる(興が乗る、とも言うが)シグルズの性格からして、こちらの提案を断られることはないという自信があった。
せっかくだ。今回の事件、諸々の答え合わせをしておこう。
「いつから“傀儡聖女”と手を組んだ?」
「…………ここはすっとぼけるべきなんだろうが、しゃあないやな。坊主、どうして分かった?」
「単純な話だ。なぜアンタ達《パラダイム》が、今、このタイミングで、しかもこんな少数勢力でいきなり攻めてきたのか。レイシア狙いという動機ばかりが目立ってたから見落としそうになったが……たとえアンタという反則級の手札があったとしても割に合わない」
「だろうな。この戦力でここを落とせるってんなら、とっくの昔にそうしてらぁ」
第一師団『黒曜』隊長・ヴァレリア=アルターグレイス。
第二枝団『雷火』元隊長・高嶺和真(元がつくのは、現在は飛鳥が隊長を代行しているため)。
第八枝団『日輪』隊長・断花竜胆。
《八葉》にはシグルズに比肩し得る最強クラスの人材が、飛鳥がざっと思い浮かべただけで軽く3名は出てくるのだ。
《パラダイム》とて脅威となる敵はシグルズ1人ではない。とはいえ、こうも互いに切り札を持っている状態では、迂闊に本拠地に攻め入るなど自殺行為になりかねない。
「ここからは俺の推測だが……《パラダイム》は、本当はレイシアなんて狙っていなかったんじゃないのか?」
「ほぉ……どうしてそう思う?」
「まず昨日の引き際の良さだ。何の対策もできていなかった俺達を倒すなら、あの時が最大の好機だった筈なのに、烏も村雨蛍も、随分あっさりと退いていた。つまり昨日の戦いに意味なんてない、『《パラダイム》はレイシアを狙っている』という印象をこちらに植え付けるためだった」
この『レイシアがいるから《パラダイム》が襲ってきた』という前提をひっくり返すと、色々と辻褄が合ってくるのだ。
「そして《八葉》の戦力がほとんど不在なこのタイミングでの襲撃、しかもそれを見計らったかのように内部セキュリティが無効化されていた。鴉の能力でここのシステムにハッキングするのを事前に見越していたかのようにな。……ここまで来れば簡単だ。《八葉》内に内通者がいるって考えるのが自然だろう?」
では内通者は誰なのか?
それは《パラダイム》と利害が一致している者――《八葉》を壊滅させることにメリットを見出し、かつ危険を冒してまでそうするだけの動機がある人物。
「自分の手を直接汚すことなくクラウを倒し、レイシアの身柄を奪い取ることができる……大方そんな内容で“傀儡聖女”と取引したんだろうな」
故に、ミストラルの『人形』と化している人物は、《八葉》内でも『百式』のシステムに干渉できる者――何名か該当はするのだが、現在この場に残っている人物の中では彼女しかいない。
即ち、第三師団『水鵬』隊長・鳴海双葉である。
レイシアとの出会いをきっかけに始まったこの一連の事件、言うなれば《パラダイム》とミストラルの手によって作り出された自作自演だったのだ。
おそらくクラウあたりは同じ結論に至っているだろう。そうでないと、わざわざリスクを冒してまで別行動をさせた意味がない。
(だが、この推測には一個だけ穴がある)
そもそも飛鳥は『人形』を白鳳学園の関係者だと推測していた。
それはクロエの証言からも読み取れたし、何よりこの策略は、クラウやレイシアの動向を逐一把握していなければ土台不可能な話だったのだ。鳴海双葉ひとりの視点では、流石に学園内の様子まで目が届くとは思えない。
鳴海とは別の『人形』が学園にいた、とも解釈できるが……だが、ミストラルは2人同時に操作できるのか?
……ひとつだけ思い至る可能性が、あるにはある。
(もし、それが真実だと、今までずっと一緒にいたあの人は……)
流石は人工英霊や機械兵器といった圧倒的暴力を有している《八葉》のスタッフというべきか。鳴海双葉の突然の狂奔に対しても、大きなパニックを起こすこともなく迅速な避難行動に移っていた。
「外へ……南側の出口からならまだ安全だ! 怪我人には手を貸して、足並みを揃えて移動してください!!」
第六枝団『月読』隊長である来栖夜行の指示のもと、レイシアと真散はスタッフ達と一緒に出口への道を早歩きで進んでいた。
おさない、かけない、しゃべらない。これが避難の鉄則である。
とはいえ、いつ、どこから《パラダイム》の尖兵が飛び出してくるかも分からないし、その前に建物が倒壊して生き埋めになってしまうかもしれない。
非戦闘員であるスタッフ達は、すぐ近くまで迫っているかもしれない死の恐怖を前に、自然と足が竦んでしまっているようだった。
「瓦礫や雑魚くらいなら私が何とかしてやるから、ビビッてないでちゃきちゃき進みなさいよ!!」
狭い廊下の中を、列の最後尾から発せられたレイシアの一喝が雷鳴の如く響き渡る。
怖いのは誰だって同じだ。ここにいるのが自分ひとりなら、恐怖に蹲ってガタガタ震えていようが別に構いやしない。
だが、その姿を見て不安がる人間が周りにいる状況で、大の大人が揃いも揃って二の足を踏んでいるのがレイシアには我慢ならなかった。
「みんな戦ってんのよ、怖くて痛くて逃げ出したくなるのを必死に我慢して! クラウや日野森飛鳥みたいな子供でもそうやってんのに、アンタら大人がみっともない姿見せてどうすんのよ!!」
「レイシア君の言うとおりだね。子供たちの規範となるべき我々大人が、あるべき姿を見せられずしてどうするか」
先頭を歩く夜行からの援護射撃もあり、スタッフ達は目が覚めたかのように力強い足取りを取り戻していた。
ふんっ! と大きく鼻を鳴らしたレイシアを見て、隣の真散から一言。
「レイシアさん、お見事なのです。きっと盛り上げ役の才能があるのですよ。我が郷土史研究部にぜひ欲しい逸材なのですよー!!」
「扇動者って……喜んでいいのかどうか微妙な評価よね」
何とも緊張感に欠けるやり取りだったが、2人とて恐れもあるし、焦りもある。こんな軽口でも叩いていないと、精神的に辛いのだ。
(ミストラル……お母様の仇が目の前にいるってのに、私は……!!)
本当なら、自分もクラウと一緒にあのにっくき“傀儡聖女”と戦いたかった。だが、自分のことは自分が一番よく分かっている。
鴉との一戦で受けた重傷。クラウの魔術で何とか命は繋いだが、所詮は応急処置だ。本来なら、今すぐ病院に行って絶対安静にするべきコンディションで、あの2人の戦いに付いていけるとは思えない。
(悔しいけど、ここはアイツに任せるしかない)
下唇を血が滲むほどに強く噛みしめる。
足手まといになると分かっている、だから逃げるしかない。さっきは偉そうなことを言っておきながら、自分はこの体たらくだ。
「レイシアさん、あなたの判断は正しかったのですよ。クーちゃんだって同じように思ってるはずなのです」
「アンタにクラウの何が分かる……って、ゴメン。こりゃ八つ当たりよね」
体が小さい分、狭い歩幅を小走りでカバーする真散は、少し息切れしながら労いの言葉をかけてきた。
憎めない少女である。クラウの理解者ぶっているところが少々癇に障ったが、彼女の邪気の無い瞳に見つけられていると、怒りの感情がしおしおと萎えてしまうのだ。
……そんなことより。彼女は彼女で解せないのだ。
「自分が“傀儡聖女”だ」なんていうさっきの三文芝居はどういうつもりだったのか。
「さっきの、アンタも見たでしょ? “傀儡聖女”の『人形』だったのは、あの鳴海とかいう女だった。……答えてもらおうかしら。どうしてあんな嘘をついたのか」
「……まずそこが違うのです。わたしは人形なんかじゃないのですよ。ねぇ、レイシアさん。考えたことはなかったのですか? 今まで出会ってきたミストラル=ホルンはすべて仮初めの肉体――『人形』だった。じゃあ、本体はいったいどこにいるんだろう、って」
「――――――――あ」
まさか……まさか、まさかまさかまさかまさかまさか!!!!
目の前が真っ暗になってしまったかのような衝撃。
足を止め、茫然と立ち尽くしてしまったレイシアに、真散は悲しげな笑みを浮かべながら、誰も辿り着けなかった真実を口にした。
「最初からわたしは嘘なんてついてないのですよ。……わたしこそが“傀儡聖女”――ミストラル=ホルンなのです」