―第85話 シン・アンド・スレイヴ ①―
恐ろしく時間がかかりましたが……ここからが3章の種明かし回。
《パラダイム》襲撃時、既に夜遅くということもあり、断花重工内で業務に従事していた人間の数はおおよそ30人程度と少数だった。加えて、代表取締役である断花浄雲以下、多くの重役はカナダにある支社への視察のため不在。《八葉》の戦闘人員もカナダ組の護衛や外国行きの任務でほとんどが出払ってしまっていた。そこに追い打ちをかけるように、最大の犯罪抑止力となっていたクロエと霧乃両名のイギリス行きが重なった。
つまり今の断花重工は、様々な要因が折り重なったことにより警備が極めて手薄だったのだ。
偶然とはいえ、《パラダイム》の襲撃タイミングはあまりに絶妙だったと言える。それを単に不幸と捉えるべきなのか、それとも……
「クラウさん、レイシアさん、ご無事でしたか」
指令室に入った2人を、この部屋の主である鳴海双葉が出迎えた。
映画館ばりに広い奥行きに、無数の電光掲示板が宙に投影されていた。ずらりと並んだコンピュータの列の前には10名ほどのスタッフが陣取っており、キーボードを叩く音が何重にも響いている。
「鳴海室長。つい先ほど、『百式』のシステムが復旧しました。どうやら日野森が言っていた通り、人工英霊の鴉によるサイバー攻撃だったようです」
「思ったより早くリカバリできましたね……伊藤さん、『百式』は一度再起動してください。まだ異常箇所がないと言い切れませんから」
「よろしいのですか? ……外の戦闘が終わってからの方がよいのでは」
「残る手勢は僅かのようですし、ここまで来ると、迎撃システムを使ったところで逆に戦いの邪魔をしかねませんよ」
そう言ってモニターに映し出されたのは、飛鳥とシグルズ、刃九朗と大型兵器が激戦を繰り広げている光景だった。
――凄まじい、の一言に尽きた。
途切れ途切れのフィルム映像のように、飛鳥の姿が消えては離れた場所に現れてを繰り返している。
これは『縮地法』と呼ばれる高速移動術によるものだ。停止状態から一瞬で最大速度に移行することで、周りからは瞬間移動したかのように認識される絶技である。
クラウも魔術師でありながら武術を齧っている身だ。飛鳥の戦闘技術がどれほど洗練されていて、どれほど難度の高いものなのかはよく理解できた。
刃九朗の戦いもまた、およそ人間に実現可能な領域を軽く逸脱していた。
常人では構えることすら困難な大型ライフルを軽々と振り回し、敵兵器の弾幕の隙間を縫って引き金を引いている。躱せない弾丸があれば、ライフルの銃身を盾にすることで防ぐ。ひしゃげて使えなくなった武装は躊躇いなく破棄し、またどこからともなく出現した新しい武器を携え攻撃を再開する――そんな物理法則を嘲笑うような戦いぶりに、思わず顔が引き攣ってしまった。
(本当に、2人が敵にならなくてよかった……!!)
なるほど確かに、両者の戦いには生半可な横槍を入れたところで焼け石に水にしかならないだろう。だからと言って何もしないよりも、牽制でも何でも2人のサポートに力をまわした方がずっといいと思うのだが……そこはクラウが口出しできる領分ではなさそうだった。
「鳴海さん、すみません。こちらに水無月部長は……」
「ああ、彼女でしたらあちらの会議室ですよ。今は各部署からやってきたスタッフ達の避難所と化していますが」
これ以上、周囲に慌ただしく指示を飛ばしている鳴海隊長の仕事の邪魔をするわけにもいかない。
スタッフと軽く会釈を交わしつつ、クラウとレイシアは会議室の様子を見に行くことにした。
「それにしても、敵さんはどうやって『百式』のセキュリティを突破したんだろうな?」
「人工英霊の能力だってんなら、何ができても驚きゃしないよ、もう。……でも、そうだな。こうも簡単にシステムダウンにまで追い込めるんなら、どうして今までやらなかったんだ?」
途中、スタッフ達が首を傾げながら話していた内容が、クラウの意識の奥底にひっかかりを覚えさせた。
何か、自分がとんでもないことを見逃しているような……
「クラウ、ぼさっとしてんじゃないわよ。……覚悟、決めたんでしょ」
考え込む仕草を見せるクラウを、レイシアは怖気づいて二の足を踏んでいると勘違いしたようだ。
クラウは小さく頭を振って、ずんずんと前を歩くレイシアの背中を追いかけた。
「あ! クーちゃんレイシアちゃん! 心配したのですよ~!!」
会議室に入るや否や、こちらの姿を認めた真散がてててっと駆け寄ってきた。そのままクラウを抱きしめようとしたのだろうが、歩幅を間違えたせいで顔面から彼の胸板にぶつかってしまう。
「わぷっ!?」
「あっ……と。部長、大丈夫ですか?」
「にゃろぉ……」
そんなラブコメのワンシーンみたいなやり取りを見ていたレイシアが急に不機嫌になったが、クラウは気付かなかったことにした。
ここは普段『水鵬』メンバーがミーティングをする一室で、大型のディスプレイがはめ込まれた教壇と、テーブルが扇状に設置されている。雰囲気は大学の教室に近い。
どうやらここには真散だけではなく、逃げ遅れた社員達も避難してきていたようだ。ざっと見る限り20人ほど。
その中に見覚えのある白衣の姿を見つけたクラウは、また妙な修羅場が展開される前に真散から身を離し、彼の隣に移動することにした。
「やぁクラウ君。君たちも避難してきた……ようには見えないね、その様子だと」
来栖夜行は、クラウの考えを見通しているかのように告げた。
おそらく夜行は、真散を――厳密には彼女の中にいるであろう“傀儡聖女”を――監視するために、あえてこの場に留まっていたのだろう。
「はい。僕にしかできないことを、やりに来ました」
「そうか。……なにか僕に手伝えることはあるかい?」
ありがたい申し出だったが、正直なところ他人の力を借りてどうこうできるような話ではない。夜行の気遣いに感謝し、クラウは小さく首を横に振った。
真散を連れてどこか別の場所に――誰にも迷惑のかからないような場所だ――移動すべきだろうか。
だが今は、一歩外に出ればそこかしこが戦場なのだ。そんな戦時下さながらの状況で、非戦闘員である(真散自身は戦う気満々だったが)である彼女ひとりを連れ出そうとすると、流石に中の『彼女』に感付かれてしまうだろう。
逃げ場のない場所での不意打ち、そして一撃必殺。
外道そのものといったやり方でなければ、“傀儡聖女”を滅するには至れない。
関係のないスタッフ達を巻き込むことに申し訳なさを感じつつ、クラウは拳を強く握りしめた。
「???」
後ろで真散が何のことやら? といったきょとん顔をしている。果たしてそれは彼女の『素』なのか、それとも『彼女』の演技なのか。
時間をかけている場合ではない。外では未だに戦火が拡大しているのだ。
(そうだ。早々に片付けて飛鳥先輩達を助けにいかなくちゃ……)
右腕に魔力を通し、『殺意』と『決意』を指の先にまで浸透させていく。
躊躇を捨てる。感情を捨てる。ありとあらゆる人間らしさを捨て去らなければ、到底できないことを、今から為さねばならないのだ。
「く、クーちゃん……?」
部屋の空気が急激に冷え切っていく。
戦いには縁遠い他のスタッフ達には何も感じられなかったが、研ぎ澄まされたクラウの気息を肌に感じられる距離にいた3人――レイシア、夜行、そして真散には、彼の急激な変化が目に見えて実感できたことだろう。
「部長――僕は、謝りません。恨んでください。憎んでください。僕は、目的のためなら躊躇いなく部長を殺すことができる……正真正銘の悪党なんですから」
抑揚のない淡々としたクラウの宣告を聞き、真散の笑顔は時間が止まったかのように凍り付いていた。
ようやく理解したのだろう。彼が放つ殺意の奔流は、紛れもなく自分自身に向けられていることに。
だが、真散は動揺を顔に見せることをせず、一瞬の逡巡の後、意を決したかのように口を開いた。
「……ふふふ、遅すぎるのですよ。その様子だと、ようやくわたしが“傀儡聖女”だということに気付いたみたいですね?」
意外にも、真散(厳密には彼女を操っているミストラルか)は誤魔化すそぶりひとつ見せず、あっさりと己の正体を暴露した。
クラウも、レイシアも、この展開は予想だにしていなかった。いったいどう言葉を返したものかと考えていたが、
「……」
「……」
「……」
その直後、2人を含めこの部屋にいた人間は皆沈黙せざるを得なかった。それは水無月真散の正体がどうこうではなく、
「ばれてしまっては仕方がないのです。さぁ! どこからでもかかってくるがいいのですよ!!」
彼女の、この大根役者っぷりに対してに他ならなかった。
両手を腰に当て、大きく胸を張り、まるで小さな子供が精いっぱい見栄を張っているかのようなプルプルと全身を震わせながらの仁王立ち。
「……あの、部長」
「え、なんですか?」
部長と呼ばれて素で返事をしてしまっているあたり、もう何のフォローもできそうにない。
「僕の推測が間違っていたのは謝りますが……だからって、悪ノリして遊んでいる場合じゃないんですよ?」
「い、いやいやいやいや!? 悪ノリでも冗談でもないのですよ! わたしこそが悪の魔術師“傀儡聖女”なのです! 今までのことはぜーんぶわたしの仕業なのですよ! クーちゃんが倒さなきゃならない敵なのですよ!?」
あわあわしながら必死に弁解しようとする真散を見て、クラウはもうどこからツッコんだらいいやら分からなくなってきた。
ともあれ、
「ちょっと、どうすんのよアレ」
「ほら、早くやっつけないともっと酷いことがおきるのですよ! この辺り一帯をドカーンッとかしちゃうのですよ!?」
「どうするも何も……部長が“傀儡聖女”じゃないってことは、いったい誰が……」
「話を聞いてほしいのですよーーーっっ!!」
シマリスみたいに両手をパタパタと振り回しながら猛抗議する部長を捨て置いて、クラウとレイシアはどうしたものかと顔を見合わせた。
まさかこれがミストラルの演技、なんてことは有り得ないだろう(そんなアホなことをする理由がない)。彼女とて、クラウの一撃が自分の精神を木端微塵に消し飛ばす力を持っているのは承知している。ならば、抵抗するか最後までとぼけるかのいずれかしか道はない筈。真散のように、真正面からさぁ戦うぞと言ってくるなど正気の沙汰ではない。
「ふむ……時に水無月君」
そこに、考え込むクラウの一歩後ろから事の成り行きを見守っていた夜行が口を挟んできた。
「君の言い分が本当だったとすると……今のこの状況が完全に詰んでいるのは君にも理解できているだろう?」
「うぅ……それは、確かにそうなのですよ」
ミストラル(偽)は随分と素直だった。
今更だが、今の彼女は何から何までバチカンで対峙したミストラル=ホルンとは違いすぎる。
いったいどうして、真散は自分が“傀儡聖女”だと言い張るのか。こんな状況で冗談を口走るほど、彼女は空気を読めない性分ではないだろうし……仮に本当だとしても、彼女にはそうするメリットがまるでない。
そんなクラウの疑問を一刀両断するかの如く、夜行は前置きも無しに核心へと斬り込んだ。
「はっきりと言おうか。……君、クラウ君に殺してほしかったのかい?」
「…………それは」
どういう意味ですか、とクラウが2人の会話に割り込もうとした瞬間、
――プツン。
「停電? ここのシステムも案外頼りになんないわね。最新鋭の科学技術が聞いて呆れるわ」
「レッシィ、あんまりそういうことを言わない…………え、停電……」
薄暗闇の中でレイシアが悪態をつきながら首を傾げたが、クラウにとってはこの停電こそがすべての伏線を繋げるきっかけとなっていた。
10秒、20秒とそのまま待つが、電源が復旧する様子がない。この避難所にいるスタッフ達は不安にかられた様子を見せたが……妙だ。
(どうして今更停電したんだ? もう建物内では誰も戦っていないのに………………いや、そうか!!)
――繋がった。
頭の中に無数にあった違和感が一本の線で繋がり、疑念を確信に変えた瞬間、クラウは居ても立っても居られなくなった。
「あ、あれ? クーちゃん? どこに行くのですかー!? ほら、ここに敵がいるんですよー、後ろから襲いかかっちゃいますよー!?」
「ちょっとクラウ!? あの子ほっといてもいいの!?」
ご丁寧に不意打ちしますよと宣言してくる時点で、それは不意打ちではない。
ともかく、今は彼女にかかずらっている場合ではない。すべての元凶が――ミストラル=ホルンが、すぐ近くにいるのだから。
「レッシィ、今すぐここにいる人達全員、部屋の外に連れて行って」
「いきなり何言ってんの!? 外が危ないからみんなここに避難してきてるってのに……」
「もうすぐ、ここが一番危険になる」
そう一言だけ言い残し、レイシアと真散に背を向け『彼女』のもとへと歩き出した。
そうだ。最初から違和感はあったのだ。
まず、このタイミングでの《パラダイム》の襲撃。直接的な要因は、レイシアを匿っていたからなのだろうが……問題点はそこではない。
飛鳥曰く、彼の義兄を含んだ《八葉》の戦闘部隊の隊長格は、人工英霊のひとりやふたりなど歯牙にもかけない実力を持っているらしい。
そんな化け物を何人も擁しているこの場所を、たった3人の人工英霊で――たとえ機動兵器を上乗せしたとしてもだ――攻略しようとするなど愚の骨頂だ。
つまり《パラダイム》の連中は、今は《八葉》の戦力が手薄であることを予め知っていたとしか思えないのだ。
加えて、『百式』のシステムダウンについても引っかかる。
そもそも、最新鋭の科学技術で作られた《八葉》の大黒柱が、そんなにあっさりとハッキングされてしまったのも腑に落ちない。
外部からシステムに干渉しようとするのなら、それ相応のセキュリティを貼っているのが当然だ。鴉の能力がセキュリティなどものともしないほどに強力だったとしたら、とっくの昔に《パラダイム》総出で《八葉》を潰しにかかってきていてもおかしくなかったのだ。
それに、クラウには鴉ごときがそれほど驚異的な力の持ち主だとはどうしても思えないのだ。
例えば……そう、内部からの手引きでセキュリティが無効化されていたとすれば、話は別だ。
(けれど、そんな人が《八葉》の中にいるとは思えない。……本来なら)
誰にも怪しまれることなく『百式』のシステムを操作でき、かつそうする動機がある人物が、今、ここに、たったひとりだけ存在するのだ。
もう何の遠慮も必要ない。体内で渦巻く膨大な魔力を隠し立てすることなく全身から噴出し、一歩、また一歩と歩き出す。
司令室への扉を蹴り飛ばし、クラウは一切の迷いなく部屋の中央――全体に指示を飛ばす『彼女』のもとへと足を運んだ。
「クラウさんですか。申し訳ありません……先の停電は『百式』を再起動した影響です。驚かせてしまってごめんなさいね」
「いえ、謝罪など結構ですよ。そのかわり…………お前の命で償ってもらうぞ、ミストラル」
その言葉を皮切りに、クラウは組み上げた“無二の結末”の術式を拳に纏わせ、鳴海双葉の心臓目がけて撃出した。
「――あはん♪」
人が変わったかのように――いや、実際に別人になったのだ――鳴海隊長は三日月型に唇を歪ませ、風船のようにふわりと舞い上がった。空を切ったクラウの撃拳は周辺のコンソールを、砂の城を崩すかのように粉々に消し飛ばした。
「正解、正解、大正解だよっ♪ あめでとうクラウちゃん、ミストはあなたならきっと気付いてくれるって信じてたゾッ♪」
「ようやく……ようやく捉えたぞミストラル! 今度こそ逃がさない……お前はここで、この場で、必ず『破壊』してやるっ!!
「いやん♪ クラウちゃんったらいつの間にそんな過激なキャラに路線変更しちゃったのかなっ♪ でもでも、そんなワイルドなクラウちゃんも嫌いじゃないかもーっ♪」
傍から見れば、クラウと鳴海隊長が揃って乱心したようにしか見えないだろう。その上、クラウの拳の強烈無比な破壊力を目の当たりにしたのだ。急な停電も後押しして、指令室内は我先にと逃げ出そうとするスタッフ達でごった返す形となってしまった。
だが、今のクラウには周りに気を配る余裕など微塵もない。
(テレジア様……僕が貴女の仇を討つ、だなんて烏滸がましいかもしれません。……けれど!!)
テレジアの命を奪い、レイシアの運命を捻じ曲げ、クラウの手を血と罪で染め上げたすべての元凶――“傀儡聖女”ミストラル=ホルンを討つ。
あらゆる『魔』を弾劾する“聖剣砕き”の称号を受け継いだものとして――すべては、今、この瞬間のために。