―第84話 セイブ・ザ・セイレーン ④―
「……逃げられたようだな」
両手に携えた電磁加速砲とガトリングガン。そして両肩に装着していた、誘導追尾式六連装ミサイルランチャー『サンダーイール』による一斉砲火。
文字通り雷の如き速度で飛来する電磁砲弾と、照準を合わせたものを決して逃がさず追尾する蛇蝎の如きミサイル弾頭の組み合わせを前に、逃れられる生物などおよそ存在するものではないだろう。
だが、鋼刃九朗には見えていた。クーガーを盾にした隙に、一目散に遠ざかっていく黒づくめの少年の背中が。
「そんな! このまま逃がすわけには!!」
「俺が来る前の時点で、奴は満身創痍だった。トドメはさせずとも、しばらくはまともに戦うことはできまい」
鴉を追いかけようとしないのを見かねてクラウが噛みついてくるが、今回刃九朗が帯びている任務の中に『敵人工英霊の抹殺』は含まれていない。
無論、倒せるのであればそれに越したことはないが、ただ優先順位が低いというだけの話である。
レイシアを襲われて憤っているクラウの気持ちを汲んでやってもいいのだが、
「それよりも、俺達には他に為さねばならないことがある」
「……そう、ですね」
非戦闘員の救助及び安全確保、他の襲撃者の迎撃、最優先はこの2つだ。
刃九朗にも、夜行経由で『水鵬』からの指示は届いている。手早く避難を済ませ、散らばった戦力を集結させるべきという指示――刃九朗も異論を唱えるつもりはない。
だが、もうひとつ。『水鵬』からでは指揮できない最大級の懸念材料もある。
「水無月真散はどこにいる?」
「あのチビッ子部長なら、ブラウリーシェと鳴海とかいう女と一緒に逃がしたわよ。今頃地下の避難所に着いてる頃じゃないの? ……それがどうしたってのよ」
よろよろと力無く立ち上がるレイシア。彼女も今では救助対象だ。
何故ここで真散の名前が出てきたのか――クラウの表情が曇ったところから、どうやら彼は概ね感付いているらしい。
「部長が……水無月真散こそが、“傀儡聖女”の『人形』である可能性が高い。……そうですよね、鋼先輩」
無言で頷く。
これまでの話を統合すると、他に考えられないのだ。
ずっと以前から白鳳学園の内情に通じており、飛鳥やクラウ達に接近しても怪しまれない人物。
現在《八葉》内にいる人物に限定して推理すれば、消去法でも割り出せる。
ミストラルの狙いは、クラウの持つテレジアの形見の石と、レイシアそのもの。クラウは“傀儡聖女”の魔術を無効化できるので真っ先に除外。レイシアだと仮定しても、わざわざ日本に来て、かつクラウに敵対する態度をとるのはおかしい。レイシアを人質として自分の手元に置いて、クラウを誘き出す方が余程合理的なのである。
飛鳥と鈴風に関してもそうだ。
2人は日頃から《九耀の魔術師》であるクロエや霧乃と同じ生活圏にいる。そんな大敵が間近にいる(クロエに至ってはひとつ屋根の下だ)環境をあえて選ぶとは、とてもではないが思えない。それに――これは理屈ではない推測であるが――心身ともに超常の存在に変革された人工英霊には『相手の意識を支配する』なんて魔術が通用するとは考えにくいのである。
リーシェとフェブリルに至っては論外だ。
そもそも、2か月前までこの世界の住人ですらなかった彼女達をどうやって『人形』にするというのか。それに、片や人工英霊の亜種、片や人工英霊の超常性など霞んで見える『悪魔』なんていうトンデモ生物である。よりにもよってそんな扱いにくさナンバー1と2の彼女達を手駒にしようと考えていたのなら、“傀儡聖女”は余程のアホだと断言できる。
「ちょっと待った。もうひとつの可能性を忘れてない? ……仮に真散がそうだったとしても、『宿主』が移動しているかもしれないんじゃ?」
「宿主が移動って……レッシィ、どういうこと?」
「いい? ミストラルが触れた相手を『人形』にして、距離なんか関係なくいつでも意識を乗っ取れる器にできることは分かったわ。でも、その『人形』に乗り移ったミストラルが、別の誰かに触って意識をそっち側に移動させるとか、できるんじゃないの?」
要するに、だ。
真散が疑われていることに気付いたミストラルが、咄嗟に近くの誰かに意識を移して隠れているかもしれない……そうなると、完全にお手上げだ。
今まで真散と接触してきたありとあらゆる人間に疑いの目を向けなければならなくなり、特定するなどまず不可能となる。だが、
「……多分、それはない」
「どうしてそう言い切れるのよ」
「もし意識を移しかえるんだったら、その瞬間大なり小なり魔力の気配が浮き彫りになる筈だよ。特に『精神を移動させる』なんて、相当の大魔術だ。いくら何でも僕やレッシィがそれに気付かないわけないでしょ?」
刃九朗には理解できない世界の話だが、ここは魔術の専門家の判断に任せることにした。
ともあれ、真散にはある程度の警戒をもって接触すべきだ。この大乱戦に乗じてクラウとレイシアを襲う可能性だって十二分にある。飛鳥もこの程度は容易に考え付いているだろう。
(あいつはもう一歩踏み込んで予測しているようだったがな……)
もし真散が“傀儡聖女”なのだとすると――それはどうにも簡単すぎる気がしてならない。話を聞くに、ミストラルは策謀に長けた悪辣な魔女のようだ。それが、こうもあっさりと看破できてしまっていいものか。
いや、今は姿を現してすらいない見えざる敵の脅威に怯えている場合ではない。
「ならばお前たちは地下へ行け。そして……水無月真散が本当に“傀儡聖女”なのかはっきりさせてこい」
「鋼先輩は?」
「俺は表に転がっている大物を叩く。他の面子では、アレを相手取るには火力不足だろう」
刃九朗はそう言って窓の外を指さす。暗闇の先、薄らと見える輪郭は、未だトライアルポートから微動だにしない巨大な球体のものだ。
そのまま動かずじまいのただの飾りであればよし。だが、刃九朗はあの内部から発生する異常な熱量を感知していた。戦術起動外骨格に使用されている動力源――陽電子反応炉の熱量だ。
仮に、あれがそのまま動き出すような代物であれば、一個大隊規模の軍隊を連れてこなければ制圧できないレベルの広域破壊兵器と定義される。
――目には目を。歯には歯を。鉄には鉄を。
「分かりました、僕もできるだけ早く合流します。……行こう、レッシィ」
「え、ええ……」
レイシアの手を取って階段を下っていったクラウの背中を見送り、刃九朗は小さく呼気を吐き出す。どうにも小難しい話になってしまったが、刃九朗は本来頭脳労働の担当ではないのだ。
窓に近付き、外の様子を確認する。
ここに来るまでに相当数の自律兵器どもを駆逐してきたので、思っていたよりも敵機の数はまばらだった。
――保管庫検索。イージス艦・駆逐艦の設計データからフェーズド・アレイ・レーダーの設計図を流用。断花重工の敷地内に限定して展開し、動体反応の位置と数を特定。
(雑魚はおおよそ片付けたと見ていいか。残る大物は、|あと3つ(、、、、)だな」
即ち、トライアルポートの巨大兵器、飛鳥が交戦中の男、そして“傀儡聖女”。
自分の戦闘スタイルが、他者との連携に不向きであることは重々理解している。よって、刃九朗が請け負うべきは対人戦ではなく圧倒的火力を生かした殲滅戦だ。
窓から飛び降り、しとしとと降り注ぐ雨の下をゆっくりと歩いていく。球型の異様が徐々に浮き彫りになってくる。
「いい機会だ。俺が抱えている全武装全火力、どれほどのものか試してみるのも一興」
保管庫内に登録されている多種多様な兵装――これまでの戦いでもいくつか繰り出してきたが、未だ全体の一割も消化しきれていない。
運用テストとしては、これほどお誂え向きの相手もいない。高揚感に思わず笑みがこぼれた。
「む……動き出したか」
刃九朗の戦意に反応してか、巨大鉄機の、花の蕾のように幾多にも重ねられた装甲の隙間から無数の砲口が顔を出した。
牽制用の機関砲だろうが、それは人間程度なら一発で肉片と変えるほどに大口径のものであった。
足を止める。
彼我の距離はまだ100mほど離れていた。だが、ここが刃九朗にとって最適な間合いである。
ぶ厚い特殊合金の装甲に、機関銃やミサイル弾頭では表面を軽く焦がす程度の働きしかできないだろう。よって選択したのは、硬く、速く、重い、一点突破の弾丸。そう決定した時には、既に長銃身のライフルが両手に握られていた。
――対物ライフル・『グレイヴディガー』。
『墓掘り』という一風変わったネーミングとは裏腹に、その実態は高圧縮された重金属弾を撃出してあらゆる装甲を食い破るモンスターライフルである。
本来、対物ライフルを運用するには、二脚で銃身を固定した上での伏せ撃ちが望ましいとされる。そうしないと、射撃時の反動があまり凄まじいために自分の身体が吹き飛ばされかねない(その前に持っている腕が吹き飛ぶかもしれないが)からだ。
しかして、鋼鉄の申し子である鋼刃九朗には無用の心配であった。
右手でグリップを掴み、左手は銃身に添えるだけ。全長160㎝の鉄の塊を事もなく持ち上げ、直立不動の体制で狙いを定めた。
「……」
両者ともに、『兵器』の烙印を押された存在。
一騎打ちだろうと、そこに言葉のやり取りなどある筈もなく。
「発射」
ただ、撃つ。
対物ライフルの銃口から大気を振るわせるほどの轟音が放たれ、機兵の全身から弾丸の雨霰がばら撒かれたのは完全に同時だった。
「――始まった!!」
遠く離れた場所から、雷鳴の如く響く銃声と爆発音。
地下に到着したクラウとレイシアにもはっきりと聞こえたところから、開かれた戦端が相当に激しいものであると確信させた。
いくら飛鳥と刃九朗が強力な人工英霊だとしても、相手もそれと同じか、それ以上の脅威的存在なのだ。こちらもできるだけ早く片付けて2人に合流したい。
地下の通路も電気系統がやられているようで、警報用の赤いランプだけがまばらに照らす薄暗い奥行きだった。
「ねぇクラウ。真散達と合流したとして、それで……どうするつもりなのよ」
不気味な静けさを放つ廊下を走りながら、隣のレイシアが怪訝な表情を向けてきた。
「……部長が『人形』なのかどうか、判別する手段はあるよ。僕の魔術を使えば触れた相手の情報を読み取れるから、それで部長の中に異物があるかどうかを見極める」
「そんなこと言ってんじゃないわよ……もし真散が“傀儡聖女”だとしたら、あんたは、あいつを……」
それ以上の言葉は続かなかった。
クラウとて、それが意味するところは分かっている。
できるのか、自分に。……“傀儡聖女”に意識を乗っ取られた真散を、自分は殺せるのか。
真散は一切傷付けずに、ミストラルの精神だけをピンポイントに潰す――そんな神業じみた芸当が本当に可能なのか。
精神体であるミストラルを倒せる手段――それはクラウの“無二の結末”に他ならないのだが、真散に撃ち込んだ時点で、彼女の肉体と精神ごと木端微塵に破壊してしまう可能性が極めて高い。結局のところ、『人形』が真散だろうとそうでなかろうと、クラウがもう一度、その手を罪の無い人の血で染めることはほぼ決定事項なのだ。
「……僕の手はもう、とっくの昔に真っ赤だよ。今更ひとり分増えたところで、何てことないよ」
自嘲気味に笑う。
そう、今更躊躇している場合ではないし、そんな資格もない。テレジアをこの手にかけておいて、「もう殺したくない」だなんて言い訳が通用するわけがない。
「そういう言い方、するんじゃないわよ……」
批難の目をぶつけてくるレイシアだったが、だからと言って止めるわけにもいかないのだ。彼女だって複雑な思いなのだろう。
しばらく、無言で併走する。ほどなくして、大勢の人の話し声が耳に届いてきた。
「クラウ、レイシア、無事だったか!!」
「リーシェ先輩も、よく無事で……」
大きな鉄扉の前で、剣を構えて陣取っていたリーシェはこちらの姿を認めると安堵の表情を浮かべていた。
どうやら避難者達を護るべく、ここで門番役を買って出ていたようだ。扉の横にある電子札を見てみると『第三枝団・水鵬』と書かれていた。ここが指令室兼避難場所ということらしい。
だが、再会の喜びを分かち合っている場合ではない。
中に入る前に、リーシェにこれまでのことを報告しておく。飛鳥と刃九朗が表で戦っていること、“傀儡聖女”を特定するためにここまで来たこと。真散が疑わしいという点については、話がややこしくなりそうなので伏せておいた。
「うぅむ、そうか。……ならば私はスズカを探して、その後アスカ達と合流しよう。その間、ここの守備を任せていいか」
「大丈夫です。そのつもりで来ましたから」
「ならばよし! では、行ってくるぞ!!」
清々しいまでの即決即断。ビシッと敬礼ポーズをとったリーシェは光翼を展開し、狭い通路の中を器用に飛んでいった。
高速で過ぎ去るリーシェの背中を見送り、クラウは重い扉の取っ手を握りしめた。
「あんたがどんな選択をするのであれ、私は止めないわ。最後まで、見届けてあげる」
「……ありがとう」
レイシアなりのエールを受けて、クラウはゆっくりと扉を開け放った。