―第6話 蒼天のヴァルキュリア―
――強くなりたかった。
楯無鈴風が幼少の頃から剣道に邁進し続けていたのは、ひとえにその純粋な希求があったからこそである。
それは別段珍しいものではないだろう。
今よりも先へ進みたい、過去の自分を越えたい、誰かに勝ちたい、負けたくない――誰しもが常に考える当たり前の思想だ。
それに疑問を差し挟む要素など存在し得ないし、その必要もない。
だが、それでは駄目なのだ。
おぼろげな意識の中、鈴風は考えていた。
美憂の変貌から始まり、いけすかない隣人であるクロエから告げられた世界の異端たるもの――その断片。
そして最も身近な存在であった筈の飛鳥が、その実自分から最もかけ離れた存在であったという事実。
その上自分は人質などという低俗極まりない状況に陥り、飛鳥達の足を引っ張ってしまっているという現状。
剣道の腕前は、高校生としては間違いなく全国レベルであり、鈴風自身それが小さな誇りであった。
しかし、そんな自身が積み立ててきた『強さ』など一顧だにされない世界に足を踏み入れてしまった事により、鈴風は今一度希求する。
強くなりたい、今よりももっと、もっと強くと。
それはただひたむきで、純粋な想い。
その真摯な決意は、どこか病的な危うさを孕んだまま鈴風の精神を満たしていく。
「……う、うう」
ゆっくりと意識を浮上させた鈴風が最初に認識したのは、自身を包むリネンのシーツの感触だった。
目の粗い布地は機械的に生産されたものではなく、人の手によって糸の段階から編まれたものだろう。飾り気はないものの、どこか温かみを感じさせる感触に、鈴風は思わず頬ずりする。
半身を起こし、とりあえず大きく深呼吸をした。
(あれ? やけに空気がおいしいな?)
喉を通る清涼で冷たい空気が鈴風の意識をしゃっきりとさせていく。
周囲を見渡すと石造りの壁と天井。どこか古い遺跡を連想させるような簡素な一室に鈴風はいた。
「……ここ、どこ?」
最後の記憶は学園の屋上。
劉功真に拘束され、必死の表情でこちらに手を伸ばす飛鳥の姿…………そこから、ぷっつりと記憶は途切れている。
「あら? 目が覚めたのね、よかったわ」
ドアが開き、1人の老婆が声をかけてきた。
先程まで劉に拘束されていた事を考え、咄嗟に身構える――しかし敵意はまったく感じられない。むしろ鈴風の容態を慮った労りに満ちた微笑みだった。
自分の身体は拘束されているわけでも、乱暴されていた様子もない。
純粋に快方してくれていたのだろう、鈴風はすぐに警戒を解いて老婆に向き直る。
しかし、
「あ、はい。有難うございます……って、天使ぃっ!?」
「テンシ?……ああ、有翼人を見るのは初めてですか? 私達としては、貴女のように翼のない人のほうが珍しいのだけど」
簡素だがどこか神聖な雰囲気を持つローブを纏い、にこにこと見る者の心を和ませる老婆――その背から伸びる白亜の双翼を見て、鈴風はあまりの驚愕に開いた口が塞がらなかった。
老婆の仕草に応じて小さく上下する翼の動きは、とても造り物とは思えない生きた動作だった。
なんて事の無い日常からそれ程時間が経っていないにも関わらず、状況が二転三転しすぎなのだ。脳の処理速度が追い付かずに、鈴風は思わず頭を抱えてしまった。
「ええと……ですね。色々とお伺いしたい事があるんですけど。あ、あたし楯無鈴風っていいます」
ともかく現状を正しく把握しなくては。
まずはコミュニケーションが第一だ、とまずは老婆に自分の名前を告げた。そんな姿を好意的に感じてくれたのだろう、老婆は満面の笑みをたたえて答えてくれた。
「あらまあご丁寧に。私はメトセラと申します。御覧の通りの老い先短い身ですが、この《オーヴァン》の長を務めております。私に答えられる事があれば何でも仰ってくださいな」
「あ、ありがとうございます!……ええと、それじゃあ」
右も左も分からない状況。その中、自分を保護してくれたのがメトセラのような人格者であった事は最大級の幸運だろう。
鈴風はベッドから立ち上がり深々と頭を下げる。
「今日はよい天気です。よろしければ、外でお話しませんか?」
鈴風に断る理由はない。首肯し、メトセラに続いて部屋を後にする。
……身体が軽い。
さっきまで眠っていた筈なのに、全身を強かに打ち付けられた筈なのに痛みは無い。
まさしく体調は十全――むしろそれ以上と言ってもいい。
全身の細胞が燃えるような感覚、今なら千里の道も息切れひとつせずに完走出来そうな気がした。
空の蒼、眼下の白雲。
急傾斜の山の上に建てられた、石色の建物群。
それは理屈抜きにここが異世界なのだと鈴風に実感させた。
「…………うわぁ」
――なんて、空が近い。
雲海を突き抜けて現れた、山の頂を開拓して造られた遺跡のような建築物。
急勾配の山肌には段々畑が耕されており、遠目からでも作物の緑が鮮やかに映えている。
そして、舗装された山道とその上空を歩いている翼持つ人々。まるで神話の世界にでも迷い込んだような天空の楼閣が、遥か彼方の地平まで遠望出来る。
そんな光景にふと既視感を覚えた。
「ああ、そうか。どこかで見たと思ったら……」
鈴風の記憶は、いつであったか世界史の授業を思い起こしていた。
それはかの世界遺産。
南アメリカ・ペルーのアンデス山脈に存在する空中都市。15世紀のインカ帝国の遺跡とされる《マチュ・ピチュ》に極めて酷似していた。
だからと言ってここがその場所という訳ではあるまい。鈴風それを証明する人物、隣のメトセラに視線を移した。
「ここが私達の暮らす《オーヴァン》です。ようこそ、異界からの来訪者よ」
「オーヴァン、エトランゼ、異世界……ええっと、すいません。ちょっと整理させてもらっていいです?」
近くの切り株にメトセラと腰掛け、話を整理する。
まずここは白鳳市――というより地球上のどこでもない場所。《ライン・ファルシア》と呼ばれる別の世界であること。鈴風は昨日、オーヴァンの村外れで倒れているのを発見されて保護されたという。
「あれ、あたしひとりだったんですか? 他に誰もいなかったんですか?」
「どうかしら。……貴女を見つけたのはリーシェという子なんだけど。彼女、貴女を私に預けたきり、騎士団を率いて飛び出していったのよねぇ」
リーシェ――本名はブラウリーシェ=サヴァンといい、この《オーヴァン》を守護する“蒼刃騎士団”に所属している。……騎士団とは言ったが、実態は総勢たった10名の小さな警備隊といったところだ。
この世界、少なくとも彼女たちオーヴァンの民はまともに戦いなどした事はない。
武器を手に取るのも、日々の糧を得るために獣を狩りに赴く時くらいなのだ。村の民が生きていくだけの最低限の命を頂いて、後は畑の作物があれば充分なのである。
「オーヴァンは住民が100人にも満たない小さな集落です。それに、外敵と呼ぶような存在も特にいませんからね、騎士団だなんて大げさよってあの子にも言ったのだけれど聞かなくて……」
実際、騎士団の仕事といえば住民同士の衝突の仲裁や、大型の獣が現れた際の駆除といったところである。戦争や侵略者といった、人々を『守護』する存在が必要とされる環境ではないのだ。
では何故、リーシェは騎士団などというものを設立したのか?
それも気になるが、鈴風はリーシェが自分を預けてどこかへ飛び出していった事が気掛かりになっていた。
おおよその推測はつくのだ。
状況から判断するに、劉功真に拘束されていた自身をリーシェが救助し、彼女は劉を追って騎士団を伴い飛び出した。
(……おい待て、まずくないか?)
こんなところで呑気におしゃべりしている場合ではないのではないか?
それに気付いた鈴風は目に見えて焦燥し始めた。
「メトセラさん! そのリーシェって人がどこに行ったのか分かりますか?」
「あら、どうしたのいきなり? すぐ戻ると思うけれど……どうやら心配ごとがあるみたいね?」
「多分リーシェさんが飛びだしていったのは、あたしをこの世界に連れてきた奴を追ってなんです! でもそいつ人間とは思えないようなヤバい奴で――」
“人工英霊”劉功真の脅威は鈴風自身が一番よく知っている。
リーシェの戦闘能力がどれほどのものかは不明だが、いくら騎士とはいえ平和な世の中で暮らす人間が強いとも思えないのだ。
当然それは鈴風自身にも当てはまるが、だからと言って命の恩人を放ってもおけない。
せめて早まった真似をしないように止めに行くべきだろう。
「お願いします、あたしをリーシェさんのところに連れて行って下さい!!」
「貴女以外にもエトランゼがいたのね。リーシェが遅れをとるとは思えませんが……ミレイユ、来て下さい!!」
懇願に近い鈴風の眼差しを受け、意を決したように立ち上がったメトセラは近くで農作業に勤しんでいた1人の有翼人の少女に呼びかけた。
ぴくっ、と肩を震わせて反応した少女は、こちらに気付くと手に持った鍬を地面に突き立てこちらに走り寄ってくる。
「おばあちゃん? どうしたのいきなり、血相変えて」
鈴風よりも小柄な身長にショートカットの金髪は、一見すると少年のようにも見える。ぱっちりと大きく開かれた双眸はどこか美憂に似ているようで、それが鈴風に若干の郷愁にも似た念を抱かせた。
「申し訳ないけれど、この方を連れてリーシェを探しに行ってもらえますか。……もしかすると彼女が危険かもしれないのです」
「リーシェちゃんが!?……わかったよ、急いだ方がいいみたいだね」
切羽詰まった様子のメトセラと鈴風の様子を見て察したのか、ミレイユは大急ぎで鈴風が先程までいた家屋――どうやら彼女の家だったようだ――に入り、中でドタバタと何かをひっくり返すような音を巻き起こす。
数分後、支度が終わったらしいミレイユが出てきた。さっきまでの簡素な麻の着物ではない。
「わあ……騎士さんだ」
身も蓋も無いが、鈴風の感想はその一言に尽きた。
蒼天をそのまま鋼鉄に映したような鮮やかな青の甲冑と脚甲。
腰の左右に凪いだ二振りのショートソード。これは握り部分が鍔とは平行に備え付けられている、カタールとも呼ばれる武器だ。
憧憬に満ちた鈴風の視線に、ミレイユは誇らしげに大きく鼻を鳴らした。
そして、
「さあさ、行くよエトランゼさん! いざ空の旅だ、落っこちないよう気を付けてね!!」
「え、ちょ、まだ心の準備が――にょわああぁぁ!!」
ミレイユは鈴風の背後から、両手でがっちりと腰をホールドし一気に飛翔した。いきなり地面の感触が消失し、首を上げられないほどの急激なGに鈴風は思わず絶叫した。
鈴風の視界に映るメトセラの姿は、すでに豆粒サイズにまで小さくなっていた。
轟と吹く横殴りの風を全身に受け、ぷらぷらと所在なく投げ出された自身の脚を見つめながら、鈴風は既に失神寸前だった。
それはそうだろう。
いわばこれは超高空のジェットコースター。しかも固定具はミレイユの細腕のみ。スリルとは安全が保障されているのだからスリルたり得るのであって、この状況は……
「ごめん無理無理ダメダメ死ぬ死ぬ死イヤイヤ離さないでぎゅっとして死ーにーたーくーなぁーーいっ!!」
「ギャー! ちょっと暴れないで、ホント落ちる、落ちるからじっとしてぇー!!」
地上から二人の様子を訝しむように見ていた一人の有翼人が「酔っぱらってんのか、アイツ」と呟いたほどに、極めて危なっかしい千鳥足(千鳥飛行?)のような動きで二人は飛んでいった。
そのころ。
オーヴァンから離れ約10キロメートル、べリエ高地。
「悪鬼、断つべし!!」
ブラウリーシェ=サヴァンは、第三のエトランゼと対峙していた。
異界よりの来訪者――エトランゼ。
リーシェたち《ライン・ファルシア》の住人にとっては伝承上にしか存在しない筈の翼を持たない人だ。
だからと言って、問答無用で敵対する理由は本来リーシェには存在しない。実際に、リーシェはエトランゼの一人である鈴風を保護する選択をしているのだから。
しかし、鈴風の近くにいた隻腕の男――劉功真は紛れも無く『悪』であったのだ。
それは、劉が倒れ伏した鈴風を手にかけようとしていたという状況証拠もあるが、何より彼から放たれていた強大でよどみきった『力』がリーシェを最大限に警戒させたのだ。
幸か不幸か、劉はリーシェの存在に気が付くと鈴風を置いて逃走を謀ったのだが……
(まさかもう1人いたとはな……それも先程の男より、強い)
追っている黒衣の男とはまた別質の魔力を持つ男――日野森飛鳥。
劉の逃走経路上に現れたのが、飛鳥にとっては災いだった。
それにより飛鳥が劉を守っていると誤認してしまったリーシェは、「あの卑劣漢の仲間か!」と頭に血が上って突撃を敢行してしまったのだ。
さらに、劉以上の力を飛鳥から感じ取ったリーシェは、完全に飛鳥を脅威となる対象として認識してしまったのである。
(それにしてもこの男、何者だ?)
リーシェと飛鳥の剣の衝突はすでに100を越えている。
しかし現状決定打となる一撃は無く、互いに無傷。いわゆる千日手に陥っていた。
苦虫を噛み潰したように、リーシェは表情を歪ませる。
それはこの均衡そのものに対してではなく――
(打てども打てども、まるで当たる気がしない……!!)
この均衡が、自分ではなく相手の男によって一方的に保たれている事に対してだった。
自身が渾身の力で放った一刀、完全無欠のタイミングで軌跡を描いた太刀筋が何故かずれてしまう。
白銀の刃が赤熱の刃に衝突――しかし剣を握る手には鋼を打ち合った衝撃がほとんど無く、何だか肩透かしをくらった様な気分に陥る。
まるで雲を斬っているような徒労感にリーシェは肉体ではなく精神から疲弊していった。
――断花流孤影術・揺。
飛鳥にとって、対峙する翼の騎士との相性は最良と言えた。
飛鳥が修める“断花流孤影術”とは、厳密な意味では『剣術』ではない。
あらゆる相手に対しても、常に自身の土俵で勝負できる戦況を作り出す『心得』と呼ぶ方が正しいだろうか。
相手が人間であれ、機械であれ。
単独であれ、複数であれ。
断花流の基礎は、対戦相手の総合戦闘力を徹底的に『数値化』することから始まる。
ここで言う総合力というものをおおまかに分けると、攻撃力、防御力、機動力、継戦能力、特殊能力に分類される。
そこに自身の総合力をぶつけて、自分が相手に勝っている要素で相対出来るように戦運びをするという、極めて論理的な思考を要求する戦闘体系だ。
されど。言うは易し、行うは難し。
この戦術を実現させるには、まず瞬時に相手の力量を看破した上で、なおかつ自身が相手に必ず勝てるすべての分野の攻撃手段を所持している必要がある。
防御を固める相手には、防御ごと打ち砕く猛烈な攻撃力を。
接近戦では勝ち目のない相手であれば、間合いの外からの攻撃手段を。
目にも止まらぬ俊足の持ち主であれば、その疾走が潰えるまで長期戦に持ち込む。
攻、防、速すべてにおいて格上の相手であれば、正面からではなく奇策を以て。
自分自身という駒1枚でいかに盤面をひっくり返すかという、狂った戦術論によって編まれた異形の流派。
人外が人外を打ち倒すために構築された“断花流”の体現者にとって、一対一の白兵戦など勝って当たり前なのである。
(上段からの唐竹、そのまま切り返しが来る!!)
リーシェの剣は鋭く、重い。少なくとも真正面から剣をぶつけては競り負けてしまう。
逆に言えば、それだけだ。
飛鳥にとっては、リーシェのあまりに素直な太刀筋は非常に読み易い。
断花流孤影術・揺は『合気』の一種。
衝突時にほんの少しだけ――相手にも認識出来ないほどのレベルで――相手の重心をずらして受け流す技。しかし、相手はいなされた事に気付かず攻め続けるため、意味も分からず攻めあぐねてしまうという、無意識下の崩しである。
リーシェ自身は気付いていないだろうが、この時点で一合するたび必ず一度、飛鳥はリーシェを殺す事ができていたのだ。
(ああは言ったものの……まさか本当に殺すわけにはいかないよなぁ。スタミナ切れを待ってどうにか話し合いに持ち込む他ないか)
リーシェと何度か打ち合っている間に、飛鳥の思考は憤怒など一切ない冷静さを取り戻していた。
相手がこちらをどう認識しているかはともかく、飛鳥がリーシェを殺す理由など存在しない。
むしろ、こちらを異世界から来た人間であると理解出来ており、彼女の「また来たのか」という発言から、同じ立場である鈴風か劉と接触している可能性が高いと判断出来た。
そうなると、問題はあとひとつ。
リーシェの背後で身構える残りの騎士達の存在だ。
騎士道精神というものだろうか、一対一の相対に手出しをする気配はないようだ。しかしその均衡が破られればどうか。
まさか仲間がやられそうになっても一切助けに入らない、と言う事はないだろう。流石に一対十という状況は避けたいところだ。
「――っく、どこを見ている!!」
意識が自分から逸れているのに気付いたリーシェは、隙を突くのではなくその侮辱に怒り、一歩後ろに飛んで再び飛鳥に剣を突き付ける。否応なく自分が飛鳥の視界に入るように。
――私はここだ、一騎討ちである以上私だけを見ろ。
嫉妬する童女のような感情のままに、それでも正々堂々を頑なに崩さないリーシェの行動に飛鳥は小さく嗤う。
「キサマ……どうやら完全に私を舐めているようだな?」
「え? あぁいや申し訳ない、そういうつもりではなかったんだけど。さっき俺はどう見ても隙だらけだったけど、君が手を出して来るどころか仕切り直してくれたから。流石は騎士を名乗るだけあるなぁ、と思って」
「ふん、当然だ。私にも矜持がある、いかなる強敵相手でも正面から打ち勝たねば意味がない」
敵からの賛辞に、リーシェは胸を張って答えてきた。
(あれ、この子もしかしてちょろい?)
思わず会話が成立してしまった。
やりようによってはこのまま懐柔できそうな気がしてきたので、飛鳥はこのまま褒め殺しにしてみようか、と考えを巡らせようとした。
その時だ。
「……あ」
リーシェの背後にひとつの影が忍び寄っていた。
彼女は気付かない、そして後方に控える騎士達も気付かない。
飛鳥ただひとりがそれに気が付いたが、それを指摘するにはもう遅かった。
「さあ、おしゃべりはここまでだ。そろそろ雌雄を決しようではないか」
残りは互いの剣で語るのみ――リーシェは怒りを鎮め、今はただ決着をつけようと不敵に笑った。
その言葉に、本来であれば誠実に応じるべきだろうと考える飛鳥だったが……悲しいかな、一歩遅かったのだ。
「あー、いざ尋常にといきたいのはやまやまなんだが……ごめん、もっと早く言ってほしかった」
「なに?」
首を捻るリーシェのすぐ後ろで――音も無く忍び寄ったフェブリルの目がきゅぴーんと怪しく光った。
「ガプッ!!」
「あいだあ!?」
「ガジガジガジガジガジガジ!!」
「ああ……やっちまった」
コバンザメの如くリーシェの頭に齧りついたフェブリル。
リーシェも予期せぬ痛みに絶叫しながら振りほどこうとするが、フェブリルは吸盤でも付いているかのように離れない。
きっと飛鳥のために隙を作るために頑張ろうとした結果なのだろう――虫歯1つない健康的で白い歯を必死にリーシェの脳天に突き立てていた。
「キ、キ、キ……キサマァァァッ! まさかこんな小さな女子までも利用するとは、どこまで卑劣、どこまで悪辣なのだ!!」
「いやいやいやいやいやいや違うよ!? そういうつもりじゃなかったんだって!!」
しかしフェブリルさん、いかんせんタイミングが最悪だった。
全力でツッコミを入れた拍子に、飛鳥は思わず双剣を取り落としてしまった。
そんなやり取りの中でも、フェブリルは変わらずリーシェの頭を頑張ってガジガジしていた。
あまりのしつこさに怒り心頭のリーシェは、両手でフェブリルを掴んで全力で引っ張った。その引きに、うにょーんという擬音が聞こえそうなほど不気味なくらいにフェブリルの身体が伸び――――すぽんっ。
「シャーッ! 参ったかこの手羽先女! このまま食べられたくなかったら尻尾巻いて……いや、羽を畳んで逃げ出すがいいさ!!」
「なんだと羽虫風情が……お前、今の状況を分かって言っているのか?」
「とーぜんなのだ! アタシを誰だと思ってる、悪魔を統べる魔神フェブリル様だぞ! ちょっと本気を出せば、お前なんかあっという間にカラアゲに出来るんだぞ!!」
「やってみるがいいこの蚊トンボが。キサマ如き返り討ちにしてスープの具材にしてくれるわ!!」
リーシェの両手で全身を握りしめられた状態で精一杯の威嚇をするフェブリル。
その傍若無人な態度に青筋が立てながら売り言葉に買い言葉のリーシェ。
そんな舌戦の光景を、ちょっと面白いなと思って見続けていた飛鳥だったが、流石にそろそろ止めに入ろうと2人に近付いていく。
なんだかもう、完全に戦う雰囲気では無くなってしまった。
無駄に怪我人が出なくてよかった、とフェブリルに感謝すべきなのだろうか……飛鳥はほんの少しだけ頭を悩ませていると、
「うわああぁぁぁっ!?」
「ッ!? 何事だ!!」
突如、リーシェの背後にいた騎士達から悲鳴が上がる。
風に乗って飛鳥の耳に聞こえてきたのは……この幻想世界にはあまりにも似つかわしくない、機械の駆動音。
瞬時に精神を警戒態勢に復帰させ、飛鳥は悲鳴の発信源を見据える。
背の高い草むらをかき分けて現れたのは5体の獣。
四足歩行でゆっくりと太陽の下に全身をさらした姿は、一見すると巨大な狼のよう。
しかし、その体表は無機質を示す鋼鉄の銀色、目に当たる部分には、赤外線式の暗視ゴーグルのような横一文字の赤い軌跡が走っていた。
武装は4本の脚の先端についた、鋭く光る鋼の爪――それだけではなく、両肩部分に設置された2門の回転式機関銃の銃口が、獲物を喰い殺すべく開かれた顎の如く狙いを定めていた。
AIT社製、自律駆動型強襲兵器“クーガー”。
この場にいる人間の中で、飛鳥ただひとりがその正体を看破していた。
「まずい……皆を下がらせろ、早く!!」
「いきなり指図するな! 何様のつもり「言ってる場合じゃない、死にたくなければ早くやれ!!」……チッ。総員、その獣から距離を取れ、私が相手をする!!」
「え、なに、ナニ!?」
リーシェの指示に、他の騎士達は慌てて飛び上がりクーガーの視界から離れていく。それを待っていたかのように次の瞬間、5体の鉄獣は残る飛鳥とリーシェ目掛け機関銃から火を放った。
射線状の草花を蹂躙し巻き上げ、鉛玉の嵐が罷り通る。
リーシェは真上に飛翔、飛鳥は慌てふためくフェブリルを回収しながら側面に大きく跳んで回避する。
「奴ら、先程からキサマの方を狙っているようだが……なんだ、友達か?」
「生憎、鉄や鉛玉と友情を交わした覚えはないな。知り合いには違いないけど、もっと殺伐とした関係でね」
飛鳥の隣に降り立ったリーシェが怪訝な表情を機械仕掛けの猟犬に向ける。
言わずとも、一時休戦すべきだろうというのはお互いに認識していた。
2人を包囲するように展開するクーガー達に、飛鳥とリーシェは自然と背中合わせで相対する。
「成程、確かに他の団員達を下がらせたのは正解か。あの目にも止まらぬ速さで放たれる火矢――彼等では容易に撃ち落とされる」
「自分は違うとでも?」
「無論。要は射線上に立たなければいいだけの事だ。後は機動力で撹乱して斬り捨てるのみ」
弓矢や投石と何ら違いはない。形状も性能も段違いではあるが、射撃武器である以上はその軌道は必然的に『直線』となる。
彼女の自信は、連装機関銃という未知の武器の特性を瞬時に理解したリーシェの鋭い観察眼に裏打ちされたもののようだ。
ならば、特にこちらでフォローする必要はないだろう――そう判断した飛鳥はリーシェの背中を一瞥し、包囲網を突破すべく駆ける。
停止状態から、左右の腰に凪いでいた緋翼二刀――それを推進翼として起爆させることで段階加速の過程をすべて無視し、一息で最大速度に到達した。
対峙するクーガーの人工知能からは、今まさに狙い撃たんとしていた目標が一切の挙動もなく忽然と消え去ったように見えていた。エラーメッセージがクーガーの視界に埋め尽くされた瞬間、その個体は烈火の刃で両断され完全に沈黙していた。
飛鳥の能力ありきの技能ではあるが、これは『縮地法』と呼ばれる操歩術だ。
本来、クーガーの照準回路はどんなに高速で動きまわる目標であったとしても相手の挙動、例えば体重移動や視線の動き、筋肉の収縮である程度相手の先の動きを予測する。
そのため、如何に最大速度がとんでもない速さであってもそれは決して脅威には為り得ないのだ。
だが、彼らは見落としている。
速さの脅威とは、速度ではないのだ。
(なんだ今の加速は……動きが見えなかった)
飛鳥の瞬殺劇に、こちらもすでに1体を剣の錆にしていたリーシェが息を呑んだ。
完全停止状態から、いきなり目にも止まらぬ速度に到達していた飛鳥の瞬動は、相手の動きを見切ろうとする程にそれを嘲笑うかのように煙に巻く。
これを打倒するには雷の動きを認識できるほどの超人的な反射神経か、あるいは未来予知――予めどう動くか察知出来ない限りは不可能だろう。
「あと3つ!!」
最初の1体をすれ違いざまに斬り捨て、両足を大地が抉れるほどに叩きつけ減速しながら振り返る。
その隙を見逃さんと残りの機獣達の銃口が一斉に飛鳥を捉えるが、再びの超加速の発動で飛鳥の姿は霞のようにかき消えた。
2体目の首をはね飛ばし、3体目は真正面から左手の刃で貫き通す。
残る1体は、リーシェが高空からの唐竹割で一刀両断にしたところだった。
「これで最後か、案外呆気なかった……ッ!?」
5体すべての撃破を確認し、剣を握る手から力を抜いた瞬間――視界の端、この浮島の突端の断崖にもう1体の鋼獣がいた。
先の5体とは違い、武装は回転式機関銃ではなく、遠距離射撃用の長銃身の狙撃用ライフル。
しかし、その照準は飛鳥達の方ではなく、明後日の方向の空に向いていた。
リーシェ以外の騎士達に向けてではない、その方角に目を凝らすと――
「な……鈴風!?」
「ミレイユ!?」
遅れてリーシェもその正体に気が付く。狙撃手たるクーガーは、こちらに向かって危なっかしい様子でふらふらと飛んでくるミレイユと、彼女が必死に抱えている鈴風の姿を捉えていた。