―第82話 セイブ・ザ・セイレーン ②―
何故、飛鳥と共に外で巨大兵器の迎撃にあたっていたクラウが、単独レイシアの下へと駆けつけたのか。
――ここで、少しばかり時間を遡る。
「また雨か。昨日といい今日といい……こいつがあるから少しはマシだが、とことんまでに俺に優しくないお天道様なこった」
鞘に納めた『レイヴン・シール』の重さを確かめながら、飛鳥は降り止まぬ雨を親の仇でも見るかのように睨みつけていた。
だが、雨に濡れるのを構っている場合ではない。
躊躇なく窓から飛び降りた飛鳥とクラウは、まずは遠方から襲来する機械兵団への対処に当たることにした。
「準備はいいか、クラウ。ここから先は、目に付く敵を片っ端から迎撃する。後ろに1匹たりとも通さない心構えで頼む」
「了解しました。――行きます!!」
戦場特有の緊張感が肌を貫いていく。久方ぶりの実戦に、クラウの心臓が強く締め付けられた。
飛鳥との模擬戦で若干カンは取り戻せたが、それでもここ2ヵ月近くまともに戦っていない身だ。そのブランクがどこまで悪影響を及ぼすのかが心配だった。
だが、その程度のハンデなど気合でカバーしてみせる。
雨に濡れたアスファルトを蹴り、跳躍する。まずは空の敵――小型の戦闘機のような風貌をしている『ストラーダ』の一機に狙いを定める。
腰を深く捻じり、全身を独楽のように大きく回すイメージ。ストラーダの両翼に付けられた機関砲が火を噴くより先に、クラウの胴回し回転蹴りによって撃墜された。
空中で蹴りぬいた体勢のまま、頭上から急降下してくるもう一機に向けて開いた右手を向ける。ウルクダイト製の装甲を持つ鋼鉄の猛禽相手に無謀な行動にも見えるが……ジェット噴射で突進してきたストラーダの嘴にあたる部分を難なく掴み取った。
“聖剣砕き”の能力は、何も力任せに敵を殴り飛ばすわけでもなければ、ましてや敵に触れるだけで何でも破壊できてしまうような反則じみたものでもない。
(材質把握、分子結合率把握、破砕点抽出完了、魔術伝導率問題なし。――よし、掌握!!)
“聖剣砕き”が有する魔術体系『終末幻想』――その中でも最も代表的な魔術式が、この“無二の結末”だ。
どんな物質も、遅かれ早かれいずれは壊れゆく運命にある。それは物理的な破壊によるものであれ、時間経過による風化であれ、森羅万象逃れられないものだろう。
“無二の結末”は、触れた対象からその対象を構成する物質情報を読み取り分析。材質や形状、場合によってはそれこそ着色や製作者までもの各種情報を解析して、破壊できる根拠を探し出す。
後は、その破壊可能な事象を情報を魔術で情報化し、対象に送り込む。例えて言うなら、セキュリティ上の穴を見つけ出しそこに自壊プログラムを送り込むコンピューターウイルスのようなものだろうか。
「腐り落ちろ」
今回ストラーダに向けてクラウが送り込んだ情報は『7万回の破壊と7万回の再生』。何度壊されても自己再生する金属であるウルクダイトとて、その再生能力を無限に維持できるわけではない。生物の細胞分裂と同じく、いずれは劣化し、朽ち果てる。ウルクダイトの場合、その細胞分裂の限界が7万回だっただけのこと。
凄まじい勢いで時計が早回しになったかのようだった。ストラーダの銀色の装甲がいびつに歪み、錆を含んだ赤茶けた色に侵食されていく。
既に動力は停止していた。慣性に従い力なく落下した錆だらけのの猛禽は、土の塊が割れたような軽い音とともに粉々に砕け散った。
久しぶりに行使する魔術だったが、勘は鈍っていないようで安心した。準備運動を終え、地面に降り立つ。
「これはまた、随分と凶悪な魔術だな」
「どんな相手にも使える技じゃないですし、消耗も激しいので乱発はできませんよ」
さっきは慣らし運転も兼ねて使ったが、本来『終末幻想』の魔術は、敵の魔術無効化や物質の完全破壊など絶大な効果を持つものが多く、あまりおいそれと使えるものではない。そのため、通常戦闘でこれらの術式を使うことは非常に稀である。
クラウ自身、魔術師とは思えないほどの卓越した身体能力を持っているので、魔術抜きでも自慢の格闘技術で大抵の敵には対処できる。実際、相手が術式を構築するよりも先に、懐に飛び込んで拳を浴びせるスタイルがクラウの基本戦術である。『魔術師殺し』なんて異名も、元々はそんな魔術師の常識を覆す前衛まっしぐらな戦いぶりが由来となっていた。
「心底、敵にならなくてよかったと思えてきた……」
「あははは……」
そう言って飛鳥は頬を引き攣らせていたが、クラウに言わせれば彼とてよっぽどのものだ。
自動二輪並のスピードで突進してくる4体のクーガーを軽く身を揺らすだけで躱し、同時に手にさげた黒い刀で事もなげに両断していく。闘牛士じみたあしらい方には練達者の風格すら感じられた。本当に自分と同年代の学生なのかと疑ってしまったほどだ。
互いの実力を再確認したところで、2人は遠い暗闇にそびえ立つ球状の巨大兵器に向けて前進した。
「ん? 通信……?」
が、急に立ち止まり右耳を手で押さえ出した飛鳥を見て、クラウは慌てて急ブレーキをかけた。
どうやら電話をしているらしく、相手の声は聞こえないものの、飛鳥の反応からして切羽詰まった内容であるのは分かった。
「あんのバカ……あれだけ単独行動するなって言っといたのに……!!」
クラウも、そのバカが誰の事なのかは一発で理解できた。
どうやら敵は既に建物内にも入り込んでいるらしく、本来こういう時のために配備された迎撃用のシステムも動いていないらしい。
通話を終えた飛鳥は、眉間を指で押さえながら大きな溜め息をついた。
「『百式』の警備システムが正常に機能していないのは、おそらく鴉の能力によるものだ。奴の能力なら、『百式』に対して異常なしと誤認させることも可能だろうからな」
「鴉って、昨日いた黒ずくめの子供のことですよね……そんな、機械にまで干渉できるんですか、人工英霊の能力って」
「『できない』ことを『できる』ようにするのが、人工英霊の専売特許みたいなものだからな」
どこか意味深な言い方をする飛鳥だった。
運悪くメンバーがバラバラになった状態での敵の襲撃。こんな掌握困難な戦場でこそ、飛鳥や双葉のような、人に指示をする立場の指揮力が問われることとなる。
何でもないように話している飛鳥だが、その胸の奥は責任の重みでいっぱいなのだろう。普段よりも表情を固くする飛鳥の横顔を見て、クラウはそう察していた。
「ともかく、皆の安全確保が第一だ。ひとりで突っ走ったあの暴走特急も拾ってやらなきゃならんし、ここはひとまず戻って合流するべきか……」
後顧の憂いを断とうとする飛鳥の判断は正解だろう、クラウも頷いた。
ただでさえ戦える人間が少なく、敵戦力もはっきりしない状態だ。下手にバラバラの行動をとって各個撃破されては目も当てられない。
クラウ個人としては、レイシアも心配だ。
昨日の鴉の口ぶりからして、《パラダイム》が今回の襲撃に乗じてレイシアを攫おうとするのは容易に想像できた。
そうと決まれば、とクラウが踵を返そうとした瞬間、
「オイオイ、敵が目の前にいるってのに背を向けるようなシャバい真似してんじゃねぇぞ」
全身に鉛が括り付けられたかのような重圧に、一歩たりとも動けなくなっていた。
息ができない。どうして、こんな近くにいたのに、これほどまでに濃密な殺気を隠そうともせずに垂れ流していたのに、今の今まで気が付かなかった?
「まさか、いきなり親玉のお出ましとはな……こいつは喜ぶべきか、嘆くべきか」
「よぉ、1年ぶりってとこかい『烈火』の坊主? 俺と相対しても、気絶するでも逃げるでもなく、冷静に頭回せるようになったあたり成長したと褒めてやらなきゃならねぇな」
「そんな賞賛、ありがた迷惑でしかないがな。普段は後ろから高みの見物ばかりしているアンタが、今回はどういう風の吹き回しだ? シグルズ=ガルファード」
そう言って飛鳥は皮肉げに笑う。
どうやらこの男が――飛鳥がもっとも会いたくなかった相手。
歳は30前後といったところか。全体のいたるところに重厚なメダルをあしらったポケットが縫い付けられ、衣類というよりは鎧のような印象が強いミリタリーコートを着流している。2m近い巨躯に、厚手のコートの上からでも分かる鋼のように鍛え抜かれた肉体。しかし、ぼさぼさに伸びた金髪と無精ひげだけ見ると、だらしのない中年男性にも見えないこともないのだが……
(これが、僕らと同じ『人間』だとは思えない……!!)
鋭く細められたくすんだ瞳を直視できない。
飢えたライオンの方がまだ優しい目をしていることだろう。目が合った瞬間、魂を刈り取られていてもおかしくない――そう思えるほどに、この男の存在感は常軌を逸していた。
「こんな状況でもアイツは来ねぇ、か。やっぱりアイツが行方不明ってのはマジらしいな?」
「……残念ながら。悪いがここは、俺で我慢してもらおうか」
いったい誰の話だろうか。
シグルズは、どこか過去を懐かしむような口調で話し始めた。
「強がんなよ坊主。1年前、散々俺にボコボコにされておきながら、そうやって逃げずに立ち向かおうとする姿勢は、なかなか骨があると認めてやらないでもねぇさ。……だが、わかってんだろ。たかだか1年程度で埋められるほど、俺とお前さんの力の差ってのは狭くはねぇ。それこそアイツの……タカミネカズマに並び立てるレベルになってから言う台詞だ、そいつはよ」
「……だろうな」
それは、戦う前から敗北を認めているに等しい言葉だった。
飛鳥とは短い付き合いながらも、そんな弱気など彼らしくないだろうと訝しんだが――しかし、この金色の獣を前にしては仕方がなかったのかもしれない。
クラウとて、それなりの修羅場を潜ってきている。“傀儡聖女”をはじめ、明らかに格上の魔術師と戦ったのも一度や二度ではない。
だが、それでも、戦わずとも『敗北』しか見えない相手というのはそうそういるものではない。策を張り巡らせ、地の利を生かし、相手の油断を誘い――そういう小手先からの勝機すら吹いて飛んで行ってしまう。
「だったらどうして逃げようとしねぇ。他のヤツらはどうか知らんが、少なくとも俺は、戦おうとしない雑魚をいたぶる趣味はねぇ。お仲間集めてさっさとここから退散するってんなら、そうしたらいいだろうさ。追いはしねぇよ」
見逃してやる。シグルズはそう言っているのだ。
戦う者にとっては最大級の侮辱でしかないが、クラウは心の奥底――本人も知覚できないほどの奥の奥だ――で、少しだけ、ほんの少しだけ「この提案を呑んでもいいのではないか」と考えてしまった。
無意識に一歩、後ずさる。いけない、ダメだと理性が必死に踏み止まらようとするが、
「冗談はよせよ、クソ野郎」
水と空を切り裂く嘶きが、クラウの内側に巣食った恐怖を根こそぎ吹き払った。一瞬遅れて、金属どうしが擦れ合う鋭い音が耳に届く。
それが飛鳥の手によって引き起こされた、音速を越える速度で鞘から抜き放たれた黒刀の風斬り音であることに気付いたのは、更にもう一瞬の後だった。
まるで途切れた映画のフィルムを見ているかのように、いつの間にか飛鳥は『レイヴン・シール』の一太刀をシグルズに撃ち込んでおり、シグルズはその神速の一刀を片手で、小さな子供をたしなめるような気軽さで受け止めていた。
渾身の力で日本刀をシグルズの腕へと押し込もうとする飛鳥の背中越しに声が飛ぶ。
「クラウ、お前は皆のところへ!!」
「そんな! ひとりで戦うなって言ったのは飛鳥先輩じゃ――」
「事情が変わった! 早く行け! ……レイシアが危ない!!」
レイシアの名が出た途端、クラウはいてもたってもいられなくなった。
急速に活性化した脳細胞が、あらゆる雑念を払拭し、冷静冷徹に今の状況を俯瞰する。
シグルズは、言ってしまえば敵勢力における『切り札』のような存在なのだろう。飛鳥も、彼が最初から前線に出るとは思っていなかったことからそれは間違いない。
では、何故いきなりシグルズは正面切ってやってきたのか?
そんなに難しい話ではない。最も目を引く敵が真っ向から進攻してくるなど――囮以外にありえない。
「すぐに片付けて戻ります! だから、それまで……」
振り返らずに視線だけをこちらに向けた飛鳥と頷きあい、クラウは反転。レイシア達がいる施設内に向け加速した。
「はっ、やるじゃねぇか! よくもまあこれだけの短い時間と少ない情報で、戦力分散なんて博打が打てたもんだ!!」
頭上に掲げられたシグルズの右腕には、超重量の刀身が確かに撃ち込まれていた。
だが、感触で分かる。断ち切るどころか、腕の薄皮一枚も斬れていないと。
両腕をバネにして、一気に飛び退く。そうして距離をとった飛鳥を追撃するでもなく、シグルズは泰然自若に佇んでいた。
「本当の意味で警戒すべきはアンタじゃない。否応なしに目立つアンタの影に隠れて、コソコソと細工してくるような輩に心当たりがあったもんでな」
「鴉のガキか。――ハハハッ! コイツは手厳しいなぁオイ! ま、俺もそこには同感だけどな」
シグルズ達が、そんな綿密な作戦をたててくるような常識的な連中なわけがない。どうせ各々好き勝手に行動するように指示しているのだろう。
「俺としてもアンタなんぞにかかずらっている暇はないが、だからと言って野放しにしておくには凶暴過ぎるからな。あいにく首輪も檻も準備してないんだ……力づくでも大人しくしていてもらう」
鞘はしばらく不要だろう。左手でくるりと一回転させ、先端をアスファルトの地面に向けて勢いよく突き刺した。
刀と同じ素材で作られた黒塗りの鞘もまた、異次元の重量を持つ一品だ。杭打機を叩き込んだような爆砕音とともに、鞘の先端が深々と地面に埋め込まれた。
ここが橋頭堡だ。シグルズまで建物内に押し入られてしまっては、どれほど甚大な被害が出るか予想もつかない。
「いいね、いいねぇ! 歴然とした力の差にも屈さずに牙を剥く――こういう面白ぇヤツが出てくるから戦争ってのはやめられねぇんだよ!!」
意識が飛んでしまいそう程の濃密な殺意の投射を受け、飛鳥は唇の端を噛み切り、痛みで無理矢理に意識を繋ぎ止める。
――さぁ、いざ『戦争』だ。
臆病風に吹かれるような気概なら、最初からこの場に立ってなどいない。
『レイヴン・シール』を両手で持ち、顔の高さで弓を引き絞るように構える。刺突を前提にした、とことんまでに攻撃特化の変則型だ。
別段、シグルズを撃破しなければならないわけではない。敵勢力の中で最も厄介な彼をこの場で釘付けにし、他の仲間が駆けつけてくるまで時間稼ぎに徹するのが理想――というより他に手立てがない――なのだから、消耗を抑えるためにも、距離をとって守りを意識するべきだろう。
「来いよ『戦争屋。どんな戦争にだって終わりがあることを教えてやる。――俺が、終わらせてやる」
「大きく吠えたな! だったら、その啖呵を吐くだけの力があるのかどうか……見極めてやろうじゃねぇかぁ!!」
稲光が飛鳥の視界を真っ白に染めた。雨だけでなく、ついに雷までもがこの大一番を観戦しにやってきたらしい。
炎が生きられない空間の中、飛鳥が頼みにできるのは一振りの刀のみ。対する相手は、小細工などまず通用しない最凶の人工英霊。
想定しうる限りの最悪中の最悪。勝機を見出すなど、広大な砂漠の中から一粒の宝石を探し出すよりも困難だろう。
金色の巨人が拳を振りかぶった。同時に飛鳥は恐れのない一歩を踏み出す。
暗闇と絶望しか存在しない戦争が、始まる。