―第81話 セイブ・ザ・セイレーン ①―
楯無鈴風と村雨蛍が交戦を開始したのと同じくして、
「ひぃぃええええぇぇぇぇぇっっ!!?? あ、あのメタリックワンちゃんは何なのですかぁーっ!? 目が合うなりバラバラ撃ってきたのですよー!!」
リーシェ達残る女性陣は、揃わぬ足踏みで、割れたガラスが散らばる廊下を全力で駆け抜けていた。
身体能力が高いリーシェとレイシアがそれぞれ先頭としんがりを務め、戦闘要員ではない双葉と真散を2人の内側に挟み込む形で進行している。
「くっ……これほどの数の自律兵器、いったいどこから入り込んで来たと」
「ここの警備員どもが揃ってボイコットしてたんじゃないの!!」
険を滲ませ考え込む双葉に、レイシアからのやけっぱちな声が飛ぶ。
彼女たちは、背後から迫りくる鋼鉄の猟犬――《パラダイム》の尖兵たる、自律兵器『クーガー』の群れから放たれるマシンガンの雨霰から逃げるべく、とにかく走っていた。
リーシェ達の第一目標は、戦えない2人を地下の司令室――防災シェルターも兼ねている――まで連れて行くこと。
断花重工の建物は大きく分けて2つ。
現在鈴風が戦場としている、エントランスや食堂など外来向けの施設が集中している中心棟。そしてその中心棟をドーナツ状に覆う形で建てられた会社棟である。
今リーシェ一行がいるのは会社棟の2階、建物の最も外側に位置する大廊下だ。よって誰もが気付いている事実だが、この通路を進んでいても真円型の建物の外周をグルグルと回っているだけに過ぎないのだから、はっきり言って今の全力疾走にゴールなどない。
当然ながら、一定の距離ごとに階段やエスカレーターが存在するのだが(状況的にエレベーターを使う余裕はない)、狙い澄ましたかのように階下には機械仕掛けの獣たちが待ち構えていた。
リーシェとレイシアの力量であれば、決して苦戦する相手ではないのだが、
「きゃあああああっっっ!!」
「こんの、世話の焼ける! ――“守泉精”ぇ!!」
2人とも、誰かを護りながらの戦いという経験がほとんどない。
レイシアの水魔術で障壁を創り、銃撃から真散達を護っている間に、リーシェが襲い来るクーガーを斬り捨てる。そして迎撃に時間をかけている間に次の追手が目前まで迫ってきて――この繰り返しとなってしまっている。
「流石にキリがないぞ! このままでは、いずれ……」
リーシェは展開した光翼からの推進力で、瞬く間に3体のクーガーをすれ違いざまに両断する。だが、誇り高き騎士である彼女が思わず弱音をこぼしてしまうほどに、今の状況は切迫していた。
ここに鈴風がいたなら、突破口のひとつも開けただろうが――仮に彼女が留まっていたとしても、蛍も交えての大乱戦になる可能性が大だった。そうなると護衛しながらの戦闘などまともに出来る筈もない。よってリーシェが知る由もないが、鈴風の独断専行は案外ファインプレーだったのだ。
「申し訳ありません……本来ならば、我々が皆さんをお守りしなければならないのに」
「何事も適材適所だろう、ナルミ殿が気に病むことではないさ。それに、普段は私の方がお世話になっているのだしな」
「あんたの本領はどっちかって言うと頭脳戦なんでしょ? だったらそっち方面で役に立ってもらえりゃあ文句ないわよ」
2人とも言い方は違えど、武器を持って戦えないことを悔やんでいる双葉を元気付けようとしたことに変わりはない。
口下手な2人の戦少女からの激励に、『水鵬』の主は自分の頬を両手で軽く叩いて喝を入れた。
「――では、方針を変更しましょう。地下シェルターに接近しつつ、なおかつ他の戦闘人員と合流できるルートを考えてみます」
逃げられないなら、いっそ攻めに転じる。豪胆だが理に適っていた。
腕時計型の携帯端末を操作した双葉は、先ほど司令室から転送されてきた社内見取り図の立体映像を立ち上げた。
現在《八葉》内にいる戦闘可能要員は、ここにいるリーシェとレイシアを含め数えるほどしかいない。
日野森飛鳥とクラウ=マーベリック――現在、屋外演習場の大型兵器と交戦中。
楯無鈴風は動向不明――状況的に、他の侵入者と接敵していると予測できる。
この3名との合流は、現段階では困難だろう。せめて双葉と真散が安全圏に到達するまでは、合流しても足を引っ張るだけになりかねない。
そうなると、目指すべきは――
「みィィぃぃぃつけたぜぇぇェェェッッ!!」
進むべきルートがはっきりしたのと同時、ガラスを引っかいたような甲高い哄笑が廊下を反響した。次の瞬間、先頭を走るリーシェの斜め前にあった一室の扉が爆砕し、黒い影が立ち塞がるように飛び出してきた。
「貴様は昨日の!!」
「ハッ、まァたテメェかよ羽つき女。いい加減そのツラ見飽きたぜ。……だがァ? どうやら『当たり』を引いたのはオレだったみてェだなァ」
全身黒づくめのボディスーツに身を包んだ外法の忍者――鴉のねめつく目線がレイシアに向けられる。昨日の鴉の言い分と、『当たり』という表現から、彼の目的がレイシアであることは明白だ。
くつくつと喉奥で転がすような、不快な含み笑いをこぼす鴉を前に、
「いやらしい目でジロジロ見てんじゃないわよクソガキ」
レイシア=ウィンスレットはあくまで傲岸不遜を貫き通す。
しかし強気な態度で出たはいいが、この状況が最悪であることに変わりはない。機械の獣だけなら何とかなったが、ここに人工英霊まで加わったとなると、流石にレイシアも護り切れる自信がない。
覚悟を決めなければならない。ここにいる全員の考えが一致していた。
リーシェの隣に立ったレイシアは、後ろ目で真散と双葉に視線をやり、次に外の雨空に顔を向けた。
下手な言葉でやり取りして、鴉に感付かれるわけにもいかない。これで自分の意図がリーシェに伝わってくれればいいのだが。
「(……やれるのか?)」
「(あんたが言ったのよ、適材適所って。だったらここは)」
「……あァ?」
小声で話す2人に、鴉が訝しんだ様子を見せる。何か隠し玉でもあるのかと疑って、攻め込むのを躊躇しているようだ。その勘違いはレイシア達にとっては好都合だった。
方針は決まった、ならば時間はかけられない。レイシアとリーシェは電光石火を体現する挙動の速さで、互いに背を向け走り出した。リーシェは反転して双葉と真散に両手を伸ばす。
「2人とも掴まれ!!」
「えぇ!? ど、どうするのですかー!?」
「いいから早く! 腹を括ってください!!」
双葉はリーシェのやろうとしていることを察したようで、慌てることなくリーシェの右腕に掴まる。リーシェは唯一あたふたしていた真散の腰あたりを残る左腕で抱え込み――窓枠を飛び越え、暗闇の空へと飛翔した。
「逃げんなコラァッッ!!」
「よそ見してんじゃねぇわよ!!」
光翼を羽ばたかせるリーシェの背中目がけて苦無を放とうとする鴉の手を目がけ、レイシアは魔術で圧縮した鉄砲水を撃ち付けた。殺傷力は低いが、手から武器を弾き飛ばすには十分だった。
背後のクーガー群もまた、体中に身に着けた火器の銃身を空の騎士へと向けるが、
「水霊招来――“絡みとる八腕”!!」
潤沢に降り注ぐ雨水を媒介に創りだした8本の水の触手が、機械の猛犬どもを強打し壁や床に叩きつけた。その間にリーシェ達の姿は夜の空に紛れて見えなくなっていた。
足止めはこれで充分。あとは自分ひとりならどうとでもなるだろう。
力任せに包囲網を突破して逃げるのも手だが――それはどうにも癪に障る。
ならば、やることはひとつ。忌々しげに睨みつけてくる鴉に対し、レイシアは平然とした表情でくいくいと手招きをした。
「ほらほら、アンタは私にご執心なんでしょ? だったら一途にこっちだけ見ときなさいな。気の多い男は嫌われるわよ?」
「く……は、ハハハははははッ! 上等だこのクソアマァ! テメェの腹かっさばいて小便ぶちまけてやっから泣いてよがり狂いやがれやぁァッッ!!」
「……私だけ見ろって言ったけどやっぱ訂正。あんたみたいなド下品なガキ、視線を向けられるだけで鳥肌もんだわ。ああやだやだ、もう話をするのも汚らわしい。あーもう誰も知らないところでさっさとおっ死んでくれないかしらー? その方がみんな幸せだと思うわよ」
「――――――グ、ゲギャァァッッ!!」
鴉は怒りを通り越して言葉にならない絶叫をあげ、黒い猛獣となって飛び掛かってきた。同時にクーガー達もレイシアに一斉に照準を向け、無数の銃火による挟撃を仕掛けてきた。
リーシェ達を逃がし、こちらに視線を釘付けにする作戦は見事成功した。
定石通りにいくのなら、レイシアが狙われている以上、本来ならここにはリーシェが残るべきだったのだろう。
だが、レイシアは水の支配者だ。
建物の外には、瀑布の如く空から流れ落ちる圧倒的水量。ならば、彼女の武器はこの広大な戦場に満ち溢れている。
手に握りしめた柄無しの剣、『ウィリタ・グラディウス』を頭上に掲げる。詠唱はたった一言でいい。
「集え」
瞬間、空から津波が現れた。
レイシアの魔術により、周辺半径約100mに存在するすべての雨水を制御下に置き、一か所に束ねてこの場所にぶつけたのだ。
「な、にぃぃぃぃブごごごごゴゴォォ!!」
瞬時に濁った水で満たされた廊下の中を、哀れな猟犬が身動きできないままあちこちにぶつかって流されていく光景は、場違いだろうが笑いを誘う光景だった。
壁の手すりに掴まって流されまいとしている鴉は、どうやら地上で溺れるという貴重な経験に言葉も出ないようだ。ちなみにレイシア自身は、周りに薄い水の膜を張っているので、雨水の濁流に押し潰されることはない。
リーシェ達がいる状態では流石に使えない技だったが、今なら何の遠慮も必要ない。
「『セイレーン』を舐めんじゃないわよ。水のある場所で私に挑むってことがどれだけ無謀なことなのか、お分かりいただけたかしら?」
戦場の環境に恵まれていたのもあったが、この戦いはあまりに圧倒的で一方的なものだった。
鈴風のようなスピードスターター相手には、魔術を構築している隙がないため使えない手段だったが、今回の鴉のように、警戒するあまりに踏み込みが遅い相手であればほぼ必勝ともいえる技なのだ。
(さて、あんまり時間をかけてもなんだしね。さっさとトドメを――)
苦戦するまでもなかった結果に肩透かしを感じながらも、レイシアは気を引き締めて鴉への最後の一手を放つべく術を練る。
構築術式は“船食らい”。鉄をも貫く水圧のレーザーで鴉の頭か心臓を貫けば、それで終いだ。人工英霊とて、即死レベルの致命傷にまで対応できるわけではないのは予め知っていた。
(――あ、れ?)
突如、全身から力が抜けた。
身体が言うことを聞かずに片膝をつく。お腹の辺りがじわじわと熱い。武器を持つ手に力が入らない。視界がぐにゃりと歪む。
なんで、おかしい、どうなっている――そんな疑問が目まぐるしく脳裏を駆け回る中……
「――――え」
ぱちん、と目の前で泡が弾けた。
まるで悪夢から覚めた後のような、ぎりぎりと脳が締め付けられているような感覚に思わず頭を押さえた。
身体中が変調を訴えている。麻酔を打ち込まれた時のように、神経が緩みきって意識が肉体の外に出てしまっているような違和感。
きょろきょろと辺りを見渡す。夢から覚めた、とはいえここはベッドの中ではなく、今の今まで戦っていた広い廊下の上だ。
だが、おかしい。
廊下がほとんど濡れていない。廊下を満たしていた水流が消えているのは、自分が魔術を解除したからと説明がつくが……そうなると、床や壁が水浸しになっていないとおかしいのだ。
言うなれば、今の光景はレイシアが雨水を呼び寄せる『直前』のものと同じなのだ。
これでは、まるで……
「まるで時間が巻き戻ったようだって?」
ぐらつく視界の中、いきなり鴉の顔が全面に押し出された。レイシアは驚愕のあまり、後ろずさった足が絡まり尻餅をついてしまう。
ここでようやく気付いた。――自分の脇腹に深々と突き刺さった黒い刃の存在に。
「な……」
見れば、傷口から流れだした夥しい量の血液で、腰から下が赤黒く染め上げられていた。
心臓に氷を当てられたような衝撃だった。
どう見てもこの出血は危険域だ。とにかく早く止血しないことには命に関わるレベルだというのに、どうして今まで気付きもしなかった?
恐ろしかった。それは目に見える形で迫ってくる死の足音に対してでもあったが、それよりも、この状態で痛みすら感じていないことが何より恐ろしかった。
シャツの布地を破って応急処置をしようとするも、出血多量の影響で手が震えてまともに動けない。
(早くしないと、早く止めなきゃ、そうでないと――)
――死ぬ。
漏れ出る血が焦りを生み、焦りが心身を圧迫し、出血と衰弱を加速させる。最悪の負のスパイラルに入り込み顔面を蒼白にするレイシアを見て、鴉は笑い転げるのを抑えられなかった。
「クヒッ、アヒャヒャヒャハハハハハハハッ! おいおい偉そうなセリフ吐いといて何だそのザマはよぉ! 『セイレーン』を舐めるなとかなんとか言っときながら、オレにはかすり傷ひとつ付けれてねぇ時なんざ、もう滑稽を通り越してコントでもやってんのかと思ったぜ!!」
「傷が、ないですって……」
「ワケ分かんねェって顔だな? いいぜ、笑えるもん見せてもらった礼に教えてやんよ。……さっきまでテメェが戦っていたのな、アレ、全部『幻』なんだよ」
歯を剥き出しにして腹がよじれそうな程に笑いまわる鴉を見て、レイシアはひとつの可能性に思い至った。
魔術においても、自分が思い描いた幻影を相手に見せるというものがあるにはあるが……しかし鴉が、さっき自分が使っていた(と認識していた)水の魔術式を知っていたとは思えない。
それに、痛みがまるで感じられない――感覚が麻痺している今のコンディションからすると、
「私の五感が、狂わされていた……!!」
「せェぇいかァぁぁい! そうそう、『幻』っつってもオレが創り出したもんなんかじゃあない。さっきのはテメェの五感を騙して、自分が勝ったと思いこませてたって寸法さ。まぁ実際は、そこでアホ面さげて突っ立ってただけなんだがなぁヒヒャヒャヒャ!!」
現実はどうあれ、人間が認識する世界とは自分の五感によって支配されているものである。
エントランスで鈴風達が遊んでいたVRゲームなどその典型だ。実際にはいるはずのないドラゴンも、視覚と聴覚を誤認させることで、あたかもその場にいるような感覚を与えることができる。
鴉の能力“夢幻泡影”は、いわばそのVR技術による誤認識を、人間機械問わずに与えることができる邪法だ。
今回だと、レイシアがクーガーを牽制し、鴉に挑発をしてきた時点で能力を発動。強力な幻覚を与えるには視線を合わせる必要があったが、それは何の問題もなくクリアできた。
そこから、大量の水で鴉を押し流していったところまで。これらはすべてレイシアがそう思い込んでいただけの幻に過ぎなかったわけである。
実際は魔術を使っておらず、水も流れ込んでいなかったわけだが――そういった感覚すら誤認させるほどの超能力なのである。
(幻にかかった瞬間も、さっきまでの戦いが、自分がそう思い込んでいただけの映像だったことも、まったく分からなかった……あんなレベルの幻術、《九耀の魔術師》クラスの魔術師でも出来るかどうか分かんないわよ……!!)
心のどこかで、鴉の――いや、人工英霊という存在に対する侮りがあったが故の敗北に、レイシアは思わず唇を噛み締めた。
ますますもって、そんな化け物どもが跋扈しているこの白鳳市という場所が空恐ろしくなってくる。
「さ、て。一応、上からは生かして連れてこいって言われてんだがなァ……ま、いいか。オレにゃあ関係ねェし」
下卑た笑みを隠そうともしない鴉の手によって突き飛ばされた。特に力もこもっていない張り手だったが、気絶寸前のレイシアには耐える術もなかった。
仰向けに倒れたレイシアに覆いかぶさり、右手に握った短刀を喉元に突きつけてくる。
「さぁーて、お仕事の後にはご褒美がないとツマンねェよなぁ。首がいいかぁ、それとも心臓? いやいやここは目ん玉くり貫くってのも悪くねェかぁ? ……なぁ、教えてくれよ。いったいテメェのどこを切り刻んだら、一番いい声で啼いてくれんのかをよォ!!」
「…………」
刃も、言葉も、笑い声も、黒ずくめの少年から吐き出されるあらゆるすべてが、レイシアを汚す毒となって全身を黒く蝕んでいく。
「おら、なんか言ってみろよ。惨めったらしく命乞いでもすれば、あと1分くらいは生かしておいてやってもいいんだぜェ?」
――誰が命乞いなどするものか。私は誇り高き《不滅の潔刃》、そして“腐食后”の娘だ。
背負っているものがある。成し遂げなければならないことがある。
「あんた、なんかにぃ……!!」
「お?」
絞りかす程度の力をかき集めて、四肢に力を漲らせる。それに気付いた鴉によって簡単に押さえ付けられてしまうが、それでも必死に振り解こうとする。
「あんたみたいな三下にくれてやるほど、私の命は安くないってのよ……! 絶対に、絶対に負けてなんてやらねぇわよ……!!」
虫の息でありながら窮鼠の如き執念を見せるレイシアの鬼気を目の当たりにし、鴉は面白くなさそうに息をついた。
「下らねえ。オレを楽しませるつもりがないってんなら、もういいや」
苦無の切っ先が白い喉に触れ、玉となった血液が零れ出す。
こんなところで終わるのかと、レイシアは悔し涙が出そうになるのを必死に堪えた。
どうせ死ぬなら、ただでは終わらせない。首を斬るつもりなら、お返しにこいつの首に噛み付いて道連れにしてやる。
(…………クラウ)
ふと、意識の片隅にぼんやりと現れた幼馴染の少年。
そういえば、母が殺されてから面と向かってきちんと話ができていなかったことが心残りだった。
直接的に母を殺したのは確かに彼だったが、それが不可抗力だったことくらいレイシアにも分かっている。
(一言くらい、謝っとけばよかったかな……)
この街に来てから見たクラウの顔は、今にも死んでしまいそうな陰鬱としたものばかりだった。そして、その原因が自分に恨まれてからだったのだから、少しばかり申し訳ない気持ちになってしまう。
子供っぽさの抜けない、朗らかな笑顔ばかりが印象に残っていたので、そんな彼の悲痛な表情を見るたびに、何だか苛立ちばかりが募っていた。
(なによ、それってつまり……)
要するに。レイシアはとっくに、クラウのことを憎んでなどいなかったのだ。
だってそうだろう? その人の笑顔を見ていたい、そう思う理由だなんてたったひとつしかないではないか。
このどうしようもない気持ちを言葉に変えて、クラウへと届けてあげられないことが悔しかった。
「――死ねよ」
しかし、もう遅い。
かくて断頭台は振り下ろされ――
「お前が死ね」
――横合いから煌めいた紫紺の風が、レイシアに纏わりつく『死』の一切合財を吹き飛ばした。
知っている、けれど知らない背中だった。
雨でびしょ濡れになって、淡いベージュ色の上着は赤黒い血に染まり、所々に銃弾が通り過ぎた後の穴が開いていた。ラベンダーの花を思わせる薄紫の髪も、泥水にまみれて見る影もない。
それでも、
「……きれい」
今の彼の姿は、掛け値なしに美しかった。
どれほどその身が穢れていようとも、紫水晶色の瞳に映る輝きは曇らない。
迷って、あがいて、もがきながらも、それでも進み続けることを諦めない――そんな気高き『意志』の輝きだった。
「いきなりしゃしゃり出てきて、オレのお楽しみを掻っ攫おうたぁいい度胸じゃねェか! テメェ……楽に死ねると思うなよ!!」
離れた場所に着地した鴉が濁った声で叫ぶ。
全力でぶん殴ったので、顔面が日本のお祭りに出てくるマスク――確か、ひょっとこ、とか言っただろうか――のように見事にひしゃげていた。それでも腰砕けにならず、あまつさえ罵声を浴びせてくるあたり、相当にしぶとい人種のようだ。
昨日、鈴風やリーシェが戦っていた時はただ見ていることしかできなかった。あの時のように、戦って、それでまた取り返しのつかない過ちをしてしまうのが怖かったから。
「楽に死ねると思うな、か。……その言葉、是非そのままそっくりお返しさせてほしい」
だが、それではいけないと教えてくれた人達がいる。
傷付くことを恐れて何もしないより、どれだけ傷付いてでも護りたいものがあるのなら。
「魔術師ごときがひとり増えたところで、このオレをどうにかできると思ってんじゃねェぞ! 2人まとめてこの場で解体してやんよォッ!!」
拳を握れ。立ちはだかるすべての艱難を打ち砕け。
守護のための破壊を。破壊によって平和を勝ち取るために、それは名付けられたのだ。
「“聖剣砕き”の名に懸けてーークラウ=マーベリック、貴様のすべてを打ち砕く!!」