―第79話 スーパーソニック・ストレンジャー ④―
久しぶりの戦闘シーン。とにかくたくさん血が出ます。
「警備システムはどうなっている! あんな馬鹿デカい塊が落ちてきて何の反応も示さないとはどういうことだ!!」
断花重工の地下1階に存在する、《八葉》第三枝団『水鵬』のオペレーティングルーム。慌てふためく隊員達の怒号が室内を縦横に行き交っているところから、指揮系統はまともに機能していないと容易に見て取れる。
『水鵬』の位置づけは、一言で言ってしまえば情報管理部署だ。
人工英霊に限らず、一般人には対処しきれない事件に対し個人・法人問わず、世界中からの依頼を受けて、適正な人員を派遣する。ここでは、そうして地球上に散らばった各隊員達との密な連絡や、《パラダイム》のような敵性組織の動向などを探り、常に膨大な情報を迅速に収集・共有している。
決して戦いの表舞台に立つことはないが、民間警備会社としての業態を持つ《八葉》においては、なくてはならない『核』とも言える場所である。
眼鏡をかけた気弱そうな女性隊員が、デスクトップに表示した警備情報を見て驚愕の声をあげた。
「どうして……『百式』のシステムは一切壊れていません。すべて異常なしと出ています!!」
「バカ言うな! 今まさに攻め込まれてる真っ最中だってのに何が『異常なし』だ! こんな肝心な時に機能しないなんて、いったい何が――いや、まさか」
現在の『水鵬』の現場責任者である、外見からは特にこれといった個性を感じられない風貌の――伊藤副隊長は、新人の女性オペレーターに再度確認するように言い伝えようとして、ふと気が付いたことがあった。
システムの『誤認』。はて、これまで見た人工英霊の中でそんな『能力』を持った相手がいたのではなかったか、と。
『指令室、聞こえますか!!』
スピーカーから響く、若干のノイズ混じりの声に、部屋にいた誰もが背筋を正した。
「隊長! ご無事でしたか」
『今、日野森さんのご学友と一緒にそちらに向かっています。状況は』
第三枝団隊長――鳴海双葉からの至極冷静な指示を受け、隊員達もつられる形で平時の様子を取り戻していった。
「現状、『百式』のシステムエラーにより警備関係はまるで機能していません。監視カメラの映像から、現在確認できる侵入者は2名と1機。……《パラダイム》の人工英霊です」
『こちらの本拠地に力技で押し掛けてきた割には、随分と少数ですね。《九耀の魔術師》のおふたりがいない隙をついてきたのでしょうが……』
「どうしますか? 戦闘班は揃って留守です。『黒曜』のヴァレリアはエジプト、『雷火』の高嶺もいまだ行方不明のまま。迎撃できる人間など――」
間の悪いことに現在、《八葉》内で人工英霊に対し真っ向から立ち向かえる人員はほとんどいない。切り札とも言えるクロエや霧乃の不在に加え、各部隊の戦闘メンバーもこぞって遠方の任務についていたのだ。
《八葉》でも一騎当千の実力を持つ両名、第一枝団『黒曜』隊長のヴァレリア=アルターグレイスや、4月から行方知れずのままになっている高嶺和真がいれば、こうも慌てふためくこともなかっただろう。立て続けの不運に、伊藤副隊長は乱暴に頭を掻き毟った。
思えば、これほどまでにタイミング悪く《八葉》本部の戦力が抜けてしまっているのも、果たして偶然と言い切れるのだろうか。
いや、根拠のない推測に頭を悩ませるのは後だ。今は目の前の事態に意識を注ぐべく、伊藤は隊長からの返答を待つ。
『いますよ、戦える人間なら』
「なんですと? 日野森のことを言っているのであれば、それは過大評価でしょう。第一この状況を彼ひとりでは」
『ひとりではないぞ!!』
突如2人の会話に割り込んできた絶叫によって指令室内を凄まじいハウリングが襲った。誰もが思わず耳を押さえて蹲ってしまうほどであった。
『ちょ、ちょっとブラウリーシェさん? そんな大声出さなくてもちゃんと向こうには聞こえ『誰がアスカひとりだけで戦わせるものか! ここには私がいる、スズカがいる、クラウやレイシアだっているのだぞ!!』分かった分かった分かりましたからちょっと――静かにね?『も、もうしわけない』伊藤さん、そういうわけです。皆さんを信じて、私達は出来得る限りのバックアップを。それが我々『水鵬』が担うべき役目でしょう?』
「承知いたしました。では、日野森と連絡をとり、こちら側でナビゲートを」
『お願いします。私もすぐにそちらへ向かいます』
通話が終了した後の伊藤の行動は迅速だった。
施設内の各種センサー情報を網羅し、敵の侵攻状況、施設の被害情報、味方の配置などどんな些細なデータも見逃すことなく脳内へと蓄積し、各員へ最適な指示を飛ばす。
「社員達の避難は完了しているな。では地下隔壁をすべて閉鎖、その後外壁部の自動迎撃システムを起動し、外のデカブツを牽制しろ。後、館内マップに敵性勢力の位置をマーキングしたデータを日野森と鳴海隊長の端末に送っておけ」
言葉にすれば簡単だが、リアルタイムで変動する戦場の流れを逐一把握し、速やかに伝達する指揮官としての技能。そう簡単に真似できるものではない。
剣や銃を持って表舞台に出るだけが戦いではない――伊藤は自分の役目が黒子であることを重々理解している。
これは、勝つための戦いではない。
勝たせるための戦いの火蓋もまた、今ここで切られたのだった。
戦の嵐が天地を蹂躙する。
鈴風は撃槍を頭上で風車のように回転させ、局地的な暴風を引き起こした。大小様々なオブジェクトが、大災害級の竜巻に巻き込まれて、空に壁に地面へと吹き飛ばされていく。無軌道に、無差別に片っ端から弾丸を撃ち放つトリガーハッピーのような烈風の中心で、鈴風はただただ全開出力で能力を解放していた。
村雨蛍の能力については、予め飛鳥から聞いていた。
今の蛍は何の武器も持っていないようだった。だが彼女には、一切の区別なく触れるものすべてを切断する、昔話の妖刀みたいな反則じみた力がある。そんな相手に下手に接近戦を挑むのは自殺行為だ。あっという間に四肢をバラバラにされてしまう光景を想像し、鈴風は背筋を震わせた。
よって、定石は飛び道具による遠距離攻撃。
数撃ちゃ当たるの道理でもって、鈴風はそのあたりにある観葉植物やらテーブルやらなんか間違いなく高そうな機械やらを片っ端から風で浮かせて撃出するという超破壊型のスタイルで行くことにしたのだ。
しかし、弾道のコントロールなどまったく出来なかった鈴風さん。複雑に吹き荒れる竜巻から、360度あらゆる方向にポンポンとすっ飛んで行くので命中率はすこぶる悪い。蛍を倒す前にここが廃墟になりそうな勢いであった。
「この……!!」
それを嘲笑うかのように、黒い影は風に揺れる綿胞子のようなふわりとした動作で投擲物を躱していく。大きく溜息をつきながら、ライオンの剥製(社長の趣味らしい)を半身をずらすだけで後方へ見送った蛍はやれやれといった様子で告げてくる。
「そんな戦い方ではいつまでやっても無駄です。私がこんな遅くて鈍い飛翔体に当たる筈がないでしょう。私の能力を知った上での対抗策なのでしょうが……傷つくことを恐れていては、決して勝利は掴めませんよ」
頭がくらり、とした。
それは、普段部活で後輩のミスを指摘するときのような、厳しさと優しさが同居した口ぶりで。一緒に剣道部で汗を流していた頃の彼女と、今の『辻斬り』と化した彼女の顔が、瞼の裏側で入れ替わりになって映っては消えていく。
分からない。もう1年以上の付き合いになるというのに、村雨蛍という人間の内側がまるで理解できない。
鈴風の知る剣道部部長としての蛍は、凛々しさの中に年頃の女の子らしい可愛さを覗かせる女性だった。普段はおっとりとした物腰の柔らかい人で、でも決して気弱さはなく、自分の意見をはっきりと主張する――大和撫子、そんな印象がぴったりな憧れの先輩だった。
「……なんで」
そんな高潔な女が、なんで。
なんで、血飛沫に舞い、殺戮に嗤うような外道に成り果ててしまったのか。
「ぼうっとしていると――首が飛びますよ?」
1秒にも満たない逡巡だったが、蛍が嵐を止めた鈴風の懐に滑り込むには十分な隙だった。蛍の人差し指が、そっと鈴風の首筋を撫でる。
「あ……」
瞬間、目の前で紅い花弁が鮮やかに花開いた。
反射的に脚部装甲の推進器を起動。なりふり構わず蛍の傍から逃げ飛ぶ。2階と3階を繋ぐエスカレーターの中ほどに着地し、必死に息を整える。
蛍の指は、触れたか触れてないかという程度の僅かな感触しかなかった。それでも首筋には綺麗な真一文字が刻まれており、夥しい鮮血が階下へと落ちていった。
槍を持っていない方の手で出血部を押さえながら、1階に佇む蛍の姿を――いない!?
「その程度の距離で安心してもらっては困ります」
そんな囁き声が微風に乗って聞こえたのと同時、エレベーターが6つに割れた。
一切の身構えも出来ないままの急速落下、血液が逆流する感覚に吐き気がこみあげる。だがその不快感を気にしている間はない。
「こんの、吹っ飛べ!!」
両手両足から突風を噴射させ、蛍への牽制としながら姿勢制御に専念しようとするが遅い。デスクや備品をグチャグチャに破壊しながら、総合受付のカウンターに頭から墜落した。
3階からの落下程度で致命傷になる人工英霊ではないが、まだまだ実戦経験の乏しい鈴風にとっては、理屈で分かっていても身体が自然と恐れを感じてしまう。
瓦礫を蹴飛ばしつつ起き上がった鈴風は、なぜか追撃をかけてこない蛍の姿を視界に捉えて一呼吸。自己コンディションを改めて見直してみる。
落下中にもいつの間にか斬られていたようだ。防刃仕様のジャケットは背中からぱっくりと断たれており、手足の装甲にも無数の裂傷が走っている。
節々に鉛が埋め込まれたような感覚。戦闘行動に支障はないが、このままでは遠からずやられてしまうのは自明の理だ。
首の出血は既に止まっている。自分でも驚いたが、この自然治癒能力ならば多少の無茶が利くことが理解できただけでも収穫と見るべきか。
軽い、靴が床を叩く音。蛍もまた1階へと降り立ち、正対する形となる。……仕切り直し、ということらしい。
(下手の考え休むに似たり、か。だったら、やるしかない)
中途半端な戦い方では策ごと斬滅される運命が待ち受けている。
自分らしく、全力を出せる戦術を。全身を低く、左足を後ろに、マラソンのクラウチングスタートのような姿勢をとった。
「ふふ、それでいいんですよ。……では、私もそろそろ剣を抜くとしましょう」
いざ吶喊――の間際に吹き込まれた宣告に、鈴風は今すぐ踵を返して逃げ出したい衝動にかられた。
まずい、駄目だ、いけない、一刻も早くあの女を止めなければ――! 瞬間的に脳へと叩き込まれる危険信号に従い、鈴風は先の見えない真っ暗闇への疾駆を開始した。踵に装填された撃鉄が落ちる、弾丸の如く解き放たれる鈴風の身体。
彼我の差は10mほど、推進器を用いた鈴風の瞬発力なら瞬きする間に詰められる距離だ。稲光かと思えるほどの超加速によって一足で槍の間合いまで到達した。蛍は薄笑いを浮かべたまま、こちらと視線が合った。それが意味するところは、つまり、
(見切られてる!?)
人間の――いや、超人的な動体視力でも認識不可な領域である雷光疾駆を、この剣鬼は完全に視認していた。
鈴風は右手に握りしめていた翠玉の槍を一直線に前へと押し出す。手遅れになる前に、届け、届けと、神に祈るような刹那だった。
「――“忌刃・マガツキ”。抜刀いたします」
魂をも凍てつかせるような薄ら寒い風が、鈴風の頬をゆっくりと通り過ぎた。
1秒が何時間にも感じられる中、ヒュパッ、という得体の知れない鋭い音に鈴風は疑問を覚えた。
何の音だ? 蛍は一切動いていない。走り出す前と同じだ、まだ何もされていないはずだ。緩慢とした意識のなか、ぼんやりとその事だけは認識できた――違う、そうじゃない、さっさとそこから離れろさもないと今すぐ死ぬぞ何やってる動け動け動け動け!!
「ぐ、があぁぁぁぁぁっ!!」
本能からの緊急命令、なりふり構わずに全身をねじり突進の軌道を横に逸らす。骨が軋み血管が破裂し内臓が押し潰される。出鱈目な動きから来る激痛に対処すべく、脳内物質の過剰分泌で視界が真っ赤な血の色に染まった。
高速道路を走る車が急にハンドルを切るとスリップしたり横転するのと同じだ。ブレーキなどかけられる筈もなく、鈴風は錐揉み上に回転しながら無人のカフェテリアまで飛んでいってしまう。
窓際に設置されていた自動販売機に背中から激突。自販機がくの字に曲がるほどの衝撃を受け、ようやく停止した。
右腕が灼熱を帯びたように熱い。患部を目にしたくはなかったが、否応なく視界に入ってしまう。
二の腕にぱっくりとした切り口が開いていた。肉を裂き、傷口の奥から白色のものがちらりと見えたところで、鈴風は直視できなくなった。
「見事な反射神経です。あのまま突撃していたら、今頃貴女は縦に真っ二つでしたよ?」
まばらな拍手を送りながらゆっくりと歩み寄ってくる蛍。先程までとはまるで違う、変貌した全身の輪郭を見て怖気が走る。
――それは剣のドレスだった。
『あらゆる者を切り裂きたい』という狂気の具現化。腰の部分をぐるりと覆うように、烏の濡れ羽を思わせる黒刃がずらりと整列している。一見するとスカートにしか見えない出で立ちだが、華やかさなど微塵も感じさせなず、むしろ禍々しさを誇張する結果となっている。
上半身も同じだ。龍の鱗のように、様々な形状の刃を折り重ねて作られた殺意の装束。見ているだけで心臓を串刺しにされているかのようだ。
「いやホント……こいつはシャレになんないかも」
針のむしろに座る心地とはこのことだろうか。全身の筋肉が縮こまって、戦うことすら拒絶しているような状態だ。
その姿はまさしく黒の花嫁。無数の刃に彩られたバージンロードを血の赤で染め上げるべく、じらすように一歩、また一歩と距離を詰めてくる蛍を前に、鈴風は乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。