―第78話 スーパーソニック・ストレンジャー ③―
ここからは三連続バトル! まずは鈴風さんから。
――『剣の道』。
――それを志し、追い求め、そして……絶望したのはいつの日であっただろうか。
村雨蛍の家系は、代々高名な剣術家を輩出した由緒正しき古流剣術の宗家――だったらしい。
らしい、という胡乱な認識なのも無理はない。
剣で名を馳せたのも今は昔。それこそ戦国時代や幕末の動乱であれば、剣の才とは重宝されて然るべきだったのだろうが――今は科学全盛の21世紀だ。
――身体を鍛え、技術を磨き……心身これ刃なりと、剣の頂きに至ることの、何と無為なることか。
母は自分が生まれてすぐに亡く、父と2人だけの生活だった。村雨流の名を絶やすまいと、父も必死だったのだろう。女の子らしいことなど何もさせてもらえず、毎日毎日半ば強制的に剣の技を叩きこまれた蛍は、僅か8歳の時点でその真理に到達していた。
剣を振るって強くなったところで何になる? 大会で1位のトロフィーでも貰って来れば満足か? それとも軍隊にでも入って片っ端から敵を斬殺し、どうだ、銃より剣の方が優れているのだと声高に叫べばいいのか?
そんな苦悩の日々を送り続ける蛍の前に、《パラダイム》という組織が接触してきたのは今から3年前のこと。
『進み続けること、成長すること――それを『無為』の一言で片付けてしまうのは、それはあまりに悲しいことだと私は思う。……未だ見ぬ『可能性』の種子を持つ、君のような者であれば尚更だ』
その中心人物であったリヒャルト=ワーグナーの言葉――『可能性』という1つのワードが、悩める蛍の心を深く抉った。
蛍は見極めたくなったのだ。『剣の道』を進み続けたその最果てに見えるものを。
人間という生物の『可能性』を追い求める――『進化』を目指す《パラダイム》との利害は一致しており、人工英霊として組織の末端に加わることに、蛍は一切の躊躇を見せなかった。
――人としての情けを断ちて、神に逢うては神を斬り、仏に逢うては仏を斬る。
その怨念じみたな決意を以て、手始めに父親を斬殺した蛍の進む道は、間違いなく修羅道であった。
それからずっと、村雨蛍はあらゆる戦場を飛び交い、森羅万象を断つ妖刀となって幾多の命を吸い続けている。
どんなに美辞麗句を並べようと、剣とは即ち殺人の道具。ならば、死と血飛沫に彩られた花道こそが、自分が進むべき『剣の道』だと信じているから。
隕石が落下したかのような衝撃が収まり、静寂を取り戻した常闇の空間に響くのは、地面で雨粒が弾ける音のみ。蛍もまた、天地がひっくり返るほどの激震をモロに受け、しばらく立ち上がれそうになかった身であった。
このあまりに強引な移動手段を立案し、そして半強制的に実行した男を思わず睨みつけた。
「こんな乱暴な侵入方法……『進化』を志す《パラダイム》の総意とはまるで対極。その獣じみた発想には感服いたしましたよ、シグルズさん」
ここ断花重工――というよりその内部組織である《八葉》が、だが――の防衛システムに対して、策も無しに正面から突撃するのは無謀である。《パラダイム》の人工英霊を数十人単位で投入すればまだしも、現状組織内で動けるのは自分を含めて3名のみ。故に蛍は、隠密行動による潜入作戦を立案したのだったが……
「ガッハハハハッ! 相変わらずの毒舌っぷりだなぁ村雨の嬢ちゃんは! いいじゃねぇかよ、何事もド派手に、ド直球に行くのがオレの性分なもんでな!!」
結果はご覧の通り。目の前で豪気に呵呵大笑する男によって、策もへったくれもない強行突破の作戦が、文字通り押し通されたのだ。
侵入に使用した鋼鉄の塊から地面へと降り立つ。まだ若干のふらつきを残す膝を平手で叩き、気付けとした。
シグルズは操縦席から動く様子がない。ここで高みの見物と決め込む気かとも思ったが、シグルズがそんな性分持ちだとは思えない。むしろ戦闘となれば、いの一番に突出する彼にしては珍しいが……
一見すると超巨大な松ボックリのようにしか見えない、漆黒のオブジェクト。
全長は10m近く。折り重なった装甲板の継ぎ目が基盤の回路のようにも、張り巡らされた毛細血管のようにも見えた。表面装甲の隙間の奥からは、機械油と排煙が混じった独特の匂いが外へと放たれている。
アルヴィン=ルーダーから技術提供を受け、それを《パラダイム》が更に強化発展させた機動兵器――その名を可変式拠点強襲型戦術起動外骨格“ブリュンヒルデ”。
「シグルズさん、貴方は出ないのですか?」
「なぁに。どうやらオレが出向かずとも、あちらさんからご足労いただけるようだからな」
球体の真上で胡坐をかいたまま、金髪の獣は子供じみた笑みを浮かべた。シグルズが無精髭を撫で付けつつ視線を向ける先を、同じく蛍も目で追う。
まだ遠巻きなのではっきりと姿を視認できないが――2人の人影、それも片方の鮮烈な赤い影は間違いなく『彼』だろう。
さて、どうしたものか。
もうひとりの同行者である鴉は、2人が他愛もないやり取りをしている間に、とっくに施設内へと向かっていた。別にチームワークなど要求していないので、それは何ら問題ない。
このままシグルズと共にここ彼らを迎え撃つのもいいだろう。昨日の返礼もしておきたい。
だが、蛍は飛鳥との再戦をここではあえて避けることにした。
「……では、ここはお任せします」
「おう」
最低限の会話のみで互いの意図は伝わったようだ。
そもそも今回の目的は、レイシア=ウィンスレットの確保にある。これはリヒャルト直々の命令であり、何故彼女を必要としているのか、彼女の存在は《八葉》に正面突撃をかけるほどに価値のあるものなのか……疑問は尽きないものの、別段追及しようとは思わなかった。
蛍にとって――おそらくシグルズや鴉も――そんなことはどうだっていい。
重要なのは、目的を達成するためであれば手段は選ばないこと。翻っていえば、目的さえ達成できれば、その過程で何をしても構わないという事実だけ。
撥水処理を施した闇色の長衣をはためかせ、濡れた舗装道を疾走する。
首から下をすべて真っ黒に覆いつくしたボディスーツと地面すれすれまで裾を伸ばしたロングコート。闇に生き、闇に溶け込み、闇の中で人を斬る。『辻斬り』かくあれかしと言わんばかりの戦装束だった。
等間隔に設置された照明も、先の衝撃で悉く破砕されている。そんな明かりの消えた先の見えない暗闇であっても、蛍の足には些かの迷いもない。
「さぁ、楽しい楽しい殺し合いを始めましょう……鈴風さん」
遠く離れていても力強く響く、そんな彼女の『生』の鼓動が道標となっているのだ。
まるで彼女に恋い焦がれているかのように、胸の奥底から沸き立つ熱い高揚が止められない。
ああ、もっと速く。急がなければ。誰かに先を越される前に。
「他の誰にも渡さない。あの子だけは、私がこの手で刈り取らなきゃ――!!」
狂った剣鬼の眼差しの先には、もはやあの少女しか映っていない。
言葉ににならない激情に突き動かされ、村雨蛍の悲鳴じみた嬌声が空へと伸びた。
レストスペースに残ったままであった女性陣も、数分の後ようやく状況を理解しつつあった。
天変地異かとも思った激震により、通路上の照明はほとんどがやられてしまっていた。警報器の赤いランプや、一部の明かりだけがまばらに生きている通路は薄暗く、真っ暗よりもかえって不気味さを加速させていた。
そんな不測の事態にいち早く対応したのは、意外にも実戦経験が少ない鈴風だった。
「えっと、鳴海さん、でしたっけ。すいません、緊急時の避難場所まで真散さんをお願いできますか」
「は、はい、畏まりました。皆さんはどうなさるのですか?」
腰が抜けたまま立ち上がれない真散に手を貸しつつ、のろのろと立ち上がった他のメンバーに軽く目をやり、言い放つ。
「当然、戦います。少なくとも、あたしとリーシェ、あとレイシアはそのつもりでここに来たんですから」
「うむ。昨日襲ってきた連中と同じ気配を感じる……どうやら《パラダイム》だな」
「ま、“傀儡聖女”とやりあう前のウォーミングアップにはちょうどいいかしらね」
リーシェとレイシアからの頼もしい回答に、鈴風の顔も自然と綻ぶ。
ソファの上でぐるぐると目を回していたフェブリルを回収して、腰のポケットの中に放り込んでおく。飛鳥のジャケットと違い、鈴風の上着のポケットでは15㎝サイズのフェブリルは少々きつかったようで、
「ぐ、ぐるじい……」
ポケットの布地でギチギチに圧迫されて、悪夢にうなされるような悲痛な声をあげていた。緊急事態なので我慢してもらおう。
夕方に行われたミーティングの内容を思い出す。
『いいか。非常事態になったらとにかく最初に、戦えない人が近くにいるなら避難場所まで誘導すること。敵に捕まって人質にとられる、なんて展開が一番最悪だ。そのあと、最低でも2人以上で、なるべく固まって行動するように。……間違っても単独でどうこうしようと思うなよ?』
襲撃者が昨日の《パラダイム》の面々だとすると――相手は既にこの建物内に入り込んでいる可能性が高い。ここは双葉と真散をみんなで護衛しつつ避難場所まで急ぐのが最善だろう。
「…………来る」
だが、その判断をするには遅すぎた。
こちらに向かって猛烈なスピードで接近する気配――いや、既に『殺気』と呼ぶべきか――に背を向けることは許されなかった。
姿が見えないにも関わらず、喉元に刃物を突き付けられたかのような息苦しさ。考えたくはないが……この殺意の主は、ピンポイントで自分に狙いを定めている。ほとんど直観でそう確信した。
「リーシェ、レイシアごめん。後よろしくね」
「なにっ!?」
「ちょっと、アンタ何考えてんのよ!!」
2人からの制止の声を振り切るように駆け出す。
単独行動厳禁と言われておきながらの蛮行に、思わずリーシェもレイシアも声を荒げたが、鈴風の耳には既に聞こえていない。
リーシェ達から距離をとりつつ、追ってくる気配を引き付けるように走る。非常階段を駆け下り1階へ、重い鉄扉を開けると見覚えのある場所に出た。
物珍しい展示物が博物館のようにあちこちに置かれている、エントランス部分だ。ちょうど断花重工の中心部にあたるこの場所は、3階まで吹き抜けになっており、ここから各階層の各方向に繋がる通路が放射状に伸びている。
夕方に見た時と違い、薄暗闇の中、雨音しか聞こえてこないだだっ広い空間はどこか物悲しさを去来させた。
その2階のテラス部分――縁の手すりに両肘を預けたままこちらを見下ろす影がひとつ。
「私の気配に気付いて、仲間から遠ざけたわけですか……いやはやまったく、勇壮なこと」
「部長……」
髪の色から着衣に至るまでが闇に溶け込む黒であったせいか、まるで白磁のような彼女の素顔だけが宙に浮かんでいるかのような錯覚を受けた。
今更確認するまでもないだろう。殺意の主は彼女であり、そして――
「……ふふ」
――これから、死合をすることになる相手だ。
少しばかり、考える。自分の能力は『最速』の能力なのだから、戦うことなく逃げ回り続ければいいのではないか。飛鳥達が他の敵を撃破してくれるまで、自分は時間稼ぎに徹すれば、いたずらに蛍に刃を向ける必要もないのではないか。
ああ、ダメだちくしょうが。
その発想は、要するに他力本願だ。飛鳥の助けになるためにここまで来たというのに、助けてもらうことを前提に考えてどうする。それに、まだ心のどこかで期待しているのか? 話せば分かるなどと、甘ったれた妄想を抱き続けているつもりか?
「うぎゅう…………あれ、スズカ?」
しまった。そういえばフェブリルを収納したままだった。
ポケットからもぞもぞと這い出て辺りを忙しなく見回すチビ悪魔だったが、蛍からの極冷の視線に気付き、慌てて鈴風の背中に身を隠す。
「ごめんねリルちゃん。今からちょっち暴れるから、できるだけ離れててね」
震えるフェブリルに気をやる余裕はほとんどなかった。目線は蛍の方に固定したまま、声だけを投げ掛ける。
一触即発の状況を察知してくれたのだろう。そろそろと遠ざかっていく小さな影を背中で見送り、鈴風は大きく息を吐く。
「部長。もう一度だけ、確認させてください」
「……」
「あたしは、部長の……村雨蛍にとっての敵、ですか?」
敵なんかじゃない。あなたは私の大事な後輩ですよ。そんな答えが返ってくるのを、期待していなかったと言えば嘘になる。
だが、所詮夢想に過ぎないのは重々承知している。鈴風はただ、確認したかっただけなのだ。
「敵、とは少々趣が違うやもしれませんね」
「敵じゃ、ない?」
「そうですね……貴女は言ってしまえば、餌、でしょうか」
覚悟していたことなのに。
憎悪とか、義務とか、忠誠とか。何かしらの強烈な想いをぶつけて、それで剣を向けてくるのであれば、まだ覚悟はできていた。あたしだってその想いに負けるわけにはいかないからと、自らを奮い立たせて戦いに挑むこともできただろう。
だが――なんだ、この女は。
まるでこちらを1人の人間として見ようとはしていない。
「私が貴女と戦う理由はただひとつ。剣の道を追求し続けた果てにある新たな『可能性』――そこに至るために、私はもっと、もっともっともっともっと!――斬らなければならない! 百人の身を斬り、千人の血を啜り、万人の命を喰らってもまだ足りない! だから私は貴女を斬るの! 人工英霊となって、いえ、そうなる前からずっと待ち焦がれていた! あらゆる苦難に立ち向かい、輝き続けるその魂! あぁ、そんな真っ白な輝きを血の赤で染め上げたら、きっと私は、私の知らないナニカに昇華できる! それこそが『進化』に違いないのですよ!!」
人が変わったかのように狂気を剥き出しにして絶叫する蛍。
その言葉の意味はまともに理解できなかったが――するつもりもないが――これで鈴風にもようやくスイッチが入った。
ああ、つまり。この女は生きていてはダメだ。これ以上野放しにしていては、きっと罪の無い大勢の人が彼女の犠牲になってしまう。
全身を、火傷しそうなほどの怒りの高熱が駆け巡る。それでも、頭の中だけは氷を敷き詰めたように冷静で。
「――我が精神には、輝く風が吹いている」
無意識に口をついて出た言霊。これは、鈴風が初めて飛鳥の能力の発現を目にした時、彼が発した詠唱を真似たものだ。
本来、能力の起動にそんなものは必要ないのだが――これは戦闘態勢に精神をシフトさせるための、一種の儀式めいたものだった。
状況に流されてではない、戦わなくちゃならないからでもない。心底自分の意思で『戦う』と決断した少女の、再誕の儀式として。
「ようやくその気になりましたか……」
エントランス全体を、発光する粒子が混じった翠緑色の烈風が駆け回る。展示物の数々が竜巻に煽られ、天井を突き破り上空へと投げ出される。荒っぽい力だこと、と蛍は驚いた様子もなく鈴風の覚醒を見届けてようとしていた。
しばらくの後、嵐が終息する。地面に落下して派手に粉砕される展示群を背景に、烈風の槍騎士が見参した。
両手両足を翠玉色の装甲で覆い、右手には彼女の身長ほどもある長大な撃槍。
蛍はこれから蹂躙する獲物の、思わぬ大物さにちろりと唇を舐めた。
「これ以上、あんたには好き勝手やらせはしない。部長――いや、村雨蛍! ここであたしが、あんたを倒す!!」
召喚した機械槍の先端を蛍に向け、お伽噺の勇者のような勇ましい叫びを轟かせる。
対する蛍は、いわば悪の道に堕ちた黒騎士といったところか。そんな益体の無い空想を抱き、蛍は破顔一笑した。
「では、いざ尋常に参りましょうか。互いの名乗りは一騎打ちの作法ですものね」
殺人狂が何を常識ぶったことを――などと一瞬考えたが、それは鈴風も望むところだった。
それに、この辺で自分の立場というものをはっきりと言葉にしてやりたい気持ちもあったので、意気揚々と応じる。
「《パラダイム》が人工英霊――『辻斬り』村雨蛍」
「日野森飛鳥の相棒こと、『嵐を呼ぶ女』楯無鈴風!!」
そう、これこそが楯無鈴風だ。
改めて言の葉に乗せて形にしたおかげで、自分の為すべきこと、戦う意味がすとんと頭の中に入ったようだった。
目の前の女は、自分の敵である以前に飛鳥を傷付けたのだ。だから、全力で戦わない理由など存在しない。
「大切な人のために戦う、ですか。それはそれは……素敵すぎて、増々壊したくなってきました! 決めました。貴女を殺したら、次は迷わず日野森さんを喰らって差し上げます!!」
「させるかってぇの! あたしを……あたし達を、舐めんなぁっ!!」
超人と機械と魔術が入り乱れる混沌の戦場。
その嚆矢となったのは、嵐を纏う少女の一番槍であった。
お互いの名乗りから入るのは、熱血バトルもののお約束。敵味方問わず、なんやかんやでノリのいいキャラばっかり。